諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

昔話「牛方と山姥」は、素戔嗚尊と瀬織津姫の戦いを描いているのではないか。その8

2022年12月16日 04時22分16秒 | 瀬織津姫
続きます。そろそろ終わりにしたいです。

「おかめとひょっとこ」どんな関係なのか。それは大変言いにくいのですが、夫婦だと言えます。

以前、天孫降臨の地・宮崎県の老人会へ女性編集長と共に、取材と営業を兼ねて宮崎まで向かったのです。

女性編集長は老人会の幹部と会談。残された私は老人会の爺様婆様に連れられて宴会に。

私、年寄りと話すのはむいていないので手酌で徳利の酒を飲んだ。びっくり。酒は日本酒ではなく焼酎と泡盛。全然知らなかったのですが、宮崎県は気温の関係で日本酒の酵母が育たないので、日本酒が造れない。だから酒と言えば焼酎か泡盛なのです。

さて、私も酔っぱらいました。そして明る過ぎる宮崎県の老人会の皆さんも高揚してきた。

「では、あれ踊るか」とリーダー格の爺様が叫ぶと、ひょっとこのお面を被った爺様と、おかめのお面を婆様が現れ、踊りだしたのです。大変卑猥な踊りを。

周りの爺様婆様は大盛り上がり。東北人で当時30歳だった私はドン引き。東北ではこんなお下劣な踊りをする人はいない。

お爺さんと御婆さんがあんな踊りをして喜んでいる。東北人の私にとって、高齢者のそんなシーンはタブー。東北ではタブーです。九州と東北ではここまで文化が違うのか。

でも、この卑猥踊りで分かりました。ひょっとこは風神。おかめは水神。二人は夫婦であると。そして夫婦和合の神なのだと。

極論を言うと「ひょっとことおかめ」は性器信仰の神々。幸神。賽の神であると。

この性器信仰は日本の一番古い縄文時代からの信仰です。そして宮崎県は天孫降臨の地。朝鮮から渡って来た神々。だから日本古来であり、日本オリジナルの国津神である幸神、賽の神は下品な「おかめ、そょっとこ」に落とされた。

「牛方と山姥」の話は、朝鮮から渡って来た牛頭天王の素戔嗚尊が地主神である山姥に最初は襲われ、その語、敵を討つストーリーです。

悪いのは山姥であることを強調している。最初に襲ったのは山姥。だから殺した。その正当性を謳っている。それは朝鮮から渡って来た朝廷側の言い訳にも聞こえる。


続く。


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