年始から、様々なプロジェクトが進行中で、いろんなことを考える。
おれには、「つくる」 ということで絶対に曲げられない部分が一つだけある。
それは、そんな特別なことでもないし偉そうなことでもない。。。
ただ、「つくらないほうがよかった」と思わないようにすること。
そして、クライアントにもそういう想いをさせないようにすること。
それは、みんながなぜそこに何を依頼し、何を期待してるのかがわかるから。。。
「つくらない方がよかった」ってどういうことかって言うと、どこにでも、つくる前の「空気感」っていうものが存在する。
そして、その「空気」はいろんな力を持ってて、ちゃんと発揮できている所もあれば、死んでいるところもある。
依頼がある場合、ほぼ、そこの空気は活きてないケースが多い。
おれはいつもそれを見てる。
見てるうちに、そこにどんな空気が潜んでて、何をすればその空気は増大し、何をすればぶっ飛んでしまうかが見えてくる。。。
だから、いい空気を持ってるところなんかは、最初のヒアリングの段階でそこまでやる必要はないよって言うこともよくある。
少し触れば、空気は格段によくなることを説明し、どこをどうさわればいいのかをプレゼンしていく。
いつもみんなが疑問に思ってるかもしれないけど、庭の「値段」ってどのくらい?ってこと。
それは、ほんとにヒトコトじゃ言えない部分がある。
庭は、何もないところには存在しない。
そこには、住居、もっと言えば、「人のイトナミ」が存在する。
それは、場所によって様々で、これから新たに作っていく「イトナミ」もあれば、何百年、何千年前から続いてきた「イトナミ」もある。
その「イトナミ」が、場所の空気を作ってる。
「森×hako」のように、完璧に空気を遮断して、まっさらな空気を作っていけるところはそうそうない。
そこには、元々持つスキルというか、何か変えられないものがあったりもする。
その変えられないものに、価格のウェイトが大きくかかることが少なくない。
だから、庭の「値段」ってヒトコトじゃ言えんのんよ。
そして、その場の空気を活かしていくのが「庭」の役割だとおれは思ってる。
それは、建築を巻き込み、まちを巻き込み、もちろん人も巻き込む。
そこの空気が伝えてくれてることを、最大限に今を生きているのみんなに伝える・・・
これが、庭師と呼ばれるおれらの役割だとおれは思う。
わかる人、わからない人、どちらがいい悪いは言わないし、思わない。
ただ、自分がそこに関わることで、わからなかった人が少しでもその空気を心地いいと思い、より その人自身の「イトナミ」に誇りが持てるようになれば本当に「やってよかった」となる。
おれは、眼に見える「モノ」をつくってるんじゃない。
眼に見えない「空気」をつくっとるんよ、、、目に見える「樹」や「石」や「鉄」や「アクリル」や様々な自然の産物を使って。。。
だから、たとえがんばって、眼に見えてガラリと景色が変わっても、その場の空気の「品格」が下がればそれは、オレの中で「失敗」になる。
「やってはならないこと」をやってしまったことになる。
一つ付け加えておくけど、この「品格」というのは、「高級」とか「安っぽい」とか、そんな縛りではないということ。。。
どことなくある心地よい「空気感」だ。
空気は受け継ぐものだから、それは誰かからもらって、誰かに渡すってこと。。。
その空気が少しでも理解できている自分が、その空気を壊すことだけはできない。
それは、ある意味、誰かの気付きのチャンスを自分がそこで奪うことになるかもしれないからね。。。
そこにはそこの、長い年月をかけて育ってきた「空気」がある。。。
おれ一人では完結しない。。。
だから悩む。。。
今、自分がそれができる場所に立っているから。。。
おれには、「つくる」 ということで絶対に曲げられない部分が一つだけある。
それは、そんな特別なことでもないし偉そうなことでもない。。。
ただ、「つくらないほうがよかった」と思わないようにすること。
そして、クライアントにもそういう想いをさせないようにすること。
それは、みんながなぜそこに何を依頼し、何を期待してるのかがわかるから。。。
「つくらない方がよかった」ってどういうことかって言うと、どこにでも、つくる前の「空気感」っていうものが存在する。
そして、その「空気」はいろんな力を持ってて、ちゃんと発揮できている所もあれば、死んでいるところもある。
依頼がある場合、ほぼ、そこの空気は活きてないケースが多い。
おれはいつもそれを見てる。
見てるうちに、そこにどんな空気が潜んでて、何をすればその空気は増大し、何をすればぶっ飛んでしまうかが見えてくる。。。
だから、いい空気を持ってるところなんかは、最初のヒアリングの段階でそこまでやる必要はないよって言うこともよくある。
少し触れば、空気は格段によくなることを説明し、どこをどうさわればいいのかをプレゼンしていく。
いつもみんなが疑問に思ってるかもしれないけど、庭の「値段」ってどのくらい?ってこと。
それは、ほんとにヒトコトじゃ言えない部分がある。
庭は、何もないところには存在しない。
そこには、住居、もっと言えば、「人のイトナミ」が存在する。
それは、場所によって様々で、これから新たに作っていく「イトナミ」もあれば、何百年、何千年前から続いてきた「イトナミ」もある。
その「イトナミ」が、場所の空気を作ってる。
「森×hako」のように、完璧に空気を遮断して、まっさらな空気を作っていけるところはそうそうない。
そこには、元々持つスキルというか、何か変えられないものがあったりもする。
その変えられないものに、価格のウェイトが大きくかかることが少なくない。
だから、庭の「値段」ってヒトコトじゃ言えんのんよ。
そして、その場の空気を活かしていくのが「庭」の役割だとおれは思ってる。
それは、建築を巻き込み、まちを巻き込み、もちろん人も巻き込む。
そこの空気が伝えてくれてることを、最大限に今を生きているのみんなに伝える・・・
これが、庭師と呼ばれるおれらの役割だとおれは思う。
わかる人、わからない人、どちらがいい悪いは言わないし、思わない。
ただ、自分がそこに関わることで、わからなかった人が少しでもその空気を心地いいと思い、より その人自身の「イトナミ」に誇りが持てるようになれば本当に「やってよかった」となる。
おれは、眼に見える「モノ」をつくってるんじゃない。
眼に見えない「空気」をつくっとるんよ、、、目に見える「樹」や「石」や「鉄」や「アクリル」や様々な自然の産物を使って。。。
だから、たとえがんばって、眼に見えてガラリと景色が変わっても、その場の空気の「品格」が下がればそれは、オレの中で「失敗」になる。
「やってはならないこと」をやってしまったことになる。
一つ付け加えておくけど、この「品格」というのは、「高級」とか「安っぽい」とか、そんな縛りではないということ。。。
どことなくある心地よい「空気感」だ。
空気は受け継ぐものだから、それは誰かからもらって、誰かに渡すってこと。。。
その空気が少しでも理解できている自分が、その空気を壊すことだけはできない。
それは、ある意味、誰かの気付きのチャンスを自分がそこで奪うことになるかもしれないからね。。。
そこにはそこの、長い年月をかけて育ってきた「空気」がある。。。
おれ一人では完結しない。。。
だから悩む。。。
今、自分がそれができる場所に立っているから。。。
いつもブログ読ませていただいてます。
素敵な仲間との活躍、うらやましく楽しみに読ませてもらってます。
人のイトナミが作るその場の空気。繋いでいくもの。
まさにそのとおりだと思います。
私も九州にて庭仕事に携わっており、ものつくりを生業にするものとして、あなたの発する言葉には初心に帰れる軸があるように思えます。
惰性に任せた仕事をする自分に活を入れます。
今年のご活躍も期待しております。