今日は、天皇陛下の71歳のお誕生日である。
この一年は、日本にも、そして、皇室にも、様々な出来事があった。
お誕生日の文書回答を読んでみると、実に、国内、国外に、無私なる慈愛を注がれているのが分かる。
つくづく思うのだが、誰も彼も、自分のことばかりを考える世の中になっていはしないだろうか。
もちろん、筆者としても、例外ではない。
そうすると、天皇陛下の存在は、実に、何ともありがたいことである。
この文書回答については、メディアにおいて、皇太子同妃両殿下について述べられた箇所が大きく取り上げられている。
皇太子同妃両殿下について述べられたことのポイントは、皇太子妃殿下の苦境を救いたいというお気持ちと、新しいご公務に取り組むことへの励ましとアドバイスである。
「皇太子の発言の内容については,その後,何回か皇太子からも話を聞いたのですが,まだ私に十分に理解しきれぬところがあり」という箇所については、確かに、厳しさが感じられる。
この点については、皇室にある者として、きちんと筋を通すべきであるという、帝王学なのではないか、と筆者は考える。
皇室にある者としての筋とは、ここでは、国民からの信頼にこたえるために、十分な説明を行うべきであるということなのであろう。
このブログについては、そもそも、5月の皇太子殿下のご発言をめぐり、非常にナンセンスな議論が多く巻き起こる中、何とか皇太子殿下のご真意を明らかにしようということから、始まったのである。
「皇太子発言と国民と日本の国柄」という記事がそれであるが、筆者としては、そこで述べたことは、やはり、間違っていなかったと思う。
根底にあるのは、皇太子殿下にしても、皇太子妃殿下にしても、自らの役割を果たすことについての焦燥感ということであったはずである。
「人格を否定するような動き」というご発言は、確かに、皇太子というお立場にふさわしくなかったかもしれないが、そのような焦燥感と、そして、皇太子妃殿下への思いやりに発したものであったのであれば、筆者としては、これからの皇太子殿下に対して、やはり期待したいと思うのである。
皇太子殿下というお方は、非常に純情であり、周囲に対してご自身をよく見せようとすることに、あまりに無頓着であるように、筆者には感じられる。
しかし、今は、ご自身の思うところについて、正しく理解されるようできる限りの説明を行うことが、求められているのである。
筆者としては、皇太子殿下が、そのお持ちになる徳の輝きを広く明らかにされる日が、早く訪れることを、心待ちにしている。
この一年は、日本にも、そして、皇室にも、様々な出来事があった。
お誕生日の文書回答を読んでみると、実に、国内、国外に、無私なる慈愛を注がれているのが分かる。
つくづく思うのだが、誰も彼も、自分のことばかりを考える世の中になっていはしないだろうか。
もちろん、筆者としても、例外ではない。
そうすると、天皇陛下の存在は、実に、何ともありがたいことである。
この文書回答については、メディアにおいて、皇太子同妃両殿下について述べられた箇所が大きく取り上げられている。
皇太子同妃両殿下について述べられたことのポイントは、皇太子妃殿下の苦境を救いたいというお気持ちと、新しいご公務に取り組むことへの励ましとアドバイスである。
「皇太子の発言の内容については,その後,何回か皇太子からも話を聞いたのですが,まだ私に十分に理解しきれぬところがあり」という箇所については、確かに、厳しさが感じられる。
この点については、皇室にある者として、きちんと筋を通すべきであるという、帝王学なのではないか、と筆者は考える。
皇室にある者としての筋とは、ここでは、国民からの信頼にこたえるために、十分な説明を行うべきであるということなのであろう。
このブログについては、そもそも、5月の皇太子殿下のご発言をめぐり、非常にナンセンスな議論が多く巻き起こる中、何とか皇太子殿下のご真意を明らかにしようということから、始まったのである。
「皇太子発言と国民と日本の国柄」という記事がそれであるが、筆者としては、そこで述べたことは、やはり、間違っていなかったと思う。
根底にあるのは、皇太子殿下にしても、皇太子妃殿下にしても、自らの役割を果たすことについての焦燥感ということであったはずである。
「人格を否定するような動き」というご発言は、確かに、皇太子というお立場にふさわしくなかったかもしれないが、そのような焦燥感と、そして、皇太子妃殿下への思いやりに発したものであったのであれば、筆者としては、これからの皇太子殿下に対して、やはり期待したいと思うのである。
皇太子殿下というお方は、非常に純情であり、周囲に対してご自身をよく見せようとすることに、あまりに無頓着であるように、筆者には感じられる。
しかし、今は、ご自身の思うところについて、正しく理解されるようできる限りの説明を行うことが、求められているのである。
筆者としては、皇太子殿下が、そのお持ちになる徳の輝きを広く明らかにされる日が、早く訪れることを、心待ちにしている。