ツチノコで頭がいっぱい

幼児期に目撃したツチノコにより、その存在を確信。35年間ツチノコ捕獲に情熱を注ぎ、今までに4度の目撃体験あり!。

『 茨城のツチノコ PART 2 』

2007-12-06 01:19:56 | Weblog
【画像の説明】
 
 私の所属する未確認生物研究会にも、昔はツチノコの存在を否定する者がいて、その代表格はKTと言った。彼はツチノコはおろか未確認生物全般の否定論者であった。肯定派を尻目に「そんなモノがいるはずない」と、うそぶき嘲笑するのが癖であった。そんな彼であったが、土浦市田村町の探索に同行してからは否定派から肯定派へと、一挙に180°の方向転換をしてしまったのである。そして、ツチノコなど存在しないと豪語していたにも拘わらず、今ではツチノコ肯定派として熱心な研究を続けているのだ。
 今回の画像はKTの股下を潜り抜けて行く寸前のツチノコである。彼はこの体験によって、ツチノコの存在を認めるようになったのだった。
 その時の状況が傑作だ。KTは田村町の探索現場に到着早々、メンバーのように藪を掻き分けたり巣穴を探したりせず、草の上に腰を下ろし飯を食い始めた。見かねた手嶋会長が注意してもKTは腰を上げようともせず「居もしないツチノコを探すのは時間の浪費だ」と理屈をこねた。
 このKTの言葉が終るや否や、眼前の蓮根の葉が大きく揺れた。KTが音のした方に目を向けると、黒い生き物が蓮根畑から踊り出て来てKTに向って突進して来たのだ。驚いたKTが思わず立ち上がって逃げ腰になった時、その黒い生き物は背中を波打たせ物凄い速さでKTの股の下を潜り抜けると、一目散に茗荷の畑へ飛び込んだのだった。 
 手嶋会長は黒い生き物を追ってメンバーと共に茗荷畑に分け入ったが、ついに発見することが出来なかった。一同が茗荷畑から戻ってみると、KTが蓮根畑に向ったまま立っている。どうしたのかと思ってその顔を見ると、顔面を蒼白にさせたKTは痴呆のように大口を開けたまま立ち尽くしていたのだ。
 以来、KTはツチノコの信奉者になった事は言うまでも無い。

▲▼ 田村町のツチノコ ▼▲

 田村町に於けるツチノコ目撃例は相当な数である。その中でも代表的なものを挙げると……。
 (目撃者の実名、目撃現場の特定を記すとご迷惑がかかるので伏せます)

① 測量技師の目前に出現 
 平成5年頃、田村町北東部の造成地で測量が行なわれていた。その最中に大型のツチノコが現われたのである。その大きい奴は驚き慄く測量技師を尻目に、悠々と這って藪の中に姿を消したという。

② 夜間、帰宅中途中に目撃
 A子さんは高校生。部活の終了が遅くなり先生が車で送ってくれた。A子さん宅が近づいた時、道路上に奇妙な生き物が跳びだして来た。慌てて急停車した車のヘッドライトに照らし出された奇妙な生き物は、手足の無い太く短い蛇だった。先生は冷静に「お前の家では変な物を飼ってるんだな」と言ったとか。

③ ワニのような蛇
 自宅の物置小屋に農具を取りに行ったBさんは、積んである角材の上に奇妙な生き物を発見。恐々と近づいて観察するとワニのような姿をした太く短い蛇だった。慌てて家人を呼んで一緒に見ていると、その奇妙な生物はスルスルと角材の隙間に消えていった。以後、恐ろしくて物置小屋には近寄っていない。

④ 犬の散歩中に跳んで来たツチノコ
 数年前の夕方、Y子さんが大型のラブラドールのラモスを連れ散歩中、私が以前ツチノコを目撃した某家の直ぐ傍へさしかかった。その時、バサッと音を立ててツチノコが飛来。ツチノコとラモスが一触即発の危機を感じたY子さんは慌てて逃げ出した。この時のツチノコは体を立てて威嚇したという。

⑤ 畦道で踊り狂うツチノコ
 農婦のSさんはかなりのご年配だが、足腰はシャンとして気丈な方だ。そのSさんが近くの水田の畦道を歩いていると、前方でビール瓶のような蛇が踊り狂っている。その蛇は数十センチの高さに飛び上がっては体を震わせるといった動作を繰り返していた。Sさんは不思議な生き物に怖さを感じる事も無くその光景に見とれていたが、やがて怪蛇は草むらに姿を消した。多分、体に付着した寄生虫を払い落としていたのだろうと、楽しそうに語ってくれたSだったが、近年お亡くなりになられたそうだ。。

⑤ 丸太だと思ったら…
 農婦のK子さんが自宅裏の草むらに雑草を刈りに出た。暫く草を刈っていて休憩しようと腰を伸ばすと、すぐ先に太く短い丸太が転がっている。誰が捨てたか疑問に思いつつその丸太を拾い上げようとして驚いた。それが急に動き出したのだ。しかも直線的に音も無く滑るように動いたのだから胆を潰して当然だ。しかし、これが噂のツチノコだと思い直し手を出そうとしたが逃げられたそうだ。

⑥ 樹上のツチノコ
 小学校裏の樹上で子供たちがツチノコを発見。数人がかりで観察していたが、襲ってくる気配は感じられなかったという。やがて先生がやって来て危険だから立去るように指示をしたとか。案外、この先生の指示は的確だったかも知れない。目撃されたツチノコはB型だったようだ。

⑦ 土蔵の脇から出現
 Wさん宅は旧家で立派な土蔵がある。或る雨上がりの夏の日、Wさんは花壇の手入れをしようと自宅の庭先にむけ歩き出した。土蔵の脇まで来ると見慣れない短めの筒が落ちている。何だろうと近づくと、それはスルスルと動き出した。ツチノコだと分かり数歩後退したWさんの脇を、そいつは悠々と直線的に蛇行せず小藪に姿を消した。Wさんは土蔵の下にツチノコの棲家が有るのでは、と言っていた。

⑧ 探索中に出た
 未確認生物研究の面々がいつものポイントを探索していると、近くで女性の悲鳴が上がった。何事かと駆けつけるとM子さんが腰を抜かして座り込んでいる。聞けばツチノコと出遭ったと震え声で答える。すわ一大事とばかり付近を捜索したが発見できなかった。このM子さんのお婆さんも同じ場所で見ている。

⑨ M子さんのお婆さんの目撃談
 自宅近くの栗林の下草を刈っていたM子さんのお婆さんが栗の木の下でまどろんでいるツチノコを発見。お婆さんはツチノコを起こさないようにその周りの草をそっと刈り始めた。すると物音に感じたのか、目覚めたツチノコは体を縮めると一気にジャンプした。平たくなって跳んだツチノコは、9メートルも先に着地して姿を隠したそうだ。後日、巻尺で実測して飛距離が9メートルと分かったのである。

⑩ 私の目撃
 探索終了後、車に分散して帰路についた時、④で説明したY子さんの目撃地点で目撃。尺取虫のような運動を繰り返しながら高速で人家の庭先に跳びこんだ。黒光りしたツチノコであったが、あれほど凄い速度で斜面を駆け上がるとは知らなかった。その速さを例えるなら、猫が犬に追われて平地を全力で駆けている時と同じぐらいの速度だ。斜面をあの速度で駆け上がるとするなら、平地ではもっと早いはずである。

 まだまだ田村町での目撃は有りますが、旧聞のため割愛します。私は思うのですが、この田村町で5月の1ヶ月間を毎日ツチノコ探しに充当できれば捕獲も夢ではないように思うのです。それだけツチノコが濃密なんです。それに、まだ探索していない地域も多々有って、何しろ魅力的な所です。来年の5月は同行者を募りますので、是非ご参加下さい。日頃から運の良い人は特にお勧めです。

▲▼ 茨城のツチノコ PART 2 ▼▲

 茨城のツチノコ目撃は田村町に限ったことではない。例えば、①北茨城、②筑波、③小貝川流域、④美浦村、⑤利根川河川敷等で多数の目撃がなされている。他にも茨城県内での目撃例は数多く有りますが、複数の人により複数回の目撃が果たされた場所となると、前記した5ヶ所になる訳です。
 ただし、⑤の利根川河川敷は別格なので概要は次の機会に回したい。それと④の美浦村は公の施設内のため公表は避けたい。

① 北茨城
 某有名女性シナリオライターの弟さんから聞き込んだ話。この方をHさんとしておこう。私から見ればHさんはライバル的存在である。Hさんのお姉様は誰もが知る脚本家のためお名前は公表できません。

このHさんの友人が北茨城に住んでいた。久しく会わずにいたので5月の連休を利用して遊びに行った。日帰りの予定だったが友人に勧められ一泊する事になった。翌日、友人に誘われ近くの川へ魚釣りに行く途中、見晴らしの良い草むらを通った。すると、3個の黒い塊が草むらからピョンピョン跳びだして来て、彼らの歩いている道を横切って行った。驚いて凝視したHさんは太く短い蛇だと分かったそうだ。ところが、友人は気にも止めず道を急ぐ。興奮したHさんが「今のは何か」と友人に問うと、「ノヅチという蛇の一種でこの辺りでよく見かける」という。まだツチノコという名称が一般化されていない頃だったので、そういう蛇が日本には生息しているとHさんは思ったそうだ。
そして数年後、自分の見た蛇が幻のツチノコだと知ったHさんは、今度は捕獲して世間をアッと言わせてやろうと目論みカメラ持参で北茨城へ出かけた。勿論、友人にも立ち会ってもらって前回目撃した現場の草むらを隈なく探し歩いた。しかし、全く姿を現さず空振りに終ってしまった。
その後、Hさんは暇を見つけては北茨城へ何度も足を運んでいるが二度目の遭遇は果たしていないという。だが、Hさんの友人はちょくちょく見かけるそうだ。

この目撃現場が何処なのか、Hさんは絶対に明かしてくれない。どんなに酒をご馳走して聞き出そうとしても徒労に終るのが常だった。だが、私より二十歳も年上のHさんは、そろそろ足腰がいう事を利かない年齢となっている。間もなく口を割ってくれるのではないかと期待しているのである。

② 筑波山
 筑波山の近辺も非常にツチノコ目撃が多く、広範囲にわたっている。その証に笠間市には民話化されたツチノコ伝説もある。
 
 筑波山がとても登りやすそうな山だということは望見して分かる。標高876メートルの女体山と870メートルの男体山の二つの山が結びついて出来たような姿は、とても印象深いものがある。ところでこの筑波山だが、今ではケーブルカーによって気楽に登れる山になっている。往時を忍ばせるガマの油売りの口上も、ケーブルカーに乗ってしまっては有って無きが如しであろう。そんな昔気質を良しとする人たちは徒歩で登山する。この登山者たちがちょくちょくツチノコと遭遇するのだ。ただし、日中は出遭わないという。まだ日差しのうっすら残った夕方が多いのだそうだ。俗に言う黄昏時である。
 筑波山中には奇岩怪石がゴロゴロしている。そして霊水なる湧き水の類も豊富で小動物も多い。こうなって来るとツチノコが出て来て当たり前の好条件だが、最近は登山客の増大でツチノコ目撃例もトーンダウン気味だ。しかし、戦前は多かったと聞く。私の知る最新目撃談は4年前に起こっている。
 目撃したのは東京から筑波神社へ祈願に行った会社員のTさん(46歳)だ。私はTさんから目撃現場を聞き「え、あんなところで?」と驚いたものだ。そこは私も一度行ってよく知っている場所であった。正確な場所は罰が当りそうなので明かせないが、取り敢えず神域だと言っておこう。
 Tさんは祈願を済ませその神域にさしかかった時、靴の紐が解けかかっている事に気づいてしゃがみ込んだ。その時、斜め横の石垣の割れ目に何かの気配を感じ正視した。薄暗い割れ目の中で目が光っている。咄嗟にガマガエルの姿が頭を過ぎった。ガマだと思い込んだTさんはそのまま靴紐を結んで立ち上がって驚いた。いつの間にか石垣の割れ目からビール瓶のような生き物が全身をさらけ出していたのである。
 Tさんはこれがツチノコで実在の生き物なのだと感心したという。そのツチノコは全体が黒色で灰色っぽい斑紋が並んでいて、見るからに毒蛇を思わせるような不気味な目つきだったそうだ。双方の距離は3メートルほどなのでじっくり観察できたという。Tさんが不思議に思ったのは、そのツチノコが頻繁に口を動かしながら空を見上げるような格好を繰り返していたことだった。
 当然、ツチノコもTさんの存在を視野に入れているはずなのに襲いかかってくるような素振りはなかったという。尚も観察を続けていると、20メートルほど後方から人の話し声がして来た。すると、ツチノコがTさんの方に顔を向けて睨んだと同時に、電光石火の早業でUターンするように割れ目に潜り込んだのである。Tさんはその場に立ち尽くしたまま、30分近く石垣を見詰めていたがツチノコは二度と姿を現さなかったという。

 目撃者のTさんは、私の知人の中でいちばん堅い職業に就いている方だ。平たく言えば公務員ということだが、この時の目撃談は家族や同僚にも話したことはないという。私のツチノコ好きを知っているからこそ話してくれたのである。
 この話はTさんが目撃した二、三日後に聞いたのである。情報としては鮮度95%という新鮮さであったが、そういう時に限って舞台の本番を間近に控えていたりするものだ。直ぐに筑波へ行けばメリットが有ったのかも知れない。毎日が暇で金が有り余っていればと、つくづく思うのである。

③ 小貝川流域
 今から6年前のことだ。未確認生物研究会の堀米氏から手嶋会長に電話が入った。それによると、堀米氏の自宅近くに住む親戚の方が小貝川に沿って流れる農業用水脇の田圃で、毎年のようにツチノコを見かけるから探索にきて欲しいという連絡だった。
 久方ぶりの緊急出動となり、体の空いている会員が現地に集合した。着いてびっくりしたのは、殆ど起伏の無い水田地帯だったからだ。私が幼少時に目撃した鷺ノ宮の田園を髣髴とさせるような場所である。果たして本当にこんな所で目撃が続いて起きたのか…。誰もがそう思ったものだ。
 この場所へは通算で7~8回行ったと記憶している。そして確実な巣穴を見つけたのは5回目の時だった。一段高くなった田圃と用水路脇へ続く2メートルほどの緩やかな斜面に、その巣穴はあった。しかも、未だ嘗て見た事の無い不気味な巣穴であった。穴の入り口を覆っている雑草を除けると、穴が左右に分かれているのだ。どちらも同じような大きさで何かが出入りしているのか、ツルツルに磨き上げられたようになっている。じっと覗いていると、今にもツチノコが飛び出してきそうな雰囲気だった。
 或る日、手嶋会長は某テレビディレクター氏と二人だけで小貝川の探索地点へ赴いた。このディレクター氏がスクープをカメラに収めたいと懇願する余り、情に絆されてという経緯である。この日も、さんざん徘徊して諦めて車に戻りかけた時、ツチノコが現われたのである。しかもその場所は、二つに分かれた巣穴のすぐ脇であった。ディレクター氏が先に見つけ「あれはなんだ!」と奇声を発した。その声で手嶋会長が目をやると、数十メートル先に直立したツチノコがいるではないか。
 二人は走りに走ってツチノコに近づいた。ディレクター氏は走りながらカメラのバッテリーを装填している。「早く写せ!」と怒鳴る手嶋会長。しかし、ディレクター氏がカメラを向けた時、すでにツチノコの姿は消え失せていたのだ。この後、二人して捜索した事は想像に難くない。

 この事件の後、我々はフル装備で現地へ赴いた。しかし、この日は出がけから嫌な予感がしていたのだ。そしてその予感は見事に的中した。
 探索のために田圃に立ち入らない訳にも行かず、ついつい田圃の所有者に断りを入れぬまま綿々と探索を繰り返してきた結果、田圃は我々によって踏み荒らされてしまい、土を盛って固めただけの畦道は所々で崩壊している。その天罰が下ったというか、無断で立ち入った責任を問われたというべきか。田圃の所有者と名乗る人物が現われ、今後一切踏み入るべからず、もし見つけたら即時警察に通報すると脅しをかけてきたのだ。
 非はこちらにある。平身低頭で謝罪したが許す気配の無い頑固爺であった。我々としては目前のツチノコが全てである。土下座してでも許しを請おうと試みても耳も貸さない。それどころか、携帯電話を取り出して110番通報しそうな剣幕だ。流石の手嶋会長も埒があかないと見て、退散するよう我々に目配せをした。
 我々は仕方なく引き揚げ、帰りの車内で善後策を練ってみた。その結果、金で解決してはどうかという至極当たり前の決論に達したのであった。
 ところがそれから数日後、手嶋会長が目眩をうったえ緊急入院、私の母も脳梗塞が悪化して緊急入院となってしまったのである。会長と副会長が身動きの取れない状態ではメンバーも満を持す以外に方法とて無く、そのまま小貝川探索は打ち切られてしまったのだった。

 手嶋会長はあれ以来、体の不調を引き摺ったままである。私の母は二年後に他界した。小貝川は未確認生物研究会にとって鬼門だったのであろうか。


 ということで、また次回をお楽しみに!

■ お知らせ ■
ツチノコのDVDが付録にセットされた「未知動物の特集本」が発売されます。発売は2月10日頃で、全国の「セブンイレブン」で4万部の限定販売です。その中で私の談話や山形で撮影された「死骸写真」も登場しますのでお楽しみに!

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