諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

鶴岡八幡宮の地主神。或いは源実朝が鶴岡八幡宮で暗殺された理由を神道的に考える。その1

2022年12月20日 19時19分48秒 | 神道
「鎌倉殿の13人」が完結しました。これまでの大河ドラマとしては史実から逸脱している部分が目立ちましたが、それはそれで良かったと思います。

まぁーね、歴史ドラマは大変難しいのです。昔は史実とされたことが、間違いだったと言う事は多分にありますので。

例えばぷっくりと太った武田信玄とされる自画像です。

信玄は出家していますが、あの自画像は小さいながらも丁髷を結っている。しかも武田家とは違う家紋の衣装を着ている。武田信玄が違う家紋を付ける訳がない。あの自画像は間違いなく別人ですね。

あの割とハンサムなスラっとしている源頼朝の自画像も別人らしいです。足利氏の誰かじゃないかと言われてます。

大河ドラマで「これが真実だ」と自信満々に描いて、後年になって大間違いでしたとなると作家としても面目が立たない。

だから三谷幸喜も諸説の全部盛り的に「鎌倉殿の13人」を描いたと思います。後で笑われるのは嫌でしょうから。

さて、今回のお題「鶴岡八幡宮の地主神・・・・」に付いてですが、考えるも何も鶴岡八幡宮の地主神はお稲荷様です。

何故にお稲荷様を調伏するが如く、その地に鶴岡八幡宮を建立したのか。

これから話すことは私の考えです。だからね、鶴岡八幡宮に聞きに行っちゃ駄目ですよ。迷惑になりますから。あくまでも私の考えなのですから。

理由は極論と言うか、当たり前と言ってしまえば言い過ぎですが、鎌倉方、もしくは源氏はお稲荷様を怖がっている部分があるからだと言えます。

何故、お稲荷様が怖いのか。

それは「お稲荷様=弁才天」だからでしょう。

江戸時代初期までの弁才天像は現在の半裸で琵琶??を弾いている感じの弁才天ではなく、腕が複数本あり、それぞれの手に武具を握っている。そして弁才天の頭上にはお稲荷様(ダキニ天)が座している。

その理由は何か。

それは弁才天とお稲荷様のルーツはアラハバキ神だから。そして呪いの神だから。

そう私は考えています。何故そうなるのかは大変長くなるので、別の機会にお話ししますが。

っと言う事で「お稲荷様=弁才天」だとすると、鎌倉方、もしくは源氏方は弁才天を恐れているのか。鎌倉には銭洗弁財天が鎮座しているのに。

私は恐れていたと思います。平清盛は弁才天を祀る厳島神社を建立している。当然、弁才天を通して源氏や鎌倉方を呪詛していた筈なので。


続く。




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初めて占い師に見てもらった。

2022年12月18日 23時19分28秒 | 占い
家のポストに集会所でのバザーのチラシが入っていました。古着や手作り商品の販売、軽食やコーヒー、もみほぐしマッサージ、アロマ、リラクセーション等々、女性が好むものばかりの内容です。

「こんなチラシ、捨てちゃえ」と思ったのですが、見てしまいました。手相・算命学と言う文字を。

「20分で1000円」。うーん、この位なら損をしてもいいかな。手相と算命学なら断然手相が良い。一度手相を見て貰おうか。

そう言う事でふらっと集会所に立ち寄りました。そしたら結構な混みよう。そんなに大きなスペースじゃないのに50名程度入っている。しかも私以外は全員女性。

占い師は二人並んでいた。どちらも鑑定中だった。

右の占い師はカラバ数秘術とある。「っと言う事は左の占い師は手相かな」と思い、鑑定が終わるのを待っていた。

そして鑑定が終了。私が席に着いた。高齢の女性の占い師だ。

私は「こちらは手相で宜しいですか」と聞く。

占い師は「四柱推命ですが手相も見ます」と。

「分かりました。宜しくお願いします」と私。

占い師は「何か占いをやっているのですか」と聞いた。私を占い師と見たようだ。まっ、男の客が珍しかったからなのかも知れないが。

私は「姓名判断をします」。

占い師は「どんな姓名判断ですか」。

「私の場合は格数は勿論ですが、文字の本来の意味を重視します。例えば令和なら、令は跪く。和は口を開けて稲を食べる意味。合わせると令和は奴隷と言う意味になります」と伝えた。

占い師は「私も見てもらいたいわね」と御世辞。

さて、先ずは私の生年月日を聞く。

占い師は少々恥ずかしそうに「調べますので少々お時間ください」と言い、スマホを操作。用紙の項目に印を付けだした。

詳しくは知らないが、占いで一番多いのはタロットだと思う。カードを引いてそのカードについて語れば良いだけなので。

次は霊視でしょうね。その人の表情を感じ取って語る。当たる当たらないは別にして私にも出来そう。だから多いのでしょう。

さて私の四柱推命の結果ですが、タイプは「火」、本能は「伝」、ラッキーナンバーは「5」、ラッキーカラーは「緑とシルバーの石」、天中殺は「辰巳で4、5月」、「はみ出し運で破天荒の星」だそうです。

来年は「4月5日~6月5日」までは年の天中殺で要注意。

そして「2024年2月4日から2026年2月3日」までが人生においての天中殺で、思い切ったことはしてはいけないそうです。

うーん、私の人生、ずっと天中殺だと思っていたが、再来年から2年間悪い期間があるのか。これ以上悪くなるのか。

1年の天中殺が4、5月と言っていたが、確かに4月に父が亡くなり、5月に3度もクルマにバイクで衝突しそうになった。これは父が亡くなったからだと思うが、今後は注意しておくか。

最後に手相を見た。頑固で協調性に欠けるのだそうです。

実は私、協調性はあると思うのですが、人に気を使って疲れるのです。一人の方がほっとする。

でも、管理者やリーダー運が強いとか。確かに物事は割と的確に判断できると思いますが、私は頼りない男なのです。だから否定されることが多い。

そんなの簡単に論破してやりますが、相手はどうしても私に勝とうとする。だから人とは話もしたくない。っと言う事はやっぱり協調性がないのかなぁー。

頑固と言うのもちょっと違う感じがする。私は人とは違う目盛りで生きている。普通の人は正解だが、私には当てはまらない。人に流されると大抵失敗する。それが頑固と言うのなら頑固なのだろうなぁー。

そして特殊能力があるそうです。発信力があり話し方も上手いそうです。

まっ、こんなブログ、やってますけどね。

最後はエネルギーだそうですが、強だそうです。禄も得られるし将の器だとか。

これは全然違うなぁー。

「現在はほっとしている状態。今が幸せと感じている」と言われました。

確かに二親が消えてから、心の中ではほっとしている部分はあります。

以上です。本来はもっと詳しく調べられるそうですが、制限時間は20分。それは仕方がないです。

まっ、20分1000円ですから、こんなもんですね。

まっ、いいです。1000円では運を掴む術までは聞けませんでししたが。


ではでは。




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また御鍋神社に参拝に行ったのだが、神隠し逢いそうになって辿り着けなかった。

2022年12月17日 02時45分48秒 | 永井平九郎
この話は2年前の夏の出来事です。永井平九郎を祀る御鍋神社へ参拝に福島県天栄村に向かったのです。

先ずは田心姫、そして瀬織津姫を祀っていると言われる二股の明神瀧へ。暫く瀧を眺めて心身を浄化し、御鍋神社に向かいました。

御鍋神社には以前にも参拝しています。スマホを持っていなかったのでカーナビ無しでしたが、アトレー・リバーノ4WDターボは走る道を選ばない。難なく御鍋神社に到着。無事、参拝が出来ました。

今回はナビが出来るスマホも持っている。前回は畏怖の心で恐々参拝しましたが、今回は二度目。普通に参拝できると思っていました。

しかし、問題があった。今回のクルマはトヨタ・アリオン。私の運転技術ではあの林道は難しい。アリオンの腹を擦る可能性が高い。どうしようか。

舗装道路が終わる地点にクルマが数台駐車出来るスペースがある。多分、二岐山への登山客がここでクルマを駐車し、登山を開始するベースの駐車場なのだろう。

そうならば、ここでクルマを降りた方が良い。クルマで行って戻って来れなかったら目も当てられない。徒歩で御鍋神社へ向かう。

流石に山道の徒歩は疲れる。足がガタガタに痛い。そして暫く歩いていて急に大がしたくなった。

私はとっさに脇の藪を駆け上がり用を足す。そしたら二人組の若い女性の登山客が。

見られた。恥ずかしい。暫く呆然としながら女性登山客が遠ざかるのを待つ。あっーあ、下手こいたなぁー。はぁー。何時もながらタイミングが悪すぎるわ。

気を取り直して歩き出す。中々着かない。こんなに遠かったかなぁー。

そして見覚えがある砂利の広めの駐車スペースが見えた。

ここだ。この駐車場からすぐ下に御鍋神社がある筈。以前にもここでアトレーを駐車した。覚えている。

スマホのナビを見る。御鍋神社の印が近くにある。やっと着いた。

あれっ、駐車場のすぐ下に御鍋神社がある筈なのだが無い。何でだ。

変だ。スマホナビの御鍋神社の地点が小川の向こうにある。何故か御鍋神社が遠ざかっている。おかしい。近づいている筈なのに。駐車場のすぐ下にあった筈なのに。

一旦、駐車場に戻る。スマホを見る。地図ではすぐ側に御鍋神社がある。変だ。近づいたのに御鍋神社が遠くなる。そんな馬鹿な。

もう一度、御鍋神社に向かう。前回、直ぐに見つかった御鍋神社の鳥居もどこにもない。歩けば歩くほど御鍋神社から遠ざかる。

私は怖くなりまた駐車場に戻る。やっぱり駐車場からの方が御鍋神社の距離は近い。ナビの地図では本当にすく側にあるのだ。

私は意を決してまた御鍋神社を目指す。前回は小川を渡っていないが、スマホを信じて渡ってみた。かなり歩いた。しかし、スマホの地図を見ると御鍋神社からかなり遠ざかっている。

これは不味いのではないのか。もしかしたら、これが神隠しと言うものではないのか。

駄目だ。行くべきではない。御鍋神社は私を拒んでいる。

前回とは何が違うのか。

前回は「道の駅 羽鳥高原」で車中泊し、午前中に御鍋神社に向かった。今回は午後2時過ぎから御鍋神社を目指し歩き出した。今は4時近い。

理解した。御鍋神社は午後に参拝してはいけな神社なのだ。不敬に当たる。この時間帯は行ってはいけない。戻るべきだ。

私は怖くなりながら駐車場に戻ろうとした。戻る道が分からなくなっている。ナビを見ると駐車場から遠ざかっている。

ヤバいぞ。これは本当に神隠しに逢いそうだ。私は意を決して兎に角、登り道を選び登った。上に駐車場がある筈なので。

登り切ったら違う場所から駐車場に辿り着いた。ほっとした。助かった。今回は御鍋神社への参拝は諦めよう。

山を舐めてはいけない。霊場を甘く見てはいけない。私は畏怖の心を忘れていた。

私は諦めて帰路についた。また山道を歩いて戻る。途中、軽装の男性と会う。

男性は私に声をかけた。「御鍋神社へはこの道を行けば良いのですか」と。

男性は秘湯の名の発祥地である二岐温泉に連泊していて、ふと御鍋神社に行ってみようと思ったらしい。

私は「私も御鍋神社に向かったのだが辿り着けなかった。以前、参拝したのに道が分からなくなった。今から行くと危ないかも知れませんよ」と答えた。

男性は暫し考え、「一度行ったことがあるのに辿り着けなかったのは変ですね。私も行くのは止めることにします」と答え、二人でアリオンを止めた駐車場まで歩いた。

御鍋神社には永井平九郎と共に平将門公と桔梗姫を祀っている。私は平良兼の家系。将門公と平良兼は従兄弟同士で仲が良かったが、最後は双方戦う事となり、良兼は将門公の命を奪っている。

私は平将門公を殺した家系なのだ。畏怖の心でなければ参拝してはいけない立場だった。

甘く見てしまった。何度も神社には参拝しているが、歓迎されない者が歓迎されない時間に参拝しようとしたのが間違いだった。

畏怖の心を忘れていた私が悪い。今回の出来事は私への戒めだ。

仕切り直しだ。また参拝に行こう。もっともっと清廉な心になって。畏怖の心を持ちながら。


ではでは。







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昔話「牛方と山姥」は、素戔嗚尊と瀬織津姫の戦いを描いているのではないか。その9

2022年12月16日 19時19分30秒 | 瀬織津姫
続きます。

私、忘れていました。素戔嗚尊が殺した神はまだいました。食物の神である大宣津比売神です。

大宣津比売神は素戔嗚尊の為に御馳走を作っていた。その様子を素戔嗚尊が覗いたら、大宣津比売神は口から吐いたり、下から出したりして食材を揃えていた。

それで素戔嗚尊は怒る。「そんな汚いものを俺に食わせる気か」と言って大宣津比売神の首を剣で刎ねています。

私は大宣津比売神は同じ食物の神である豊受姫神と同神と考えていますが、大宣津比売神も山姥のモデルになるのか。

これは難しいですね。

素戔嗚尊が大宣津比売神を殺したストーリーと全く同じ話があります、月読尊が食物神・保食神を殺した話です。

そうなると素戔嗚尊は月読尊と同神になるのか。

この話はまたの機会にします。かなり長くなりそうなので。本来の三貴子を語る必要もあるので。

まっ、大宣津比売神は瀬織津姫なのか、山姥なのかと言われれば、可能性はあると言えます。「牛方と山姥」の話の中には、釜で炊かれた山姥の遺体は薬として重宝されたとの話もありますので。

そろそろ総括とします。

私が今回、このお題でお話したのは、スピリチュアル界隈では瀬織津姫は素戔嗚尊の娘とする話がネットで流れているからです。

スピリチュアル界では「瀬織津姫はマグダラのマリアだ」と言うとんでも話が信じられたりしていますが、以前、私がブログで説明した通り、そんな訳ありません。

キリスト教と神道の知識がないからそんな与太話が出てくる。そう言うとんでも話が好きな人は多い。

その人からお金を巻き上げるヒーラー家業の方にとっては飯のタネになる。被害者が出る。それで少しは勉強して欲しいと思い、ブログを書いたのです。

話を素戔嗚尊と瀬織津姫に戻します。

本居宣長だったか名前は忘れましたが、瀬織津姫は五十猛命であると語った神道家がいました。

素戔嗚尊とその息子である五十猛命が朝鮮半島にわたって植林した。「だめだこりゃ」とか言って日本に戻って来たとか言われています。

この五十猛命は、伊弉諾尊・伊弉冉尊との子である大屋昆古神と同神とする説があります。そして大家昆古神は禍津日神と同神であるとの話もある。

「禍津日神=瀬織津姫」であるとする話が伝わっていますので、素戔嗚尊の娘が瀬織津姫との話も繋がる訳です。

でも、「禍津日神=天照大神荒魂」ともされています。そうなると素戔嗚尊と天照大神との関係は姉と弟ではなく、父と娘になってしまいます。それはいくら何でもおかしいです。

私、思うのですが、神道の神々の中で一番の祟りを起こしたのは天照大神だと考えます。何せ太陽が昇らず、世の中、真っ暗闇になったのですから。

その点を考えると天照大神は神道最強の祟り神であり怨霊だと言える。そこに「牛方と山姥」の話の本質が隠されていると思えるのです。

日本の風俗には「怨霊には武神、仏教、乱暴者」の教えが伝わっています。乱暴者は素戔嗚尊を指しています。

武神を祀る神社や寺院、そして素戔嗚尊を祀る神社の地主神は怨霊とされる神が調伏されていると言い切れます。

素戔嗚尊と瀬織津姫が一緒に祀られている神社も多いですが、それは瀬織津姫を怨霊として捉え、調伏させる為に素戔嗚尊を一緒に祀っているからだと私は考えています。

例を挙げると私の故郷、福島県いわき市の好間川に伝わる蛇岸淵の織姫伝説です。川の淵の織姫ですから、瀬織津姫の暗示が見えます。

好間川はかつて良く氾濫していました。それは瀬織津姫の怨霊の部分が引き起こしている。その考えの元に近隣に素戔嗚尊を祀る八坂神社が建立された。

勿論、それだけでの理由で八坂神社が建立された訳じゃないと思います。

私の母方の祖父はその地域で梨園を開きましたが、その行為は自然破壊です。蛇である神の住処を奪った天津罪です。

素戔嗚尊は高天原で天津罪を犯した。それは人の為に犯した罪です。

神道の神々は受代苦を受ける。人間の罪を人間に代わって実践し、その罪の罰を人間に代わって受ける。その為にその地に八坂神社を建立した部分もあります。

えっ~、長々と語ってまいりました。話はシドロモドロになって訳ワカメになっているかと思いますが、「牛方と山姥」の話が素戔嗚尊と瀬織津姫の戦いを示している話だと、ニュアンス的にでも分かって頂けたでしようか。

もう、いっぱいいっぱいになっちゃいました。

少しでも私の考えが分かって頂ければ、本当に幸いです。

自分でも話がこんがらがっちゃいましたが。


ではでは。




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昔話「牛方と山姥」は、素戔嗚尊と瀬織津姫の戦いを描いているのではないか。その8

2022年12月16日 04時22分16秒 | 瀬織津姫
続きます。そろそろ終わりにしたいです。

「おかめとひょっとこ」どんな関係なのか。それは大変言いにくいのですが、夫婦だと言えます。

以前、天孫降臨の地・宮崎県の老人会へ女性編集長と共に、取材と営業を兼ねて宮崎まで向かったのです。

女性編集長は老人会の幹部と会談。残された私は老人会の爺様婆様に連れられて宴会に。

私、年寄りと話すのはむいていないので手酌で徳利の酒を飲んだ。びっくり。酒は日本酒ではなく焼酎と泡盛。全然知らなかったのですが、宮崎県は気温の関係で日本酒の酵母が育たないので、日本酒が造れない。だから酒と言えば焼酎か泡盛なのです。

さて、私も酔っぱらいました。そして明る過ぎる宮崎県の老人会の皆さんも高揚してきた。

「では、あれ踊るか」とリーダー格の爺様が叫ぶと、ひょっとこのお面を被った爺様と、おかめのお面を婆様が現れ、踊りだしたのです。大変卑猥な踊りを。

周りの爺様婆様は大盛り上がり。東北人で当時30歳だった私はドン引き。東北ではこんなお下劣な踊りをする人はいない。

お爺さんと御婆さんがあんな踊りをして喜んでいる。東北人の私にとって、高齢者のそんなシーンはタブー。東北ではタブーです。九州と東北ではここまで文化が違うのか。

でも、この卑猥踊りで分かりました。ひょっとこは風神。おかめは水神。二人は夫婦であると。そして夫婦和合の神なのだと。

極論を言うと「ひょっとことおかめ」は性器信仰の神々。幸神。賽の神であると。

この性器信仰は日本の一番古い縄文時代からの信仰です。そして宮崎県は天孫降臨の地。朝鮮から渡って来た神々。だから日本古来であり、日本オリジナルの国津神である幸神、賽の神は下品な「おかめ、そょっとこ」に落とされた。

「牛方と山姥」の話は、朝鮮から渡って来た牛頭天王の素戔嗚尊が地主神である山姥に最初は襲われ、その語、敵を討つストーリーです。

悪いのは山姥であることを強調している。最初に襲ったのは山姥。だから殺した。その正当性を謳っている。それは朝鮮から渡って来た朝廷側の言い訳にも聞こえる。


続く。


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