ツチノコで頭がいっぱい

幼児期に目撃したツチノコにより、その存在を確信。35年間ツチノコ捕獲に情熱を注ぎ、今までに4度の目撃体験あり!。

【山の怪物追跡記・ノヅチ/前編】

2008-08-22 21:32:26 | Weblog
【嗚呼…ビッグフット】
ビッグフットの死体発見のニュースが流れたのは今月の16日であった。盛大な記者会見とは裏腹で、発見者の提示した資料写真は極めて少なく、初めから胡散臭さを漂わせていた。多分、インチキだろうと思っていたら、やはり的中した。以下に顛末を記す。
『米ジョージア州の森で見つかったとされる謎の猿人「ビッグフット」の遺骸は偽物だったと、ビッグフッド捜索団体が19日、サイトで発表した。
発見者とされる警察官のマシュー・ウィットンさんら2人はジョージア州の森の中で6月にビッグフットの遺骸を見つけたと主張。15日には捜索団体の協力で記者会見を開いた。同団体はサイトとインターネットラジオでこのニュースを伝え、冷凍庫に保存した猿のような動物の写真を公開していた。
しかしその後、同団体の関係者がこの物体を実際に調べたところ、ゴムに着ぐるみを着せた偽物だったことが判明。ウィットンさんら「発見者」の2人も後に嘘を認めたという。
2人は18日にCNNの番組「アメリカン・モーニング」に出演するはずだったが姿を現さなかった。また、記者会見でプロジェクト協力者として名前を出されたスタンフォード大学の人類学者は18日、そんな話は聞いていないと語った。
捜索団体によると、2人がなぜこんなことをしたのかは不明だが、発表に当たっては宣伝などに必要だと称して金銭を要求してきたという。今後2人には公正な裁きを受けさせるとサイトは言明している。 』

いやはや…誠にもって困ったものである。ロマンが打ち砕かれたばかりか、UMAがますます窮地に追いやられる結果となってしまったではないか。否定論者に恰好の材料を提示したことになるからだ。
しかし一瞬であったが、この詐欺師によって胸をときめかすことができたと考えれば、目くじらを立てるべきではないと思ったりもする。今はただ、本物が現れん事を祈るのみである。

【山の怪物追跡記/前編】

お待たせしました。前回お約束した「山と渓谷/1970年1月号」から、ノヅチの記事をご紹介いたします。ノヅチ=野槌、即ちツチノコです。先ずは、この記事の著者である“斐太猪之介”先生の略歴をご紹介したい。

斐田 猪之介(ひだ・いのすけ)…後に斐太と改名。
本名:井之丸喜久蔵 明治44年、飛騨古川に生まれる。
昭和8年朝日新聞社東京本社に入社。社会部、満州・マレー・スマトラ各地の特派員を経て、終戦後帰国。のち大阪本社特信課勤務。朝日新聞名古屋本社企画部長を経て、同社の客員記者。
兵庫県芦屋市に居を構え、野生動物の研究にその生涯を捧げた。ニホンオオカミの研究者として広く知られ、その研究過程で知ったツチノコの存在に興味を抱き、自著の「山がたり」三部作の中でツチノコの目撃談を取り扱った。山本素石氏と共にツチノコ研究のパイオニアと称されている。
著書【炉辺動物記】【山がたり】【続山がたり】【続々山がたり】【オオカミ追跡18年】等々。

という、斐太先生の経歴である。言うなれば、ツチノコのブームを作った陰の功労者である。すでに他界されておられるが、今から20年程前にはサントリーウイスキーのCMにも出演されていた程の有名人でもある。ただし、斐太先生を有名人へと押し上げたのは、ツチノコではなくニホンオオカミの研究による功績がもたらしたものである。

さて、この「山と渓谷/1970年1月号」に特別読み物として斐太先生が執筆された「“山の怪物”追跡記」であるが、この本が発行された1970年といえば、ツチノコがブームになる3年前である。今では「ツチノコ」は超のつくほど有名で全国区だが、1970年の段階では無名の新人歌手といった程度の知名度であった。しかも地方によってツチノコは呼び名が違う為、ツチノコとかノヅチと言われても知っている人は非常に稀であったはずだ。そんな環境の中、唐突にノヅチの存在を提起した斐太先生は、おそらく物事に動じない性格だったのではないだろうか。この当時、太くて短いヘビが転がるとか、跳躍して移動するなどと唱えただけで、世間から嘲笑されるか冷ややかな目で見られるのが関の山だったはずである。それを意に返ささなかったのだから、斐太先生は物事に動じない性格だと考えたのである。
ところで、この「“山の怪物”追跡記」だが、ニホンオオカミ編とノヅチ編に分かれていて、B5版の6ページにわたって活字で埋め尽くされている。試しに見出しやキャプションを除いた文字数を数えてみると約10000文字もあった。その他に写真1点とイラストが2点(上掲画像)掲載されていて、かなり読み応えのある分量である。だが、半分はニホンオオカミについて書かれているのであるから、ノヅチに関する記載は5000文字ということになる。これを400字詰め原稿用紙に換算すると12枚半となる訳だから、それでも結構なボリュームである。そこでこの5000文字を一気に転載しようと意気込んでみたのだが、一気では些か過重負担であると考え直し、姑息ではあるが二度に分けての転記としたい。

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【ノヅチ(野槌)】

さて、もう一つの怪物はノヅチ(野槌)という怪蛇である。広辞林には野の妖怪という説明がついているが、この蛇はニホンオオカミと同じように、日本の特産で、姿も習性も第一級の怪物である。一昨年出版した「山がたり」に初めて紹介したが、私のフィールド・ノートには早くから記録していた。
最初は小学校時代、飛騨の古川の家で、母から炉辺語りに聞かされた。それが、終戦後奥吉野の三之公谷へ動物の調査にゆくうち、西浦房太郎さんから、体から牛乳のような毒をにじませる金茶色のニシキヘビの話を聞き、息子さんから竜神の瀧にノヅチらしいものがいる話を聞いた。
なんでも渓流の中でアオバト(水を飲むとき以外は地上へ降りない)を呑んでいたので、アメノウオを突くヤスで突いたが体へ通らず、丸太んこのような奴が陸へ上がって山桑の幹を這い上がったというのである。私は古い疑いに火をつけられた感じであった。
それから間もなく、京阪神の渓流釣りグループ(ノータリン・クラブ)の会長で、京都の染色家である山本素石さんが、鴨川の上流で、有名なシシの猟場――雲ガ畑へアマゴ釣りに行った帰途、便意をもよおして、栗夜叉谷の林道へ百メートルほど入ったところ、昼下がりの明るい山道へ、突然丸太んこのような蛇が空中から飛んできて、すんでのことで咬みつかれるところだったというのである。
この話を本人から聞いて、幻のノヅチは急に現実のものになった。山本さんの場合は、ニ十年生位のスギの植林地と山道の間に雑草地帯があった。ノヅチはそのスギの枝から飛んできたのか、雑草の斜面から来たのか分からなかったが、「チィーツ」と鳴いて、目の前へ飛んできた。小石道に横たわったノヅチは、鱗をキラキラ光らせ体長四十五センチほどの短い体で、サイダー瓶より太かったというが、それにネズミの尻尾みたいな十センチほどのものがついている。頭は大人の手指三本を並べたほどのもので、気味の悪い目をギョロリ、ギョロリと動かして、上目使いに睨んでいるので、用達しも忘れバス道まで逃げてきたそうである。
山本さんはマス科の魚の研究者なので、その後もこの方面へ釣りにいって、土地の人々に怪蛇の話をした。すると、山一つ越えた貴船の二瀬で、山稼ぎの老人が、「昔から北山にはおるんや。ツチノコ(槌ノ子)は、あんたの出会った栗夜叉の奥、夜泣き峠のカヤ場が巣でのう。この辺りのもんはカヤ場は足を入れんことにしとる。崖から飛んでくる奴に当たったら死んでしもうぜ」といった。山本さんはこの怪蛇がツチノコかということで、動物図鑑を見たが、そんな蛇は記録されていなかった。そこでノータリン・クラブは、各地の渓流釣り場へ印刷物を配って、発見者には10万円出すと宣伝して情報を集めたのだが、摂津三田では「五八寸」、越前の九頭竜川一帯では「コロ」、岐阜県の郡上八幡の上流では「ツチノコ」、丹波では「スキドコ(鋤床)」、江州では「ドテンコ」、播州では「カラカサヘビ」、四国でも「ツチノコ」、九州では「コウガイ(笄)」などと呼ばれて、姿を見た人が相当いるが、秋田県南秋田郡五城目町の小玉康一郎さんも「奥羽山脈でも見た人がおり、最近犬が咬まれて死んだ」と知らせてくれた。
福井県の九頭竜川上流ではノータリン・クラブの田村竹石さんが、電源開発会社に勤めながら調べた結果、福井県はもちろん岐阜県側の石徹白方面に目撃者がかなりおり、その蛇の骨は竹篭のようだという人も出てきた。
また、滋賀県の愛知川上流の焼野というカヤ場で捕らえたものは体長八十センチ、一升瓶ぐらいの太さだったが、伊勢のヘビ捕りが持ち帰ったというし、十数年前に滋賀県の栗太郡太神山へヤマメ釣りにいった京都の篠田年也さんは、岩の上でグウグウ鼾をかいて寝ている変な蛇がいるので、石を投げたら飛んできたという。また福岡県鞍手郡宮田町では、アケビ谷にコウガイがいて、石を投げると口が笄のような形になり、背が三角になるといわれている。
では、ノヅチはどんな姿をしているのがほんとうか、ということについて、神戸のクラブ員、新田雅一さんが兵庫県かで調べた結果を紹介しよう。
兵庫県では揖保川流域、円山川上流の横行、道谷辺りに目撃者が多い。揖保郡太子町の小倉仙太郎さん、穴栗郡一ノ宮町の和田勝さんらの体験談を総合すると、長さは五十センチ内外、大体黒味がかった体色だが、海のゴンズイのような白い縦縞と黒い斑点がある。穴栗郡のアカガネ国有林では時々見られるが、和田さんものんびり寝ている姿を見たことがある。逃げる時はピョンピョンとカンガルーやウサギのように
跳ねるので容易に捕らえられず、時には斜面を輪になって転がったり、頭と尻を交互に起点として電光形に走ることもある。大体、谷川筋から少し上部のカヤの多い斜面に住む。

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前編はここで止めるが、既に「山がたり」三部作や「逃げろツチノコ」を読破された方には重複した内容だと思える。しかしながら、昭和48年のツチノコブーム以前の記事という稀少性を考慮すれば、贅沢を言っては罰が当たるというものだ。
因みに、上掲画像右側に描かれている「ノヅチの骨格」想像図は、新潟県小千谷市在住の渡辺政治さんが所蔵する「ツチノコの骨」をヒントに、斐太先生が書かれたものである。
私は以前このブログで渡辺政治さんの所有する骨は、ツチノコのものではないと書いた。もちろん、今もそう考えている。この点は、斐太先生と考えの異なる部分であるが、どちらが正しいかなど問題ではない。
一つの題材をあらゆる観点で想像する事に意義があるように思えるからだ。

では、次回の更新で後編をお楽しみ下さい。


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