農マライゼーション

サラリーマンしながら趣味の米つくりです。無化学肥料・無農薬です。自然農法というよりホットケ農法です。

みぞれ紋

2009年02月28日 06時28分04秒 | Weblog
昨日は天気予報で山沿いでは雪が降るかもしれないと言っていた。
朝、駿介と一緒に車で見たもの。
車のフロントガラス。
みぞれがワイパーにかき寄せられてミミズ状の紋を作っている。

加茂まで出たら消えてしまったが、見方によってすべては違ってくる。
ごみも見方によって実は資源。

篤姫は「一方を聞いて沙汰するな」という母親の言葉を守って、出会う人を見方にした。
うわさを聞いて腹を立てたが、直接あって話を聞いて味方にした。
というより自分のその人に対する見方を変えた。

私も悩んだり、イライラしたり、怒ることをやめよう。
そう思うのだが、つい怒ってしまう。
自己嫌悪に陥るのに懲りない私。

いや、イライラしたり、怒れるのは生きている証拠。
有り難い。
あるのが難しいのなら、大切にしまっておこう。
いや、出してしまって[ありがとう]と言おうか。

もともと、イライラや怒りはなかったもの。
自分が作り出したもの。
そして疲れるもの。
人間を疲れさせ、[躁]から[欝]に移すもの。

すべてが味方(見方)
一日一省

あれ~「省」は「かえりみる」とも読めるし「はぶく」とも読める。
今日に「一省」は「はぶく」であり、「捨てる」である。

あれ~それって無。
人がム。
仏。

ブツブツ言ってしまった。
「捨て置け」
「カーツ」

一日一渇。


自由・解放

2009年02月27日 05時51分22秒 | Weblog
朝、車で通勤の信号待ちで小鳥を発見。
ハクセキレイであろうか。
冬で少し太っている。

通勤、仕事と流され、自由がない私につかの間の自由を与えてくれる。
篤姫で徳川家定が「今度生まれてくる時は鳥になりたい」と言っていた。
将軍職の自由がないストレス続きの毎日。
鳥になりたい気持ちはよくわかる。

私も鳥になりたい。
家の中で退屈したら、チョッと空の散歩。
下界を見つめて、チマチマした自分の生活を眺める。
風に乗って空でのうたた寝もいいもんだ。

妻は大の鳥嫌い。
夢遊病者の私を檻に入れている。
よくしたものだ。
どこに飛んでいくかわからない私に網をかけている。

幸せの青い鳥を探す私に幸せは「あなたが生きていること」
「あなたのような人が生きている事、それ事態が幸せ」と
そういっているような気がする。

しかしたまには
一日一飛。
いいもんだ。

サッカーの練習再開

2009年02月26日 06時46分42秒 | Weblog
高専の受験勉強のため、夜のサッカーの練習ができないでいた。
自分なりに優先順位を考えて、今は受験勉強と判断したのだろう。

「今日はサッカーをやるぞ」と朝から宣言していた。
以前より気合が入っている。
ボールを持つなといわれた投手が久しぶりにボールを投げる喜びと同じであろうか。
自分で決めたのがいい。

まだ、高専に受かっているかどうかわからないが、1つのことを決めて、頑張ったことは大きな自信、達成感で、1つ大きくなった気がする。

私も共に歩みながら学んだということか。
本人に意志で進路が決められたことが大きな喜びであり、満足である。

死と向き合っている彼にとって、その場かげりの言葉、重みのない言葉は意味がありません。
すぐに、その軽さを見破られてしまいます。
「パパはわかってないと」

障害があるから、スポーツは出来ないという常識を打ち破った彼。
彼は特別な人ではない。
「駿は駿だ」といった彼の言葉が重みを増す。
不治の病に自暴自棄のなることもあるが、それを肥やしに大きく成長している。

お尻の痛くない車いすを作りたい。
自分で自由に寝返りができるようになりたい。
願いを現実に。

駿介が行き続けるために超えなければいけないハードルはたくさんあるみたいである。
しかし彼にはそれを応援してくれる人が次々に現れてくるだろう。
今までそうであったように。

一日一蹴。

今日も雨

2009年02月25日 06時48分26秒 | Weblog
今日も雨というと梅雨のようである。
昨日も雨。
しかも、今朝は激しく降っている。

雨の写真は撮りにくく、思いついたのが田んぼ。
水が溜まっているのではと思い、駆け付けた。

案の定、まだ暗いが水が溜まっている。
今年はこのまま、水を貯めて岩澤信夫さんの不耕起移植栽培に切り替えようか。

津山は雪なく、阿波は雪。
今年の1月はそれが際立っていた。
それに対する答えを「加茂まで地球温暖化が来ている」といった人がいた。
しかし、いよいよ地球温暖化は阿波まで来たようである。

一日一雨。
 一日一晴れ。

阿波4分の3成人式

2009年02月24日 06時32分05秒 | Weblog

このたび、阿波が「にほんの里100選」に選ばれました。
選ばれた全国100の里の特徴は
「里の魅力を持続させようと努力を続ける元気な里」
つまり「自然も人も元気な里」です。

今まで阿波を守ってきた阿波のみんなが評価されたのであり、みんなで喜びたい。
しかし、飲んで祝って終わりではいけない。
続いて、元気になって、まちづくりになるもの。
もらってからずっと考えてきた。

阿波の人たちは子どもたちや孫たちのために頑張ってきた。
阿波のこの地に生きてきた誇りを改めて感じ、
子どもたちや孫たちに「私たちの阿波100選」を伝えたい。
これから「心のふるさと阿波」として100年続けたい。

子どもたちの成長を祝うのは私たちみんなを祝うことです。
昔の立志式、阿波村主催の成人式の復活です。

「にほんの里100選」記念事業として
「第一回 3/4成人式」を行います。
(20歳を1とすれば3/4は15歳)
今年、加茂中を卒業する子どもたちを阿波あげて「晴れ料理」で祝福します。

社会に出て行く18歳より手前がいい。
昔の元服まで育てた子どもたちに何か伝えたい。
「昔、阿波のみんなが寄って、大酒飲んでなんかしてくれたの~」

スローガンはWe are here. 私たちはここ阿波で生きていく。

日時  3月15日(日) 11時から  サイコウいい!
場所  阿波公民館
主宰  連合町内会阿波支部(阿波まちづくり協議会)

本日、自治会会合があります。
ここで、提案します。
百選百年。

ジャンボに驚き

2009年02月23日 06時11分18秒 | Weblog
岡山ヴィゴーレの活動資金として交通費とバッテリー代の助成をもらうために、
ジャンボ倉敷店に面接試験を受けに行った。

パチンコ屋の2階に丁寧に案内された。
多くの人。
60団体以上が今日、面接を受けるという。
知った顔が見える。
福祉の世界は狭いものである。

20分ほど待って呼ばれる。
面接官は2人。
しかし、机が9つぐらいあっていたるところで面接をする感じ。
若手社員の研修を兼ねたみたいで、若い面接官。
あちらも2人でこちらも2人。
今日は22日。

挨拶のあと、私はしゃべり続けた。

デンドウといえば、娯楽の殿堂、パチンコ屋。
スポーツの殿堂といえば、電動車椅子サッカー。
デンドウつながり。

電動車椅子サッカーとパチンコの共通点は「誰でもできる」
できるつながり。

電動車椅子サッカーは重度障害児者もできるスポーツです。
人口呼吸器をつけていてもできる。
それをはずすと死んでしまう代表の下山さんもできる。
電動車椅子サッカーは誰でもできる。
パチンコも誰でもできる。

「お金さえあれば、偏見さえなければ、環境が整えば・・・」
パチンコをしようとするとお金がいる。
パチンコが悪いことだという偏見があればできない。
もちろん、パチンコ屋がなければできない。

電動車椅子サッカーも同じ。
お金がないとできない。
障害者がスポーツをするなんてとんでもないという偏見があればできない。
体育館、移動、介助、体調など環境が整わないとできない。
できないつながり。

今回は活動資金の助成のお願い。
いかに金がいるかを訴える。
チームが少ないため、試合をするには遠くへ行かねばならない。
交通費がかさむ。
車いすを運ばなければならない。
介助もいる
障害者が動くのは大変。
車一台ではすまない。
最低3台。
お金はない。
スポーツをすることはいいことだと言われているが実際は国の補助はない。

そこで、杉井君が目に付けたのが、御社のサン基金。と話を持っていった。

結果は後日。
しかし、パチンコ屋も変わった。
社会貢献を大々的にやるし、
店内に入ってみたら従業員は若い。
素人ぽくって、怖くない。

1玉4円と1円があるのにも驚いた。
みんなに愉しんでもらうためにいろいろと考えているのだ。

「店長は猫好き。
22日はニャンニャン猫の日。
あまり、玉が出すぎて店長がネコんでしまいます。」と張り紙。
私のパチンコ屋への偏見はふっとんだ。

ジャンボな看板の女性も「ウソーッ」と言っている。
ジャンボなサン基金の助成に私も「ウソーッ」。
交通費までいただいたのである。

一日一玉。
 一玉1円。
  一日一驚。

W試験

2009年02月22日 06時09分51秒 | Weblog
妻の方のじいちゃんばあちゃんがくれた合格祈願の梅が満開。

本日は駿介の高専の入試の日である。
別室で試験官が介護してくれて、15分延長の配慮をしてくれる。

私は日曜日、どうして過ごしたらいいかと思っていたら、
岡山ヴィゴーレの遠征資金の助成の2次試験の通知が来た。
サン基金といって、パチンコジャンボの社会福祉だ。
書類審査の1次は通って、2次は面接試験。

親子wの試験日となった。
本日は2月22日。
駿介は妻と2人。
私も杉井さんと2人。
ニーッ(2)と笑ってパーッ(8)と咲くか。

駿介は「100点取るぞ!」と昨日言っていた。
一日勉強していたが、やるべきことはやったという気持ちなのだろう。
100点は無理であろうと言うと「満点とるぞ」と。
確かに自分のやってきたことに満点をつけることはできる。

私も満点を取りに行こう。
プロジェクトに大切なのは志と姿勢だそうだ。
渾身で臨もう。

一日一満。
 二人で二満。



こんがらがった!

2009年02月21日 09時52分45秒 | Weblog
近藤純正さんの講演でびっくりしたのは
1887年、1913年、1946年、1988年の平均気温のジャンプがあるということです。
0.4~0.6℃上がっている。
写真のようにのこぎり状である。

原因は
1912年がセントヘレズ山の火山噴火
   1985年、6年に駒ヶ岳、三原山に火山噴火
      そして1945年は原爆
まだ、確定はできないが火山灰、ガス、原爆のちりが地球の成層圏至り、
覆ったとすると温室効果で気温が上がることは考えられる。
次回、近藤さんに,会ったらよく聞いてみたい。

30年に一度のジャンプがあるということは面白い。
100年と言うスパンでとらえると面白いことがわかるもんだ。
地球温暖化は二酸化炭素の原因もあろうが、
気温のデーターはいろんなものが影響しているようである。
1つに決めてしまう単純さは危険。
異常気象も。

本日、日本は大荒れだそうだ。
これぞ正純。ひっくり返して純正。〈笑い〉
近藤正純さんにひんしゅくを買いそう。


今日の気候もあたり前の自然現象。
いろんなものが関係しているのが純。
ところで、私の頭はこんがらがっています。

こんがらがりを1つずつ説いていくのが学者かな。
純に近藤さんの尊敬をこめて混同清純。
まさに(正に)近藤さんの生き方は清純です。
こうありたい。

一日百混。
 一日一純。
     


生きる意味って何だろう?

2009年02月20日 06時38分39秒 | Weblog
この答えはわからない。
わからないことは諦める。
これぞ悟りと思ってきた。

本屋で目に止まった文庫本。
痛いと言わない動物たち。
確かに。

命をつなぐことがすべて。
38億年受け継がれてきたいのち。
動物園にいる動物がすごいと思うのは、いのちある限り、命だけみていきているということです。

そして悟りとは平気で死んでいくとでなく、平気で生きて生けること。
と続く。

考えてみるに
にんげんだものくよくよする。
にんげんだものうまくいかない。
にんげんだもの失敗もする。
しかし、平気で生きていく。
これぞ、悟りか。

煩悩。
嫉妬する心。
人をうらやましく思う心。
どうしてもてばなしたくないと執着するこころ。
人によく思われたいと願う心。
人を差別する心。
人のせいにする心。
すべて、動物にはない。

こんな心は忘れなさい。
平気で生きていきなさい。
差を取るでさとるではなさそうである。
さっと取るが近いのかもしれません。

しかし、小菅正夫さんてすごい。
旭山動物園園長。
日本一の入園者数。
動物がすごい。
人間がすごいと言いたいのでしょう。

映画「旭山動物園物語」
ペンギンが空をとぶ。
見たい、映画である。

一日一感動。


なぜ起こるか地球温暖化

2009年02月19日 06時13分13秒 | Weblog
なぜ起こるか地球温暖化。
二酸化炭素が増えたからだというのが定説であるけど、最近は間違っているという声もある。
環境のNPOに属している私としてはしっかりした理由が知りたい。

篤姫のように「一方聞いて沙汰するな」といきたいものである。

「気象観測の環境を守れ」と全国行脚する近藤 純正さんのお話を聞く機会を持てた。
津山市の丹後山の観測所は優良な観測所であるが、大きくなった桜の木が観測に影響を与えていると。

このままでは地球温暖化のような100年単位の気候変動を監視できない。
気象庁によると、日本の年平均気温は100年で1.1度上がったが、自らの計算では0.67℃になるという。

観測データが正確でないと正確な予測ができない。
だから、全国を手弁当で回って、自分の持論を紹介して、気象観測所の環境を守っている。

今回も手弁当で神奈川県から。
その前に町内会、関係部署を回って、講演場所も自分で手配。
すごい人がいるもんだ。

言っていることは科学的でよくわかる。
学者とはこういう人を言うのだと改めて感服した。

世界を守るため、自分の出来ることをやっている。
20年前心筋梗塞で倒れてた。
それから、全国行脚のため、自宅近くを歩きこんだ。

75歳でありながら、すがすがしいお人である。

もっと詳しく知りたい方は「近藤 純正」で検索お願い。
いい名前である。

こんどうじゅんせい。
間違っても混同して人のせいにするではない。

一方聞いて沙汰するな。
一日一純。


曲がった長靴

2009年02月18日 05時44分28秒 | Weblog
「にほんの里100選」の載った1月6日の新聞を300部
朝日旅行の清水さんが送ってくれた。
津山の市政アドバイサーで阿波が選ばれるのを助けてくれた人だ。

お礼を言いたいといったら、2月12日に阿波に来てくれた。
その時、新聞が手に入らないかといったら、二つ返事でOK.
昨日、その300部が届いた。

その紙面の一番に載っているおばあちゃんをまた見る。
1月6日、この写真を見たとき、自分の目を疑った。
顔はさすがに違ったが、曲がった長靴は今は亡き「おふくろ」にそっくりなのである。
当時、畑から帰ってくる母の長靴は直視できなかった自分であったが、ここでまた見せられるとは。

今度は300である。
その重さを感じる。
100戦に選ばれた里には曲がった長靴のお袋が必ずいる。
いや、どこの里にも。
ふるさとを守っている、そこで生きてるおふくろがいる。

清水さんは言った。
「阿波をつぶさないために100選に選んだ」と。
私も阿波をつぶさないため、ふるさとをつぶさないため、自分のルーツをつぶさないため、「にほんの里100選」に応募した。
この企画に乗って良かった。企画した人と選ばれた人との気持ちが一致していた。

この地で生きていく誇りが上勝の横石さんの言った「黄門さまの印籠」なのかもしれない。
写真の大根が、杖が、手が、長靴が、笑顔が印籠。
一日一立。


やまおやじ

2009年02月17日 06時49分19秒 | Weblog
阿波にはいないか「やまおやじ」
テレビや雑誌で里山の風物詩として紹介される「やまおやじ」
見つけてみたい「やまおやじ」

「にほんの里100選」を企画した森林文化協会が出している雑誌
「グリーンパワー」に面白い記事が載っていた。
行政に頼らない地域づくり「やねだん」の挑戦と題して。

空き家の「迎賓館」に芸術家や新規収納者を誘致
運動遊園作りで住民の心を1つに

芋つくりから焼酎
土着菌
母の日には、集落に残る父母へ県外に出た息子娘にメッセージをかいてもらい、
それを地元高校生が朗読して無線連絡網で流す。

相次ぐ視察が収益も生み出す。
訪問者向けのお土産開発。
手打ちそば屋をオープン。
年3回の「ふるさと創生塾」

阿波に当てはまる内容。
ソバある。どぶろくある。空き家ある。人もいる。

一日一探。

ガッツポーズ

2009年02月16日 06時28分48秒 | Weblog
横綱朝青龍のガッツポーズが「品格はゼロ」と問題に。

思えばサッカーでのゴールの熱狂ぶりは以上である。
横綱として引退だ引退だとけなされて、それを見返しての優勝。
うれしいだろう。

しかし、負けるものがいるから勝人がいる。
横綱なら人の上に立った人ならその下にいる多くの人のおかげで自分がいる
ことをしらなければならない。

運動会。
かけっこでは1位もあればビリもいる。

「オリンピックは参加することにいぎがある」
英語では”Not To Win,But to Take Part"

スポーツというものは、勝つことが目的でない。
勝者があるところには敗者があるのだから、勝つことを目的にすれば、
敗者には意味がなくなってしまう。
勝敗に関係なく、自分にふさわしい役割をしっかり果たそうとするのが、
オリンピックの精神。

日本だけでなく、世界でもその精神は忘れてほしくない。
私たちが生きるこの人生の精神である。

桜井よしこさんは朝日新聞の「耕論」で言っている。

自分の人生は自分だけのものでない、誰かのお役に立ちたい、
生きるのは自分自身と家族のためでもあるけれど、社会のため、公のためである。
そう考え、行動した彼らは自ずと矜持が備わりましたし、
身なりが貧しくても、自ずと品格が現れました。

柔道は自らを鍛える道なのですから。
勝者も敗者もお互いへの賛辞をつつましやかに表現し、感情は律するのが、本来の姿です。
かつての誇りもまた、自らを律することで凝縮された。
誇りある振る舞いは、そのような深い内面の美意識から生まれる。
藤原さんの「品格」からは強い自負と「誇り」が漂っています。

公のおかげ、社会のおかげで自分は生きていることがわかれば、品格も備わってくる。
自然のおかげで自分が生きている、生かされているとわかれば、矜持も備わる。
麻生さんありがとう。

一日一誇。






村田幸子の今日も元気で

2009年02月15日 11時37分26秒 | Weblog
いいことを言う女性がいる。
村田幸子さんである。

最近は福祉の番組で見かける。
そこで言ってた。
「障害は個性である。響きはいい。
しかし、障害とは暮らしにくさそのものである。
オブラートに包むのでなく自ら正面からとらえ、訴えるべき」という。
「あっても乗り越えるすべをつかむ、支援のあり方をのぞむ」
こんなことをはっきり言う。

また聴きたいと思っていたら、検索して見つけた。
「村田幸子」で検索すればHPが出てくる。

最新の介護・福祉情報をお伝えする、村田幸子編集長のラジオ深夜便「“老い”を豊かに」は毎週金曜午前0時台(木曜深夜)放送!

ラジオの放送が聴けるのである。

これは村田幸子を聞きたいと思っていた私には夢のよう。
しかも、ブログを書きながら聞けるのである。
一日一聴。

障害者は依存体質が強くなる。
特に次第に筋肉が弱ってい筋ジスではその傾向が謙虚。
いつも原点に帰って自らのチェックをしなければ。
自分の出来ることは自分で。

一日一チェック。

世の中,バリヤフリーでない。
バリヤアリーである。
それを正面から受け止めていくのがロックなパパ、いや父親である。

1日1ロック。
1日1ろくでもない!

14℃の朝

2009年02月14日 07時24分18秒 | Weblog
朝起きて寒さを感じない。
ストーブがいらない。
ストーブをフリーズした身体を溶かす気持ちでつけていた1月が嘘のよう。

ストーブの室内温度は14℃を表示。
本日は2月14日。

阿波でも雪は影だけ。
田んぼの雪は完全にない。
小鳥のさえずりも聞こえる。

「ふきのとう」が出てくるのでないか。
もう1ヶ月は眠っていたいのだろうに。
回り、環境がせわしない。
せかされているようでセカセカしてくる。

生き急ぎは死に急ぎ。
日本人は遊園地の観覧車に乗っても、ゆっくり観覧車を楽しんでいない。
観覧車の中で次にどの乗り物に乗ろうかと考えている。
ボケーッと下界を眺められない。

本来の遊びというものは「心の解放」である。
あくせくした心、せかせかした心を、のんびりと休ませてやる。
座禅である。
座禅といえば、「精神集中」と考えているが、実は心の解放。

「明日のことを思いわずらうな」新約聖書。
「則天去私」
宗教というものは小賢しい人間の知恵を捨てて、すべてを神や仏に任せようというものである。
すべてを任せてしまえ人間は楽天的に生きられる。
それが宗教の本質だ。
そう,[ひろさちや]さんは言っていた。

しかしできない自分を説得する言葉。
「緩急自在」
一日草原に寝転んで空を見てる。
次の日は秒刻みの仕事。
今は亡き筑紫哲也さんが教えてくれた。

一日遊興。
一日一歩。

妻が持ってきたコーヒーtとチョコレートケーキを食べながら、
ブログを書いている。
一日一ブログ。
一日一幸。
昼から電動車椅子サッカーの練習である。