ヤッちゃんパパ奮戦記

HFAの息子に啓発されて、化学を専攻した小父さんが畑違いの自閉症療育の世界へ。50の手習い、子育て奮戦記…

RDIのポテンシャルについて考える

2007-02-28 09:10:23 | RDI

このごろ、RDIばかりの気がする。

書き込みが少し遅くなったが、「月間実践障害児教育」の3月号に記載された白木先生の文章を読ませて頂いた。バクボーンとなるRDIの発達理論と指導方法の概略について解説した内容であった。それはそれでよくまとまっているように思える。

先の杉山医師監修の和訳本について、そらパパさんが書いたコメントにあるように、その発達理論が正しいか否かという疑義については、簡単には結論は出せそうもない。確かに従来からの、例えばABAの理論的立場からすれば、客観性があるのかという、そらパパさんのご指摘は正しいように思える。しかし、他方で、この理論がピアジエの発達論を遠いルーツに持つ、認知論をベースにした発達論である以上、この批判は行動論対認知論、立場的論争の域を出ないのではないかと思われる。極端な話、行動論派の学者は同じ視点で太田ステージに対しても同様の批判をし得るからである。臨床家の立場で言えば、余り良い表現ではないが、「火事場で、どちらの鼻の頭が赤いか?」といった論争をしている様で、余り価値のある議論には思えない。

一方で気になるのは、この文章を読んだ読者が「自閉症を治療する」、極論的に言えば、「自閉症は治る可能性を持つ」という考え方に、どこまで興味を持てるであろうか?この考え方が正しいかどうか?ということはちょっと脇に置いておくにしても、こういった極端な物言いに疑いを持つヒトはいるであろうし、RDI自体を怪しいプログラムと受け止めてしまうヒトも、必ずしも少なくはないのではと思える。

過去においても「自閉症は治る」という看板を揚げていたプログラムがなかった訳ではない。しかしその大半は眉唾物で、良くて一部のHFAやASPの人たちの一部のこだわりが緩和される程度のものであったと言って良いだろう。いわばメッキを貼ったようなこれらの療育は表面上、自閉症が軽減されたように見えても、般化の問題から抜本的な改善は出来ず、内面的に自閉症特性が色濃く残っているために、時にメッキが剥げることは、ごく普通のことである。多くの臨床家が散々経験して来ていることだけに、諸刃の剣になりかねないポイントではないであろうか。

発達のツマズキが生じた時点まで戻って、発達の再構築を図るという考え方は、まず机上では素晴らしい。現在のところ、RDIについて深く知っている訳ではないので偉そうなことは言えないが、当然その発達の流れにはある程度の幅(フレキシビリティー)は考慮されていることとは思う。問題はヒトあるいは発達障害児の発達の仕方のバラツキが果たしてその中に収束しうるか?つまりヒトの発達パターンが、そもそもその様な単純な形で収束しうるものであるか?という疑問である。

例えば、自閉症児は同時に二つ以上のことをパラレルに実行することが苦手であるといわれる。講義を聴きながらノートを取る(この二つの事象には必ず、時間的なずれがある。ノートに何かを記入しながら、先行する教師の話を聴き、記憶に留めなければならない)ことが苦手である。その根本原因が脳の器質的問題に根ざしているのであれば(これも仮定の話ではあるが)果たして、訓練で解消できるのか?ということである。適切な例かどうかは分からないが、ピアノがうまく弾けるようになるという行動は、シェーピングや強化の原理で説明をすることが出来る。しかしシェーピングとしていくらスモールステップを切って、トレーニングしてもヒトは鳥のように自由に空を飛べない。これは生物としての基盤に根ざす理由からである。自閉症が脳の気質障害であるのであれば如何なのだろう?

いずれにしても結論は未だ出せない。

ハッキリしていることもある。過去に再三言ってきたように、RDIは発展的療育プログラムである。RDIはASD(自閉症スペクトラム障害)を対象にしていると謳っているが、ASDなら全てが対象になるということではなく、ある程度の基盤が出来ていなければならない。ABAで全く表出していない行動が強化できず、シェーピングプロセスを経なければならないように、RDIにもこの操作は必要である。RDIでは初期のシェーピングに当たる部分(例えば最初のアクティビティの前提条件が整っていない場合)を自らのプログラムに持たず、ABA等の他の手法を用いなければならない。その意味で、このプログラムはHFA、ASPあるいは軽度発達障害児・者を対象としているといっても良いのかも知れない。

それから、もう一つ親が担い手になること。家庭重視のプログラムであるということである。学校や通園施設といったいわば短期間の療育場所には、理念上余り向いていないということもあるのかも知れない。

ただ、多くの批判要素があったとしても、そらパパさんが言うように:
『(そこには)他に類を見ない「対人関係を体系的に療育するプログラム」が残るのです。「プログラムを実践した結果」の評価が残されているのです。もし、このプログラム自体に大きな効果があるなら、理論的背景が弱いという批判は、実はどうでもよくなってきます。親からすれば「理屈はどうでも、良くなればいい」からです。』
という点こそが、重要である。

ゼミナールMU06にゴット先生の
『「1990年代以降自閉症理論の停滞が目立ち、臨床心理家・グループホーム運営者・ケアマネージャーなど実務家が、古ぼけてきた地図に頼り切れずに自分でノーハウを開拓するという重荷を背負わされている」とメンタルヘルス実務家たちがぼやいているのを聞きます。』
というご意見があった。私には理論が停滞しているのではなく、マチュアー(mature:成熟したという意味)な状況にあるのだと思える。1960年代後半に自閉症の原因が『親の育て方』という情緒論から、『脳の機能障害』という大きな転換を経て、以後約20年間は多くの自閉症療育論が世に出て、活発な様相が見られた。それが出尽くせば当然そのレビューをベースにした模索が始まっていく。大学や例え大学院で学ぶことであっても、それは基本的には基礎の部分に過ぎない。真の応用・開発分野はダイナミックな現場にしかないと極論しても良いかも知れない。これは療育に限った話ではない。

そういった意味で、これからジックリとRDIを学び、そこから抽出したものを試して行きたいと、思う。

今日のJUDEVINEの言葉です。
…If you treat an individual as he is, he will stay as he is. But if you treat
him as if he were what he ought to be, he will become what he ought to be and could be. ―Goethe
もし、そこに居る一人の個人を、彼があるがままに扱うのであれば、彼は何等変わりはしないであろう。しかし、もし彼はこうあって欲しかったと彼を扱うのであれば、彼はその様に変わっていくことだろう。―ヨハン・ウオルフガング・ゲーテ
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ある日曜日

2007-02-25 16:27:27 | 子どものこと


気分転換に出かけた。予定していたことの大半を放り出して。

書こうと思っていたレポートは来週でもいい…。
工作も途中までで、いい。
滅入った気持ちでやったところで、碌なものにはなるまい。

ことの成り行きの是非はともあれ、人を傷付けてしまったという思いは、傷心に更なる負担を強いる。

黙って聞き流せば良かった。
その通りだとうわべだけの同調をしておけば良かった。
なんてお節介なことだろう。
全く無用なことをしているようで、自分自身がなんて嫌な性格なんだろう…と、自己否定感が募るばかりだ。

参加を予定していなかった町内の子ども会の行事に急遽参加させてもらった。ビュッフェスタイルの焼肉屋でワイワイ食事をし、ボーリングを3ゲーム投げてきた。子ども達には癒される。何か、何時もヤッちゃんには助けてもらっているような気がしてならない。頑張るぞという活力を貰っているのはこちらの方だ。

……


スイッチ入れ替え!さあ残りの時間今日も頑張るぞ!
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またまた、RDIが気になる…

2007-02-23 18:18:59 | RDI


ゴット先生から
Relationship Development Intervention With Young Children: Social and Emotional Development Activities for Asperger Syndrome,Autism, Pdd, and Ndl
の抄訳である、『RDIレベル1Activity集の解題と和訳Feb'07』を頂戴した。

ゴット先生からメールも頂戴した。
Relationship Development Intervention With Young Children: Social and Emotional Development Activities for Asperger Syndrome, Autism, Pdd and Nld
のレベル1の下訳をすることになった。

若い頃はゴム協会の依頼で、毒性学や医療関係の文献抄訳をした経験もあり、今日でも社にて多くの毒性学に関係した欧州法規などの翻訳も手がけている。理系の技術屋としては、比較的意訳をする方であるとは思うが、頂戴した先行抄訳を見ると、私以上の意訳が目に付く。それが良くこなれた日本語なので、読みやすい。本来、単語の整合性を取りながら訳すべきであろうが、まずは自分お言葉で訳してから考えようと思ったりしている。

ゴット先生の解題のなかで
「RDIのプログラムでは、常に出来るだけ早く障害者自身が、(褒美を目当てにではなく)見たり聞いたりすることに好奇心を抱き、ワクワクするために自ら周辺の世界への関心を強めることを願っている。『何が起きているのだろう、面白そうだな』と彼らが考えるようになることが肝心なのである。」
という一節が合った。

応用行動分析で言う自己強化の状態に相当する。自閉系の子どもたちの療育は、一次強化子(例えばご褒美に与えるお菓子など)から始まり、その子に合った二次強化子を如何に見つけるか(言葉によってほめたり、拍手をすることが必ずしも有効ではない)、ということが、苦労するところであるが、自己強化は通常の二次強化子を使った状態よりも更に難しい、高度なレベルになる。

これは健常児の学習と比較すれば分かり易いといえよう。「自分から勉強を進んでするとい状態が何歳ぐらいから芽生えるか」ということを考えれば、お分かり頂けるであろうが、幼児期にこの状態になるということは、健常児であっても通常は有り得ないことである。ねこたまさんが幼児期の適用は難しいと言ったことが、これからも裏付けられる。

だんだん、のめり込んでいく様だ。必然性があるなら仕方がない。RDIは面白い!

ところで、横浜関内にRDIの二人目の認定指導員が居るとの噂を聞いた。白木先生はご存知であろうか? 現時点では2人目だそうだ。
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RDIが気になる…その2

2007-02-21 08:53:32 | RDI


京都市児童福祉センターの児童精神科医であられる門眞一郎医師は、ご自分のHP「児童精神科医門 眞一郎の落書帳」の中に、かつて多くの自閉症関係の文献を訳された「他フンのページ」というのを持っておられた。最近はアクセスの仕方が悪いのか、見当たらないが、結構な労作である。(後で、第1分冊の第5章にあることを再発見しました。正確には「他褌書」でした。) 彼曰く、「翻訳なんてものは、所詮は他人の褌で相撲を取っているようなもの。だから、他フンのページである。」

ということで、今日も半分は、白木先生の文章を引用させて頂き、私も他フンを決めさせて頂こうと思う。

さて、昨日のゴット先生の質問に対して、私は自分の意見をハッキリ持っているが、と書いた。図らずも白木先生のご意見と一致しているように思える。白木先生の回答は、以下のようなものであった;

*****************************************
質問ありがとうございます (白木)

2007-02-20 22:33:00

私の敬愛するMilton H. Erickson はセミナーなどで質問されたときには、たいていの場合、“That’s reminds me a story. “と長々と語り始めた、との逸話が残されています。

そうですね、とりあえず思い出されるのは京都の竜安寺のことでしょうか?
名古屋から京都は結構近いのです。新幹線なら40分弱で行けるのですよ。

日帰りでも十分楽しめ、お寺や観光名所だけでなく、その気になれば祇園近くの花見小路でうまいものを食べ、先斗町のバーやジャズのライブハウスに立ち寄ったりしていても、最終ののぞみ(10:45)に飛び乗れば、何とかその日のうちに家につけるのですよ。

私は決して京都通ではありませんが、なぜか、竜安寺は好きなのです。

竜安寺は臨済禅のお寺で石庭があまりにも有名ですが、実は裏庭に蹲踞(つくばい)という、小さな石の水桶みたいなものがあって、そこの中央の水穴を「口」の字に見立て、周りの四文字と共用して、「唯吾足知」と読めるようになっているのです。

これを文鎮にしたものがみやげ物として売られているのですが、私の本棚にもほこりをかぶって放置されています。

もう一つお土産としていいのは、臨在禅の象徴ともいうべき禅の十牛図の版画集でしょうか?実は私は臨在禅よりは曹洞禅のほうが好きなのですが、この十牛図はとても象徴的で気に入っています。

日本の曹洞禅の始祖、道元が開いた永平寺に行って泊まったことがありますが、あそこは修行が第一で、修行僧たちがその他の生活の雑事には悩まされないようにとてもよく構造化されていたな、という印象を受けました。

でも、そこの中堅のお坊さんが、「この寺は修行として厳しい面はあるものの、とても保護された環境なので、いつまでもとどまっている場所ではない」ので、自分はもうすぐ寺から外の世界(娑婆)に出るつもりだと、語ってくれました。

あと思い出されるのは、スッタニパータにも紹介されているお釈迦様(ゴーダマ・シッタルダ)の説話にある「無記」という言葉でしょうか?

Steve Gutstein は good enough solution なんてことを言ってます。そうそう、私が雑誌に書いたMESSIの部分は読まれましたよね。

人それぞれ生活スタイルは違うと思いますが、私は好きなものから先に食べる方です。

おいしいものを後にとっておいて、そうでないものから口にする人たちも多いかと思いますが、・・・。

食べ物でも酒でもそうですが、ちゃんと味わえるのは最初のうちだけなので、私の場合は。

*****************************************

素敵なお話ですね。比べてみるに自分の物言いはなんとASP色濃いストレートなものかと、反省させられました。でも、これはそう簡単には直りません…!で、私は続けて自分の意見を書き込んだのですが…

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
…難しいお答えですね (ヤッちゃんパパ)

2007-02-21 02:50:31

白木先生がどのようなお答えを返されるか、非常に興味を持っていました。寓意的でなかなか旨いご返事ですね。感心致しました。

20年ほど前の話になりますが、私はタイのプーケット島のパトゥーンビーチというところに行きました。そう、先の大地震で津波の大被害にあった場所です。仕事柄アジア太平洋地区の業務カンファレンスが経費の安いプーケットやペナンでよくあり、出かけたのですが、それは初めてのタイへの旅の時でした。夜の12時を回っても不夜城のような露天に近いバーでビートの利いた騒音のような音楽の中、数人でビールを飲みながら歓談していた時のことです。突然背中をトントンと叩かれました。

振り返ってみると、年端も行かない子どもが、そう6歳ぐらいでしたでしょうか、首からかご下げ、タバコをもって、売って歩いており、一つ買ってくれないかと、現地語でしたのでよく分かりませんが、ともかくそういうそぶりでした。当時喫煙習慣があった私は裸足のその男の子を見て、可愛そうに思い一箱買いました。その後、周りを見ると、そのような子どもは沢山おり、熱帯の花や貝殻で作った首飾り、花束、いろいろなものを売って歩いている子ども達が目に付きました。

貧しさ故でしょうか、年端の行かない多くの子ども達が夜中に、物を売って歩く姿に驚きを持ち、切なさを感じました。帰国後父親にその話をすると、父は「登(私の本名ですが)、お前がタバコを一箱買ってあげることは出来ても、真の意味で、その子たち全てを貧しさから救ってあげることは、個人の力では到底出来ない。仕方の無いことだよ。」と慰めてくれました。私の持てる全てを投げ出してもそれは焼け石に水。かといって、まさかよその国へ行って革命戦士の真似も出来ません。それが現実ということなのでしょう。

自閉系のお子さんの早期発見、早期療育の重要性は今更言うまでもなく大切です。RDI、TEACCH、太田ステージ、ポーテージ、いづれの手段であれ、早期の介入が望まれます。一方で乳幼児期のハンディーキャップを持つ子ども達にとっては、親が全てであり、親の介入なくしてこの早期療育は始まりません。換言すれば、親が障害を受容するまでは、何も始まらないということです。

ゴット先生が事例に挙げた状況のみならず、受容が出来ずに思春期を迎えてしまった子ども達は、私達の周りにも沢山います。これらの子ども達をどうしたらよいのかということは、社会的には決して軽い問題ではありませんが、逆に少しでも周りの療育体制を豊かにしようと努力している我々は、このような事のために疲弊してしまえば、一部の助けてあげられる子ども達も助けられなくなるという危機感を持ちます。

"good enouh solution. "米国人らしい旨い答えですね。
「私は好きなものから先に食べる方です。食べ物でも酒でもそうですが、ちゃんと味わえるのは最初のうちだけなので、私の場合は。」これも旨い。
そして、
"Only Jesus knows enough solution."
ということなのだと思います。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

自分に出来ることを黙々とこなして行く。背負いきれない荷物を背負って、自分自身が潰れてしまうということは、「愚かさ」であって、決して「優しさ」ではない。…ということを肝に銘じて生きたいと思います。


今日のJUDEVINEの言葉です。
Autism knows no racial, ethnic or social boundaries.
Family income, lifestyle and educational levels do not affect the chance of autism occurrence level. (Autism Society of America)
自閉症は人種、民族あるいは社会的地位を問うことはない。
家族の収入、生活様式あるいは教育水準の違いは、何等自閉症の発症比率に影響を及ぼすことはない。(米国自閉症協会)
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RDIが気になる

2007-02-20 13:42:49 | RDI


目の回るような一週間が嵐のような気象現象と共に過ぎ去った。富山、大阪、そして週末には新潟市。金曜日に新潟市で顧客を接待し、翌日は新潟教室。夕方に東京の呑み仲間が新潟集合。私の古くから馴染みの店で、鼈(スッポン)鍋や焼きズワイガニなどを肴に、久々に地酒を楽しんだ。

今週はちょっとマイペース。とはいっても週末には優しい子倶楽部とその下準備。書き掛けの『学習障害概論』の仕上げ、出来れば『特別支援教育I』も。そうそう新潟教室4人分の入浴支援ツールの作製(木工工作と塗装)…そこそこやることがある。

先週申請を出したDAISYの書き込み用ソフトの予備審査が通過した。ヤッちゃんのみならず、他の子どもにも、ということを考えている旨、正直に書いたら、個人申請ではなく団体申請にして欲しいとのお話であったので、早速手はずを整えることにした。

さて今週は、ゼミナールMU06に猫タマさんのRDIに関するレポートが掲載された。なかなか面白い。コメントをやり取りしているうちに、白木先生の発言から、RDIが親を主体としたプログラムであることが分かった。ポーテージと同じようにハンディーキャップを持つ子どもと併走する親に焦点を当て、親支援。興味が倍増した。RDIを単にリファレンス・マターとして使用するのではなく、もう少し深く突っ込んでみようという気になった。

定期購読物にしていないので、言われるまで気付かなかったが、学研の実践障害者教育の3月号に白木先生によるRDIの解説文が載っているそうである。早速Amazonに発注したが、今日上越に着く予定である。既に読まれたゴッド先生が;

そこで質問です!

①両親を早くからなくしたり、離縁・再婚を重ねて落ち着かない、あるいは療育にも社会にも病み疲れてている場合、自閉症児の行く末はどうなるのですか?
(ちなみにヒューストンのRDIの顧客は中産階級以上の人たちでしょうね?)

②親があてにならぬ場合は専門的な「施設」(寛大なグループホームをふくめ)で暮らさせるのが普通でしょうが、声だけ大きい行政の旗振り+責任委譲+貧しいNPO有志という体制は、福祉・健保問題一般と同様にきびしい政治経済問題としてチャレンジングだと私は考えています。この問題に対応するコーディネーション専門家を育てていかないと、ライフスタイル論も尻抜けになってしまうのでは?

と鋭いところを突いた質問を投げかけておられた。フフ、白木先生の回答が楽しみである。私の場合には、極めてハッキリした意見を従来持っているが、それは次回までお預けにしておくことにする。

さて、掲載の写真は米国ワシントン大学が立ち上げたJUDEVINEという療育センターのHPに紹介されたRDIの紹介である。ちょっと気になる書き込みフレーズがこのHPにはある。折に触れてこれから紹介していこう。RDIを紹介したこの頁には

Autism increased an estimated 172 percents in the 1990s. (Autism Society of America)
自閉症は1990年代に推計で172%の増加を見たといわれる。(米国自閉症協会)
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冬来たりなば、春遠からじ

2007-02-15 22:21:43 | 子どものこと


さらに一夜明けた。大阪の天気は概ね良好。ボチボチ辛い花粉が飛び始めている。6時40分大阪駅着。7時過ぎのサンダーバード1号に乗車。富山へと向かう。昨日の列車の遅れと、今日の天気予報から、旅程が案じられたので、到着が遅れる場合があるかも知れない旨、家人に電話する。上越の悪天候は峠を越したようだと楽観的な応答が帰ってきた。

定刻に金沢到着。と、車内アナウンスで富山で乗り換え予定の「はくたか9号」及び後続の「北越3号」は本日新潟県内強風のため運休とのこと。金沢駅のディスプレイ上は「はくたか9号」は定刻発車となっており、運休の表示はない??? 携帯電話でJRの運行情報をアクセスすると、どうも車内アナウンスの方が正しいらしい。ともあれ家人に状況を一報して富山に向かった。富山着10分遅れ、待ち合わせていた糸魚川行きの普通電車に乗車。この電車はダイヤ上は糸魚川で「はくたか9号」待ち合わせとなり、その後、糸魚川で40分間停車し、そのまま直江津行きになる列車である。

糸魚川に10分遅れで到着。隣のホームには何と、先行の「はくたか7号」が居るではないか。駅員に尋ねると、強風のため運転を見合わせて1時間ほど停車中。普通列車よりは先に発車の予定とか。急ぎはくたかに乗り換えるが動く気配なし。やがて、普通列車の発車時間になって、「はくたか7号」は糸魚川で運転打ち切りのアナウンス。慌てて普通列車に戻る。15分遅れで糸魚川出発。一駅進んでまた運転見合わせ。結局1時間半の遅れをもって直江津に帰り着いた。こちらは強風+雪。スッカリ例年の冬に逆戻りしていた。

どうにか間に合った。実は今日は小学校で来期のヤッちゃんの通級指導に関するこちらの希望を話す会が16時から予定されていた。教員の世界は3月末に来期の人事異動が発表になる関係から、3月中には来年度の細かい打ち合わせが出来ない。当方の希望を申し入れるだけで、確定した話が出来ないという困った事情がある。

校長先生、教頭先生、特別支援コーディネーター、学級担任の4名と面会となった。情緒通級については次年度個別指導を取りやめ集団指導にそれを振り替えてもらう(実際には二つのクラスに出席することになる)ことですでに合意が取れている。学校場面では国語5時間の校内通級の確保。担任が変更になった場合(すでに丸3年A先生に続投して頂いたので今度はまずチェンジであろう)4月、5月は算数についても校内通級とし、新担任にも十分状況把握をして頂いた上で通常級に戻す。またその後支障が出た場合には再度校内通級に戻すということを申し入れた。算数は学年でもトップクラスの成績なので、本人にとっては学校生活のよりどころとなっている。この状況は中学校生活につなげるためにも大事にしたいと考えている旨、強く伝えた。

加えて、場面読み取り等のSST要素を通級のプログラムに入れて頂きたいということもお願いした。来年最初の校内委員会は4月12日に決定。「春遠からじ」という季節がまたやって来た。

今年1年振り返ってみると、A先生の視覚支援が根付いたこともあり、マラソン大会、遠足、スキー教室、いわゆる校内行事はいずれも楽しむことが出来た。お友達も数人出来た。G先生の校内通級により国語力のアップ、算数の確実な進歩。上越市のモデルケースとして情緒通級週1時間、校内通級週10時間、そして優しい子倶楽部と、ヤッちゃん支援の成果は着実に現れている。この体制をぜひとも次年度も継続させたいとの思いで一杯だ。

帰宅して、DAISYについて調べてみた。財団法人日本障害者リハビリテーション協会の情報センター内にDAISY研究センターというのがあり、申請をすれば、審査のうえでDAISY作成ソフトウエアを無償提供して貰えることが分かった。早速申し込みをした。発達研で見せてもらったデモから、教材作りには有用性が高いことが分かっているので、楽しみである。
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卒論発表会

2007-02-14 23:20:48 | とやま発達研


雪が降らない。東京は全く雪が降らずに冬を越すのかも知れない。いやいや、東京だけでもない。上越でも富山でも市街には降雪の痕跡がない。今年は過ごし易い冬だと思う。駅までゴム長をはいて出勤し、駅で革靴に履き替える煩わしさもない。いい冬だと思う反面、2~3ヶ月先の水不足の心配もちらほら。

今朝富山は雨だった。7時22分発のサンダーバードがなかなか富山駅に来なかった。強風のため常願寺川付近で魚津発の特急列車は一時運転見合わせ、既に富山駅の発車時間より35分経っているのにも拘らず、「ただ今。サンダーバード10号は20分遅れて運行中です。」と訳の分からない構内アナウンスが入る。JR西日本は馬鹿ばっかりなのか?はたまた他人をオチョクッテいるのか?寒風に晒されながらホームで待たされるこちらにすれば、何とも無責任な説明である。結局、富山駅で1時間半ほど待たされた小父様は怒り心頭。見通しが持てる説明が一切ないということの辛さをスッカリ体験させて頂いた。…やれやれ。加えて、遅れた特急列車が京都駅で新快速に追い抜かれ、ますます怒りに拍車がかかる。東海道線から来た新快速に遅れはない。湖西線からの特急は既に十分に遅れている。だから新快速優先。一見合理的な判断と思えるが、特急料金を払って乗っている身にすれば、馬鹿にされているように思える。まさに今日の特別支援教育の実情みたいな発想にやるせなさを感じた、今日の午前中であった。

さて、昨晩は発達研。2月は定例の富大生の卒研発表である。学生の発表ということでか、集まりが悪い。学生以外は10名程の出席であった。そのうち半数が遅刻。他県から参加して文句を言っても仕方がないが、切なく思う。こういったところに、その地区の本当の姿勢が垣間見えるということなのかも知れない…。という話はともかく、今回の話題は;

1) マルチメディアDAISY教材を用いたLD時への読みの支援: これは面白い話題で、試してみたいと思った。
2) 広汎性発達障害児におけるコミュニケーション指導; 私には参考になるとこはなし。
3) 幼児・児童のソーシャルスキル尺度の試み; 最も興味を持った話題であったが、まとめ方が今一で応用性については疑問。むしろ参考資料の方が興味深かった。
4) 自閉症児の小集団におけるソーシャルスキルトレーニング; 少人数のASPを対象にした教室。まとめ方は良かった。ただし私の参考にはならない。
5)障害者の就労支援に向けての作業所での支援のあり方について; 現状を知るいい手がかりとなったが、現状はあまりにも理想からかけ離れていて考えさせられる内容であった。
6) 通常学級に在籍するAD/HD児への学習支援;最も良くまとまっていた。

全体的に時間が足りず、学生さんには十分なフィードバックは出来なかったが、みなの真摯な取り組みに好感が持てた。卒業後これらの研究テーマをさらに発展させることを切に望む。  
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ありがとう、フォルカーせんせい

2007-02-09 12:03:53 | 書籍


ディスレクシアの話をしたついでに、一冊の本を紹介したい。といっても参考書の類ではなく、絵本である。

Thenk you, Mr. Falker (フォルカー先生ありがとう)という題のLD(ディスクレシア)の少女が自分の障害を小学校の時に運命的な出会いをした一人の教師George Folker氏の力を借りて克服していく物語である。

本を読むことを、とっても楽しみにしていたトリシャ。でもトリシャにとって、字も数字も、くねくねした形にしか見えません。クラスの友達が読めないことを笑うのでトリシャの苦しみは増すばかり。絶対に私は頭が悪い。みんなとは違う。3年生になった時、トリシャはカリフォルニアに引っ越します。新しい学校ではうまくやれるかも。先生も友達も私が頭が悪いことに気付かないかも知れない。でも彼女の儚い願いは叶えられませんでした。だんだん不登校状態になっていくトリシャ。

5年生になった時、新しい先生が来ました。先生はトリシャの絵が素晴らしいことに気が付きました。そして、トリシャの秘密、字が読めないことを知った時、先生は特別の練習を始めたのです…。

最後の1頁の訳文です…;

それからトリシャは学校が大好きになりました。
私にはトリシャの気持ちが良く分かるのです。
何故って、トリシャは私。パトリシア・ポラッコなんですから。
30年経って、ある結婚式で、フォルカー先生に会いました。
はじめ先生は私を思い出せないようでした。
「トリシャです。先生のおかげで人生が変わったのです。」
先生は私を抱きしめました。
「どんな仕事をしているの?」
「信じられますか? 子供の本を書いているのですよ。
先生、本当に、本当に
有難うございました。」

テンプル・グランディンやドナ・ウイリアムス、はたまたキキ・リンコとは違った当事者の自叙伝である。上野一彦先生が末尾に解説を書いておられる。先生は
「この素晴らしい本を、世界中のトリシャに、LDの子ども達に、そして誰よりもいじめっ子エリックに贈りたいと思います。フォルカー先生有難う。」という一文で解説を締め括っておられる。

岩崎書店発行 海外秀作絵本6 1,400円+

ということで、次のレポートは学習障害概論にターゲットを絞ることにた。
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24時間営業だったんでは?

2007-02-05 20:56:56 | 星槎大学


予定通り『自閉症児の心理』のレポートは昨日完了した。書いているうちに改めて生涯一環した療育活動をすることの難しさを再認識するような感じであった。未就学児に対する早期療育をどんなに頑張って見ようとしても子どもの障害受容できない親が居る。受容できて頑張っても小学校教育になかなか繋がらない。多大な努力で繋げても、中学校でまたギャップ。学科担任制は一人の生徒に多くの教師が関わるため、意識/理解の乏しい教員との出会いの確率は高まる。高校は義務教育ではないから、発達障害児なんて念頭にない…就労とのギャップ。軽度発達障害児に対する総合的なシステムなんて、どっちを向いても有はしない…!皆、個別対応。どうしたら良いの、なんて悲観的なことばかり言っていても、何の解決にもならない。教員は車窓から外を流れていく景色を見ているだけで、目の前を過ぎてしまえばお仕舞い。ハンディーキャップを持った子どもと併走する親がどれだけ大事か。E.ショプラーが親を大事な療育者と位置づけた意味が重く蘇る。

『6.3%』(野村東助先生は7%とされてお話をされるようであるが)という数字が世の中を一人歩き始めて、どれだけ経つだろう。いったいこんな数字を信じている人ってどれくらい居るのだろうか?欧米に比べれば遥かに低いこの数字がいったいどんな意味を持っているのか良く分からない。文部科学省が打ち出したこの『6.3%』という数字は、現職の教員に『今、お宅の学校に、特別な支援を必要としているお子さんはどれぐらい居ますか?』というアンケートをとった結果である。その時点で、教師が問題意識を持たなければ、たとえ発達障害児が居ても、それは数には現れない…。

『3%』。『6.3%』とは明らかに違う数字。これがこの調査の時の新潟県の平均値。意識の地域格差を感じる。当時上越市には(市町村合併による大上越市になる前である)中学校が10校あった。そのうち5校が『うちには該当者は居ません。』と回答している。誰が考えても有り得ない話がまかり通っていた。県の懸命な活動により、今は意識はだいぶ改善されてきているとは思うが、まだまだ…。

ともあれ、3通のレポートを封筒に入れ、東京に向かった。今日は朝一で日本橋の顧客に行く予定であったので、丸の内にある東京中央郵便局で発送するつもりであった。何しろ最初の発送であるから『力』が入っている。8時50分頃、郵便局につくと何やら列が出来ている。??え?、郵便局て8時半から始まってるのではなかったケ? そういや会社のビルの郵便局は9時からだなぁ! 待てよ、中央郵便局て24時間営業だったと思ったけど?…よく分からず混乱した。ともあれ9時まで待たなきゃならない。

8時55分いきなり中から、『お早うございます』『有難うございました』と挨拶の練習を唱和する声が聞こえた。結構長いことやっている。泥縄みたいなこの練習を外で聞かされている身にすれば、「詰らんことしてるならさっさと開けろよ」と言いたくなる。開場。窓口へ勇んで行き、料金を聞くと何と25円。今更ながら第4種郵便物が如何に安いかということを再認識した。…でも24時間営業じゃなかったけ?中央郵便局て!
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シンシア・ウイッタム

2007-02-04 09:26:28 | 星槎大学


雪こそ今の所やんでいるが、かなり冬型の気圧配置が発達しているらしい。冬独特の強風である。冬の日本海は荒れるが、おそらく5~6mの波の高さであろう。

荒れた空模様とは裏腹に、気分は絶好調! 自分は躁鬱ではないのかとすら思えてしまう。ある時はASP、ある時は躁鬱症、その自体は統合失調症…かな?訳が分からない。

ともかく、昨日は「発達障害概論」を仕上げた。学習指導書に記載された「アセスメントに基づくK君の行動の分類と対処方法」というレポート課題である。学習指導書の記載内容と教科書として指定されたシンシア・ウイッタムの「ADHDのペアレントトレーニング」をパッと見ると、「何でこれが、発達障害概論なの?」と思う向きがあるかもしれない。しかし取り掛かってみると、この課題は奥が深い。

まずK君を限られた情報の中でどう読むか?である。実際にはK君は自閉系発達障害の確定診断を受けており、3才を越えた年少児当時のアセスメント情報である。(実はK君のお母さんを故白幡富夫先生を通じて存じ上げているから、知っている内容であり、そこまではハッキリとはアセスメントには書かれていない。つまりK君は実在の人物である。)

しかしながら、アセスメントを読むだけでも、当該児が自閉傾向にあることが、確率的に高いことは容易に想像できるであろう。

行動の分類自体はきわめて易しい。疑義があるとすれば、友達の持ち物であるキーホルダーを口に持っていく行動が「好ましくない行動」か「許しがたい行動」かという点ぐらいであろう。私は敢えてこれを後者にした。こういった行動は、えてして見落としがちであるが、学齢期になった場合いじめの原因になる要素であって、早めに行動修正をすべきことである。「発達障害児であるから許される」という考えを指導者は持ってはならない。

対処方法としては
1. 視覚支援を中心と構造化
2. 適正な強化子の発見
3. コミュニケーションの発達支援
4. 母親に対する具体的な支援
が、骨子になる。当該児に仮に自閉傾向を読み取れなくても、これらの基本姿勢は揺るがない。

「好ましい行動」は沢山ある。重要なことはそのうち特に強化すべき行動は何かを選別すること。特に芽生え行動は重要である。

「好ましくない行動」については、この事例の場合、「消去が全く役立たない」ということをまず読み取るべきであり、次にいかに正の強化で対応するかという具体策を立てることがポイントである。

「許しがたい行動」では、自傷行為が家庭のみから報告されていることに注目すべきである。この事実はこの自傷が感覚由来ではないことをはっきりと示している。

ともあれ、非常に興味深い事例である。で、この教科書であるが、原題を
「Win the Whining War & Other Skirmisches」という。
カリフォルニア大のABAチームに属される方の著作で、たまたま翻訳者がADHDの専門臨床家であったため「ADHDの~」という怪しげな邦題がついてしまった。私は私のもとでポーテージに関わった全ての親御さんに、必ずこの本を読んでいただいている。ABAのhow-to本として、一般の親に読ませる本としては、これに勝るものに出会ったことはない。

続編が出ている。原題は「The answer is NO」
邦題は「きっぱりNO!でやさしい子育て」という。

前著が未就学期から学童期前半を対象しているのに対して主に学齢期から思春期にかけてを対象にした著作である。これもなかなか良い。

さて、今日は「自閉症児の心理」。「生涯療育の重要性と難しさ」ということでまとめるぞ!
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