■『Fukushima50(フクシマフィフティ)』 チラシ
■MOVIX仙台
■『Fukushima50(フクシマフィフティ)』 会場・入場券
■福島民友号外
【『Fukushima50(フクシマフィフティ)』の映画鑑賞】
3月11日、東日本大震災から9年になった日に仙台市太白区長町のMOVIX仙台で『Fukushima50(フクシマフィフティ)』の映画鑑賞をしてきました。
新型コロナウイルス発生に伴い密室状態の映画館に行くを躊躇しましたが、東日本大震災から9年ということや自分自身もまた大震災のことを忘れないためにも、更に鎮魂の意味も込めて行ってきました。
【大震災発生時間帯に映画鑑賞】
午後1時35分から始まった映画は、午後3時50分で終わりましたが、丁度、大地震が発生した午後2時46分の上映でもあり、その時間帯は、映画のどのシーンだったのか、上映が始まった1時間11分後は、福島第一原発がメルトダウンを想定する中の壮絶な作業員の戦いの真っ只中だったのかと思いしました。
【映画の神髄】
「2001年3月11日午後2時46分。東日本大震災発生。福島第一原発を襲う、史上最大の危機―原発内で戦い続けた50人の作業員たち、本当は何が起きていたのか? 何が真実なのか? 家族を、そしてふるさとを想う人々の知られざるドラマが、ついに明らかになる。私たちは、決して風化させないー」
【初めて知った壮絶な現場】
福島第一原発のことは、当時、報道でのみで知る以外は無く限られた情報だけでした。
今回、『Fukushima50(フクシマフィフティ)』を観て、初めて知ったことが多く、極限状態の現場で、決死の思いで、メルトダウンと水素爆発を防ごうと戦い続けた50人の作業員が、「福島が、日本を救った。」と強く感じた映画でした。
政府は、被害範囲は東京を含む半径250㎞、その対象人口約5,000万人にのぼると試算。東日本の壊滅を意味していた状況の中で取り組んだ未曽有の大災害、映画の迫力がそのまま伝わってきました。
【号外が出た『Fukushima50(フクシマフィフティ)』の封切り】
『Fukushima50(フクシマフィフティ)』の封切りは2020年3月6日でしたが、当日の日付で、「福島民友」が号外を出した新聞が館内にあり、映画の持つ重さを感じながら事前に読んだことから映画鑑賞も身の引き締まる思いがしました。
号外は、映画監督若松節朗氏、第一原発所長吉田昌郎役渡辺謙さん、1、2号機当直長伊崎利夫役佐藤浩市さんの映画公開記念スペシャルインタビューで映画の見どころや撮影の秘話なども話していて、尚更、リアリティに実感することができました。
原発の陣頭指揮をとっていた第一原発所長吉田昌郎、1・2号機当直長伊崎利夫の両氏には、切羽詰った、「何とかしなければならない。」という現場人の思いには胸が詰まりましたし、初めて経験する現場の壮絶さは、どんなものだったのかと思う緊迫感がありました。
【お亡くなりになった第一原発所長吉田昌郎氏】
陣頭指揮をとっていた第一原発所長吉田昌郎氏は、2011年11月24日、食道癌のために入院、2013年7月9日死去と言う運命を辿りました。
原発事故が影響しているものではないとの見解が出ていましたが、無念極まりない人生を辿ったのではと思うと、9年経った今の福島をどう感じておられるのかと思わざるを得ませんでした。
【東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から9年】
東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から9年、廃炉への挑戦、帰還困難区域の一部避難解除、区域外での普通の生活、農産物や水産物の検査による安全など沢山の課題を抱えながら少しずつ前に進んでいるなか、更に巨大タンク群にたまった処理水や風評に対する取り組みとまだまだ大きな課題が山積しています。
【春を満喫したいと】
今年は、国道6号線を南下して「福島の今」を肌で感じて来たいと思っています。
これから春爛漫の季節を迎えることから富岡町復興のシンボルでもある桜並木の散策、道の駅で地場産のお土産を買ってくるのも良いのではと思っています。
唯一、楽しみにしていた「富岡町桜まつり」は、新型コロナウイルスの拡大感染を受け、春の恒例のイベントは中止になったと言うことでした。通り抜けもできないのか分りませんんが、残念なことです。大丈夫だったら行ってみたいと思っています。