(あい先生からのお手紙)
5月11日はヤスの学校の運動会。私は神奈川から新潟へ、ということで立ち会うことはできなかった。
前日、あい先生(交流学級の担任の先生)から写真の様な、お手紙を頂いたそうである。上半分は一寸字数が多いような気もするが、さりとてそれ程困るというレベルではない。下半分は絵付きの説明で、ヤスにとっては、とっても優しい対応になっている。100点を上げても良いと思うほどの出来であって、親としても嬉しい。
運動会の練習のうち、ジャニーズ系の音楽に合わせた振り付けで踊るダンスには全く参加できなかった。当日はこの部分だけは不参加。ところが本番では音楽をかけていたCDが、突然音飛びを起こして、参加していた児童の手足が止まり、一時会場が騒然としたそうだ。CDを再生しているプレーヤーに誰かが大きな振動を与えた(ぶつかるか、落とすかしたのではないかと思われるが)説明もなければ、やり直しもなかったそうだ。ヤスが参加していなかったのは、個人的では幸いであるが、それまで一生懸命練習を積んできた子ども達のことを考えると、発達障害の有無に関わらず、可哀相な状況に思えるし、学校の対応にも首を傾げる。
それはそれとして、ヤスは自分のロールを無事こなし、真っ赤に日焼けして帰ってきた。もう一つ嬉しいことがあった。上のお手紙に指定されていた持ち物の中に「白いタオル」というのがあった。もちろん家人はタオルを持たせたのだが、あい先生も別のタオルを用意してくれていた…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/39/678425b654a21d46ed46d45f47a45017.jpg)
(アイロンでパッチングできる布に、油性ペンで書かれたメッセージ。ヤスにとってはとても心強いエイドであったに違いない。)
あい先生は今年、水原(阿賀野市)から赴任してきた、体育会系という感じの先生である。お世辞にも発達障害の知識や、自閉症児の扱いをよく知っているとは言い難い先生であった。始業式から約40日。この先生なりの努力があったことがよく伝わってきて嬉しい。こういった些細な事柄から、発達障害に対する気付きが生れ、また、こういった小さな成功体験が教師をより高みに導いていくという事実を体験したのは、今回が初めてではない。
一方、同じ日にポーテージの新潟教室でとんでもない話を耳にした。YSちゃんの特別支援学級の担任も今年代わった。こちらは分水町から赴任した年配の女性の先生。それまで知的学級を担任していて、自称経験豊富なこの先生は、YSちゃんの学力レベルなどには目もくれず、障害を持った子どもは勉強などしても仕方がないからと、判で押したように1時限目は体育館を11周マラソン。4時限目はお茶会(YSちゃんは毎日お茶を入れる係、2ヶ月後には別の子に交代の予定とか)理科と社会はしても仕方がないからやらない。…「学習指導要領等あっちへ行ってろ!」って感じである。5年生の彼女に1年生の漢字ドリルを多量に出して、あれも出来なかった、これも出来なっかった…の繰り返しという。開いた口が閉まらない。
「もっと勉強をきちんと教えて欲しい」という要望をしても、「障害を持っている子どもにそんなことをしてどうなるのですか? お母さんはいったいこの子の将来をどう考えているのですか? 勉強なんかよりはお茶の入れ方をマスターしたほうがどれだけ役立つことかわからないのですか?」と逆切れされる始末。おいおい、この子にとって何が大事かという大枠を決めることが、小学校の先生の仕事じゃないだろ。…そこには、旧態依然とした隔離に似た二元論が色濃い。
同じ県の同じ職種…小学校の教員。そこには資質として大きな違いが見える。まるでコントラストの激しいパンクロ写真(白黒写真)を見るような世界があった。いつになったら特別支援教育に見合った教員が揃い、YSちゃんの担任のような訳のわからない教師が淘汰されることやら。