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「厳粛な卒業式が停滞」元都立高校教諭の処罰は軽すぎる

2006-06-01 15:07:24 | エッセイ・コラム

本日の「産経新聞」の主張に君が代判決 妨害行為に刑罰は当然だ とある。

 2年前、東京都立高校の卒業式で同校元教諭、藤田勝久被告(65歳)が、同校卒業式の式場で
●国旗・国歌の実施を求めた都教委の通達を批判した週刊誌のコピーを配り、
●保護者席に向かって「きょうは、異常な卒業式で、国歌斉唱の時に、教職員は必ず立って歌わないと、戒告処分で、30代なら200万円の減収です。できたら着席をお願いします」と呼びかけ
●校長、教頭に退場を求められると「触るんじゃない」などと怒号し式典会場を喧噪(けんそう)に陥れるなどの行為で、

開式を約2分遅らせるなどした。

 そして結果、同教諭の妨害で萎縮した卒業生の9割が国歌斉唱のときに着席してしまったという。

 違法行為を上げればきりがない、こんなならず者教師がよくも定年近くまで教師として教壇に立っていたものだと、呆れてしまいました。国民の血税がこんなろくでもない教師に使われていたと思うと怒りさえ覚える。

 同教諭は地方公務員法、学習指導要領に沿った指導、都教委の通達など一切無視している。

 現行憲法に「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」(第15条②)と書かれているが公務員としての義務の放棄である。

 また、いくら自由、権利を叫ぼうが憲法に「これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」(第12条)と定められている通り、現行憲法は権利の濫用を禁止している。
 自由、権利といえども制限はある。 

 ましてや厳粛な卒業式で、国歌を斉唱する児童生徒の権利まで奪う権利はない。
 他人の権利の尊重や公共の福祉の実現のためには制限されはずだ。 生徒を指導する立場の教師が、日本国民、教育者、公務員、大人として厳粛な儀式を滞りなく実施する義務をまず果たすべきだ。

 その義務を果たした上で、言いたいことがあるなら子供ではないのだから、しかるべきところで表現の自由を行使すべきではないかと言いたい。

 どうも、同教諭のような公共の福祉の意味が分からない方々は、国家あっての人権であることの基本認識が完全に欠落している。

 国歌、国旗が法制化され卒業式、入学式での実施に改善の兆しがあるにしても、正常化には時間がかかる。

 小泉純一郎首相は1日午前の衆院教育基本法特別委員会で、自民党の小渕優子氏の「愛国心」教育のあり方についての質問に対して「自分の国を愛する、他国を尊重する、自分が生まれ育ってきた 歴史、伝統を大切にするということを日ごろの行動や教育において身につけられる人間を育てていこう。そういう気持ちを持って教師が生徒に、親が子供に教育 活動をすることは自然な、大事なことだと思う」と答弁しているが、議会、行政、民間が一体となって国旗掲揚、国歌斉唱も含めて「愛国心教育」の意義を広く県民に啓発する県民運動を盛り上げていかなければならない。

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