諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

神道が先か、水の女・祓いの女が先か。伊弉諾尊が先か、瀬織津姫が先か。その5

2024年05月14日 10時01分51秒 | 瀬織津姫
続きます。

菊理姫が水神であるとしたら、伊弉諾尊に「阿波岐原で祓い清めをすれば、尊い神々が生まれる」と囁き、伊弉諾尊もニンマリと喜んだとするのも納得が行きます。

ここで疑問なのですが、伊弉諾尊・伊弉冉尊は日本国の創造神です。日本を造り日本に降り立った始祖神と言っても良いでしょう。それなのに菊理姫は伊弉諾尊も知らない祓い清めの方法を知っていたとしたら、何を意味するのか。

菊理姫が境界線の神なのは間違いないですが、古代の境界線は川であります。そして祓い清め。これらの共通点から菊理姫は瀬織津姫と同神と考えられる。この点をどうとらえるか。

私は瀬織津姫は鬼渡神である阿須波神・波比岐神、そしてその親神である大歳神・天知迦流美豆姫の存在を隠す為に創造されたと考えています。

伊弉諾尊は池である阿波岐原で祓い清めをした訳ですが、この阿波岐原、阿須波神・波比岐神の神名を重ね合わせた地名だと思える。それだけ阿須波神・波比岐神は切り捨てられない神だと言える。

菊理姫は神道の始祖神とも考えられる伊弉諾尊に祓い清めの方法を教えたと考えるならば、神道よりも菊理姫の方が古い。或いは瀬織津姫の方が古いと考えられる。

これは鶏が先か卵が先かとなるが、瀬織津姫や菊理姫が人間である水の女・祓いの女がモデルであるのなら、神道もまた人間である水の女・祓いの女から生まれたと言えるのではないか。

神道で鶏と言えるのは高天原でしょう。日本の始祖神と言える伊弉諾尊・伊弉冉尊は高天原から地上に降りた。つまり高天原が故郷であり、高天原で生まれたと考えられる。

神道の三貴子である天照大神、月読尊、素戔嗚尊を含め、多くの尊い神々は地上の阿波岐原で生まれた。

天上の高天原、地上の阿波岐原。この関係は何を意味しているのか。

神道は祓い清めの宗教です。つまり神道の源流には祓い清めの神が中心に存在する筈。

しかし、古事記にも日本書紀にも祓い清めをした神は、伊弉諾尊しか出てこない。

ここでまさかのどんでん返しですが、菊理姫は古事記・日本書紀の正伝には出てきません。出て来るのは日本書紀の異伝にのみです。

何で菊理姫は記紀の正伝に載せられなかったのか。瀬織津姫に関しては記紀の異伝にさえ載せられていない。それは何故か。

これは記紀を編纂した寵てや天皇家にとって、菊理姫や瀬織津姫は都合が悪い神だからなのでは。

しかし無視は出来ない神なのは間違いない。

菊理姫を祀る白山神社は全国に3000社も鎮座している。瀬織津姫は神道の根本の祝詞である大祓祝詞の筆頭に詠われている。

その回答はどこにあるのか。

天皇家としては、神道の最高神である天照大神の家系であることに意義がある。天照大神の家系だから尊い。そしてその信仰が現在も続いている。

天皇家でも「お湯殿の上の女房」の儀式を続けている。祓い清めをしている。しかしながら、菊理姫や瀬織津姫の直接の接触は避けている。それは何故か。

古代人であっても身体の汚れを水で落としていた。それが祓い清め信仰として登場した。多分、縄文時代に。神道よりも早く。それが神道の源流となった。

そう考えれば神道の源流は、縄文時代と思われる祓い清めの儀式の手伝いをしていた、水の女・祓いの女と呼ばれた名もない女性への信仰から始まっているのではないのか。

そう考えると全て辻褄が合うと思います。まっ、神道や天皇家を敵に回してしまうかも知れませんが。

はぁー、しどろもどろになって書いて参りました。

私も断言なんて出来ませんが、半分はそう考えています。私は真実を追求したい男なので。


ではでは。











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