須我神社(島根県雲南市)を掲載しました。
須我神社(すがじんじゃ)
【鎮座地】〒699-1205 島根県雲南市大東町須賀260 旧出雲国 大原郡
【御祭神】須佐之男命 奇稻田姫命 清湯山主三名狹漏彦八嶋野神 (配祀)武御名方命
【例祭】 9月27日 例大祭 9月28日 例大祭
【旧社格等】県社
【御由緒】
須我神社由緒
御祭神 須佐之男命
奇稲田比売命
清之湯山主三名狭漏彦八島野命
合殿 武御名方命
古事記(和銅五年、西暦七一二年)所載=肥河上(ひのかわかみ)で八俣遠呂智(やまたのおろち)を退治せられた速須佐之男命は、宮造るべき所を求めて此処出雲国須賀の地においでになり「吾此地に来まして我が心須賀須賀し」と仰せになって此地に宮殿を御造りになりましたが、其地より美しい雲が立ち騰がるのをごらんになり ”八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を”の御歌を御詠みになりました。
即ち此宮が古事記・日本書紀等に顕はれる日本初之宮であり此処が三十一文字和歌の発祥地でこの御歌の出雲が出雲の国名の起元であります。
而うして須佐之男命と奇稲田比売命、御子神清之湯山主三名狭漏彦八島野命の三神が当社主祭神であります。
出雲風土記(天平五年・西暦七三三年)では此処を須我神社、須我山、須我小川等の名に表現され風土記抄(天和三年・西暦一六八三年)には須我村とあり須我は広く此の地方の総称であったことがうかがえます。
須我小川の流域に曽つて十二の村があってこの須我神社はこの地方の総氏神として信仰されていたものであり、また須我山(御堂山八雲山)の山ふところには巨岩の夫婦岩(磐座)並びに小祠があり須我神社奥宮として祭祀信仰されています。
合殿の武御名方命は天文年中当地(淀之荘)地頭職として神中沢豊前守が信州より来任せられたときその氏神武御名方命の神霊を勧請して、この須我神社に合祀し諏訪大明神として崇敬せられました。以来村名も諏訪村と改められていましたが明治二十二年元の地名の須賀に復し現在に至っています。明治二十五年十一月八日元の島根県社に列せられました。
なお須我山の主峰八雲山は眼下に中海や宍道湖を見おろし島根半島から弓ヶ浜東方遙かには出雲富士(伯耆大山)を望む景勝地で毎年秋頂上では盛大な歌祭りがあり四季にわたって各地からの来遊が多い。
須我神社社務所
(社頭由緒掲示板より)
島根県の東部に位置し、松江市と出雲市に隣接する雲南市にあります。JR木次線出雲大東駅から県道24号線を東におよそ10km余、八雲山の西南麓、大東町須賀に鎮座しています。
日本初之宮の石碑から神門
鳥居をくぐると右に手水舎。左に「縣社須我神社」の社号標、昭和拾二年拾月の日付があります。正面階段上に文化13年(1816)奉納の狛犬に続いて瓦葺の神門です。
神門から拝殿
神門を入ると右に社務所、左参道脇に授与所、正面一段上鬱蒼とした樹木に囲まれて社殿です。
階段下から拝殿
須佐之男命は肥河上で八岐大蛇を退治した後、新妻の稲田比売命とともに住む土地を探し、当地にたどり着き「ここに来て我が心すがすがしくなった」として「須賀(須我)」と命名し、最初の宮殿を定めました。
須佐之男命が詠んだ歌碑拝殿への階段右下にあります。
宮殿を建てた後、美しい雲が立ち騰がるのを見て「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」です、このことから和歌発祥の地とされています。
拝殿
当地に建てた宮殿が日本初の宮殿ということで「日本初之宮」と 呼ばれ、この宮殿がそのまま神社になったと伝えられています。
素木の額には「日本初之宮 須我神社」とあります。神紋は亀甲の中に「八雲」が描かれています。
拝殿内の扁額
拝殿内には「須我神社 公爵 近衞文麿」の扁額、「奉献 昭和丁丑 仲秋」とありますので昭和12年(1937)の奉納と思われます。
社殿全景拝殿そばに神木があります。
社殿は拝殿から透かし塀の玉垣内に最も古いとされる神社建築様式の大社造りの本殿と続いています。左にお寺(普賢院)境内が隣接しています。
本殿
天平5年(733年)『出雲国風土記』大原郡条に記載されている「須我社」に比定されています。
御祭神は須佐之男命とお后の稲田比売命、御子の清之湯山主三名狭漏彦八島野命の3柱。天文年間(1532-1554)当地に信濃国諏訪から赴任した中沢豊前守が諏訪大社の武御名方命を合祀し、一時諏訪神社と称されていましたが、明治22年元の須賀(須我)に戻されました。
社殿全景社殿右にも樹高の高い神木が聳えています。
境内神社・海潮神社と荒神社社殿右にあります。
拝殿と出雲造りの本殿の本格的な社です。御祭神は宇能遲比古命、須我禰命 櫛名田姫命 手名椎命 事湯津比古命 少彦名命 足名椎命 伊邪那岐命 大山祇命が合祀されています。
海潮神社の右は荒神社です。御祭神は不明ですが、五穀成就 家畜安全 守護荒神社とあります。
境内社・若宮神社荒神社の右に並んであります。
御祭神は伊邪那岐命、宇迦之魂神 須佐之男命 火産靈命が合祀されています 。周囲には小さな狛犬、稲荷神社も合祀されていますので狛狐も見られます。
御仮殿若宮神社に続いてあります。
御仮殿の名の通り、遷宮等の時の臨時の社と思われますが、詳細不明です。
境内社・虚空社(こくうしゃ)
社殿左、隣接するお寺(普賢院)との境界付近にあります。虚空蔵菩薩が奉祀されています。
拝殿から神門
社殿のある上段の境内は山の斜面が迫り奥行きがありませんが、授与所前の下段はわりと広く整理されています。
神門から鳥居
神門に出雲神仏霊場のポスターが掲示されています、当社は出雲國神仏霊場第十六番とされています。社前の道路は県道24号線(旧道)です。
神楽の宿当社駐車場のそばにあります。
1991年、大東町が100年以上前の茅葺屋根の古民家を移築して、当地の神楽文化継承の拠点として整備されました。
須我神社(すがじんじゃ)
【鎮座地】〒699-1205 島根県雲南市大東町須賀260 旧出雲国 大原郡
【御祭神】須佐之男命 奇稻田姫命 清湯山主三名狹漏彦八嶋野神 (配祀)武御名方命
【例祭】 9月27日 例大祭 9月28日 例大祭
【旧社格等】県社
【御由緒】
須我神社由緒
御祭神 須佐之男命
奇稲田比売命
清之湯山主三名狭漏彦八島野命
合殿 武御名方命
古事記(和銅五年、西暦七一二年)所載=肥河上(ひのかわかみ)で八俣遠呂智(やまたのおろち)を退治せられた速須佐之男命は、宮造るべき所を求めて此処出雲国須賀の地においでになり「吾此地に来まして我が心須賀須賀し」と仰せになって此地に宮殿を御造りになりましたが、其地より美しい雲が立ち騰がるのをごらんになり ”八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を”の御歌を御詠みになりました。
即ち此宮が古事記・日本書紀等に顕はれる日本初之宮であり此処が三十一文字和歌の発祥地でこの御歌の出雲が出雲の国名の起元であります。
而うして須佐之男命と奇稲田比売命、御子神清之湯山主三名狭漏彦八島野命の三神が当社主祭神であります。
出雲風土記(天平五年・西暦七三三年)では此処を須我神社、須我山、須我小川等の名に表現され風土記抄(天和三年・西暦一六八三年)には須我村とあり須我は広く此の地方の総称であったことがうかがえます。
須我小川の流域に曽つて十二の村があってこの須我神社はこの地方の総氏神として信仰されていたものであり、また須我山(御堂山八雲山)の山ふところには巨岩の夫婦岩(磐座)並びに小祠があり須我神社奥宮として祭祀信仰されています。
合殿の武御名方命は天文年中当地(淀之荘)地頭職として神中沢豊前守が信州より来任せられたときその氏神武御名方命の神霊を勧請して、この須我神社に合祀し諏訪大明神として崇敬せられました。以来村名も諏訪村と改められていましたが明治二十二年元の地名の須賀に復し現在に至っています。明治二十五年十一月八日元の島根県社に列せられました。
なお須我山の主峰八雲山は眼下に中海や宍道湖を見おろし島根半島から弓ヶ浜東方遙かには出雲富士(伯耆大山)を望む景勝地で毎年秋頂上では盛大な歌祭りがあり四季にわたって各地からの来遊が多い。
須我神社社務所
(社頭由緒掲示板より)
島根県の東部に位置し、松江市と出雲市に隣接する雲南市にあります。JR木次線出雲大東駅から県道24号線を東におよそ10km余、八雲山の西南麓、大東町須賀に鎮座しています。
日本初之宮の石碑から神門
鳥居をくぐると右に手水舎。左に「縣社須我神社」の社号標、昭和拾二年拾月の日付があります。正面階段上に文化13年(1816)奉納の狛犬に続いて瓦葺の神門です。
神門から拝殿
神門を入ると右に社務所、左参道脇に授与所、正面一段上鬱蒼とした樹木に囲まれて社殿です。
階段下から拝殿
須佐之男命は肥河上で八岐大蛇を退治した後、新妻の稲田比売命とともに住む土地を探し、当地にたどり着き「ここに来て我が心すがすがしくなった」として「須賀(須我)」と命名し、最初の宮殿を定めました。
須佐之男命が詠んだ歌碑拝殿への階段右下にあります。
宮殿を建てた後、美しい雲が立ち騰がるのを見て「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」です、このことから和歌発祥の地とされています。
拝殿
当地に建てた宮殿が日本初の宮殿ということで「日本初之宮」と 呼ばれ、この宮殿がそのまま神社になったと伝えられています。
素木の額には「日本初之宮 須我神社」とあります。神紋は亀甲の中に「八雲」が描かれています。
拝殿内の扁額
拝殿内には「須我神社 公爵 近衞文麿」の扁額、「奉献 昭和丁丑 仲秋」とありますので昭和12年(1937)の奉納と思われます。
社殿全景拝殿そばに神木があります。
社殿は拝殿から透かし塀の玉垣内に最も古いとされる神社建築様式の大社造りの本殿と続いています。左にお寺(普賢院)境内が隣接しています。
本殿
天平5年(733年)『出雲国風土記』大原郡条に記載されている「須我社」に比定されています。
御祭神は須佐之男命とお后の稲田比売命、御子の清之湯山主三名狭漏彦八島野命の3柱。天文年間(1532-1554)当地に信濃国諏訪から赴任した中沢豊前守が諏訪大社の武御名方命を合祀し、一時諏訪神社と称されていましたが、明治22年元の須賀(須我)に戻されました。
社殿全景社殿右にも樹高の高い神木が聳えています。
境内神社・海潮神社と荒神社社殿右にあります。
拝殿と出雲造りの本殿の本格的な社です。御祭神は宇能遲比古命、須我禰命 櫛名田姫命 手名椎命 事湯津比古命 少彦名命 足名椎命 伊邪那岐命 大山祇命が合祀されています。
海潮神社の右は荒神社です。御祭神は不明ですが、五穀成就 家畜安全 守護荒神社とあります。
境内社・若宮神社荒神社の右に並んであります。
御祭神は伊邪那岐命、宇迦之魂神 須佐之男命 火産靈命が合祀されています 。周囲には小さな狛犬、稲荷神社も合祀されていますので狛狐も見られます。
御仮殿若宮神社に続いてあります。
御仮殿の名の通り、遷宮等の時の臨時の社と思われますが、詳細不明です。
境内社・虚空社(こくうしゃ)
社殿左、隣接するお寺(普賢院)との境界付近にあります。虚空蔵菩薩が奉祀されています。
拝殿から神門
社殿のある上段の境内は山の斜面が迫り奥行きがありませんが、授与所前の下段はわりと広く整理されています。
神門から鳥居
神門に出雲神仏霊場のポスターが掲示されています、当社は出雲國神仏霊場第十六番とされています。社前の道路は県道24号線(旧道)です。
神楽の宿当社駐車場のそばにあります。
1991年、大東町が100年以上前の茅葺屋根の古民家を移築して、当地の神楽文化継承の拠点として整備されました。
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また、近くの墳墓(植田町かわらけ谷)から古墳時代後期の大刀が1400年もの間、錆びずに出土 したという考古学的にも奇跡的なことがあったとの逸話も聞かれる。