白兎神社(鳥取県鳥取市)を掲載しました。
白兎神社(はくとじんじゃ)
【鎮座地】〒689-0206 鳥取県鳥取市白兎592 旧因幡国 高草郡
【御祭神】白兔神 (配祀)保食神
【例祭】 4月17日近い日曜日 例大祭
【旧社格等】村社
【御由緒】
「因幡の白兎」で有名な白兎神社は古事記・日本書紀に記されている由緒の明らかな神社です。
御祭神 白兎神を主神とし保食神を合祀しています。
古事記に曰く淤岐ノ島に流された兎、海の和邇を欺きて気多之前まで渡らむとせしが欺きを知りたる和邇により悉く衣服を剥がれ泣き悲しむ兎に八十神の命もちて海塩を浴みて風に当り伏せれば前にも増して痛みはげしく、ここに大穴牟遅神(大国主命)その兎に教へたまはく「今急くこの水門に往きて水もて汝が身を洗ひて、水門の蒲黄を取りて敷き散らしその上に輾転てば汝が身、本の膚の如必ず差えなむものぞ」と教へたまひき。かれ教の如せしかば、その身もとの如くなりき。
このことから日本の医療・動物医療の発祥の地と云われ、古来皮膚病・傷痍に霊験あらたかな神様です。
尚、大国主命と八上姫との縁を取りもたれた(仲人された)縁結びの神様でもあります。
神社は往古兵乱に遭い、詞廟古書など焼失し、創立は明らかでないが現在の神社は、武門武将の崇敬厚い鹿野城主亀井武蔵野守茲矩公が慶長の末再建されたものです。(本殿のみが当時のものです。)
(神社パンフレットより)
鳥取砂丘で有名な鳥取県鳥取市にあります。JR山陰線「末恒駅」の西1.5Kmほどの古事記神話の「因幡の白うさぎ」伝承地とされる国道9号線沿いの白兎海岸に面した高台の森に鎮座しています。
鳥居をくぐると綺麗に整備された階段を上ります。参道左にハマナス自生南限地帯(国指定大正11年3月)の案内板があります。南限自生地群落は当地から東に500mのようです。
歌碑階段を上りきった左にあります。
■歌碑
昭和五年の勅題『海辺の巌』に、当地気多ノ前の情景を和歌によみ、詠進された北里蘭氏は、入賞の栄与を受けられた。それを記念して、緑の地(気多ノ前)に歌碑を建立。その後昭和六十一年に白兎神社参道に移設奉納された。
「鰐の骨に 似たる岩見ゆ
蒲ならぬ 波の花散る 気多ノ御前に」
参道の鳥居参道途中の鳥居です。
昭和三十七年四月吉日の日付があります。参道鳥居をくぐりしばらく進むと左に手水舎があります。
身洗ノ池(不増不滅の池)参道の右にあります。
■身洗ノ池(不増不滅の池)
社前の凹地、常緑樹に覆われた周囲一〇〇メートルばかりで、往古は内海(白兎の旧地名)池の流出口であったので、水門と呼んでいましたが、内海池が良田と化してから、僅にこの池だけが残っています。
神話にある白兎神が、傷口を洗い蒲の花を採って傷につけられ、全治したると伝えられる霊池です。
拝殿
参道左、一段高い位置に社殿のある境内です。参道両側に趣のある狛犬と灯篭が並んでいま
す。神紋は亀甲に剣花角、扁額にはシンプルに「白兎神社」とあります。
社殿全景社殿は拝殿から、さらに一段高く瑞垣に囲まれた中に本殿です。
本殿
御祭神は白兎神を主神とし保食神を合祀しています。
往古兵乱で詞廟古書など焼失し、創立は明らかでないが現在の神社は、鹿野城主亀井武蔵野守茲矩公が慶長の末再建されたものです。本殿のみが当時のものです
菊座石
本殿を支える土台石(六ケ)の柱の接する表面に菊の紋章(二十八弁)が彫刻してあります。全国的にも大変珍しく、神社創設が皇室と何らかの関係があったものと云われています。
拝殿から参道
社殿のある境内から狭い参道を挟んですぐ前に「身洗ノ池(不増不滅の池)」です。
参道から日本海眼下に白兎海岸の景観が広がります。
国道9号線沿いに駐車場、「道の駅神話の里 白うさぎ」があります。海岸沿いの展望台には「大黒さま」の歌碑があります。
社叢遠景国道9号線をまたぐ歩道橋から社叢の遠景です。
当社社叢は日本海岸地方の原始林景を今に残している重要なものであるため、昭和12年国の天然記念物に指定されています。
大国主命と因幡の白うさぎのモニュメント
「道の駅神話の里 白うさぎ」入口にあります。大きな袋を肩にかけた大黒様と白うさぎです。
『だいこくさま』 明治38年
作詞 石原和三郎(1865-1922) 作曲 田村虎蔵(1881-1943)
1.大きな袋を 肩にかけ 3.大黒さまの いうとうり
大黒さまが 来かかると きれいな水で 身を洗い
ここにいなばの 白うさぎ がまの穂わたに くるまれば
皮をむかれて あかはだか うさぎはもとの 白うさぎ
2.大黒さまは あわれがり 4.大黒さまは だれだろう
「きれいな水に 身を洗い おおくにぬしの みこととて
がまのほわたに くるまれ」と 国をひらきて 世の人を
よくよくおしえて やりました たすけなされた 神さまよ
気多ノ前
白兎海岸の西端に突き出た岬で、白兎神が鰐を騙して沖に浮かぶ淤岐ノ島から上陸した場所と云われています。
淤岐ノ島の南北には波食棚が見られ、北側の広く発達しているものは「千畳敷」と呼ばれ、南側のものは棚面が水面上に飛び石状に連なっているため、伝説では白うさぎが渡ったワニの背になぞらえられています。
淤岐ノ島
頂上部にクロマツの中に鳥居が建てられています。
■淤岐ノ島
気多ノ前から約一五〇メートル沖合にある神話の島で、白兎神が流れついた島だと言われています。
沖の平坦な所は千畳敷と言われ、東西に通ずる洞窟もあります。最も高い所は十メートル余、頂上に黒松、緑草が育ち、四方の眺望は誠に美しいものがあります。
岩は第三紀層角礫岩で成り、明治維新前この島は、池田藩主の遊覧地でした。
周辺には、この他つぎのような「因幡の白うさぎ」神話にまつわる伝承地が多数あります。
■恋 島
杖突坂の下り口の砂浜に、一部露頭を見せている小島で、大国主命がこの島で八上姫を恋い給うたために名付けられました。
安政五年に地元の若衆によって一番高い神楽岩の上に石燈篭が建てられました。
■杖突坂(恋坂)
気多ノ前を上った高尾山の中腹にある坂で、大国主命が八十神と共に八上姫を恋慕いて通られた坂で、この先には山坂がないからと、坂を下りた所に杖を突き立て立ち去られました。この杖の跡から、清水が湧き出したという伝説が残されていて、今もなお白砂の中から清水が湧き出て、枯れることがありません。
■身干山
社用地の南、日当たりの良い砂山で一帯に黒松が生い茂っています。往古、白兎神が蒲の花を敷いて、傷ついた神体を干し給うた山であると伝えられていますが、今は山全部を失って平な土地のみが残っています。
(■xxは神社パンフレットより引用)
白兎神社(はくとじんじゃ)
【鎮座地】〒689-0206 鳥取県鳥取市白兎592 旧因幡国 高草郡
【御祭神】白兔神 (配祀)保食神
【例祭】 4月17日近い日曜日 例大祭
【旧社格等】村社
【御由緒】
「因幡の白兎」で有名な白兎神社は古事記・日本書紀に記されている由緒の明らかな神社です。
御祭神 白兎神を主神とし保食神を合祀しています。
古事記に曰く淤岐ノ島に流された兎、海の和邇を欺きて気多之前まで渡らむとせしが欺きを知りたる和邇により悉く衣服を剥がれ泣き悲しむ兎に八十神の命もちて海塩を浴みて風に当り伏せれば前にも増して痛みはげしく、ここに大穴牟遅神(大国主命)その兎に教へたまはく「今急くこの水門に往きて水もて汝が身を洗ひて、水門の蒲黄を取りて敷き散らしその上に輾転てば汝が身、本の膚の如必ず差えなむものぞ」と教へたまひき。かれ教の如せしかば、その身もとの如くなりき。
このことから日本の医療・動物医療の発祥の地と云われ、古来皮膚病・傷痍に霊験あらたかな神様です。
尚、大国主命と八上姫との縁を取りもたれた(仲人された)縁結びの神様でもあります。
神社は往古兵乱に遭い、詞廟古書など焼失し、創立は明らかでないが現在の神社は、武門武将の崇敬厚い鹿野城主亀井武蔵野守茲矩公が慶長の末再建されたものです。(本殿のみが当時のものです。)
(神社パンフレットより)
鳥取砂丘で有名な鳥取県鳥取市にあります。JR山陰線「末恒駅」の西1.5Kmほどの古事記神話の「因幡の白うさぎ」伝承地とされる国道9号線沿いの白兎海岸に面した高台の森に鎮座しています。
鳥居をくぐると綺麗に整備された階段を上ります。参道左にハマナス自生南限地帯(国指定大正11年3月)の案内板があります。南限自生地群落は当地から東に500mのようです。
歌碑階段を上りきった左にあります。
■歌碑
昭和五年の勅題『海辺の巌』に、当地気多ノ前の情景を和歌によみ、詠進された北里蘭氏は、入賞の栄与を受けられた。それを記念して、緑の地(気多ノ前)に歌碑を建立。その後昭和六十一年に白兎神社参道に移設奉納された。
「鰐の骨に 似たる岩見ゆ
蒲ならぬ 波の花散る 気多ノ御前に」
参道の鳥居参道途中の鳥居です。
昭和三十七年四月吉日の日付があります。参道鳥居をくぐりしばらく進むと左に手水舎があります。
身洗ノ池(不増不滅の池)参道の右にあります。
■身洗ノ池(不増不滅の池)
社前の凹地、常緑樹に覆われた周囲一〇〇メートルばかりで、往古は内海(白兎の旧地名)池の流出口であったので、水門と呼んでいましたが、内海池が良田と化してから、僅にこの池だけが残っています。
神話にある白兎神が、傷口を洗い蒲の花を採って傷につけられ、全治したると伝えられる霊池です。
拝殿
参道左、一段高い位置に社殿のある境内です。参道両側に趣のある狛犬と灯篭が並んでいま
す。神紋は亀甲に剣花角、扁額にはシンプルに「白兎神社」とあります。
社殿全景社殿は拝殿から、さらに一段高く瑞垣に囲まれた中に本殿です。
本殿
御祭神は白兎神を主神とし保食神を合祀しています。
往古兵乱で詞廟古書など焼失し、創立は明らかでないが現在の神社は、鹿野城主亀井武蔵野守茲矩公が慶長の末再建されたものです。本殿のみが当時のものです
菊座石
本殿を支える土台石(六ケ)の柱の接する表面に菊の紋章(二十八弁)が彫刻してあります。全国的にも大変珍しく、神社創設が皇室と何らかの関係があったものと云われています。
拝殿から参道
社殿のある境内から狭い参道を挟んですぐ前に「身洗ノ池(不増不滅の池)」です。
参道から日本海眼下に白兎海岸の景観が広がります。
国道9号線沿いに駐車場、「道の駅神話の里 白うさぎ」があります。海岸沿いの展望台には「大黒さま」の歌碑があります。
社叢遠景国道9号線をまたぐ歩道橋から社叢の遠景です。
当社社叢は日本海岸地方の原始林景を今に残している重要なものであるため、昭和12年国の天然記念物に指定されています。
大国主命と因幡の白うさぎのモニュメント
「道の駅神話の里 白うさぎ」入口にあります。大きな袋を肩にかけた大黒様と白うさぎです。
『だいこくさま』 明治38年
作詞 石原和三郎(1865-1922) 作曲 田村虎蔵(1881-1943)
1.大きな袋を 肩にかけ 3.大黒さまの いうとうり
大黒さまが 来かかると きれいな水で 身を洗い
ここにいなばの 白うさぎ がまの穂わたに くるまれば
皮をむかれて あかはだか うさぎはもとの 白うさぎ
2.大黒さまは あわれがり 4.大黒さまは だれだろう
「きれいな水に 身を洗い おおくにぬしの みこととて
がまのほわたに くるまれ」と 国をひらきて 世の人を
よくよくおしえて やりました たすけなされた 神さまよ
気多ノ前
白兎海岸の西端に突き出た岬で、白兎神が鰐を騙して沖に浮かぶ淤岐ノ島から上陸した場所と云われています。
淤岐ノ島の南北には波食棚が見られ、北側の広く発達しているものは「千畳敷」と呼ばれ、南側のものは棚面が水面上に飛び石状に連なっているため、伝説では白うさぎが渡ったワニの背になぞらえられています。
淤岐ノ島
頂上部にクロマツの中に鳥居が建てられています。
■淤岐ノ島
気多ノ前から約一五〇メートル沖合にある神話の島で、白兎神が流れついた島だと言われています。
沖の平坦な所は千畳敷と言われ、東西に通ずる洞窟もあります。最も高い所は十メートル余、頂上に黒松、緑草が育ち、四方の眺望は誠に美しいものがあります。
岩は第三紀層角礫岩で成り、明治維新前この島は、池田藩主の遊覧地でした。
周辺には、この他つぎのような「因幡の白うさぎ」神話にまつわる伝承地が多数あります。
■恋 島
杖突坂の下り口の砂浜に、一部露頭を見せている小島で、大国主命がこの島で八上姫を恋い給うたために名付けられました。
安政五年に地元の若衆によって一番高い神楽岩の上に石燈篭が建てられました。
■杖突坂(恋坂)
気多ノ前を上った高尾山の中腹にある坂で、大国主命が八十神と共に八上姫を恋慕いて通られた坂で、この先には山坂がないからと、坂を下りた所に杖を突き立て立ち去られました。この杖の跡から、清水が湧き出したという伝説が残されていて、今もなお白砂の中から清水が湧き出て、枯れることがありません。
■身干山
社用地の南、日当たりの良い砂山で一帯に黒松が生い茂っています。往古、白兎神が蒲の花を敷いて、傷ついた神体を干し給うた山であると伝えられていますが、今は山全部を失って平な土地のみが残っています。
(■xxは神社パンフレットより引用)
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