筆者は、皇位継承資格につき、女系・女性拡大支持の立場であるが、そういう方向に政策を進めるための運動家ではないつもりである。
運動家であれば、その推進にマイナスになることについては口を閉ざすべきということになるであろうけれども、女系・女性拡大を実現した場合の懸念として、男性配偶者の立場の問題があることは、述べておかなければならないと思った。
佳子内親王殿下のギリシャ訪問の報道が連日続いており、当初は、報道ぶりが過剰であるように感じたのであるが、連日のスケジュールを一生懸命にこなされて立派であると思うし、成功であったと思う。
皇室の御活動について考えた場合、女性皇族の果たす役割は、非常に大きい。
むしろ、今の日本の皇室であれば、役割を果たすという点で、男性より女性の方が向いているのかもしれない。
若い女性の可愛らしさとか華やかさの魅力というものは、男性がいくら頑張っても太刀打ちできないであろう。
佳子内親王殿下は、自らの長所を十分に把握した上で、それを最大限発揮できるよう、努力を重ね、今回、発揮できたということだと思う。
賢明にして、立派なことである。
皇室において、男性がその魅力を発揮するとなると、伝統の担い手としての権威者といった方向性になるのではないかと思う。
この方向性は、男性だけのものというわけではなく女性でも可能であり、特に愛子内親王殿下の場合は、可愛らしさと華やかさの魅力、伝統の担い手としての権威者の魅力の両方について、別格のレベルで兼ね備えている稀有な存在であると言えるだろう。
しかし、難しいのは男性だ。
伝統の担い手としての権威者という方向性は、皇統に連なる者、皇位継承資格者といった背景がないと難しいと思われる。
これまでは、男性皇族は、皇統に連なる者、皇位継承資格者であり、伝統の担い手としての権威者としての魅力を発揮し、可愛らしさとか華やかさの魅力については、ふさわしい女性を妻として迎えることで補うということが可能であった。
しかしながら、女系・女性拡大を実現した場合における民間出身の男性皇族は、どのような役割を果たすことができるだろうか。
問題は、ここだ。
皇統に連なる者、皇位継承資格者という背景はない。
世の中には、美しさと華やかさを有する男性もいるけれども、女性皇族(内親王、女王)の可愛らしさと華やかさに及ばないのであれば自らの存在意義を見出せないかもしれず、超えてしまった場合には、おそらく世の中の受け止めはあまり良くない。
ヨーロッパの君主国においても、女王の配偶者である男性は、心理的になかなか厳しく、鬱の傾向にあると見受けられる。
それでも、ヨーロッパの君主国の場合は、軍というものが存在するので、男性が男性らしさを発揮し、自らの存在意義を確認できる道が、まだあるのではないかと思う。
しかしながら、日本の場合には、そういう道はない。
いずれ、うまい具合に適性を有する男性が現れ、うまい具合に役割を果たすだろうというぼんやりとしたイメージのままだと、いざ制度がスタートしたとして、みんなが不幸になる可能性が高い。
これは、そういうお立場に立つ方の個性の問題というだけではなく、圧倒的に、世の中が、皇室の男性、女性に対し、それぞれどういう理想のイメージを投射するかという問題なのである。
現実論として、そこには性差があるということは、認めざるを得ないのではないだろうか。
歴史上の女性天皇の存在、女系継承の実態があったと言い得ることはその通りであると思うのだが、在位中の女性天皇の配偶者としての役割を果たした男性の実例は、存在していない。
もとより、仮に例があったとしても、かなり時代状況が異なるので、例があるから安心というわけではなく、そういう意味では、例があってもなくても同じなのかもしないが、女系・女性拡大支持の方々においては、民間出身の男性配偶者の役割、自己実現の道について、どのようにイメージしているのか、聞いてみたいところではある。
男性にとって、自らが納得し、世の中も納得する在り方というのは、女性を守るという方向性なのだろうか。
そうすると、至上の存在である天皇(女性)を守るため、下位の勢力と対峙するという観点からは、宮内庁の長官に近い立場の方が、やりやすいのかもしれない。
聖と俗の両方にまたがるような立場であろうか。
最近、弱者男性といった言葉を耳にすることが多い。
男性配偶者の在り方の問題は、皇室だけの問題ではなく、今の日本の社会における男性の在り方の問題とも、どこか通じるものがあるかもしれない。
運動家であれば、その推進にマイナスになることについては口を閉ざすべきということになるであろうけれども、女系・女性拡大を実現した場合の懸念として、男性配偶者の立場の問題があることは、述べておかなければならないと思った。
佳子内親王殿下のギリシャ訪問の報道が連日続いており、当初は、報道ぶりが過剰であるように感じたのであるが、連日のスケジュールを一生懸命にこなされて立派であると思うし、成功であったと思う。
皇室の御活動について考えた場合、女性皇族の果たす役割は、非常に大きい。
むしろ、今の日本の皇室であれば、役割を果たすという点で、男性より女性の方が向いているのかもしれない。
若い女性の可愛らしさとか華やかさの魅力というものは、男性がいくら頑張っても太刀打ちできないであろう。
佳子内親王殿下は、自らの長所を十分に把握した上で、それを最大限発揮できるよう、努力を重ね、今回、発揮できたということだと思う。
賢明にして、立派なことである。
皇室において、男性がその魅力を発揮するとなると、伝統の担い手としての権威者といった方向性になるのではないかと思う。
この方向性は、男性だけのものというわけではなく女性でも可能であり、特に愛子内親王殿下の場合は、可愛らしさと華やかさの魅力、伝統の担い手としての権威者の魅力の両方について、別格のレベルで兼ね備えている稀有な存在であると言えるだろう。
しかし、難しいのは男性だ。
伝統の担い手としての権威者という方向性は、皇統に連なる者、皇位継承資格者といった背景がないと難しいと思われる。
これまでは、男性皇族は、皇統に連なる者、皇位継承資格者であり、伝統の担い手としての権威者としての魅力を発揮し、可愛らしさとか華やかさの魅力については、ふさわしい女性を妻として迎えることで補うということが可能であった。
しかしながら、女系・女性拡大を実現した場合における民間出身の男性皇族は、どのような役割を果たすことができるだろうか。
問題は、ここだ。
皇統に連なる者、皇位継承資格者という背景はない。
世の中には、美しさと華やかさを有する男性もいるけれども、女性皇族(内親王、女王)の可愛らしさと華やかさに及ばないのであれば自らの存在意義を見出せないかもしれず、超えてしまった場合には、おそらく世の中の受け止めはあまり良くない。
ヨーロッパの君主国においても、女王の配偶者である男性は、心理的になかなか厳しく、鬱の傾向にあると見受けられる。
それでも、ヨーロッパの君主国の場合は、軍というものが存在するので、男性が男性らしさを発揮し、自らの存在意義を確認できる道が、まだあるのではないかと思う。
しかしながら、日本の場合には、そういう道はない。
いずれ、うまい具合に適性を有する男性が現れ、うまい具合に役割を果たすだろうというぼんやりとしたイメージのままだと、いざ制度がスタートしたとして、みんなが不幸になる可能性が高い。
これは、そういうお立場に立つ方の個性の問題というだけではなく、圧倒的に、世の中が、皇室の男性、女性に対し、それぞれどういう理想のイメージを投射するかという問題なのである。
現実論として、そこには性差があるということは、認めざるを得ないのではないだろうか。
歴史上の女性天皇の存在、女系継承の実態があったと言い得ることはその通りであると思うのだが、在位中の女性天皇の配偶者としての役割を果たした男性の実例は、存在していない。
もとより、仮に例があったとしても、かなり時代状況が異なるので、例があるから安心というわけではなく、そういう意味では、例があってもなくても同じなのかもしないが、女系・女性拡大支持の方々においては、民間出身の男性配偶者の役割、自己実現の道について、どのようにイメージしているのか、聞いてみたいところではある。
男性にとって、自らが納得し、世の中も納得する在り方というのは、女性を守るという方向性なのだろうか。
そうすると、至上の存在である天皇(女性)を守るため、下位の勢力と対峙するという観点からは、宮内庁の長官に近い立場の方が、やりやすいのかもしれない。
聖と俗の両方にまたがるような立場であろうか。
最近、弱者男性といった言葉を耳にすることが多い。
男性配偶者の在り方の問題は、皇室だけの問題ではなく、今の日本の社会における男性の在り方の問題とも、どこか通じるものがあるかもしれない。