諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

昔話「牛方と山姥」は、素戔嗚尊と瀬織津姫の戦いを描いたのではないか。その7

2022年12月15日 15時25分47秒 | 瀬織津姫
続きます。

さて、火の神が釜神・竈神だとして、山姥との関係はどうなるのか。

釜神は夫婦の神である。興津彦神・興津姫神となる。だとしたら山姥は釜神・興津姫神となるのか。

でも、山姥が釜神であるのなら、釜の中で炊き殺されるのはおかしい。違うと思う。

そこで思い出した。火の神を滑稽に貶めた存在を。

それは「ひょっとこ」。「ひょっとこ」の意味は「火男」。竈神と同神とされている。

その証拠になるかは分からんが、「ひょっとこ」は「口から息を吹きかける顔」をしている。

火の勢いを付けるには風が必要。だから「ひょっとこ」は火の神になるのではないか。

そう考えると山姥の正体はただ一人。

「ひょっとこ」と言えば「おかめ」。山姥は「おかめ」ではないのか。

「おかめ」は「お亀」と書く。でも違うのではないか。本当は「お瓶」ではないのか。

山姥は水場に醤油を取りに行っている。水場には水を貯めている水瓶がある筈。台所は水と火がある場所。水瓶と竈があって台所となる。

「おかめ」が「お瓶」である証拠になるかは分からないが、「おかめ」は口を半開きにして「ゆだれ」を垂らしている。「ゆだれ=水」と考えれば、「おかめ=お瓶」が成り立つ。

「ひょっとこ=火男・火の神」であるなら、「おかめ=水の女・水神」と考えられる。

そうなると「山姥=おかめ=お瓶=水の女・水神=瀬織津姫」に繋がってくる。

山姥は牛方によって釜の中で炊き殺された。釜の中には水が入れられる。その点からも山姥は水神・瀬織津姫と考えられます。


続く。





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