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諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

宮城県女川町出島(いずしま)での暮らしをシュミレーションしてみた。

2025年05月25日 21時45分45秒 | 人生
宮城県女川町。3.11の東日本大震災で最も被災率が高かった町と言われてます。

人口10014人中、836名が亡くなっています。10人に1.2人の計算です。町の大半が津波に飲み込まれた。凄い被害だった。

それでも防潮堤の建設を拒否し、一番最初に復興した町と言えます。何たって原発マネーがありますからね。

私、この女川町に移住を考えています。今の人口は5790人程度ですが、総合病院もあるし女川駅には温泉施設も併設してある。図書館もある。

其れよりも格安で住める復興住宅が完備している。何でも1万円以内だとか?? 私の勘違いかも知れませんが。

復興住宅はマンションタイプと漁師向けの一般住宅があります。私は漁師向けの単身者向け平屋住宅に住みたい。

船舶免許を持っていますから、一年中ボート釣りをして暮らしたい。中でも島である出島は島故に釣師が来ていない。魚影が濃い。ハタも釣れる。人も少ない。

そして今年、出島大橋が完成した。クルマで女川町の中心部に行ける様になった。もう何も迷うことは無い。移住したい。

そう思っていた時に出島の特集をテレビで見た。愕然とした。住んでいる人の大半は80代の女性だらけ。単身者だらけだった。

男性は一人いた。趣味で網漁をしている80代の方だ。そんなところに私が暮らせるだろうか。

私は人と会話しなくても平気だ。っと言うより、人と会話したくないから出島で暮らしたいのだ。

しかし、復興住宅は同じ個所にある。ご近所づきあいしなければならない。それが不安なのだ。

80代女性との話題なんかない。それよりも色々頼まれるのが目に見えている。そんなんで苦労したくない。

更に釣りで女川に通っている床屋のマスターに聞いたてのだが、女川町は物価が高いらしい。スーパーは一店舗しかない。競合しないから独占価格なのだとか。

そうだよ。津波被害地は多少の甘えがあるのか、どこでも割高な値段を取る。お土産屋並みに高い。

どうしたら良いか。平屋の復興住宅は中々の大きさの庭が付いている。そこで野菜を育てられる。魚は釣れば良い。そんなに買い物をする必要はないか。

うーん、私は犬を飼いたい。復興住宅では犬を飼うのは可能だが、散歩は犬に一人で行ってもらうつもり。でも、家が集合している地帯では難しいか。

うーん、参ったな。そう世の中、上手くは行かないものだな。

まぁー、上手く行かなかったから、今の私がある。そりゃそうだわな。

まっ、それよりも決断の方が難しいわな。


ではでは。
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「がん保険」には入った方が良いのか?

2025年04月29日 20時35分04秒 | 人生
何故か私のスマホに「SBI損保」から電話がかかってきた。

どうもヤフーのADSLからソフトバンクの設置型光回線??に変えた時に私の携帯番号を知り、同グループの「SBI損保」から電話がかかって来た様だ。

うーん、こう言う情報漏洩ってチョット困るなぁー。私は電話恐怖症なので。

内容は「がん保険の資料を送って良いか」だった。

私は「もしかしたら新参者??のSBI損保だから他社よりも安いのではないか。読むだけは読んでやっか」と思い、送ってもらった。他社より年間2万円近く安いみたいだ。入りたい人はお勧めかも知れない。

ただ、私は糖尿病、高血圧の薬を飲んでいる。「疾患がある」とされるので、無い人よりは大分高い。

でも、私の血糖値や血圧は精神状態によるものだ。これは私の身体で何度も試したから、間違いは無いと思っている。

私は注射恐怖症だ。病院に入るだけでも血圧や血糖値が上昇する。抗鬱剤を飲めば下がる。これって糖尿病や高血圧と言えるのだろうか。

この質問、医師でも答えられない。っと言うより、イエスと言う医師もいるし、ノーと言う医師もいる。いまの医学なんつうものは、その程度なのである。

だから私、疾患とされて高い保険代は払いたくない。だから入らずに迷っていたのだ。

3日後、営業の電話がかかる。声が大きい男だ。鬱が降って来る。私は「まだ読んでいない」と言って電話を切った。その2日後も着信が残っていたが、スマホを置いて出て行ったので、電話には出れなかった。

そしてゴールデンウイーク突入。暫くは電話は掛かってこないだろう。

さて、「がん保険」に付いてである。極論、長生きが御望みで、親族に癌患者が多い場合や喫煙者は、入った方が良いのかもしれない。

私は長生きが御望みでは無いのである。癌で余命宣告されたら、心の三分の一はホッとする。しかし、痛みが伴うのは困る。それなら安楽死を望む。

人生については十分に分かった。分かった後は惰性の人生。そんなに価値はあるとは思えない。それが私の人生観だ。

まっ、私の人生観は兎も角、生きたい人は入った方が本当に良いのか。

医療保険で得をする人は17%と聞いている。残りの83%の人は掛け金よりも損をしている。

それに国の医療制度では先進医療は除くが、高額医療でも月間8万円で収まる。入院期間は1か月以内だろうから、8万円の為に毎月の掛け金を払う様なものなのである。大抵の場合は医療保険は必要ないと思える。

話は変わるが、近年、私の父、義妹、知人が膵臓癌で亡くなった。

父はレントゲンで膵臓に影があったが、胃カメラを飲む体力も手術に耐えられる年齢でも無かった。それで治療はしていないので、「がん保険」に入っていても治療費等は出なかった。大損だった。

現在、癌で亡くなる人が非常に増えている。癌だけでなく、心不全等で亡くなる人も激増している。私は某ワクチンのせいだと確信している。

義妹は医療従事者だったので7回も接種した。発病から短い月日で亡くなった。

現在は2回接種した人の死亡が増えてきているとされている。しかも時代はターボ癌。発見時にはステージ3、4となる。膵臓癌などなら直ぐに亡くなってしまう。

そう考えると保険金の支払いも安い金額しか出ない。

どうなんだろ。癌患者は増えているが、直ぐに死ぬから保険金は安く上がる。保険に入った方が良いのか悩むところだ。

私は某ワクチンは1度も接種していない。しかし、某ワクチンは接種者から未接種者に移るとも言われている。明確な判断は出来ない。

でも、まぁ、「人は必ず死ぬ。それまで生きる」。それが人生と言うものだ。

私は運を天に任せようと思う。どうせ独り身なのだ。死んでも保険金をあの世に持っていける訳でもないし。


ではでは。







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ドキュメント映画「ただいま、つなかん」は視ていないが・・・・・。

2025年01月08日 14時19分36秒 | 人生
前日、地元テレビの正月特番で、唐桑半島を特集していました。レポーターは地元宮城県出身のサンドウィッチマンの二人です。

彼らは地元テレビの撮影中、気仙沼で震災に遭遇。大津波で気仙沼の街が飲まれる場面を見ています。それで震災での募金活動に注力しています。心有る者なら、あの風景を視たらそうなると思います。

ところで唐桑半島ですが、蝦夷討伐の時代、熊野本宮から熊野権現を分霊。船で運び、その最初の上陸地が唐桑半島の先端でした。

その初上陸の仮置き場には舞根神社が建立されています。祭神は瀬織津姫。故に瀬織津姫神社とも呼ばれています。

その後、熊野権現分霊は室根神社へ移されています。この点から「熊野権現=瀬織津姫」と考えられています。

因みに瀬織津姫神社こと舞根神社は東日本大震災で流されています。

話を戻します。サンドウィッチマンの二人は「つなかん」と言う名の民宿に向かいます。

この「つなかん」なる民宿ですが、ドキュメント映画「ただいま、つなかん」の舞台でもあります。2023年に上映されています。

唐桑半島は津波の被害が甚大でしたが、元々は遠洋漁業等で裕福な家が多く、漁師たちの家は唐桑御殿と呼ばれています。

「つなかん」の屋敷も三階建ての豪邸で二階まで津波を被りましたが、ボランティアの尽力で屋敷も回復。漁師夫婦は震災のポランティアを泊めているうちに、「つなかん」と言う名で民宿も営む様になったそうです。

震災のボランティアには唐桑半島の自然に魅せられ地元の男と結婚し、定住する女性が多く現れました。「つなかん」はその象徴的な場所でもあるようです。

そして事件が。

「つなかん」の御主人が帰省していた長女と三女の夫を乗せてワカメ漁をしていて船が転覆、三人は帰らぬ人になりました。

これはキツイですよねぇー。津波の被害を乗り越えて復活の足掛かりを掴んでからの不幸。。妻は夫と長女、義理の息子を失った。ボランティアから受けた施しを感謝で返していた。それなのに不幸が訪れるとは。

魔と言う者は「ほっ」とした瞬間に襲ってきます。この魔を防ぐには用心に用心を重ねて生きるしかないのですが、ご主人は帰省した娘と義理の息子との至福の時に魔に刺されたと言う事なのでしょう。海は山と並び神域ですし。

女主人はそれでも気丈にふるまい明るさを忘れていませんが、超HSPの私は見てられませんでした。映画も辛くて視れないでしょう。

そう思いながら下司の勘繰りとと言うか、女主人の姓名判断をしてしまいました。外格は吉で商売は繁盛するでしょうが、大いなる闇が被さった名前でした。

それにしても不幸を防ぐのは本当に難しい。人生を満足して生きるのは本当に難しいなと思いますね。


ではでは。


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心配するな。死は辛くない。痛くない。

2024年12月26日 21時40分34秒 | 人生
人生100年時代。もう心配でたまりません。間違って100まで生きたらどうしよう。寝たきりになったらどうしよう。

頭がボケずに寝たきりにならない年齢。私は80歳まで生きれれば十分。何なら70歳で亡くなってもOK。60歳の今無くなっても納得します。生が幸せだとは思えなかったので。

今、BS放送を観ていると健康食品のCMで溢れています。水とか青汁とか、イワシだけの煎餅とか、黒酢とかetc、etc。

決まって元気な後期高齢者が表れて、「100歳まで生きる、頑張る」とCMで言わせてます。「100歳まで生きるのが人生の清く正しいゴール」の様にCMしています。ここまで来ると洗脳ですよ、これ。

「下手としたら、100歳まで生きてしまう」。

そうなったら金も必要。だから新NISAやら生命保険やら入らないと心配で生きていけない。長生きする心配で鬱になる。そんな人生って幸せなんでしょうか。

人生ってね、ほんの80年位前は50歳程度だったのです。その位で死んだ方が苦しまないで済むし、痛みで苦しむ期間も少ない。

「飲むなら焼酎、死ぬなら卒中」。苦しまずに卒中でスパッと死ぬ。

東北には苦しまずにスパッと死ぬ事を望む人達が信仰する「ぽっくり寺」が多く存在しますが、余り長生きせず、介護で人に迷惑をかけず、スパッとあっさり死ぬのが、一番良い死に方だと思いますね。

そこで誰もが心配するのが死の恐怖です。死んだらどこに行くのか。

仏教では涅槃に行く事になっています。この涅槃ですが、その意味は「欲の無い世界」です。無我の境地です。

人間、欲があるから生きて行けるのですが、死んでから欲を持っても仕方がない。死の世界を心配しても仕方ないと思います。

それともう一つ。死での心配事。それは死の瞬間、痛くないのかだと思います。

この件に関してですが、私、心配していません。

私、脚立から落ちた瞬間、気を失って床にぶつかった衝撃を覚えていませんでしたから。

結構な人々が飛び降り自殺していますが大丈夫です。ぶつかる瞬間や痛みは覚えていないです。痛みを感じず死ぬ事が出来ます。

それと私の父が2年前に亡くなり、亡くなる瞬間を私だけが診ていましたが、痛みを感じず苦しまず亡くなりました。無になった感じで亡くなりました。

その瞬間を見て私、死とは無に成ることだと確信しました。

仏教の教えで涅槃に行って修行するのって嘘だと確信しました。

無になるんです。欲も無くなる。夢も見なくなる。死んでまで修行して苦しむのなんて嘘。

夢は欲ですが、欲が無いのって幸せじゃないですか。

っと思ったりもしたものの、欲が無くなり半分死んでいる私って、生きるのが辛いです。これって、まだ欲が残っていることですかねぇー。

まっ、取りあえず、死ぬ瞬間は痛くないのは間違いないと確信しています。死ぬ事を心配しても仕方ないです。誰だって死ぬのですから。

私位になると死の世界がチョッピリ楽しみだったりするのですが、そんな感じで生きていた方が楽なのは確かだと思います。

無になるのだったら、修行も天国も地獄もない。

欲が無くなるって事は、気に病む事が無くなるって事だと思いますしね。


ではでは。






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死に方を忘れた人々。

2024年12月23日 12時07分28秒 | 人生
以前、かかりつけの床屋のマスターとの会話です。

マスターは母親を心不全で亡くしたばかりです。82歳だったそうです。前日までピンピンしていたのに、朝起きてこないと思ったら亡くなっていたそうです。

マスターは若い頃に父親を亡くしていたので、母親の死には人一倍ショックを受けていましたが、苦しまずに亡くなったのは良かったと語っていました。

私は言いました。「私の父は終末医療の施設で何も食べれず、コロナで親族にも会えず、40キロまでやせ衰えて亡くなった。あそこまで苦しんで生きるべきではなかった。死を選んだ方が幸せだった」と。

マスターは創価学会員だと思われます。聖教新聞を購読していますので。

マスターは言いました。「それでも死んではいけない。苦しくても生き続けなければならない」と。

マスターは二人の兄弟も幼少時に亡くしています。死に対しては私よりも深く考えて生きてきた。その結論が「何が何でも生き続けろ」だったのでしょう。

私は反論できませんでした。母親を亡くしたばかりの彼に、自死を肯定する私の考えは言えませんでした。

「人間は必ず死ぬ。それまで生きる」。それが人生だと思います。でも、不健康な状態でも生きるのは酷。

酷な人生も人生なのだろうけど、苦しみ生きて死ぬ。それに達成感があるのか。死が待ち遠しいのではないか。そんな人生に意味はあるのか。

父は誤嚥性肺炎、更には膵臓癌の疑いで3カ月以上寝たきりとなり亡くなった。母は認知症で自分自身をも忘れた状態にある。心と頭脳は死に近い状態にある。

父は死を待って亡くなった。母も死を待っている状態である。医療で生を得られている状態。

父の場合も母の場合もそうだが、自ら自死を選択できる状態ではない。それは大変な不幸ではないのか。

「飲むなら焼酎、死ぬなら卒中」と言われているが、死を考えずに亡くなる。それも不幸な気がする。

昔は癌で余命が幾ばくもなくても余命宣言はされなかった。

私の父は大変気持ちが小さい人物だったので、余命宣言はしていません。最後まで完治を信じていた。それが正解だったのか。

今年、義妹が膵臓癌で苦しんで亡くなったが、余命宣言はされたらしい。しかし、家族がいるから自死は選べない。生きようとした。それは尊いと思うが、過酷ではないか。

辛くても死ぬ訳にはいかない。或いは死を決行できない状態。死に方を忘れた状態と言うのは過酷ではないのか。

キリスト教は命は神から与えられたものだから自殺は禁止されている。

仏教での死は生きての修業が困難になったので、修行場所を涅槃に変えるとして自殺は肯定されているみたいだ。

その二つの考えのどちらでも無い私は、仏教に不信感を感じていても生きるのが辛ければ死んでも良いと考えている。

注射でさえ、大降りの鬱が降って来る私である。生きるのには向いていない。っとは言え、我慢できるまでは死を我慢すべきだとは思う。

そして我慢できなくなったら死ぬ。死ぬ時は死に方を覚えているうちに死にたいと思う。

「人は必ず死ぬ。それまで生きる」。それが人生の根本だと思うが、これは中々残酷な言葉だと思える。


ではでは。







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