2015年3月23日、死去致しました。
そのことについては、下記で書いています。
宜しかったら、御覧になって下さい。
母について
このブログは、私が他のHNで書いているものです。
同じような内容を、複数の場所(ネット上)で書くのはいかがかと思い、
このようにさせて頂きました。
誘導になってしまって、申し訳ありません。
母の死については、そこで読んでいただいて・・・
私が、今回で、最も痛感したのは・・・
「延命拒否」といわれていることが
本人さえ了承していれば、済む、という訳ではない、ということです。
例え、私自身が、「延命拒否」とカード等に署名したり
または、何か文章で遺しても
それを、医師に告げ&実行することを決めるのは
私の遺族・・・まぁ家族だということです。
そして、幾ら私が「延命拒否」と思っていて決意しても
その通りになるか否かは、私の力の及ばないところで決められるってことです。
私の遺族、まぁ夫&息子ズが、延命拒否を否定し、治療続行と決めたら・・・
そうなってしまう、ってことなんですね。
そして、まぁ、延命拒否といっても、
まだ意識があり、耳元で話せば、頷くことはできる状態の人を
どうすればよいのか・・・
この時点では、治療をやめることはできないのか・・・
単純に「私は延命拒否します」と言っても
それを実行に移すためには、様々なことを越えなければならない・・・・
まぁ、私自身がもっと、その件に関して勉強しなければならないのでしょうが
それでも、結局は、私が「その時」を決めることができない・・・・
それが、現実なんだなぁ、と
母の死を見つめて、そう思いました。
死ぬのは、簡単。そして難しい・・・・痛感しました。
私は、母が酷い姿で生きるのは、きっと母本人は辛かろう。
そう思い、少しでも綺麗な姿で、逝かせたかった。
もちろん、もうどんな治療も無理だろうと、いう気持ちもありましたが。
しかし、兄は、母に生きていて欲しかった。
兄自身も、機械に頼ってまでは、と思っていたでしょうが
まだ息のある母に、私のように思えなかった。
私は義母に、この話をすると・・・
「男って、そういうものよ。特に母親にはね」
と、なんと!ある意味真実的な言葉を返されました。
まぁ、真実か否かは不明ですが・・・・
何が正しいなんて、分からない。
でも、何かを決めなけばならない。
母が、最期に教えてくれたことです・・・・・・・そう思っています。
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