ヤッちゃんパパ奮戦記

HFAの息子に啓発されて、化学を専攻した小父さんが畑違いの自閉症療育の世界へ。50の手習い、子育て奮戦記…

碓氷ゼミを通じて何を学びたいか

2007-09-20 07:16:09 | 星槎大学


3回目の碓氷ゼミが18日晩にあった。

そもそも、このゼミとの出会いはゼミナールMU2006に、これまでの自閉症療育の流れについてまとめた一文があり、TEACCHとカリフォルニア大のABAの実践について、一部に混同があったことを偶然見つけ、コメントを入れたことが切っ掛けであった。昨年末のことであったと記憶している。

たまたま当時読み終えた杉山登志郎医師のRDI完訳本の冒頭に、同様の歴史的記述がコンパクトにまとめられていたので、それを紹介した。その後話題が本質からずれRDIにのめり込む結果となった。本年碓氷ゼミの履修を決意したことは、このRDIの研究と自分の実践するSST教室での応用ということで、何かが出来るのではないか? 寄与できるものがありそうと思えたからである。

その後、RDIを少しずつ知るにつけ、それは僅か4ヶ月ほどの短期間でまとめられる内容ではないことに気付いた。されど、RDIを捨ててしまう気持は毛頭起きない。おそらくは、これから約10年間、息子が成人域に達するまでの長期的な研究テーマとして取り組むべき内容と確信した。その結果は、おいおい碓氷ゼミにも報告していくつもりではある。

ところで、現実問題として、碓氷ゼミでさしあたって何をするか? という別の問題がある。ゼミは今期単位が取れてしまったとしても、関わりを断つ気持ちは更々ないのではあるが、まずは今期、4ヶ月ぐらいの間ですべき短期目標が必要となった。

碓氷教授のご専門は経済学? 交渉術? ケースメソッド教育? と考えていくうち、ケースメッソドに注目するべきと思い至った。昨年Mayさんが作られたケースストーリーの完成度が高いことは、第1回目のゼミで、実体験できた訳で、まずは私もその延長上で療育に関わる分野のケースライティングをしてみることにした。立場上、荒削りな状態で、素材は周囲にいくつか転がっている。その一つをまとめてみようということである。これは、ライブラリーを充実させて行きたいという碓氷教授のお考えとも同じベクトルに乗るに違いない。

次に中期目標。これは卒論としてまとめることを念頭に置いている。2008年10月からか、その翌年からになるか、今のところは判然としないが、もう少し大きなテーマを考えている。

慶応大学で昨年卒論をまとめられた西田みづ恵さんは、社会人や大学生/大学院生を対象としたケースメソッド教育を、高校生に適用する試みをされた。私はそれを軽度発達障害を持つ中学生レベルの子どもたちへ応用してみたいと考えている。常識的にはかなり無茶な話であることは承知している。健常児に比べ軽度発達障害児は自己への気付き、あるいは他人が別の考えを持っているということに気付くという点について、発達の遅れを持つ。加えて、自分の意見をまとめるということが苦手である。更に難しいと言えよう。

一方で、これらの子ども達に対して、私はしばしば「ソーシャル・ストーリー」を取り入れてきた。ソーシャルストーリー教育もケーススタディではあるが、教える側からの一方通行の療育法である。それとケースメソッドとの橋渡しをする部分が欠落して、何もないのが現状である。そこをつなぐものが何か出来ないか? というのが、西田氏の発表を聞いていて思いついたポイントである。

ケースメソッド教育に初めて触れる時、社会人と大学生、本質的にはあまり年齢は関係ないのではと思える。高校生は少し違う。西田氏の工夫はその高校生にどのように応用するか? という点にあった。軽度発達障害を持つ中高生にレディネスがそもそもあるのかという点は、大きな問題と指摘を受けよう。確かに一般論で言えばその指摘は正しい。しかし、私が対象として考えている子どもたちは、未就学時代から早期療育を手掛けてきた子ども達である。つなぎようがない訳ではないと確信している。

そもそも、SSTの実施年齢についても種々の意見がある。近場の大学で大学院生の教育目的で実践されたセットメニューのSSTは当初高校生から始まった。あまり成果が出ないとの反省から中学生へと低年齢化を図ったが、今年は興味を持つ学生が居なかったのか中止となっている。当初これに子どもを参画させたある親御さんは、小学生位の低年齢でSSTを実施しても意味がないと主張して憚らなかった。

私はそうは思わない。中高生で初めてSSTを試みるという努力は尊いが、余りに遅過ぎるのである。私は、この年齢で初めて療育活動に接するのであれば、余程のことがない限り成果は出ないと考えている。富大の武蔵先生は、むしろ「SSTを中学生レベルまで積み上げた後どうするかということに難しさがある。」と指摘される。

私がSSTを始めるに当たって武蔵先生か教えられた大事なポイントがある。それは子どもが成長するにつれて、彼ら自身の考えを取り入れることの重要性である。「いつまでもお仕着せのプログラムであってはいけない。」ということである。これは私の座右の戒めである。ケースメッソド教育はこの方向性に合致する。

おそらくは、一般的なケースメッソド教育の内容を小説本に例えるならば、私の目指すところは絵本作りから始まると言えよう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やはり、柄にも無く泣いてしまった・・・

2007-09-17 08:54:13 | 子どものこと


(新郎新婦と前妻、そして子どもたち)


昨日は長女の結婚式。


感無量であった。


花嫁の父は、とかく何とかと言われる。

自分は大丈夫と、結婚式、披露宴に望んだ。

けれど、披露宴の最後にとうとう泣いてしまった・・・。


父親なんて情けないものである。

その父親が、祖父になる日も近いのかもしれない…。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

障害者の経済学

2007-09-11 07:49:49 | 書籍


障害者の経済学ってどんな本だろう?

この本の題名を聞いた時(正確にはメールで見た時)余りにも漠然としていて見当が付かなかった。今「碓氷ゼミ2007F」で読んでいる教科書の題名である。

著者の中島隆信氏は慶応大学の商学部の教授で、ご子息が障害者(どうも肢体不自由らしい)というバックグラウンドをお持ちの方である。最初は知的障害者の金銭管理?とも思ったが、それでは余りにも狭い範囲の話に終始しそうでピンと来ない。手にとって見てようやく分かった。障害者を取り巻く社会学を経済学者の視点でまとめた書物である。なかなか面白く、考えさせられるところも多い。お勧めに一冊である。

内容は多岐に渡り、一言では説明できないが、要は『障害者を差別するな』という趣旨であるように思える。「障害者を差別するな」という文言は、ありきたりで陳腐であり、なぁ~んだと思われることであろうし、そういう受け止め方をされることが著者の本意ではあるまい。

障害者を悪戯に手厚く遇するのではなく、尊厳のある一個人として扱い、彼/彼女達を取り巻く諸々の社会環境をフェアに整えるべきである、経済学が関与するであれば、例えば支援費制度についても、客観的に検討することが必要だということが述べられている。煮詰めてしまうと「障害者を差別するな」に帰結してしまうということではあるが…!

さて、この本の中にいくつか挿入されているコラムのひとつに『「障害者」という名称』というのがある。障害者の害の字が不適切だという運動の話である。何度かこの話題には本ブログやよそ様の掲示板で触れてきたので、ここで蒸し返すつもりはないが、一連の話の中で『障碍者』という文字を使う方が、居られることに触れたことがある。その時私は「『障碍者』にいたっては、全く訳が分からない。」とコメントした記憶がある。このコラムで著者が私と同様の思いからか、『障碍者』という言葉に触れられているのを目にして、一寸驚かされた。いわく;

「害」という字が不適切だという人もいる。歩けないことや目の見えないことを「悪いこと」とみなす表現だという。そのため、「障がい者」と平仮名書きにしたり、「障碍者」と書いたりする人も多い。『碍』は、「障」と同じく「さまたげ」という意味を持つ。この字が当用漢字ではなかったため、深く考えず「害」におきかえられてしまったらしい。

碍子というものがある。「送電線で電線を鉄塔に繋ぐ時に使用される絶縁体である。電気が鉄塔に流れてしまっては危険であり、無駄であるから、電気が伝わるのを妨げる目的で使用され、その意味から碍子と呼ばれる。」と説明すれば分かり易いかも知れない。『障碍者』という表現は私には馬鹿馬鹿しさを通りこして、滑稽にすら感じられる。過日「~にいたっては、訳が分からない。」と言った意味は、そういうことである。

前置きが長くなったが9月4日のFゼミはこの本を使用して始まった。最初教科書を購入していたのが私だけだったという理由から担当を振られたので、レジメを用意することになったが、2日しか猶予がない上におそらく未だ教科書を購入していない人が多かろうと考え、丁寧にまとめたら泥縄的にはなるし、序章と第1章だけで5頁にもなってしまい、結構骨であった。ともかくスカイプを使用したゼミの第1日目が無事終了。次回はのんびりできるぞと思いきや、第2回目も担当が回ってきてしまった(正確には私のところから回っていかなかった)。今回は2日間ではなく2週間の猶予がある。取りあえず範囲の第2章~第4章を読み終えた。これからまとめに入る。

9月5日。上越に戻ると、件のPCトラブルである。取りあえず優先度が高く、PCを使わなくても済む宿題、ビデオのコピーに取り掛かり、DVDを完成。お約束をした方々に6日に発送をした。

9月6日~7日。PCの修復を試むもインターネットが繋がらず。その間仮復旧したオフラインPCで、優しい子倶楽部と新潟教室の資料作りをした。

9月8日優しい子倶楽部。会場をレインボーセンターから市民プラザへ移し、初めて三人の買い物体験を行った。場所は原信(ローカルのスーパー)。指定した品物は全てそろったが、一回目では目的商品が見つからず(直ぐに諦めてしまった)出てきてしまい再チャレンジ、また、持ち帰りの段階で重さの分散(2リットルのお茶のペットボトル2本が含まれる)という考えが浮かばず、一人が大変な思いをした。等幾つかの問題点が散見された。

9月9日新潟教室。YSちゃんはご近所の子ども会の行事にごく普通に参加できるようになり、お友達もできたというお母さんからの報告。優しい子倶楽部の活動もあいまって、地域での活動に参加できるようになったのがとても嬉しい。思い起こせば最初にポーテージの活動でお会いした4年半前には、言葉もなく、お母さんの影にいつも隠れていたこの子がここまで成長したかと感慨ひとしおであった。

YT君は横浜発達クリニックで実施したPEP-Rの結果があがってきた。主治医である吉田友子先生のレポートにはいつも感心される。実に丁寧な子どもの観察所見(もっともこれは臨床心理士によるものであるが)があり、PEP-Rの結果はWISC-IIIと同様にその後の療育指針としては非常に役立つものである。「発達障害の判定とその教育的対応」という講座ではPEP-Rは扱わないが、それでも、この報告書をもう一段別の角度から読み取ることができるようになったことにも自分自身、気付かされた。星槎大学に感謝。

9月10日始発の特急で大阪に向かう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とっても暑い一日…Fゼミ始動

2007-09-02 21:46:17 | 星槎大学


9時少し過ぎ、横浜情報センターに到着。

余裕の2時間前到着である。訳がある。今日のゼミの最初のテーマである高校生を対象としたケースメソッドの実践についての送られて来た資料をまだ20ページほどしか読んでいない。約100頁もある膨大なものだ。正に泥縄である。

もっとも、本文は46頁、後は添付資料であった。文自体は平易で読みやすく、無事10時半前に完読。10時40分頃からボチボチ皆が集まりだした。

午前中は慶大、大学院の西田みづ恵女史のプレゼンテーションで始まった。正式には

「高校生ケースメソッドモデル」の探索と可能性の提示

という表題である。ビジネスモデルやローモデル、メディカルモデルを主体としたケースメソッドを高校生に適用してみようという試みである。プレゼンテーション1時間、質疑応答30分の予定が、質疑応答も1時間に延びてしまった。碓氷先生の批評ではまだまだこの研究は、学問的な視点での詰めが甘く、完成域には達しっていないとのことであったが、どうして、どうして、中々面白い。

私の療育活動に、大きなヒントを頂いたように思える。この試みから上がってきた成果が5点ほど述べられたが、そのなかで、この学習が「個々人別々の意見を持っているということを知るキッカケとなった」という高校生の感想が印象的であった。

では中学生ではどうであろう? という疑問は多くの必然性を含んでいる。高校は義務教育ではない。普通科以外に工業、農業、商業、水産、食物、被服といった職業科が存在する。それだけでも中学校に比べれば多岐化しており、個が異なるということを認知しやすい環境が存在する。反面、中学生は思春期に差し掛かり、精神的には大きな飛躍期になるが、こういった環境要因は単一であって、それだけに、「皆と同じが良い」という意識を持ちやすい。それが、発達障害児に対する偏見を生む土壌になっていないであろうか? 差別、いじめの芽になっていないであろうか? と、思い当たるのである。

高校生に対するケースメソッド教育が、他に対する気付きになるのであれば、中学生ではどうだ? 更に考えを巡らせると、例えばソーシャル・ストーリー、これは教える側からのワン・ウエイ教授法であるが、その延長にケースメソッドを位置付けた教育法が、連続体として構築できないか? 発達障害児に対する支援法としての有用性は? 考えがどんどん膨らんだ。優しい子倶楽部が中学生域に差し掛かった時に検証することを目標に検討してみたいと思った。

午後からは、山谷さんがライティングされたケースの演習。これも良く書けた教材だけに面白かった。2時間強。いろいろ討議する内に、頭の中では並行して、私自身が書こうとするケースの構想がほぼまとまってきたのを感じた。これは星槎大生を対象としたケースになるが、ほぼ確実に行けそうである。

授業のあと、碓氷先生と一杯やりながら、この構想の話しをさせて頂いた。感触は悪くない。

明後日からSkypeゼミが始まる。最初の4回ぐらいは「障害者の経済学」の読み下しとなる。終了間際に確認を取ったら、この書籍を購入済みなのは私一人と判明。明後日までに要約しなければならない羽目となった。

ともあれ、今日は大いに勉強になり、とっても暑い日と相成った。ポーテージの仲間には申し訳ないが、研究発表会を欠席してまで参加したこのゼミの価値は有り余るものであった。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする