諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

鯨の大群が出て来た。その2

2015年08月29日 02時34分13秒 | 昨日見た夢、いつか見た夢。

続きです。話を夢に戻します。

場所はとあるホテルのレストラン。私はKさんと一緒にいます。会社を辞める相談をしています。しかし、答えが出ない。どうしたらよいのだろう。

「いくら考えても答えが出ない。もう発狂しそう。苦しい」。そんな思いを胸にふと窓辺を見たら海が見えます。このホテルは海の側に建っていました。そしてグレーの集団が迫って来た。鯨です。鯨の集団が迫ってきたのです。

鯨の集団は30頭程でしょうか。中央には一番大きなマッコウクジラが。そして回りは蝉鯨なのでしょうか。マッコウクジラより少々小さめのヒゲ鯨が囲っています。その集団が私に迫ってくる。ぶつかる・・・・・・・・・・っと思った瞬間、目が覚めました。これは何を意味しているのでしょうか。

海は透き通るコバルトブルーです。大変綺麗でした。私は精神が弱いので緑色と青が好きです。心が落ち着くのです。だからこの海の鯨達には恐怖を感じませんでした。

私、海外には行った事がありません。日本の海しか知りません。そして私が今まで見た海で一番綺麗だと思うのが牡鹿半島の海。金華山の海です。そして鯨が出て来た。

牡鹿半島のほぼ先端に鮎川港があります。鮎川は昔から日本有数の捕鯨の町でした。金華山沖には多くの鯨が群泳しているそうです。あの鯨達は金華山の鯨達なのかも。

その鯨達が私に迫って来た。私は悪い感じはしなかった。これはどう言う事なんでしょう。

私は今月、牡鹿半島に行く予定だった。クルマのセルモーターが何故か故障して行けなかった。そして鯨の大群が迫ってくる夢。

鯨漁師は弁才天を信仰しています。そして浜に打ち揚げられた鯨、そして人間の遺体は恵比寿様と言われている。

金華山は日本三大弁才天信仰の地。そして金華山の裏参道には恵比寿様である事代主を祀る濱神社がある。つまり夢に出て来た鯨の大群は金華山の神々の使いなのではないだろうか。

そこに私の心情を組み合わせると金華山の神々に許された。もしくは許して貰えたら良いなぁーと言う気持ちがそんな夢を見させたのかも知れないですね。

あっ、レストランにいたKさん、東京で編集記者をしたいと言う気持ち、そして白石美帆さんと一緒に宮城県に帰りたいとと言う夢での気持ちに付いては察しが付いています。

Kさんは私の意見を聞かずに失敗し去っていった。東京での編集記者の仕事は限界を感じ仙台に戻ってきてしまった。そして白石美帆さんの場合はモデルが存在します。私、諦めてしまいました。つまり全部失ったものなのです。

その失ったものが鯨の大群が掻き消した。それは「何時までも後ろ向きな人生を歩むな。全てを忘れて前進しろ」と言う神の暗示。私としては珍しく前向きになる夢かなと思えるのです。

そう言う事で夢占いを調べました。やっぱり鯨の夢は将来への希望や幸運が運ばれてくる吉兆の様です。コツコツと地道に努力した結果が実を結ぶ。

鯨が群れて水中を泳ぐ姿は恋人・友人・家族の絆が深まる。新しい出会いがある。目の前に大いなるチャンスが到来する。仕事でも成功するとの事です。

うーん、全然努力してこなかったから何も実を結ばないと思うし、先日、伯母が亡くなって親は実家に帰っているのに絆が深まるのだろうか。恋人どころか友人も少ないし。仕事も難関に遮られているし・・・・・・・・・。

逆に鯨が迫ってくる夢は難関が迫っている事を意味してますが、難関は生まれた時からだし今更困難もないだろうと思います。

それに鯨の群れがこちらに泳いで来ても悪い感じはしなかった。綺麗な海の夢は幸運を示しているそうだから、やっぱり吉夢だと思います。

前回見た「原町無線塔」の夢はちょっとダークな感じでしたが、今回は爽やか。うーん、やっぱり吉夢だ。間違いない。

そう思って仕事を頑張りましょうかね。

 

ではでは。

 

 

 

 

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鯨の大群が出て来た。その1

2015年08月27日 11時29分16秒 | 昨日見た夢、いつか見た夢。

昨日、またまた夢を見ました。今回はストーリーを伴っています。ストーリー性のある夢は思い出せないくらい久々です。忘れないうちに書いときます。

私は証券会社に勤務。場所は何故か山陰地方の様です。ハッキリしませんが海が綺麗なので鳥取県かも。そんな田舎で何故か証券マンをしています。

当然、辞めたいと思っている。証券マンは自分には合っていないので。もう限界。気が狂いそうに辛い。辞めたくてしょうがない。辞めたいと思いながら会社の先輩と行動を共にしています。仕事をサボって。

この先輩は私が証券会社時代に親交があった実在の先輩。Kさんとしときます。このKこさんの父親は仙台で測量専門学校の校長をしていました。実は私の死んだ従兄弟もこの専門学校に通っていました。

一年に測量士の資格が取れるのですが、私の従兄弟は私同様、出来が悪い事もあるでしょうが、私の家で新聞配達・集金等々のバイトをしていたりしてて、一年で測量士の免許は取れず二年通う嵌めに。

もし一年で取れていたら従兄弟は死ぬ事も無かったと思うとかなり複雑な思いをしていました。Kさんは私が気に入っているみたいでしたけど。

このKさん、二年ほど専門学校に通い就職しようとしたらろくな就職口が無い。それで一浪して早稲田大学に入学。そして証券会社に就職。つまり私より5歳年上です。

はっきり言って早稲田大学を出て中堅証券会社に入社する奴は少ないです。大学の時代は終わったと思い専門学校に入ったが、まともな就職が出来ず大学に入り直した。その点がマイナスとなって良い就職が出来なかったのだと思います。この人、頭は優秀ですが判断力が無いのです。

Kさんは営業成績は普通でしたが、私の勤めていた中堅証券会社では早稲田大学卒はエリートです。英語も話せたのでロンドン支店で勤務していた事もあります。

仙台支店で一年ほど一緒に働いて、数年後東京で再会。勤めている証券会社の合併が控えていて転職で悩んでました。対等合併と言いましても小さい方は吸収される運命です。出世も地位もおじゃんになる。転職すべきかと私に相談しに来ました。

私は「今まで証券会社で働いていたのだから私と違い証券マンとして適正がある。定年まで勤めるべき」とアドバイスしましたが、将来を悲観して上場している大手測量会社に就職。そしたらその会社がブラックで数年で辞め、またどこぞの証券会社に勤めたそうです。

私のアドバイスを退けて失敗したためか、私には連絡してこなくなりました。この人、最終的には失敗する星の下に生まれたみたいです。私が言える立場ではありませんが・・・・・・。

その先輩と夢で会社を辞める相談をしています。でも私には辞めたくない理由がある。その理由は同じ会社に白石美帆さんが勤めていた。白石美帆さんに私、ほの字だったからです。

白石美帆さんは女優の白石美帆さんです。夢に出てきたのです。何故か私と故郷が同じ設定です。彼女も宮城県に帰りたがっています。私は辞めたら東京で編集記者の仕事がしたい。でも彼女から離れたくない。一緒に会社を辞め仙台に帰ろうか。それとも一人東京か。それで悩んでいます。

ここで気が付いたのですが、私どうも茨城県出身の女性を好きになる習慣があるようです。この白石美帆さんも茨城県出身。他に飯島真理、羽田美智子のファンですが彼女たちも茨城です。

私は福島県いわき市出身ですが、福島弁は茨城弁とほぼ同じです。茨城弁を話さなくても雰囲気は伝わる。故に彼女たちのふんわかした雰囲気が好きなのだと思います。実際に茨城県の女性を好きになった事もあります。

そういえば永井直勝も茨城県の古河藩主だった事もある。もしかしたら前世で茨城に住んでいたいた。良い印象が合ったから茨城の女性が好きになるのかも知れません。私に前世があったかは判りませんけど・・・・・。

 

続く。

 

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瀬織津姫は人を奪らねば治まらない。

2015年08月26日 00時49分45秒 | 瀬織津姫

「瀬織津姫は人を奪らねば治まらない」。

「誰がこんな事言っているんだぁー」とお怒りになられる瀬織津姫フリークのお姉さま方、申し訳御座いません。私です。こんな罰当たりな事言っている馬鹿は。

実際は「荒雄川は人を奪(と)らねば治まらない」が正解です。どこでそんな伝承が残っているのか。それは荒雄川の川渡温泉でです。具体的には荒雄湖近辺での伝承の様です。

荒雄川は宮城県鳴子町鬼首を流れる川です。蝦夷の基盤だった地の川と言えます。

この荒雄湖、荒雄川を堰き止めて造った人造湖ですが、昔は荒雄川のこの流域が度々増水し、洪水となって暴れ狂っていた。故に「荒雄川は人を奪らねば治まらない」と古来から言われていたそうです。だからこそこの流域を堰き止めダム湖を造り、川の氾濫を抑えたと言う訳なのでしょうね。

更には「荒雄は雨が降れば人を奪る」とも言われています。そして極み付けには「荒雄川のどこかで水死体が出れば、それでまもなく水が引く。洪水の猛威も治まる」と語られていたそうです。これはどう言う事でしょうか。

私、以前「瀬織津姫も鬼渡神もあんころ餅が大嫌い。【川渡し餅編】」と題して記事を書きました。新潟県や福島県、そして北関東には「川渡し餅」と言う風習があり、現在は川の神に昔は貴重だった甘い物をお供えする行事となっているが、本来は陰陽五行の考えから「あんころ餅やおはぎ等々の甘い食べ物を川に投げつけて水神を調伏・封印し、洪水を防ぐのだ」と書きました。

何故なら甘い物は陰陽五行の考えでは土に分類される。土は水を濁す。堰き止める。故に水は土に弱い。だから水神である瀬織津姫、そして鬼渡神は土である甘い物に弱いとなります。

何故甘い物は土なのか。それは水辺に好んで繁殖する桂の木の葉が枯れて落ち、水滴が付いて発酵。それが天日で乾燥しマルトールの薫り、つまり甘い綿飴の薫りを発する。

枯れ葉は既に土。桂の枯葉から発する甘い薫りは土の香り。だから甘い物に瀬織津姫・鬼渡神は弱いと考えました。

では何故、水死体が出ると洪水が引くのか。

これは簡単です。死体はもはや土なのです。川の氾濫を抑えるために生贄を供える伝承がありますが、水神は生贄が欲しいのではなく、土である死体が嫌い。だから川の氾濫を死体で抑えられると考えた。水神・瀬織津姫、そして鬼渡神も然り。水神故、土である死体に弱いと言う事だと思います。

それでなくても言い伝え・伝承の地は川渡温泉です。「川渡」故に「川渡り餅」の儀式が重なる。渡し信仰が残っているから「川渡温泉」と言う地名なのではないでしょうか。

荒雄川の主は大蛇とされています。そして里宮の荒雄川神社の祭神はスサノオ尊と瀬織津姫。奥宮の荒雄川神社の祭神は豊受大神とされる大物忌主。

実は大物忌主は瀬織津姫の威厳を高めた名であるとも言われてます。だから荒雄川の神は瀬織津姫。故に「瀬織津姫は人を奪らねば治まらない」と題しました。

瀬織津姫は人を溺れさせ殺すのではなく、土である死体が嫌い。だから水死体が出ると氾濫が治まると私は考えます。その点は誤解しないようお願いしますね。

あっ、そうそう、荒雄川神社里宮に祀られているスサノオ尊を忘れていました。通常なら瀬織津姫はスサノオ尊の娘である市杵嶋姫と同神。故に父と娘で親子仲良く祀られていると考えると思います。

でも私の考えは違います。瀬織津姫は怨霊。怨霊を抑えるには乱暴者。故に瀬織津姫を抑える為にスサノオ尊を祀っていると考えます。

この辺はまたお題を変えてお話したいと思います。

 

 ではでは。

 

 

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原町無線塔が出て来た。その2

2015年08月24日 00時51分56秒 | 昨日見た夢、いつか見た夢。

続きます。話を電波塔に戻します。

私、写真を貼れないので「原町無線塔」の写真はネットで確認して頂きたいのですが、凄い迫力です。200メートルですから東京タワーやスカイツリーよりも小さいのですが、コンクリート製と言う無骨さが異様さをかもし出しています。この電波塔が大正時代に造られ当時東洋一の大きさを誇っていたと言うのは、昔からの日本の技術力を伺いさせます。

昭和57年に解体されましたが、今残っていたら世界遺産に登録になっていたのではないでしょうか。この電波塔に比べればピザの斜塔なんて子供だましです。

今は10分の1の電波塔の記念碑的塔が建っていますが、出来れば残して欲しかったです。もっとも東日本大震災に耐えられたかどうかは疑問ですけど。

 考えてみたら電波塔が解体された昭和57年は従兄弟が亡くなった年でもあります。従兄弟はいわき市平の祖母の家から原町市の高校までカワサキKH250で通学してました。片道2時間。往復で4時間近い時間を毎日通っていた。そして電波塔を見ていた。そう考えると眼がウルウルしちゃいます。電波塔は私にとっても従兄弟にとっても大事な思い出なのは間違いないですね。

さて、今になってどうして電波塔の夢を見たのか。今まで電波塔の夢は見た事もありません。どうしてなんでしょ。

夢はカラーでした。暗闇に聳え立つ電波塔。仙台から向かって現れた景色でした。あれは何を意味しているのでしょうか。うーん。

あんまり良い感じの夢ではありません。何か自分の墓標のような感じがしてます。どう言う事なんだろう。何かの警告の様な気がする。

もしかしたら私の死期が迫っているのか。はたまた家族のか。何か悪い予感がする。どう言う事なのだろう。もうしょうがない、夢占いを調べよう。

そして調べました。結果が下記です。

○大きな鉄塔の夢は逃げ場の無い状況。物事が立ち行かなくなる状況。

○東京タワーやスカイツリーのような電波塔、巨大なパラボナアンテナが設置されている放送局の夢はコミュニケーションの好転。身近なコミュニケーションの変化。目先の成果ではなく、人生の目標を目指す事を示す。

○塔を目指す夢は高い理想・目標を持つ。

○塔を見上げる・見る夢は、誰かに監視されている。良心の咎め。今後の強い不安・心配。行動範囲の制限・不自由を示す。

うーん、何だこれは。良いのか悪いのか判らんではないか。夢占いはどっちつかずで難しい。何なのだろ。

電波塔はコンクリート製。煙突に似ている。鉄塔とは言えないし、東京タワーやスカイツリーとは全然違う。どう判断したら良いのだろう。

電波塔の夢を見て悪いイメージが過ぎった。これはどう考えても不自由な自分。不安で心配な自分の心情を表していると取った方がピッタリ合う。

ただ、それだけではない。電波塔は或る意味、宮城県と福島県の境界線。境界線に近づいている。それは死なのかも知れないし、新たなステージなのかも知れない。

そのままなら死。頑張れば次のステージと言う事なのかも。

とりあえず、頑張れ、しっかりしろと言う事と捉えよう。その方が良い。そう信じよう。

 

ではでは。

 

 

 

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原町無線塔が出て来た。その1

2015年08月23日 14時04分30秒 | 昨日見た夢、いつか見た夢。

私、以前は毎日夢を見てました。寝てる時に見る夢ですけど。

自分で言うのも何ですが、中々の名作揃いの夢でした。もしかしたら映画監督とか作家の才能があるのではないかと思うくらい。もっともストーリーは直ぐ忘れてしまいますけど。

毎日、夢を見るのが楽しみでした。しかし現在は殆ど夢を見なくなりましたわ。CPAPして寝ているのでね。

何のことは無い、私、無呼吸症候群でしたので眠りが浅かった。だから毎日夢を見ていたんですね。それと私は寝相が悪く、うつ伏せで寝ていたのです。胸を圧迫していたから夢を見やすかったんでしょうね。

そして今はCPAPを付けて寝てます。深く眠れる様になりました。しかし残念ながら夢は見なくなりましたね。滅多に。見てもストーリーになっていない。それが本当に残念でならんです。私の数少ない楽しみだったので。

さて、昨日、久々に夢を見ました。夢と言っても一場面でしたが。

其の場面は「細いバベルの塔」の様でした。焦げ茶がかった暗い灰色をしてました。暗闇に聳え立っていました。砂の嵐が吹き荒れています。ホント、バベルの塔みたいです。アニメの「バビル二世」に出て来た様な・・・・・。

私、その党には見覚えがあります。その党の名は「電波塔」。皆はそう呼んでいます。福島県の原町市、現在の南相馬市に聳え立っていた塔です。正式名称は上記タイトルの通り「原町無線塔」と言います。

この「原町無線塔」は大正10年に建設。全長は200メートル。コンクリート製です。昭和33年に東京タワーが出来るまで、日本の電波はこの「原町無線塔」から発信してました。凄い迫力の塔です。

大正12年に関東大震災が発生しましたが、「東京に大地震が発生し、えらい事になっちまったヨーン」と世界中に発信したのもこの「原町無線塔」です。何故、そんな大事な塔を福島県の浜通りに建設したのかは知りませんが。

特に凄いのは第二次世界大戦をくぐり抜けた事です。大分標的にされたみたいですけど破壊は免れました。神がかりだと思いますね。

私、あえて電波塔と呼びますが、この電波塔は私の住む仙台市から故郷のいわき市平の中間点に位置します。里帰りの旅路で電波塔が見えて来ると、「やっと半分まで来た」と思ったもんです。そして原町市のロードサイドにある、錦鯉を通路に泳がせているこった造りの中華飯店で食事をするのが里帰りでの定番となっていました。

 

続く。

 

 

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