ツチノコで頭がいっぱい

幼児期に目撃したツチノコにより、その存在を確信。35年間ツチノコ捕獲に情熱を注ぎ、今までに4度の目撃体験あり!。

検証/ツチノコがとれた話

2008-03-05 23:38:36 | Weblog
【イメージ画像の説明】

薄暗い窯を覗いた時、そこに二つの光る目が貴方を睨んでいたら、きっと貴方はその正体を見極めようとするはずだ。「ネコか?」それとも「タヌキか?」……。そして、暗闇で目を光らせているものが太く短い蛇だったとしたら、その衝撃は筆舌に尽くしがたいものがあるだろう。
実はこんな恐怖体験を味わった人が幾人かいるのだ。本日ご紹介する「ツチノコがとれた話」が、将にそれである。私はこの話を読んだ当初イメージを膨らませ過ぎ、睡眠不足に陥るほど興奮したものだ。その後ツチノコ探索へ赴くたびに薄暗い穴を形成する場所を見つけては、心臓をドキドキさせながら覗き込んだことは言うまでも無い。

今でも、探索中に発見した木の洞や大きな石に開いた穴の中などを覗く時は、ドキンドキンという鼓動の高鳴りが、耳の奥で音をたてて聞こえるほど興奮するほどだ。そんな状況で穴の中から不意にガマガエルが顔をのぞかせたりすると、思わず腰を抜かすほど驚かされる。心臓の弱い方ならそのまま昇天してしまいそうだが、このスリルが有るからこそツチノコ探索は楽しいのである。


【ツチノコがとれた話/「逃げろツチノコ」96頁~104頁/概要】

さて! この血湧き肉躍る話の概要を綴ってみよう。兎に角、興奮させて貰いました。

昭和42年(1967年)5月中旬、山本素石氏はクラブメンバーの木村落釣氏と岩魚山人氏の三人でイワナを釣りに、滋賀県愛知川の源流を目指した。宿泊を茨川という廃村に決めた三人は、延々18キロの廃道を重装備の状態で歩きはじめた。目的の茨川への途中、焼野という場所が在って、そこはいかにもツチノコの好みそうな広大な萱原だった。
この萱場を見た岩魚氏が「鈴鹿の山にもツチノコがいるとしたら、きっとこういう場所やで――」と、感慨深げに語るので素石氏が「ツチノコの聖地という感じやナ」と、相槌を打った。それほどツチノコの出そうな萱原だったのだ。冗談混じりで交わした会話が、後刻、冗談ではなくなるとも知らずに、であった。
鈴鹿山地はヘビの多い所で、この日も歩く道々数匹のヘビと遭遇したと言う。しかし、そんなことなど意に返さず、三人はノンビリした足取りで茨川へと向った。
この焼野から5キロほど進んだ所に山小屋があり、一休みする為に三人が小屋に近づくと、無人だと思っていた小屋の軒から煙が立ち昇っていて、中を覗くと60歳ほどの親爺さんが昼食中であった。この親爺さんは付近一帯の山を管理する池田四郎さんという屈強な方で、飯を食いながら雑談になった。

やがて四人の会話は山の話からツチノコの話になった。親爺さんは過去に三度目撃していると言う。そこで落釣氏が「今までに、ツチノコが捕れたという実例はおまへんか?」とたずねると、親爺さんは即答して「あるともよ。六年ばかし前(1961年)のことやったが、あんたらここへ来る途中に、焼野っちゅうてな、萱の山があったの知ってるか?」と言うではないか。さきほどツチノコがいそうだと話しながら通り越したばかりだったので、三人は顔を見合わせて驚いた。

昭和36年の秋の暮れ方のこと、焼野の萱場の中腹にある古い炭焼き窯があって、この日、窯主がやってきて蓋を開けると、黒光りして恐ろしく太く短いヘビが暗闇に身を潜めているのを見つけた。そのグロテスクな奴は体を丸め金色に光る目で窯主を見据えている。初めて見る化け物に驚いた窯主は、慌てて窯の蓋を閉めると、煙抜きの穴にも大きな石を詰めて出られなくした。

窯主は大慌てで近くの村まで走り、ことの経緯を村人に告げた。すると数時間後には、三十人もの人達が焼野の炭焼き小屋を取り囲んでいたという。しかし、誰も積極的に手を出そうという者はいなかった。この話をしている池田の親爺さんとて同様で、ただ取り囲んでいるだけで手も足も出せないでいたそうだ。
さて、この窯の中の化け物をどうするべきか、額を寄せ合って思案した結果、ヘビ捕りの職人に依頼してはどうかと話が決まり、さっそく手配する事に衆議一致、程なく近江八幡方面から選りすぐりのヘビ捕り職人数名が駆けつけてきて、悪戦苦闘の末、なんとか捕獲に成功したという。

「そらぁ立派なもんやったで。あんな大きい奴がいるとはちょっと信じられんけど、ほんまに大きかったわ。わしの太腿ぐらいもあったなァ」
親爺さんはそう言って、自分の太腿に両手の指を回して、その太さを示し更には両手を1メートルほど開き、「長さはこれぐらいだった」と三人に教えてくれた。

その捕獲された特大ツチノコの行方だが、名古屋方面のヘビ商に高値で買い取られたそうである。このヘビ商は金網に入れて飼っていたというが、特大ツチノコはどんな獲物を与えても噛み殺すだけでソッポを向いたそうだ。そして苦心の餌付けを拒み続け、三ヶ月ほどして死んでしまったという。
素石氏は「人間に馴つかぬ誇り高き原始性に、私はいたく感動した」と、本文中で感想を述べている。
その後、もしや剥製か瓶漬けにでもなってはいまいかと、素石氏等は窯主を訪ねたのだが、既に窯主は引っ越した後でその行き先を知るものは誰もいなかった。
こうして特大ツチノコはそのエピソードだけを残し、闇の中へ消え失せてしまったのである。


【 検 証 】

この特大ツチノコが捕獲された「焼野」という場所は、滋賀県甲賀市永源寺が近く、ほぼ三重県と隣接した辺境の地である。こんな辺鄙な地に赴くのは渓流釣りを目的とした者や、登山者ぐらいであろう。
当然の事だが、素石氏も渓流釣りが目的で茨川方面を目指していて、たまたまこの話を聞き込んだに過ぎない。なにもツチノコを探しに行った訳では無いのだ。

捕獲されたツチノコは焼野という名のついた萱場に棲んでいたことは歴然としているようだが、なんの必要があって炭焼き窯へ潜り込んだのであろうか。この捕獲事件は九月であったというから、まだ冬眠には早すぎるように思える。案外、追っていた獲物が窯の中に逃げ込み、それを捕らえて捕食したツチノコが、消化中だったとも考えられる。そうでもなければ人工物である窯の中に潜り込むなど不自然だと思えるからだ。
だが、2月18日の当ブログに記載したYahooからの転載記事の中に「使われなくなった水槽の中にいた」という話もある事から考え、身を潜める大き目な場所であれば理由など無く潜り込む習性が有るのかも知れない。

山本素石氏の率いるノーターリンクラブの面々が、この焼野の萱場を探索したという話を私は知らない。もし彼等が探索していないのであれば、それには理由があったはずだ。敢えてその理由を詮索したくはないが、できれば大掛かりな探索を実施して欲しかったという本音は今も変わらない。
元来、ツチノコは萱原の神としてその存在を崇められてきたのだから、ツチノコが目撃された萱原は重要な探索ポイントである。ただし、萱原は草深く広大な面積を有している為、かなり練り込んだ作戦立てて大人数をくり出さなければ良い結果は得られないはずである。そのため、二の足を踏む探索チームも多い事は事実だ。

焼野で捕獲された特大ツチノコの太さの円周は60cm近くあるようだ。そして体長は1mほどだという。この数字を半分に割り算したものが、通常目撃されるツチノコのサイズである。通常サイズのちょうど倍という訳だが、動物界に在って通常のサイズの倍に成長するものは稀である。
例えば人間だと、1m70cmが男子の平均身長とするなら、その倍は3m40cmという途方もない巨人という事になる。だが、通常平均の倍以上に成長した動物の写真などをチラホラ見かける事がある。そう考えれば有って当たり前、居て当たり前のような気にもなってくる。ただし、以前に何度か解説している「五八寸」タイプとは違う形状だということを念頭に置かれて頂きたい。五八寸と呼ばれるツチノコは、円周こそ60cm有っても長さは50cmそこそこである。

さて、この「ツチノコのとれた話」の中で最大に疑問を持ったのは、最後に書かれていた「捕獲後」のくだりである。素石氏とそのグループの面々は、窯の所有者である「藤原林蔵」という方の住居に赴いたが引っ越された後で、誰もその行く先を知らなかったと書いて、だからそれ以上の追跡は不可能だったという形で幕を閉じておられる。此処までは私も納得できたが、なぜ特大ツチノコを捕獲したヘビ捕り業者やそれを買い取ったヘビ商の元へ探求の目をむけなかったのだろうかという、至って単純な疑問をもってしまったのである。
焼野へ来たヘビ捕り職人は、近江八幡方面からやって来た事が分っている。そして、ツチノコを買い取ったヘビ商は、名古屋方面の人物である事も分っていたのだ。ヘビを商売にする人間などそうざらに居るものではない。まだ6年という年月しか経っていなかった時点で、なぜ徹底的にこの両者を洗い出さなかったのか不思議でならないのだ。仮に捕獲されたツチノコが漢方薬の原料となって原形を留めていなかったにせよ、もしかしたら記念写真の一枚ぐらいは撮られていたかも知れないし、皮の断片やウロコの1枚でも残されていた可能性が無きにしも有らず、ではないだろうか。

昭和48年当時、「逃げろツチノコ」を読んでいてこの顛末に虚しさを覚えた私は、山本素石氏の御自宅の電話番号を探り出し、2度ほど電話を入れたものだ。まだ20歳の若造だった私だからこそ、こんな無鉄砲な事をやってのけたのだと思うが、2度とも素石氏は留守で、応対された女性の方にその主旨と連絡先を告げたが、何の返答も返ってはこなかった。
そこで自力の追跡調査を試みようと行動に出たのだが、今と違って電話で調べるだけしか方法は無く、さりとて現地へ行くには経済的負担が大きいために、孤軍奮闘の甲斐なくいつしかフェードアウトしてしまった。ただ、名古屋方面でヘビを商売として扱っている方は数名ほど判明、しかしながら、当時は学生だったので自宅から電話をするのが夜間になってしまい、思ったように事が運ばず歯がゆい思いをした記憶が鮮明に残っている。今だったらインターネットという力強い味方が有って、その度の事なら朝飯前なのだが…。

という訳でありまして、ツチノコにも特大サイズの奴がいるという事がお判りいただけたと思います。
尚、この「ツチノコをとった話」は既に41年前に素石氏が記事にしたものなので、当時の関係者は既に他界されているか、御高齢で記憶も散漫になっておられる事でしょう。今更、名古屋のヘビ商やヘビ捕り職人、はたまた窯主さんを探り出したところで、決定的な何かに行き当たるとは思えません。
せめてもの救いは、このエピソードを素石氏が活字化したことではないでしょうか。


★舞台公演も終り、何とか日常生活のリズムを取り戻しつつあります。なるべくブログに時間を割くよう努力いたしますので、アクセスのほど宜しくお願い致します。


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