ヤッちゃんパパ奮戦記

HFAの息子に啓発されて、化学を専攻した小父さんが畑違いの自閉症療育の世界へ。50の手習い、子育て奮戦記…

教育相談と社会適応

2007-12-16 22:14:10 | 星槎大学


大阪の定宿で一人PCに向かっている。小林晃一先生の二講目「教育相談と社会適応」を終えて、ホテルに戻り夕食。まずは、ブログを書こうかとPCに向かったが、どうも今回の部屋は無線ランの受信状況が悪く、途切れ途切れになる。少し苛付いて来たところで、眠気を催したので小一時間ほどベッドに横になった。今日は珍しく休肝日を決め込んでいる。

前項の如く火曜日に北陸に戻り、水曜日に「学校を巡る諸問題」レポートを仕上げ横浜情報センターへ送付。木曜日、遅くとも金曜日には届いている筈であるが、未だにWeb上では「提出」とならないところを見ると、事務処理が滞っている様子である。月内の提出が指定され、三日以内に提出と小林先生から発破を掛けられていただけに、いささか憤りを感じなくもないが、ま、情報センターの方を責めるのも、イササカお門違いというものだろう。

さて、金曜日に東京に戻り、土曜日に始発の「のぞみ」で再度来阪。ホテルにチェックインした後、東三国のスクーリング会場に向かう。8時55分頃到着すると、見慣れた顔が。富山の谷上氏である。聞けば同じ講座を受講するために、昨晩夜行バスで来阪とか。会場に入り谷上氏と雑談していると、長野の工藤さんがひょっこり。いやいや異郷の地(?)で同士に出会ったみたいな心持であった。

今回の授業はもっぱら不登校について。「不登校」と「ひきこもり」先ずはその定義が私の信じていたものと違うことを確認。「ひきこもり」とは家から一切外出せず、社会との関わりを断つこと。当然不登校状態にもなる。「不登校」とは単に学校へ行かないこと。その状態でも外出はする。…とまあ、こんな理解をしていたがこれは間違いであった。私が「ひきこもり」と思っていた状態でも、学籍がある即ち戻るべき学校がある状態であれば、不登校。学籍を失った状態が「ひきこもり」ということで、極めて分かり易い。

不登校に対する対応は、一にも二にも、学級担任を支援し、黒子となって子どもを学校に戻すこと。これに尽きる。「ひきこもり」であれば、学籍を作ることまで考える。不登校は状態に対し、学校へ戻すことは対処療法に過ぎないが、まずこれを行うことは、病気の原因が何であれ発熱がひどければ、まず解熱をという対応に似ている。不登校の理由が同あれ、家にこもって社会と隔絶させることが、その子にとって良いことである筈は無いからである。

更に踏み込んだ解決は、個別の様態が違うため不登校の数だけ異なった方法があると見るべきである。したがって、その対応は常にアドリブ的要素が必要となる。何やら「俺流ポーテージ」や白木先生のRDIと似てきた。但し、主役は子どもであるにせよ、支援対象者は学級担任である、この場合は。臨床活動には、何やら共通性があるということなのであろう。アドリブは経験を積まないと難しい。百科事典並の大量の事例集を読んでも、意味が無いとは言わないが、知識として活用は難しいに違いない。

その点、小林先生の授業は、彼の実体験に基づくノウハウの共有であり、生きた知識であるといえる。二日間の授業を聞く間はその後の内容に無限の可能性を秘めており…それは、こちらの質問如何で、どのようにも展開できるという意味で…、終わってみれば有限の量の知識の塊であって、その量は百科事典には比べようも無く小さいかもしれないが、それでも生きた知識であった。今回のスクーリングで学んだことは、ものの考え方、アドリブ的な対応の取り方のセンスに関するヒントであり、「A」という様態に対して示された「イ」という対応を取れということではなく、それは「ロ」であっても「ハ」であっても構わない。その対応を生きたものにするためには、どういった道筋を考えるか? ということの大切さについてである。いい勉強が出来た。教科書が無いのは正解。レジメが無いのも正解である。この授業は来春以降再聴講してみたい。

さて、昨晩は大阪で金子先生のスクーリング生と合流して懇親会。金子先生とは芦別以来である。伊藤一美先生とも再会。一美先生は卒論指導があるとかで懇親会はパス。ビールも入り、何やらいい心持担ってきたところで、いきなり携帯が鳴り、いや震えだした…もっとも、携帯に限らず電話が突然鳴り出すのは、電話の特性であるが…発信人を確認すると富山の橋本伸子先生。1月のポーテージの認定相談員の事例研に一緒に出てくれというお誘い。私は今年出ているので、3年に1回の要件は満たしているが、彼女は今回必修。「伸ちゃんのお誘いじゃ断れないか!?」と酔った頭で思い、安請け合い。かくして年内に書かなければならないレポートが更に1通出現と相成った。今回はYT君で行こうと決意。週休明けに手続きに入ろう。

ともあれ、結局小林先生、金子先生、工藤さん、愛知の神田さん、大阪の山本さん、6名で2次会まで…楽しい一晩であった。おかげで今日の講義も結構盛り上がった。今晩は 碓氷ゼミのケースの原稿書きを進め、明日午前大阪で仕事。午後は品川へ。相変わらずの師走…いや、我走る、である。
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不登校は・・・ (マドンナ)
2007-12-16 23:33:00
不登校の子を 学校に登校させることが 何よりも大事。という社会的なレベルでは もはや無いのに??と感じました。

不登校になる理由は 子どもそれぞれに違います。まこちゃん(中学生)だって 先生が「精神疾患を持っている+小学校の算数ができない」などなど他多数の問題があるなど、先生自身がたくさんの問題を抱えても 学校の先生は首にはならないから・・・子どもは 自分が傷つけられるわけですから学校には行けません。
文部科学省は、問題のある先生についての施策を発表されていましたので、「特別支援学級に問題のある先生はたくさんいます。これ以上、よこさないでください!」と話してきました。
 
学級に行けないのか? 学校に行けないのか? それを見極めるのも・・・子どもにあった対応という事になりますが、たくさんのサポートをしてようやく 子ども達は通っています。
それでも、自分の学級に通えないとか・・階段を上がれない・・という子ども達もいますから、学校内の違う場所で教育支援が行われています。カウンセリングルームや、保健室や、会議室も 教育支援の場になっています。

通えない子どもは もっともっと根深い傷を負っています。
その子ども達を学校に無理矢理 通わせるのは 良い方策とはいえないと思います。私自身も不登校の経験があります。
不登校の原因は 学校だけでなく複数の原因も考えられます。
子どもを支援するためのチームは 特別支援の校内委員会でうまくサポートできると良いのですが・・・学校それぞれに対応が全く違いすぎる学校という教育の世界は、命令系統が全く無いのか?と思うほど奔放な場所に見えます。というか、こんなにいい加減でいいのか?と感じて・・・最近、脱力感を感じています・・・学校に通わせることそのものが、もしかして無駄なことなんじゃないのか? とか・・・
列車の運行だったら、即、脱線するな・・・と思いつつ・・(暴言?)時々、このメビウスの輪につかまりますね。抜け出るのも早いんですけど、やっぱり時々、つかまっています。(苦笑)

文部科学省が諸外国のホームスクールに準じるような制度を作るとか、何らかの「教育の権利を保障する制度」を作ることが必要です=と、文部科学大臣に国民対話で意見してきました。
渡海文部科学大臣は「個人的には、子ども達に必要だと考えている」というお話しでした。
だからといって、すぐに施策ができるとは思えませんが、言うだけは言ってきたぞ・・です。
子ども達の支援の きっかけになると良いのですが・・。

個人の気持ちと 一般論は違うので、右から左に受け流してください~~~♪
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これもやっぱりダイナミック・インテリジェンスの問題 (ヤッちゃんパパ)
2007-12-17 08:07:53
不登校の原因は千差万別ですが、小・中学生の不登校児の2/3から70%の例で、「いじめ」を理由に挙げているといわれます。これには単に同級生による「いじめ」に限らず、教師の不適切な対応、不用意な発言も含まれます。これに対して高校生はあまりいじめを理由とすることがないという統計もあります。

表面上に現れる理由の如何に関わらず、不登校の根幹には当該児の自己肯定感に著しい低下が、認められます。果たして不登校児は本当に学校へ行きたくないと考えているのでしょうか?「自分に合わないから」、「自分が嫌な環境と思っている環境に自分自身を合わせられないから行きたくない」ということが、あるのであれば、先ず自己肯定感を高めることが必要です。

「頭が痛いから」、「お腹が痛いから」という理由付けで始まる不登校。インフルエンザ(登校停止になる)、虫垂炎、結核といった特別な症例は例外としていわゆる風邪などで休む子どもは、概ね三日後位には登校を再開します。逆説的にいえば3日を超えて、上に挙げた様な理由で学校を休みたがるという現象は不登校の兆候とも言えるのですが、普通はこの程度のことでは、親も不登校とは考えないでしょうし、考えたくもないでしょう。

不登校になった子どもに、例えば「いじめはなくなしたから」といった説明をし登校を促すといった手法は、ほとんど意味がありません。朝、寝床でぐずぐずすして、学校へ行きたがらない子どもに、「明日7時半に先生が向かいに行くから、支度をして待っていろ。」というのもだめです。不登校児に学校へ行く、その気にさせる、という心理状態は決して自分の内部からは沸いてきません。「明日7時半にいくから、寝床で起き上がらずに待っていろ。」これは出来るんですね。直接学校へ行くことと、結びつかないから。で、先生の言った通りにしたことを、褒める。もし起きていたのなら、それも褒める。決してその場で「じゃあ、学校へ行こう」と直接的に圧力を掛けない。「コフート理論」というのだそうですが、何のことはないABAのシェーピングと強化なんですね。スモールステップで自己肯定感を高めていく。

G県のある女子中学生は先生に「死にたい」と言ったところ、その担任の先生は「死にたいといって死んだ奴はいない」と切り返したそうです。その子が自分の苦しい気持ちを更に表現するためには、「本当に死ぬ」という行動を取る以外、選択肢が残されていませんでした。そして、校舎の屋上から飛び降りました。実際にあった話です。もしこの時、先生が「君は、今、死んでしまいたいような気持ちなんだよね」と答えていたら同じだったでしょうか? 傾聴、受容、共感というカウンセリングマインドが必要ということです。

スモールステップであれ、蜂の頭であれ、不登校児が学校へ一回登校したら、それで終わりということではありません。その後4段階に亘るケアーのステップを踏んで、やっと平常な状況に辿り着けると言われます。それには最低でも3ヶ月、まあ一学期は掛かると考えなければなりません。その間に根本原因に対する対応は当然必要であり、だからこそ解決策は不登校児の数だけ、あるいはそれ以上あるということになります。全ては流動的、ダイナミックな社会生活の中での出来事だから。

私が舌足らずだったので、誤解を招きましたが、実は私も最初に小林先生が「不登校の対応は先ず学校へ戻すこと」と言われた時に、マドさんと同じ思いを持ちました。その後、具体的に小林先生の話を聞いていくと、「なぁ~るほどね」と思える話が本当に豊富でした。彼は上信越地方で800を超える不登校問題を解決してきたエキスパートです。
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母が私にしたことは・・・ (マドンナ)
2007-12-18 00:12:38
私が不登校になったのは高校生の時でした。
母が私にしたことは「学校に行かないのなら、家の手伝いをしなさい」と強要することでした。本当に使用人のように こき使うわけです。もう半端じゃないくらい 暴言を吐きながら指示をする母親の態度は鬼のようにすさまじい・・・。
私は思いあまって・・・制服を着て、カバンを持って 通学するふりをして・・・どこに行く当てもなく1日中 とぼとぼと歩いてさまよっていました。昼を食べることもなく、時間になって家に帰ると・・激怒した母親が玄関に立っていて、暴言を吐くわけです。母は言いました「親の言うことが聞けないなら、死になさい!」と。
ヤッちゃんパパの書かれた文を読んで思いました。
「死ねば良かった」って。そうしたら、暴言を吐き続けた親に復習ができたのにね・・・一生忘れられないくらいの心の傷をつけられたのにね・・・って。そう、心の中のチルドレンが悲鳴をあげている声を聞きながら、今でも まだ心の傷は本当には治ってはいないことに 今更のように気づかされました。

母は「専門家」「不登校のエキスパート」と呼ばれる人に不登校の対応を相談して、私に そのようにしたのだと、大人になってから聞きました。その専門家を、ぶん殴ってやりたい!と本心、思いました。

その後の私は どうしていたかというと、ボーイフレンドの家のお母様が 私の居場所を提供してくれて、雨風にあうことなく 一時的にでも心の居場所を持つことができました。
「自分の気持ちが落ち着くまで、ここにいていいけど、自分の気持ちが決まって、将来、何が自分のために良いのか、考えがきまったら、そのようにしたらいいんじゃない? 自分のことは自分で決めるのよ。」
誰に強要されたわけじゃなく、私は 親からも環境からも自由になりたい一心で、高校くらいは卒業しなくちゃ・・・と決心して、学校に通いました。
「自分の自由をつかむために」
ようやく自由になれたのは「結婚」という理由で「家を出られた」時でした。はじめの結婚は両親に強要されたものだったので、離婚をしようとやっきになっていました。離婚に費やしたエネルギーも時間も不登校の何倍もかかった気がします。
心の傷がいえることは 無いのかもしれません。

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思わぬ展開に… (ヤッちゃんパパ)
2007-12-18 06:32:58
いやぁ、思わぬ展開になってしまいました。

今まで、ここまで立ち入ったお話をお聞きしたことがなかったので、一寸驚いてはいるのですが、ご苦労なすったのですね。

マドさんが不登校になったのは、高校生。G県の事例は中学生。もちろん個々人の状況の違いや気持ちの持ち様、あるいは気持ちの強さの違いとか、いろいろな要素の違いはあるかとは思います。図らずも高校生になると不登校の理由に「いじめ」を挙げる子が少なくなると書きましたが、一つにはヒトとしての成熟度の違いということも、あるのかも知れません。

何はともあれ、自殺なんてしなくて良かったですねすね。不登校ではありませんが、いじめによる自殺は時々マスコミを賑わしましたが、一頃に比べてそういったニュースが少なくなったと思いません? 実は報道自粛がされているんです、最近は。もともと、いじめによる自殺は、自殺者の中では統計的には極めて低い比率であり、「大騒ぎをするほどではない」と言ってしまえば語弊がありますが、自殺者が「0」になることはないという現実と照らし合わせると統計的には無視し得る比率なんです。ただ、ニュース性あるいは話題性があるために報道する。すると真似する子どもが出てくる。…この事実が報道規制というものを呼び起こしました。閑話休題。

問題の不登校のエキスパートがどのような方なのかは分かりませんが、俗に言うスパルタ式。失礼ながら、時代的には比較的ポピュラーだったかも知れません。アニメでは「巨人の星」「アタック・ナンバーワン」なんてスポ根もの全盛だったのでは? 思い浮かべるのは戸塚ヨットスクール。戸塚氏がエキスパートかどうかは分かりませんが、彼のやり方で不登校を回避した人も居ることは居る。だから全くは否定できない? ということはあるのですが、まぁその方法が合う子どもは少ないでしょうね。その子どもに合う方法でなければお話にならない。だから定型のプログラムに当て嵌めるようなことでは、建設的ではないのです。

お母様にはお会いしたことがないので、よく分かりませんが、それなりにご苦労なすったのかも知れません。ボーイフレンドのお母様の存在、対応は本当に救いだったのでしょうね。子どもが自分の身を守れる。安心できる場があるということが、この問題ではキーになるということでしょう。マドさんがその後学校へ復帰されたかどうかは見えませんが、今社会と隔絶された存在でなくQOLを持って生活できているという事実が大切なことです。

本当に自殺なんてしなくて良かったですね。
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中学の時のいじめ (マドンナ)
2007-12-18 07:57:19
私は ヤッちゃんパパがご存知の通り、自分の「意見・意志」が強い方です。それが 田舎の中学では異色ではありました。
学校内の 警察署長・教頭の娘達が徒党を組む お勉強のできるグループには 指示に従わないと 3年間、本当にひどい いじめを受けました。
それでも学級でいじめがあっても、学校全体では別で、各学級のリーダー格の男子が「アン・フェアないじめは赦せない」と守ってくれたので、助かっていました。
が・・・家で 「学校で こんな事があって大変なの・・」と話をすると、「おまえが悪い!」「おまえに すきがあるからやられるんだ!」と父親。「私はあんたの事には一切関わらないから自分の事は自分で解決しなさい!」「まったく、恥ずかしい奴だ・・」と母親。
家の中には 私の精神的な居場所など全くなくて、学校にいるよりも家にいるほうが、地獄だったように思いました。
教科書が無くなれば、隣のクラスの男子が貸してくれ・・上靴には画鋲が入っているなんて普通でした。体操着が無くなったり、自転車がパンクしていたり・・・
2年生の時には 他にも被害にあっている生徒がいることがわかり 私は自分のことは友人達の支援もあって守れるけど、他の子は・・・と思い、校内支援ネットワークを作って、いじめの気配のある子達を支援する(帰宅時に一緒に付き添って 1人にしないとか・・困ったことを聞いてあげるとか・・)ことをしていました。
中学・高校と精神的にハードだな・・・と思っていたのですが、国鉄に入社したら もっとハードな世界だったので、学生時代のいじめ体験がかわいい次元に感じるほどでした。
そして、今は息子が障害児・・・一生、精神的に楽な時間は無いのだろう・・・とあきらめています。
ときどき・・死ねば楽になれるのだろうか・・と 今でも思いますよ。だけど、息子を殺すわけにいかないから・・息子の時間をサポートするために生きている・・そんな感じです。
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一生の傷 (マドンナ)
2007-12-18 08:28:24
不登校もいじめも 大人になってからも心に傷が深く残ります。琴線にふれる話題だと、その時のことが まるでその時の傷のままによみがえってきます。
子ども時代に負った傷は 一生に影を落とします。
人間関係の形成には 特に強く影響がでると思います。

国鉄・民営分割の戦国時代には・・この体験のおかげで、精神的に強く、職場全体から孤立しても自分を保つことができましたが、身体は悲鳴をあげていました~点滴で仕事をしていました。私はどちらかというと 戦闘タイプ(苦笑)精神的な戦争に闘って道を拓こうとするタイプかな・・・。
進むのも(仕事) もどるのも(家) 寝ても癒されない・・永遠の闘いのように思っていました。
臨戦態勢はいまも変わらないかもしれません(笑)

不登校・いじめの問題を 子ども時代の一過性のものと考えてはいけません。その事が 大きな原因になって、いまだに社会人として仕事ができないでいる子ども達(大人になった子ども達)もいるのだということを 知っていただきたいと思います。

いまは、ヤッちゃんパパに話を聞いてもらったり、 思いっきり話ができるとほっとします。
主人には できない話なので・・・家ではあいからわず 仮面をかぶっています・・・。
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