■2023年6月7日(水)
ところで、長編小説ってどの位の長さのものを言うのでしょう。
人によって感覚は違うと思うけど、僕の場合は文庫本で大体500頁以上あると、
300頁位の作品よりも読む決心をするまでに少々の間があるみたいです。というのも、
500頁を読むなら250頁位のものを2冊読めるという気持ちがあるからです。
とにかくたくさんの小説作品を読みたい、そして感動したい。そうした思いもあり、
コロナによるステイホームもあったから、この3年程は一生懸命読んでいました。
完読出来ずに途中で読む事を挫折した本、短編集、等も含めると、
年間300冊位の本に触れてきたような気がします。そうした中で思った事は、
読んだ内容を覚えてない本が多かったり、話しもごちゃごちゃになっていたりしてます。
ある本に、「内容を覚えてないのは読まなかったも同じ」と書かれていて、
その言葉が心にグサッときました。
そうなんだー、僕は、ほらこんなに読んでいるんだよー、
と納得したいだけなのかもしれないし、凄く読んでるねー、
と言われたいだけなのかもしれない。そんな事を思っている時に、
島崎藤村先生の『破戒』、井上靖先生の『化石』という長篇作品をじっくり読み、
改めて小説を読み、作品を味わう楽しさを再発見したような気がしています。
作品を読んでいて、どうも感動が薄いなあ・・・と思う事があるけど、
それはもしかしたら、たくさんの作品を読みたいばかりに、
ページに書かれている文字だけを目で追っていただけかもしれません。
もっと登場人物の心情に入ってく事が出来たら、
小説作品が僕の身体の奥深いところに入っていくような気がしてきました。
読んだという事はそういう事なのかもしれません。
写真は『破戒』が収められている講談社の「日本現代文学全集」です。