先週の京都の旅です。。。
目的は、作庭家 越智将人(㈲創造園)さんの個展を見に行く事だった。。。
そして、もう一箇所、気になっている場所があった。
「
並河靖之七宝記念館」。
実はこの旅に引っ張られたキーワードはここの学芸員である、通称「むっちゃん」が握っていた。。。
彼女が、前回の京都の旅で連絡を取り合ってくれた人物で、初めて会った俺にいろんな人を紹介してくれた人だ。
京都に入り、記念館が開くまでの間、久しぶりに「
むりんあん」へ。
七代目
小川治兵衛(植冶)の庭
ここは、以前も良く来た場所だが、やはり年月が経って来ると見るところが変わってくる。
以前は、まったく見えてなかった所が目に付く。
何度も通うことに喜びを感じる一瞬だ。
そうこうしている内に時間が過ぎ、「並河靖之七宝記念館」へ。
前々から「むっちゃん」と連絡を取っていたため、出迎えてくれた。
この記念館も、「七代目 植冶」の庭。
「むっちゃん」は、庭師である俺らを気遣い、記念館の庭を説明する為に、まずは岡崎界隈を連れまわってくれた。
周りの状況、琵琶湖疏水の構造などを説明してくれた。
いろんな角度からの説明に、頷き驚いた。
そして、今回ここに引っ張られた意味をここで知る事となった。
「七代目 植冶」の家。
植冶の庭は、有名だが、なぜか家はあまり知られていない。
「むっちゃん」は、記念館を作った植冶の家に案内してくれた。
そこには、嬉しくなるような「燈籠」、「水鉢」が所狭しと並んでいた。
大木の陰に。。。
まさしく植木屋の家だった。
ここで植冶は駆け出しの時代から色んな繋がりで大きくなっていった事を知った。
そして、「並河靖之」は、駆け出しの植冶に庭を託したそうだ。
その記念館の庭には、駆け出しっぷりがよく表れていた。
もちろん、植冶なんて雲の上の存在で、自分とは比べられない。
しかし、あんな植冶にも、駆け出しの頃にはやりたいことをたっぷり詰め込んだ庭を作ったということが、なんだか嬉しかった。
そして、植冶も、そんな人たちに育てられ大きくなったということだ。
そして、「むっちゃん」は記念館を案内してくれ、そこでいろんな話をしてくれた。
並河靖之という人は、相当な策略家だったそうだ。
いろんな経験を経て、七宝に辿り着いた。
そして、七宝をする為にこの建物を建て、庭を作った。
良い環境で、良いものを作る為に・・・
そして、良いものを世間に伝えることにも力を注いだそうだ。
それにより、多くの人を育て、文化を創った。
「並河靖之の思いを少しでも伝えたい。記念館を運営することで、七宝を知ってもらいたい訳ではない。ここで、何かを感じて欲しい。今の若い人に・・・」
むっちゃんはそう言って話を終えた。。。
この「ブログ」をはじめたきっかけは、「伝える」ということだった。
そして、二年が経つが、一日80人もの人々がこれを読んでくれている。
地道ではあるが、伝える努力も続けなくてはならない。
もちろん、良いモノをつくっていくことは大前提で。。。
気軽に訪ねた記念館だったが、ここでまた多くの事を教わった。
いいモノを作る。
その為に・・・良い環境を作る。。
その為に・・・世間に伝える。。。
言い換えれば、
いいモノをつくる。
いい環境ができる。。
世間に伝わる。。。
すべてが繋がっている。
俺らが生きている今も、未来には文化として伝わる。
自分達が未来の人達への文化を、今、創っている事を忘れてはいけない。
並河靖之、植冶が築いてきた文化に負けないように、恥ずかしくない文化を創っていかなくてはならない。
頭の固いお役所さんたち、君らもそれに早う気づいてくれや・・・
むっちゃん、たくさんのお土産をありがとう。。。