■2023年6月11日(日)
坂口安吾先生の『堕落論』の中の「続堕落論」に「人間の一生ははかないものだが、
また、しかし、人間というものはベラボーなオプチミスト(楽観主義者)で
トンチンカンなわけの分からぬオッチョコチョイの存在で・・・」と書かれています。
この言葉って小説の面白さにもつながる言葉ではないのかしら?と僕は思ったのです。
小説作品の面白さ。それは人によってまちまちなんだろうけど、
僕はやっぱり、作品に登場する人間の、何とも言えない
「妙」(不思議なとこ、変なとこ)じゃないかと思うのです。
よく言われますが、世の中に完璧な人間なんていないわけで、
人間は気が良くてどこかがおかしくて、人を思ったりするけど個人勝手だったりもする。
たとえフィクションであったにしても、
フウテンの寅さんのような一面が人間には大なり小なりあるんじゃないかと思うのです。
そうした人間が小説作品の中で呼吸して、
時には悩み、自分と葛藤しながら右往左往する。
その右往左往の様子を垣間見れる世界が小説の世界なのではないかと僕は思っていて、
そこに描かれている人達の、
ベラボーなオプチミスト(楽観主義者)で
トンチンカンなわけの分からぬオッチョコチョイさが、
小説作品の面白さの源になっているのではないでしょうか。
最近、「日本の文学」(中央公論社)という全集を読む時間を作っていて、
最近第33巻に収録されている、宇野浩二さんの代表作『蔵の中』を読みました。
主人公の作家が、質屋に預けた質草の着物の状態が気になり、
無理に頼んで質屋の蔵の中に入り、
預けた着物の日干しをする話しを語りで書かれているお話しです。
そこにヒステリックな性格なためか、
嫁ぎ先から出戻ってきた質屋の美人娘への恋心もあったりして、
まさに、坂口先生が語る「人間」は正しいのだという事を知った次第です。