先週、「ト蔵庭園(ぼくらていえん)修復」に行った。
島根デザイン専門学校の授業の一環で、庭園修復作業の講師に。。。
講師のリーダーは「重森千青」氏。
重森三玲のお孫さんで、三玲、完途に続き第一線で活躍されている人物。
おれと岡山の「造園 武」のたけちゃん、鳥取の「じゅんにい」の三人が講師補助。
この「ト蔵庭園」は昭和48年に重森三玲氏が測量を行っており、その図面が今も保管されている。
ただ、この庭園は江戸初期に作庭されたもので、三玲氏が測量した時にはすでに以前の姿ではなかったと想定された。
48年以前の資料がないため、三玲氏の図面と、こちらの想像をもとに修復するという計画だ。
何年越しになるかは不明だが、徐々に姿を現すだろう。
庭園修復という作業は非常に難しい。
ただ、作庭当初に戻してしまうのでは意味がない。
樹木は年月をかけて成長する。
土は流れてしまう部分もあれば、溜まる部分もある。
作者がどう思いそこに石を据えたのか、樹を植えたのか、ここには樹を植えてあったのか、地被はどうなっていたのか、など、人それぞれの捉え方により大きく変わってくる。
そんな意味で、この講師としての参加は俺にとって非常に良い勉強になる。
作業を終えてから千青さんと夜遅くまで酒を酌み交わしながらいろんな話しが出来る事も嬉しい。
次回は秋に予定されている。。。
島根デザイン専門学校の授業の一環で、庭園修復作業の講師に。。。
講師のリーダーは「重森千青」氏。
重森三玲のお孫さんで、三玲、完途に続き第一線で活躍されている人物。
おれと岡山の「造園 武」のたけちゃん、鳥取の「じゅんにい」の三人が講師補助。
この「ト蔵庭園」は昭和48年に重森三玲氏が測量を行っており、その図面が今も保管されている。
ただ、この庭園は江戸初期に作庭されたもので、三玲氏が測量した時にはすでに以前の姿ではなかったと想定された。
48年以前の資料がないため、三玲氏の図面と、こちらの想像をもとに修復するという計画だ。
何年越しになるかは不明だが、徐々に姿を現すだろう。
庭園修復という作業は非常に難しい。
ただ、作庭当初に戻してしまうのでは意味がない。
樹木は年月をかけて成長する。
土は流れてしまう部分もあれば、溜まる部分もある。
作者がどう思いそこに石を据えたのか、樹を植えたのか、ここには樹を植えてあったのか、地被はどうなっていたのか、など、人それぞれの捉え方により大きく変わってくる。
そんな意味で、この講師としての参加は俺にとって非常に良い勉強になる。
作業を終えてから千青さんと夜遅くまで酒を酌み交わしながらいろんな話しが出来る事も嬉しい。
次回は秋に予定されている。。。
今回も無事窯焚きを終えることが出来た。
・・・が、相変わらず寝る間もなく作業が続いています。。。本業が。。。
ということで、息抜き程度に今回の窯焚きのことを少しだけ書いておく。
今回の窯焚きは、今までのなかで最高に過酷だった。
登り窯は、まず運道(うど)という前の窯を焚き、焚きあげた後うしろへどんどん移って焚いていく。
いつもは、運道は楽勝で炊き上げ、後ろの一番へ移る。
じゃけー、一番に移った時には体力がまだまだのこっとるんじゃ。
それが、今回は運道でトラブルが起こった。
五日目の夜中のことじゃった。
1:00頃、親父は俺と交代して寝に行った。
3:00頃、俺は少し窯の状態がいつもと違うと感じていた。
5:00頃、温度が上がらなくなる。
しかし、それまで半日分ほど温度が早めに上がってきていたし、間違いのない状態で焚いていたので窯の言う事を聞いて上がってくれるのを待つ事にした。。。つもりだった。。。
7:00頃、やっぱり窯の中のオキ(薪が燃えいこった状態のもの)の状態が少しおかしいことに気づいた。
その頃親父が起きてきた。
「なんかオキがおかしい気がする。いつもと違う。。。温度もあがらんくなっとるし。ちょっとおかしいど。」
おれは親父に言った。
親父は窯の状態を把握し、処置をこうじた。
その日の晩、俺が窯に行くと、今朝から温度があがっていなかった。
薪はどんどん無くなっていく。
備前焼の薪は赤松だけで、半年から一年乾かさないと使えない。
要するに、準備していた薪しか使えないのだ。
足りなくなったから持ってきてもらうなんてことはできない。
それから約二日。
残りの薪もあとわずかになった。
「足らんな。」
親父はそうつぶやいた。
「いや、まだある。」
俺はそう言いながら必死に温度を上げていた。
親父と応援のみんなで寝ずの作業を続け、何とか運道を炊き上げた。
しかし、その時俺はもう疲れきっていた。
昼間の仕事の上に、普通に窯焚きするだけでも多少は体力使うのに、トラブったおかげで精神的にも疲れきっていた。
これから更なるトラブルが待ち受けているというのに・・・
それから後ろの窯にうつった。俺は三時間ほど仮眠をとり、再び起き、朝まで焚いた。応援が来てくれたので、俺は家に戻った。
やらなければならない仕事を片付け、23:00頃窯に向かった。
トラブっていた。やはりかと思った。
帰ったときと温度が変わっていない。
今年の窯はどうしたんじゃろうと思った。
いろんな処置を考えるが、なかなか言う事を聞いてくれない。
1050度を超えた3:00頃、突拍子もない処置を思いついた。
しかし、説明を受ければ納得の方法だった。
そして、朝8:30。
無事今年の窯焚きも終わった。。。
安堵感の中、気づいたらソファーで二時間ほど眠りにおちていた。
陶芸家という仕事はギャンブルじゃ。
うちの場合、一年に一度しか焚かない。
要するに、一度の窯焚きで一年間の生活をしなければならないのだ。
普通のヒトにとって一年のうちの10日であっても、陶芸家にとっては、一年が10日で決まってしまうのだ。
窯焚きで失敗してしまうということは、一年間やってきた事はすべて無駄になり、更に大赤字をくらうのだ。
そして、仮にうまく焚き上げたとしても、良い作品がでるかどうかはわからない。。。
炎の原理、窯の原理をもっと理解すればもっと楽しく窯焚きができると思った。
炎の動き、窯の中の色、空気の音、窯はたくさんの声を投げかけてくる。
しかし、まったく聞いてやれてないのだ。
炎の色、釜の中の色はわかってきたが、それがどうなってその状態を保っているのかは理解できてないし。。。
どういう状態なのか早めに気づいてやれば今回みたいな事はなかっただろう。
どういう原理で薪は燃え、炎に変わり、ガスに変化するのか、基本を理解していないのでは応用はきかない。
窯焚きの度、基本の大切さを痛感する。
軸をしっかりつくらんとなんもできん。
弱い樹になってしまう。
しっかりした根っこをはらんといけん。
今は小さくても、いずれは大きくなれる。
たくさんの実に耐えられる根っこを育てんといけん。。。
なんでもそうじゃな・・・
・・・が、相変わらず寝る間もなく作業が続いています。。。本業が。。。
ということで、息抜き程度に今回の窯焚きのことを少しだけ書いておく。
今回の窯焚きは、今までのなかで最高に過酷だった。
登り窯は、まず運道(うど)という前の窯を焚き、焚きあげた後うしろへどんどん移って焚いていく。
いつもは、運道は楽勝で炊き上げ、後ろの一番へ移る。
じゃけー、一番に移った時には体力がまだまだのこっとるんじゃ。
それが、今回は運道でトラブルが起こった。
五日目の夜中のことじゃった。
1:00頃、親父は俺と交代して寝に行った。
3:00頃、俺は少し窯の状態がいつもと違うと感じていた。
5:00頃、温度が上がらなくなる。
しかし、それまで半日分ほど温度が早めに上がってきていたし、間違いのない状態で焚いていたので窯の言う事を聞いて上がってくれるのを待つ事にした。。。つもりだった。。。
7:00頃、やっぱり窯の中のオキ(薪が燃えいこった状態のもの)の状態が少しおかしいことに気づいた。
その頃親父が起きてきた。
「なんかオキがおかしい気がする。いつもと違う。。。温度もあがらんくなっとるし。ちょっとおかしいど。」
おれは親父に言った。
親父は窯の状態を把握し、処置をこうじた。
その日の晩、俺が窯に行くと、今朝から温度があがっていなかった。
薪はどんどん無くなっていく。
備前焼の薪は赤松だけで、半年から一年乾かさないと使えない。
要するに、準備していた薪しか使えないのだ。
足りなくなったから持ってきてもらうなんてことはできない。
それから約二日。
残りの薪もあとわずかになった。
「足らんな。」
親父はそうつぶやいた。
「いや、まだある。」
俺はそう言いながら必死に温度を上げていた。
親父と応援のみんなで寝ずの作業を続け、何とか運道を炊き上げた。
しかし、その時俺はもう疲れきっていた。
昼間の仕事の上に、普通に窯焚きするだけでも多少は体力使うのに、トラブったおかげで精神的にも疲れきっていた。
これから更なるトラブルが待ち受けているというのに・・・
それから後ろの窯にうつった。俺は三時間ほど仮眠をとり、再び起き、朝まで焚いた。応援が来てくれたので、俺は家に戻った。
やらなければならない仕事を片付け、23:00頃窯に向かった。
トラブっていた。やはりかと思った。
帰ったときと温度が変わっていない。
今年の窯はどうしたんじゃろうと思った。
いろんな処置を考えるが、なかなか言う事を聞いてくれない。
1050度を超えた3:00頃、突拍子もない処置を思いついた。
しかし、説明を受ければ納得の方法だった。
そして、朝8:30。
無事今年の窯焚きも終わった。。。
安堵感の中、気づいたらソファーで二時間ほど眠りにおちていた。
陶芸家という仕事はギャンブルじゃ。
うちの場合、一年に一度しか焚かない。
要するに、一度の窯焚きで一年間の生活をしなければならないのだ。
普通のヒトにとって一年のうちの10日であっても、陶芸家にとっては、一年が10日で決まってしまうのだ。
窯焚きで失敗してしまうということは、一年間やってきた事はすべて無駄になり、更に大赤字をくらうのだ。
そして、仮にうまく焚き上げたとしても、良い作品がでるかどうかはわからない。。。
炎の原理、窯の原理をもっと理解すればもっと楽しく窯焚きができると思った。
炎の動き、窯の中の色、空気の音、窯はたくさんの声を投げかけてくる。
しかし、まったく聞いてやれてないのだ。
炎の色、釜の中の色はわかってきたが、それがどうなってその状態を保っているのかは理解できてないし。。。
どういう状態なのか早めに気づいてやれば今回みたいな事はなかっただろう。
どういう原理で薪は燃え、炎に変わり、ガスに変化するのか、基本を理解していないのでは応用はきかない。
窯焚きの度、基本の大切さを痛感する。
軸をしっかりつくらんとなんもできん。
弱い樹になってしまう。
しっかりした根っこをはらんといけん。
今は小さくても、いずれは大きくなれる。
たくさんの実に耐えられる根っこを育てんといけん。。。
なんでもそうじゃな・・・