ヤッちゃんパパ奮戦記

HFAの息子に啓発されて、化学を専攻した小父さんが畑違いの自閉症療育の世界へ。50の手習い、子育て奮戦記…

共生科学概論II~環境問題から共生を考える

2007-11-18 22:14:47 | 星槎大学


(「不都合な真実」を講演するアル・ゴア氏)

今週末は横浜でスクーリング。特別支援教育を専攻しているつもりの身としては、ちょっと専門性から外れる気もするが、共生科学科生としては、この共生科学概論IIは必修科目、よけては通れない。地球生物の進化の歴史と環境問題を扱った世界は、どちらかといえば好きな…というか趣味的な興味を持つ世界なので、息抜きにはちょうど良かった。

授業で使用されたビデオは殆ど私のDVDライブラリーにあるもの…というのも可笑しかった。

最後に、「地球環境とヒトとはどのように共生して行けば良いか?」という題でグループディスカッションをし、発表する課題があった。地球環境の問題は授業の中で6つの大きな問題が提起された。それは、
① オゾンホール拡大に絡む問題。
② 熱帯雨林の伐採の問題。
③ 酸性雨、酸性霧の問題。
④ 地球温暖化の問題。
⑤ 人工化学物質による環境汚染の問題。
⑥ ゴミ問題。
であった。

我々のチームは最も深刻な問題は地球温暖化の問題であろうと、的を絞りまとめた。少なくとも①、⑤、⑥は個別に規制を厳しくすれば住む問題であり、②や③は温暖化対策の一環として処理できそうに思えたからである。我々の報告内容は、

① 地球環境にヒトが及ぼしている問題として、最も大きなものは温暖化の問題であると考えられる。
② 温暖化の原因として最も注目されるものは二酸化炭素の排出であり、それを抑制するためには石化燃料の代替えが急務である。
③ 一番効率の良い代替えエネルギーは電力であり、手段としては原子力発電である。
④ 核技術の拡散、兵器転用のリスクという視点からはAPECの権限を強化し、国際的にこれをコントロールする機関が必要になる。
⑤ 具体的な石化製品の消費削減の大きな対象は自動車燃料であり、自動車のプラグインハイブリッド化が望まれる。
⑥ 石化燃料消費の削減は酸性雨対策にもなる。
⑦ 数十年先に砂漠化が予想されるアマゾン川流域や、地中海沿岸には海水淡水化プラントの建設を積極的に進めるべきであり、国連がイニシアチブをとり、ODA等の活用が望まれる。
⑧ 米国が京都議定書に賛同しなかった背景として、石油業界の利権問題がある。現状の延長には、米国の農業が近未来的に大打撃を被るとの予測があり、農業関係者の政治力の活用により政治的なパワーバランスを図る必要性を感じる。そのためには米国農業関係者に対する積極的啓蒙活動が望まれる。(政府広告機構のTVCMのようなものを国連が打てないか?)
⑨ バイオ燃料の使用のために、熱帯雨林を切り開きトウモロコシ畑に転用することは、大気中の二酸化炭素の固定という視点では、意義が見出されるが、接待雨林で生活する動物の場を奪うことになり、他生物との共生という視点では、好ましくない。
⑩ 原子力エネルギーの拡大にはとかく議論があるところであり、世界的なコンセンサスを得るためには、国際的に啓蒙・教育する機関の設立が望まれる。同時に短期目標(10年スパン)と長期目標(100年スパン)が求められる。
というものであった。

原子力発電の利用という点で、思わぬ物議を醸してしまった。森川先生も原子力発電には反対というご意見であった。立川で受講されている方から執拗に突っ込まれてしまた。時間もなかったので、「そういう方は、電気のない生活をどうぞ!」と切り口上で、議論を断ち切ってしまったが、放課後少しだけ、森川先生とこの点について話し合った。

原子力アレルギーという言葉がある。確かにリスク、それも尋常ではないかも知れないレベルのものがある。だから反対というロジックは分からなくもない。では代替え手段はどこにあるのか。電力でいえば、太陽光発電、風力発電、地熱発電、波力発電、いずれも大々的に使用されている石化燃料の代替え燃料としては、お話にならない程度に規模が小さい。水力発電…関西電力が黒部川上流に持つ大規模水力発電所の能力は、東京電力が柏崎に持つ刈羽原発の1機分にも及ばないことをご存知であろうか?コストパーフォーマンスで原子力に勝るものはない。放射性廃棄物の環境汚染という指摘もあった。プルサーマル方式で廃棄物は再利用が可能である。

原子力はリスクがあるのは事実だ。刈羽原発は私の自宅からわずか30Km。リスクを感じないわけではない。しかし現状を放置してリスクがあるからと原子力を避けて通れば、有効な手段は見えてこないのである。温暖化が進んで地球規模の未曾有の災害、生物種の絶滅などを考えれば、果たして原子力のほうがリスクが高いと言えるのであろうか?

我々は、確実に、有効な手段を採用しなければならない。きれいごとで済ます感覚は、総論賛成、各論反対的な、実は全く何も手を打てない状況しか生み出さないように思えてならない。
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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
講義お世話になりました! (同窓生より)
2007-11-19 23:14:46
共生科学概論。お疲れ様でした。
やっちゃんパパさん、ホント楽しそうな二日間でしたねぇ。

「あっ!これDVDもってる」
「これニューズウィークからだなぁ」
などなど。

そして最後のディスカッションと発表。

ある意味なるべくしてなった議論だったかと思いました。(立川の受講者もマイク持っていまかいまかと待ってましたから)

私が原子力活用の方向性を認識したのは、風力発電、太陽光発電など現時点でそれに変わる大体エネルギーがないという点でした。

ただ、素人ながらも原子力の危険性を考えますと永遠に活用できるものではないので、電力の消費減少啓蒙教育や原子力と同様の代替エネルギーを早く生み出さねばならないなぁと考えさせられました。

でも、こういった形で議論ができたのは楽しかったですねぇ!

追記:いちばんぼしリンク感謝です!できましたら…一番星をいちばんぼし(ひらがな)に変更いただけましたら尚うれしいです!!

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平仮名に変えておきました。 (ヤッちゃんパパ)
2007-11-20 06:01:21
同窓生さん、平仮名に変えておきました。
酔って帰った晩のこととは言え、気付かずに失礼しました。

さて、授業での原子力に関する議論の件ですが、正直言いまして、あのような場での話は机上論にしかならないということを十分承知の上で行っていますので、非常に冷めた感覚で見守っている自分が別にいます。

太陽光発電であれ、風力発電であれ、クリーンなエネルギーを本気で活用するのであれば、各家庭に1台ずつ発電装置を付けるぐらいのことをしなければ無理でしょうね…実現性がほとんどない話です。

原子力というか放射性物質の本当の怖さは、他の化学物質の汚染とは違い、生命の根幹であるDNAを短時間でズタズタにしてしまう力があるからです。当日お話ししました様に、ライアル・ワトソンは彼の著作「生命潮流」の中で、「生物は、貴方も私もDNAの乗り物に過ぎない」と語っています。普通の毒物はこの乗り物を破壊しますが、放射能は生命の本質を破壊すると言えましょう。

立川の方のご主張はよく分かります。しかし、我々は是非論ではなく、原子力という、いわばパンドラの箱を開けねばならないところまで、既に追い詰められていることを、冷静に受け止めなければなりません。横浜には原子力事業に従事される学生さんがいました。彼は原子力事故に対応できる医療技術が未だ確立していないことを理由に原子力発電には反対されていました。ところが、結核であれ、天然痘であれ、患者がいて初めて医療が発達する…犠牲のないところで医療技術の進歩はないという事実が見過ごされています。HIVにしたって、癌にしたって、人類がこれを克服するには、莫大な犠牲の上に更にどれだけの犠牲をこれから先必要とするのか、すら見当もつかないのです。東海村の臨界事故の犠牲者は、体内のDNAが大幅に破壊されました。我々は指をくわえて彼らを見守ることしかできなかったのは事実です。卵が先か、ニワトリが先かの世界が、否応なしにそこにはあります。

22億年前、原因ははっきりとはしませんが、生態系のバランスが崩れ、シアノバクテリアが異常繁殖したことがありました。そのため大気中の酸素濃度は40%位、現在の倍以上になりました。大気中には二酸化炭素がほとんど無くなり、温室効果ガスを失った地球は-50℃程に冷却されたと言われます。全球凍結。大きな生物絶滅が起きました。ほんの僅かの生き物が火山活動など地熱を利用できるところで生き残ったといわれます。今日の恐らくは歯止めが利かないであろう我々人類の人口爆発を見るにつけ、私には22億年前の事件がオーバラップしてしまいます。

一方で、被爆国日本の国民感情として原子力は「No!」という考え方もあります。米国スリーマイル島原発の事故、チェルノブイリの事故、被爆者を身近に持つ方々も恐らくは同じ感情を持つことでしょう。劣化ウランを使用した兵器に接した人もしかり。しかし、これは文化であり、文化はそのコミュニティー固有のものであって、普遍的なものではありません。スウェーデンが原発を止めたという話も有名です。これは人口密度の問題もあり、人口密度の低い国であって水力が豊富に使用できてこその話です。

でも、結局のところは、原子力は放射性廃棄物を生むからといった表面的な意見に押し流され、手をこまねいているうちに、手遅れになってしまう。数百年すら掛からないかも知れない先にある滅びがヒト宿命なのかも知れない…私たちは神になり損ねたサルに過ぎないのかも知れないとも、思うのです…。

ということで、この題材で3本目の自主レポートを書いて提出してみようかな、とも考えています。


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日本は世界の脅威か? (マドンナ)
2007-11-22 01:17:03
日本の原子力の開発力は非常に優秀で、これを兵器にいつでも転換できる~という点で、日本は世界の脅威 とも言われているとか いないとか・・・。

私の郷里は 青森県の下北半島ですが・・・被害があっても一番軽度な所だから・・という意味で 処理施設が作られたとも聞いています。

義父はH電力だったので・・・原子力の必要性はよく理解していますが・・・ いろいろな視点から 日本にある原子力を 世界の軍事の面から見るのも 必要な時期かな・・?と思います。もちろん、政治的にはタブーですが・・・(笑)
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リスクとは何か?・・・全てはバランスではと思えるのですが。 (ヤッちゃんパパ)
2007-11-22 06:50:54
仰るとおりですね。日本の技術は優秀で、もしも核武装なんて展開になったら、極めて短時間で核保有国になることが技術的には可能ですし、ミサイル技術にしったて北朝鮮どころではない、人工衛星の打ち上げ技術を転用すればICBMだってすぐに持てる状況と言えます。でも、そういうことはしない。今世界を騒がせているイランや北朝鮮はそういったレベルの技術がないからこそ…という側面も考えられます。

原子力=放射能という構図から、原子力は危険なものという考えと広島・長崎の被爆という事実が混同される向きをおかしい?と感じるのは私だけでしょうか?原爆の話は兵器という異常な状況下のことで、先の防衛大臣の発言ではありませんが、コジツケにしか過ぎない一部の米国人の論理を正しいとする考え方は容認できるものではありません。

原子力発電の持つ放射能漏れのリスクということについては、正しいリスクアセスメントがなされれば済む話です。リスクの大きさはその物質の本来持つ危険性の度合い(放射性物質は高度の危険性を持ちます)と暴露量によって決まりまります。いかに危険性が高い物質でも暴露されなければ問題がないことは明らかです。

例えばふぐ毒のテトラドキシンは極めて毒性の高い物質ですが、フグを食べなければ問題はないし(原発を持たない)、食べたとしても(原発を持つ)正しい調理法をしてあれば、何ら問題はない。この二つの話は等価であり、フグを食べれば「美味しかった。」という結果が得られます。最も今日の原発の話は調理人の腕を疑っているということなのでしょうが、免許を持ったフグ調理人が犯すミスと原発の放射能漏れのリスクを比較すればそれは遙かに小さいと言えます。

先日の刈羽原発と地震の話は、マスコミがやたらと興味本位的にこういった変形があったとか東電がきちんとアセスメントしていなかったとか報道していますが、近隣の柏崎市街(刈羽原発より震源地が遠い)があれだけダメージを受けたいわば直下型の地震に対し有害レベルの放射能漏れを起こさなかった、という事実は極めて重みがあります。

余談ながら、化学の世界では「全ての物質は毒物である。」と考えます。…医学でも一緒です。どんな物質でも閾値を越えて摂取すれば毒になる。ヒトが最も安全な物質の一つであると考えている水についても、一度に18リットル飲んで死亡した例が記録されています。…馬鹿げた話ではありますが。
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