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諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

私は瀬織津姫に畏怖を感じているのだろう。

2025年04月19日 15時42分05秒 | 昨日見た夢、いつか見た夢。
昨日、変な夢を見た。古家を買ったら多くの祠が室内にあった。全て瀬織津姫を祀った祠だった。

夢がチェンジした。若い大学教授が落丁した瀬織津姫の教科書を持って大き目の公園を歩いていた。私は学生。教授に付きしたがって歩いていた。

教授は祠群を指指し、「ここら辺の祠は全て瀬織津姫の祠だ。ここの地は瀬織津姫信仰の場所だった」と発した。

私は教授に「瀬織津姫の祠なら、私の家にもあと発した。そして私の家に向かった。家は公園内の一角にある。家は半壊状態になっていた。家の中で教授と一緒に瀬織津姫の祠を見た。それで夢が覚めた。

これはどういう心境なのか。

私、最近は瀬織津姫や神道の話を書いていないが、私ごときが神に付いて語るのは神に対して不敬なのではないか。

そして「神道=瀬織津姫」と考えている。私は神に畏怖を感じている。その畏怖が今回の夢を見させたのではないか。

私は自分の墓として祠を考えている。閼伽井嶽への参道に山林を持っているので、その地で眠りたいと思っていた。

しかし、閼伽井嶽は霊場。私ごときがその地で祠の中で眠ってよいものか。

私は神では無い。愚者だ。そんな者が神が鎮座する社である祠で眠る事は許されるのか。

私は親の墓では眠りたくない。どうせ無縁仏になるのは確定している。それが怖い。墓を暴かれ遺骨を何処ぞに移されるのが怖い。そんな事をする金銭重視の仏教が嫌いだ。私は永遠に静かに眠りたいだけなのだ。

だからこそ霊場である閼伽井嶽で眠りたい。閼伽井は私の姓と同じ意味合いがある。

勝手に墓を造る事は法的に許されない。しかし、祠ならグレーだ。グレーの罪悪感が私の心に根強く絡んでいるのだろうなぁー。

祠が出てくる夢は「自分の信仰、先祖との繋がり、心の平安」を意味するようだが、私は畏怖を感じた。家も半壊となっていた。心の平安とは違う様だ。不安を感じた。

今回は解釈が難しい。もう少し考える時間が必要だ。安らかな永遠の眠りの為にも。


ではでは。




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二日連続で猫の夢を見た理由。

2025年04月04日 14時31分40秒 | 昨日見た夢、いつか見た夢。
最近、猫に餌を与えている。父母が住んでいたアパートに来る猫だ。

隣の家の庭の叢で寝ていた。私が外に出たら、逃げて行った。野良猫だろう。黒白の猫だった。

野良猫の一生は短い。5年で亡くなると言われている。生きる辛さを此れでもかと味わって亡くなる。

だから、せめてもだが餌を与えたい。近所迷惑なのは分かっている。でも、その位の優しさは人間には必要だと思う。

今のところ、焼いた肉や魚を与えているが、私が来ているのを知ると隠れて見ている様だ。餌を置いてから暫くすると無くなっているので。

それだけでも「良いことをしたな」と心が和らぐ。人は愛する対象が必要だと思う。

ただ、私には痛恨の出来事がある。浦安市で仲が良かった猫を死なせてしまった。私のせいだ。だから或る程度は距離を置いておくべきだと思う。野良猫の一生では、油断が命取りとなるので。

さて、実は昨日今日と猫の夢を見た。二日連続で。浦安の猫も出てきた。

猫の夢は殆ど見たことが無いが、今回は二日連続。何かある。その何かだが、今日の朝、目覚めた時に分かった。

私はC-PAPで寝ているので鼾はかかないが、もう大丈夫だと思って鼻炎の薬はクリニックから貰わなかった。そしたらまた強烈な鼻炎となった。飲み薬は無い。点鼻薬で凌ぐしかなかった。

そして朝、猫が鳴く声がしてぼんやりと目覚めた。部屋の中に猫がいるのか。

そう思っていたらまた鳴いた。猫がいる。間違いない。鳴き続けている。そして感覚が増して来て、猫の鳴き声の元が分かった。私だった。

鼻炎で洟が垂れた状態でC-PAPを付けて寝ていたが、私の呼吸音が洟のせいでミャー、ミャーと音を発していたのだ。

この音を寝ている私の脳は猫の鳴き声と判断し、猫の夢を見させていたのだと思う。

野良猫が出てくる夢は、心が不安定だからとされている。確かに問題を抱えていて不安定な状態にあった。しかし、これはやはり私のミャーと言う呼吸音から猫の夢に繋がったと思える。

猫の夢を見て悪い気はしなかったので。


ではでは。
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あの夢は三途の川の一つなのか。

2025年01月20日 12時07分27秒 | 昨日見た夢、いつか見た夢。
新年に入り、色々と夢を見ています。

理由はC-PAPのベルトが伸び切っている事と、マジックテープの粘りが無くなり空気漏れしている。それで深い眠りに付けていない事が考えられる。

特に印象に残った夢ですが、透明の男と認知症の母、そして私の三人で街を歩いている夢だ。

街並みはレトロとモダンが重なり合った感じ。100年前の大正ロマン調でもあり、100年後の近未来のモダンさが感じられる。建物が密に建てられている。

多分、仙台の宮町と北仙台辺りを歩いていたと思う。見覚えはある。自宅に帰ろうとしていた。

途中、道端でフランス菓子のカルネで出来た椅子が売られていた。

美味しそうだったから買おうとしたが、母がカルネっぽい繊維で出てきた車椅子が良いと言う。私は母を乗せるので丁度良いかと思い購入した。

また、自宅を目指して三人で歩く。道角に来たら透明男が速足で歩き出して曲がった。

私は後を追い掛けたが、透明の厚いビニールのようなモノに遮られて行けない。突き破ろうとしたが、諦めてしまった。

仕方なく、母と二人で自宅を目指す。今度は老婆が縮小し、幼児体系になり走り出した。母と手を組んで歩いていたが、幼児体系となった老婆は母だと思った。

私は追いかけようとしたが、また厚いビニールが行く手を邪魔する。そして母と思われる幼児化した老婆を見失った。

手を組んでいた母は何時の間にか透明化していたが、その感触は残っている。隣に居る。

実は私、これは夢だと気が付いていた。そして透明の男は亡くなった父だと言う事も。

速足で駆け出した父は既に亡くなっている。追い掛けるのは無理だ。それも分かっていた。

そして幼児化した母と思われる老婆。

それは認知症になった母を示しているのだろう。追い掛けようとしたが、透明の母の腕は掴んでいる。追い掛けてても無理だ。それも分かっていた。これは夢なのだから。

そう思った瞬間、眠りから覚めた。不思議な気持ちだ。夢を見ていたのに夢だと自覚した夢だなんて。

この夢で疑問に思ったのは透明厚手ビニールの存在。もし、突き破って父母をを追い掛けたらどうなっていたのか。

あの厚手のビニールのようなモノは境界線。透明な父を追い掛けたら私は寝ながら突然死していたのではないだろうか。

幼児化した母を追い掛けても無理だった。

あれは母がもう元には戻れない事を示していると思う。透明の母を掴んだままなのは、人形の様になった母の命は取り留められていると言う事なのだろう。そんな感じかなぁー。

透明のビニールのようなモノ。人間の死はあのビニールを突き破れるかどうかで成り立っているのかも知れない。何れはビニールも薄くなり突き破る。それが死なのではないだろうか。

よく臨死体験をした人が三途の川を口にするが、川は古代からの境界線。そのイメージ、もしくは遺伝子が頭に残っていて三途の川を見させるのでは無いだろうか。

私の場合は自分の殻を破ることを念願としていた。あのビニールのようなモノは私の境界線。

ビニールを破り父母を追い掛けようとしたのは、子供の頃から何をするか分からない父母に悩ませられたから。

ビニールを突き破らなかったのは、もうどうにもならないと分かっていたからなのかも知れない。

まぁー、良く分からないけど、一体何だったのだろう、あの夢は。


ではでは。














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亡くなった父が夢に出て来た。

2023年11月08日 14時23分03秒 | 昨日見た夢、いつか見た夢。
これは随分前に見た夢です。ブログを書いてそのままにしてました。余り考えたくなかったので。

今回はそれにチョット加筆して出したいと思います。

さて、何度か父が夢に出て来ている気はしていましたが、CPAPを付けて睡眠薬を飲んで寝ているので、以前の様にハッキリ・クッキリ夢を覚えていません。

でも、今回はしっかりとした夢を見た。亡くなった父が出て来た夢を。

赤と黒に変色し焼け焦げた感じの父が出て来た。これは何を示しているのだろう。

夢の内容は、私の夢の定番。浦安に住んでいた時のアパ-トが舞台です。

何かの仕事をこなして浦安の自宅アパ-トに戻ってきた。今回の部屋は畳じきで100畳以上の広さのワンル-ムとなっていた。

こんなに広かったかなと思いながらも、大して疑問に思わず部屋に入る。

変だ。何かが動いている。誰かいる。それでその動いている場所を探ったら、知らない人が隠れていた。

私は激怒し、窓からその人を投げ飛ばした。ゴミの様に軽々と投げ飛ばした。

まだまだ音がする。隠れていた人が大勢いた。私は見付けた度にその人達を窓から投げた。その数は数十人いた。

全ての人を投げ捨てた。安心してソファーに座ったら、また違和感が。

ソファーの後ろを見たら半身が赤、もう半身が黒く変色した私の亡くなった父親が横向きに横たわっていた。

父は亡くなっていたのは夢の中でも自覚していた。変だなと思いながら、そこで目が覚めた。

はぁー、難しそうだが夢判断してみます。

部屋に知らない人がいる夢は「新たな出会い」の暗示だそうです。でも、隠れていたし、私は激怒したし、これはどう解釈して良いのか。

その人達は知らない人ばかりです。その場合は「自分自身を示しているケース」も考えられる。人間関係で吉なのだとか。

本当かなぁー。投げ捨てちゃったけど、これっ、自分を投げ捨てたと言う事になるのかなぁー。

私は隠れた人達を捕まえて窓から外に出した。それは何を意味しているのか。

私は侵入者と戦った。それは「私が悩みや問題から逃げずに立ち向かう暗示」だそうです。気力も十分あるそうです。吉夢だそうです。

私は不審者を捕まえ窓から投げた。

その意味は「根本的な悩みを解決し、現実の悩みから解放される暗示」だそうです。それだったら良いなぁー。

知らない人がたくさん出て来る夢は、「その人達との関わりの暗示」だそうです。なんのこっちゃ。知らない人は知らないよ。

亡くなった父親が出て来る夢。

それは父親からのメッセージなのだとか。

父は意識が無かった。赤と黒に変色していた。火葬したから赤と黒だったのだと思うが、これは何を意味しているのだろうか。

黒い人が出て来る夢は「日常的に不安を感じている。そして黒い人は自分に危険をもたらす人物の暗示」だそうです。

更には「運命の人と出会う暗示」もあるそうですが、「日常的な疲れと人間関係の乱れ」たそうです。

どっちが正しいのだ。正反対のこと書いているじゃないか。

赤い人が夢に出て来る場合はどうか。赤い顔している人の場合は「その人に対し怒りや憎悪」の感情を示しているそうです。

っと言う事は亡くなった父親は私に対して未だに「怒りと憎悪」の感情を持っていると言う事でしょう。それは生前からもそうでした。

黒い顔で判断したらどうなるのか。

それは私が「その黒い顔の人物に疑念を持っている。その人を信頼していない。信じて酷い目に遭った暗示」だそうです。



これは当たっていますね。私は亡くなった父を未だに許していない。亡くなった父も私を許していないのだろう。

赤は父の私への恨み。黒は私の父への恨みを示しているのでしょう。お互い、そう思っている筈です。

だから私、墓参りにも行っていないし、一緒の墓に入るつもりも毛頭無い。

大体、宗派も間違っている。バカとしか言いようがない。大金を払って敵対している宗派の墓に入った大馬鹿野郎だ。

だから親族は逆縁だらけだし、自分の父親も事故死した。自分の姉と兄も若くして亡くなっている。その点に生前、何で気が付かないのか。

地獄で悔やんでももう遅い。馬鹿としか言えんわ。

父は赤黒く焼けた感じだった。焼死体だったらどうなのか。

父親が焼死体となる夢は「事態が急変し、良い方向に向きだした暗示」だそうです。

そして誰かが焼死する夢は「その人に嫌悪感を持っている暗示」だそうです。

その他、色々考えられますが、当たっている部分も有るし、信じられない気分でもある。空しくなってきたのでこの辺で止めときます。

私の見た夢は吉夢の様です。しかしながら亡くなっても父を許していない。憎悪している心理状態は続いていると言えるのでしょう。

吉夢と言えども嫌な夢を見ちゃいましたね。

実は赤黒く焼けた父親ですが、生き返る感じがしたのです。その夢も「失ったものを取り戻す、良い方向に動き出す吉夢」だそうです。

吉夢だと言われても素直には喜べませんけどね。私的には不思議な夢でもあり、辛い夢でしたし。


ではでは。










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ゾンビを殺しに行く夢。

2022年01月10日 13時44分34秒 | 昨日見た夢、いつか見た夢。
1月8日。初夢なのかは分からないが、今年初めて記憶に残った夢を見た。

呼び出されてその場所に行くと、90代と思われる南光坊天海っぽい赤い法衣のぶっくりと太った大僧正と黒い法衣の僧正がいた。

大僧正は私に言った。「ジュマンジは見たか」。

ジュマンジって何だ。魔法のテーブルゲームでサイとかの動物が出て来る映画があったが、それのことか。

私は黙っていると周りに梵字が書かれ、丸い後光を背負った何人かの観音様が書かれた絵巻を出してきた。これっ、曼陀羅ではないのか。

曼陀羅がジュマンジってことか。それなら前にその黒い法衣の僧正に見せられていた。

私は「見ました」と答えると、大僧正は「それでは行ってこい」と私に命じた。

どこに行くのかは知っている。ゾンビを殺しに行くのだ。何故か私が選ばれたのだ。

私は直ぐにその場所を離れ、ゾンビがいる場所へと向かう。

途中、道端に片刃のノコギリが落ちていた。私は拾った。軽くて使いやすい。これでゾンビを斬ろう。

ゾンビがいる居酒屋みたいな店の前に着いた。間口は広い。ドアは無く明るい室内が見える。青い囚人服を着て顔を包帯で覆ったゾンビがいた。身長は190cm位ある。私を見るや否や襲ってきた。

私はノコギリでゾンビを正面から袈裟懸けに斬った。ゾンビはひるまない。平気で私を襲う。

「そうだ、ゾンビは首が弱点だ。首を斬るのだ」。そう思いゾンビの首にノコギリを一閃。ゾンビは仰け反り倒れた。

次の瞬間、今度は横から同じ囚人服を着た頭ボサボサ、無精髭のゾンビが私に襲ってきた。

私はそのゾンビの首筋にノコギリを振り上げて斬り、そのゾンビも仰向けに倒れた。

目的は遂げた。無事に終わった。その安堵感を受けながら目を覚ました。

我ながら訳の分からない夢を見たなぁー。これは何を意味しているのだろう。早速、夢判断してみました。

先ずは僧侶が出て来る夢。あの赤い法衣の僧侶は大僧正だと感じた。高僧なのは間違いない。

高僧が出て来る夢は吉夢だそうです。「誰からか援助が得られ困っていたことから解放される暗示」だそうです。そう願いたいなぁー。

僧侶と話す夢は「求めていた答えが近々に得られる」との事。それは助かる。

曼陀羅を見る夢。これは「マイナスからプラスに転じる。現在、辛い状況に置かれていても、もう少しで成功への道が開ける」だそうです。これは有難いなぁー。

ノコギリが出て来る夢は「ストレスと不安」を表している。

ノコギリで人を切る夢は「私のストレスが大変危険な状態にある。または何かを断ち切る暗示」だそうです。

うーん、やっぱり私の夢はそう言う感じになるのか。

ゾンビが出て来る夢は「恐怖や不安、トラブル」の暗示出そうです。そぉーら来た。

ゾンビと戦う夢は「不安や恐怖と戦っている状態」だそうです。勇気をもって立ち向かえば回復に向かうそうです。

私は冷静に戦ったから、不安や恐怖から解放されるのかな。

ゾンビを殺した夢。殺したかどうかは分からないが私はゾンビを倒した。これは「問題、恐怖、不安を克服できる。辛い状況から抜け出せる」暗示だそうです。「運気が高まっている」そうです。

以上、今回の私の夢は私史上、滅多にない吉夢だと判断します。

今年は転換の年。私の復活の年。そう考えておきます。この夢が切欠で正常な生活を取り戻したいもんです。


ではでは。






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