諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

電磁誘導無接点充電方式腕時計のバカヤロー。

2016年12月31日 02時16分30秒 | アイテム

忙しいどさくさに紛れて、ズッラっとして今年最後の愚痴を書かせてもらいます。

前回に続いて腕時計の話です。前回も言いましたね、私はRICOHの腕時計が好きと言う訳ではないのですが、何故かRICOH(リコー)の腕時計ばかりヤフオクで落札してしまうのです。

拘りです。セイコー見たいにジェントルじゃない。シチズンほど真面目じゃない。カシオみたいにタフではない。オリエントほど古典的ではない。そう、私は変わり者。だからどうしてもリコーになっちゃうのです。

大体、リコーの腕時計している人、見た事有りますか。いないでしょ。それよりリコーが腕時計作っているって知ってましたか。知らなかったでしょ。

そうなのです。人知れず時計を作っているリコーが自分みたいで愛おしい。それが愛用している理由の一つ。

それ以上にヤフオクで安く落札出来るから選んでいるんです。4万円近くから3万円前後の価格の腕時計が5000~3000円前後、3万円以下だったら2000円程度で落札出来るのってリコー位です。勿論、新品です。安さに凄く弱い私はどうしても選んでしまうのです。

第一、リコーは技術でセイコーやシチズンに全然引けを取りません、多分。デザインも負けていません、多分。そして個性的(付けている人は異常に少ないだろうから、これは間違いない)。それで安く買えるのであれば、これ以上の時計メーカーは無いと思いますよ。

中でも独自技術が有ります。電磁誘導無接点充電方式の腕時計です。ブラウンなんかの電動歯ブラシと同じシステムです。腕時計の後ろ側を充電スタンドに乗せるだけで充電が出来るのです。これは凄いです。

実は私、このタイプの腕時計を4つ持っています。2つはチタン製のゴージャスなスポーツタイプ。もう2つはLED照明付きのヤツです。

このLED照明付きですが凄く便利です。辺りをかなり明るく照らしてくれます。この腕時計なら泥棒に転職しても便利です。私、気に入ってます。

しかし問題があります。それはソーラー腕時計同様、電磁誘導無接点充電方式電池にも寿命がある事。実は私、これも知らずに買っていたのです。充電すれば半永久的に使えると思って買っていたのです。

実はチタン製の2つの腕時計が充電池の寿命となり使えなくなっています。この充電地を交換するのも大金がかかるみたいなのです。ヤフオクで落札した価格よりも。

はぁー気に入っていたのに新品の落札価格よりも充電池の交換料金が高いと、中々交換しようと言う気になれません。そのままほっぽるしかないです。うーん、失敗した。

この電磁誘導の腕時計もソーラー同様「電池交換不要」を売りにしています。だからこそ落札したのです。コスパ命の私ですから。

それなのに充電地に寿命があるなんて聞いていないよ。言ってよ、ちゃんと。

実は同じ電磁無接点充電方式の電動はブラシ、ブラウン3Dエクセルは20年近く使っています。何時も充電池がビンビンです。毎日、ヤル気満々で回ってくれます。それなのに同じシステムのリコーの腕時計は落札してから1~2年で寿命になった。これには参りましたわ。やっぱり精密機械はドイツに敵わないのかなぁー。ダメだなぁーリコーは。

でもLED付きの2つの腕時計は5年前後使っているけどまだ光ってくれるし回っています。これって当り外れがあるって事なのかなぁー。

倍率は5割。私の人生から考えれば高率なのは確かか。これで良いのかな。私はリコーで良いのかな。似合っているのかな。

あんまりリコーとは言えない気がするけど。

 

ではでは。

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ソーラー腕時計のバカヤロー。

2016年12月30日 11時48分51秒 | アイテム

こんなブログを読んでくださっている奇特な皆さんは薄々お分かりだと思いますが、私はかなりの変わり者です。変な拘りがあるのです。

何れ語りたいと思いますが、靴は何時もスニーカーです。それも日本人で履いている人は滅多にいないSAUCONYを愛用しています。

知らないでしょうけどアポロ宇宙船で月面に着陸したパイロットが履いていたシューズもSAUCONY。そう言えば妻殺し容疑のOJシンプソンが履いていたとかCMしていたとか言われてます。もう25年以上SAUCONYばかり履いています。変に拘りがあるのです。

腕時計も拘りと申しましょうか、物好きと申しましょうかRICOHばかり愛用しています。もう、このRICOHの腕時計には大分裏切られているのですが、性懲りも無くヤフオクで落札してしまうのです。どうしてもマイナー路線を歩いてしまう性質なので。

それは良いとして今までで一度も使わずに使用出来なくなった腕時計があります。RICOH製のソーラー腕時計です。確かヤフオクで5000円程度で落札したと記憶しています。チタン製でガンメタ塗装のクロノグラフです。カッコ良いのです。勿体無がって使わずにいたのです。

そしてそろそろベルトのコマを調整して使おうと思いケースを開けたら、ガァーン。止まっている。太陽電池が切れたのか。

私はRICOHのソーラー腕時計をベランダに出して数時間充電してみました。ダメです。動かない。どうしてだ。

私、知らなかったのですが、腕時計の太陽充電池には寿命があるんですってね。噓ぉー。

どうも5年から10年の命だそうです。知らなかったよぉーそんなの。

私がソーラー腕時計を選んだのは故障しなければ半永久的に太陽電池で動くと思っていたからです。電池交換代が勿体無かったからです。それなのに太陽充電池に寿命があるんなて。

何だよ。何でメーカーはその事を言わなかったんだよ。ズルイよ、そんなの。

それで電池交換料金を調べてみたら8000円とか2万円近いとか書いている。本当かい。5000円で買ったのに聞いてないよ、そんなの。

全然使っていないのにそれだけ費用がかかる。落札して1年も経っていないのに。保証書はあるけれど、何時製造されたのかが判らない。保障は効かないだろーな、こりゃ。

どの腕時計メーカーもソーラー腕時計は「電池交換不要」と書いているのに、これって詐欺なんじゃないの。ずるいぞ、そんなの。

これだったら2年に一度電池交換した方が断然得ですよ。失敗したぁー。これってケチを狙った詐欺商法でしょ。ちゃんと充電地も交換の必要がある事を書いていてよ。

これでは韓国製、中国製を悪く言えないよ。日本人なら正直さで商売しようよ。これじゃ安物買いの銭失いじゃないの。

頼むよ、ギリギリで生活しているんだからよ。

 

ではでは。

 

 

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足柄山の金太郎は坂上田村麻呂で間違いないと思う。その3

2016年12月29日 03時41分11秒 | 伝説

ちょっと期間が開いちゃいましたが続きです。

さて金太郎に戻ります。金太郎のスタイルと歌にもヒントが隠されています。

先ず「♪鉞担いだ金太郎~」の「鉞(まさかり)」。金太郎は木こりじゃ無いです。木を切ったと言う表記はありません。橋にした大木も体当たりで倒した。鉞で切らなかった。これは変です。

それと「♪ 熊に跨りお馬の稽古~」。何のために熊で馬術の稽古をしていたのか。

それと「丸金の腹掛け」。金太郎だから丸金なのか。

実は坂上田村麻呂の蝦夷征伐の目的が金太郎に隠されています。ここまで書けばお分かりでしょうけど、日高見国を襲った一番の目的は「金」です。大仏に金を貼る為に必要だった。だから「金太郎」と言う名が付けられた。

そして「鉄」。「鉞」は鉄を意味している。そして鉞を担いでいたのは刀の代わり。蝦夷討伐は鉄の略奪もその目的ですが、その為の剣術の修行をしていた事を意味していると思います。

そして「丸金の腹掛け」。蝦夷には金や鉄の他にも大和朝廷が欲しがる物がありました。「絹」です。絹の反物です。

以前にも書きましたが、東北の川には多くの織姫伝説が残っている。そしてて「オシラサマ」は桑の木への信仰でもありますが、桑の葉を食べるお蚕様への信仰。お蚕様は衣類を人々に与えてくれる神でもあります。

そして当時の蝦夷の絹織物の鮮やかさは世界有数です。大和朝廷の技術では作る事は出来なかった。喉から手が出るほど欲しかった。金太郎の「丸金の腹掛け」は蝦夷から絹織物を奪った事、奪いたかった事を意味していると思われます。

まだあります。「馬」です。魏志倭人伝では日本には馬はいないとされていますが、東北には1万年以上前から馬がいたことが判っています。南部駒でもお分かりの通り、蝦夷の馬は素晴らしかった。奪いたいと考えていた。

金太郎が馬の変わりに熊で馬術の稽古していたのは「今は馬は持っていないど蝦夷から奪う」事を意味しているのではないでしょうか。

 以上が「金太郎=坂上田村麻呂」ではないかと考えた根拠ですが、どうでしょうか。

まっ、歌の方は古くても明治時代に作られたと思うので、昔からの伝承なのかは自信が無いですが、ここまで共通点と言うかイメージさせるポイントがあるのは証拠にはならなくても、何かしら伝えたい思いがあったと思えます。

最後に金太郎を育てた山姥についてです。実は新潟や東北にも金太郎の伝説が伝わっています。でも不思議な事に山姥がメインのストーリーになっています。

例えば宮城県の村田町の伝説は山姥が金太郎を村田町で育て、山姥は何故か村田町と足柄山を何度となく行き来していたそうです。

目的は何か。長距離をどうやって行き来していたのか疑問です。でもこの話、悪路王が達谷窟の洞穴が旧阿須波道である鈴鹿峠に繫がっていて何度も行き来していた話に似ています。

悪路王のモデルはアテルイとされていますが、アテルイは静岡まで進軍したとの話が伝わっています。村田町の山姥も足柄山まで足を運んだのは、蝦夷軍が足柄山まで進軍していた事を意味するのではないでしょうか。

悪路王が出てくると悪路王から坂上田村麻呂に乗り換えた立烏帽子や鈴鹿御前が浮かびます。モデルは瀬織津姫と言われている。そして悪玉姫伝説では東北の各地で田村麻呂を産んで育てた話が伝わっている。これも金太郎と田村麻呂が共通していると言えます。

それでは金太郎を育てた山姥とは誰なのか。「山姥」は「一番最初の巫女」を意味します。そうなると天岩戸を開いた猿田彦命の妻・アメノウズメ命が思い浮かぶ。

金太郎は「ちょろり七瀧」で産湯を浸かった。第六天魔王を信仰していた。第六天魔王は「見目麗しい女神」と言う意味の「面足尊」と「崇拝するほど立派な陽根を持っている」と言う意味の「あやかしこ根尊」。夫婦で第六天魔王。

立派な陽根とは男性器。つまり第六天魔王は道祖神と考えられます。そして猿田彦命とアメノウズメ命も同神。

田村麻呂は第六天魔王である道祖神を信仰していた。しかしながら山姥は道祖神を信仰していたとの伝承は無い。

実は各地に伝わる山姥伝説では天狗と山姥は恋仲で、山姥が天狗に陣羽織を縫ってプレゼントしたと言う話が各地に残っています。

天狗の源流も猿田彦命同様、道祖神です。つまり山姥が第六天魔王の女神であると考えられる。

山姥は金太郎の母親じゃない。養育しただけ。面足尊の「足」は養育の意味もある。養育と信仰の違いがあるが、これも金太郎を育てた山姥が第六天魔王とする説になると思います。

金太郎が第六天魔王を信仰した。田村麻呂は熊野権現を信仰した。私は熊野の源流は男神・久那戸大神と女神・アラハバキ神である説を取っています。そしてこの二神は道祖神の源流でもあると考えます。この点からも金太郎のモデルは坂上田村麻呂である。

私は瀬織津姫の名は大和朝廷側が名付けたアラハバキ命の別名だと考えています。そして陣羽織を天狗にプレゼントして山姥は織姫でもある。つまり「山姥=瀬織津姫」となります。

以上、長々と書いて来ましたが一番大切なことは金太郎が第六天魔王、田村麻呂が熊野権現を信仰していたのは祟りが怖いからです。祟りを恐れて敵の神を祀っていたと考えます。その敵とは鬼とされる蝦夷です。

最後の最後、性器信仰は「タツ信仰」です。鬼である悪路王の住まいだった達谷窟もタツ。瀬織津姫とされる立烏帽子もタツ。そして神道の以前の呼び名であった神祇(しんぎ)も以前はタツと呼んでいた。

日本神道の源流はタツ信仰だと私は考えます。

もうヘロヘロです。今回のお題はこの辺で。

 

ではでは。

 

※足柄山を忘れていた。不思議な偶然だけど私の神職をしている友人に関連している。そしてその神社にも。幾らなんでも偶然だと思うけど。

 

 

 

 

 

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足柄山の金太郎のモデルは坂上田村麻呂で間違いないと思う。その2

2016年12月23日 10時32分58秒 | 伝説

続きです。

金太郎の伝承は各地に残されています。中でも生まれた場所の一つとされている静岡県小山町の金時神社は金太郎の産湯とした「ちょろり七瀧」がある。さらに金太郎親子が信仰したと伝わる第六天社がある。何故に金太郎親子が第六天魔王を信仰していたのか気になります。

以上は殆どウキペディアの丸写しですが、一番重要な点は金太郎こと坂田金時なる人物の存在が大変疑わしい事です。

坂田氏は元々は地名から発生し600年頃から名乗る人が出ていたようです。多分、坂になっている田圃を持っていた人なのでしょう。因みに「吉田さん」は葦が生えた田圃を持っている人を意味します。良い田圃じゃなくて悪い田圃です。貧乏なお百姓さんの意味でもあります。そこから考えると坂になっている田圃も田植えが大変でしょうから、あんまり豊かなお百姓さんじゃないと思います。余計なお世話ですけど。

坂田姓も全然名門ではありません。金太郎程の有名人を出しているのだから、誰か知られた人が出ても良いと思うのですが、「坂田真人」と言う人がいたくらいです。「真人」の意味は仙人だそうですから、坂田の仙人と言う意味になります。何をした人なのかは知りませんが。

実は「坂田金時」にもモデルがいるとも伝わってます。平安中期、藤原道長(966~10この28)の時代に京都の皇居を警護していた「下毛野の公時」と言う12歳の子供です。美少年で武芸や馬術にも秀でて、とんとん拍子に出世して人気があったそうです。

しかし残念ながら九州征伐に向かう途中、やはり岡山県で熱病にかかりポックリと死んだそうです。確かにある程度は似ているストーリーだと思います。

では何故に下毛野姓ではなく「坂田」にしたか。私は今回の御題の通り坂上田村麻呂を示しているからだと考えます。「坂上田村麻呂」、略して「坂田」なので。

坂田金時は源頼光の四天王でした。田村麻呂は大伴弟麻呂が征夷大将軍時代に4人いた副将軍の1人です。

時代は金太郎の坂田金時(956-1012年)、田村麻呂(758-811年)。約200年時代が違いますが、金時は56歳、田村麻呂は54歳で共に病死しています。

金太郎のストーリーで考えると多くの動物と仲が良い。そして熊と相撲をとっていた。これは熊野権現である五衰殿の王子が虎や狼に守られて育った話と似ています。金太郎は武芸を熊から教わった。田村麻呂は熊野で鬼退治をして退治した鬼を熊野国総鎮守として祀ったとしています。さらに熊野権現を信仰していたと伝わっています。

悪玉姫伝説においては田村麻呂の幼名は「千熊丸」。これも共通点です。

金太郎を養育したのは山姥ともされていますが、「姥」は「最初の巫女」を意味します。この山姥と五衰殿、そして悪玉姫は被るのではないでしょうか。五衰殿は千手観音に願をかけ、悪玉姫は観世音菩薩に願をかけていますので。

熊野では五衰殿の王子の本地は十一面観音です。そして田村麻呂は多くの十一面観音を建立した。これは「十一面観音=坂上田村麻呂」として、英雄・田村麻呂を信仰して後世の人が建立したとも考えられます。

 

続く。

 

 

 

 

 

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足柄山の金太郎のモデルは坂上田村麻呂で間違いないと思う。その1

2016年12月23日 00時02分41秒 | 伝説

前回、「九門長者屋敷の悪玉姫伝説。そして瀬織津姫と坂上田村麻呂との関連」と題して書きました。今回のお題はそれに付随してのものです。

実は金太郎のモデルが坂上田村麻呂であるのではないかと思うのです。金太郎と悪玉姫伝説には共通点があります。私、まず間違いないと思い込んでいます。その事を書きたいと思います。

っとは思ってもどこから書いたら良いかな。色んな場所に伝承が残ってますが、一般的な昔話は足柄山の金太郎でしょう。先ずは簡単な幼児向けのストーリーを語ります。

「昔、足柄山に母親と金太郎と言う子供が住んでいた。金太郎ははいはいする赤ん坊の時から力持ちで、石臼を動かすほどだった。金太郎の遊び友達は山の動物で、既に山一番の力持ちである熊でさえも相撲で負かす程になっていた。ある時、動物達と栗広いに行ったが崖に掛かっていた橋が無くなっていた。金太郎は大木に体当たりをして折り、その大木を崖に掛けて動物達は喜んだとさ。めでたし、めでたし」ってな感じです。

もっと専門的な静岡県の金時神社の伝承によると「金太郎は彫物師の娘・八重桐と宮中に使えていた坂田蔵人の子として956年に京で生まれた。しかしながら父・坂田蔵人は直ぐに亡くなる。八重桐は故郷の足柄山に戻り金太郎を育てる事とする。金太郎は熊とも相撲するほどの力持ちで素直な子に育った。976年、旅の源頼光と出会い家来となり名を坂田金時と改め京にのぼり頼光四天王の一員に加わった。当時、丹波の国・大江山(現・京都府福知山)では酒呑童子と言う鬼が住んでいて、都に出ては暴れていた。それで990年に源頼光と坂田金時、渡辺綱らの四天王は山伏に化けて大江山の酒呑童子の屋敷にへ出かけた。山伏に親近感を覚えている酒呑童子は彼らを大歓迎し宴会を開いた。そして頼光達は酒呑童子の酒に眠り薬を入れ寝ているところを討ち取った。その後、坂田金時は1012年に九州の賊を討ち取る為に現地に向かったが、現在の岡山県勝央町で重い熱病にかかり55歳で亡くなった。そして現在の栗柄神社に祀られた」。

更に異説としては「母親が山姥で雷神との子供だ」。「母親の八重桐が金時山の頂上で赤い龍に金太郎を貰った」説があります。

またまた金時豆は坂田金時から付けられたもので、きんぴらごぼうはその息子の坂田金平から名付けられたとむ伝わってます。

まっ、それだけ金太郎は英雄視され庶民に慕われていたと言う事なのでしょう。

 

つづく。

 

 

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