オヤジで悪いかよぉ!東京日記なり~

北海道の道東より、好きなビール飲んでgooたらしているオヤジの日々の『ぼやき』なのです。

The End of Group B

2013年07月25日 | 読書・音楽・映画もろもろ・・・いいよ

今朝は朝焼けがきれいだったよ~。

眠い目を擦りながらより、早く起きてシャキットした体での仕事の方が効率がいいね!

因みに3時起き・・・。

 

 

さて恒例、知ってる人は知ってる、知らない人は知らないシリーズ。

知らなくても、いい~んです!(川平慈英風に)

僕だけ知っていれば・・・。

 

 The End of Group B

グループBの終わり、AKBとかじゃないぜ。

WRC(世界ラリー選手権)の1986年に廃止されたカテゴリー。

とにかく過激な時代であった。

ホモロゲ(公認)を得るため、年間200台の生産が義務づけられるが、当然市販車とは別物である。

4WD、エンジン、ダウンホースを得て、86年頃には600馬力はでていたらしい。

馬力もすごいが、パワーウエイトレシオは2kg/psを切っていた。

F1マシンと変わらぬ加速力。

当然ドライバーも手を焼き、大クラッシュ、ドライバー死亡事故、ついには観客を巻き込む死傷事故も起きる。

 

1986年5月2日、ツール・ド・コルス

屈指のターマック(舗装路)のラリーである。

「コルシカの英雄」と言われるが為に、世界のターマックスペシャリストが集結する。

前年完敗であったプジョー205T16に負けじと、ランチャはミッドシップ、ツインチャージャーで武装してきた。

ランチャ・デルタS4である。

他のドライバーは手を焼いていた中、彼だけが乗りこなしていたかのように見えた。

天才と言われた、ヘンリ・トイヴォネン

現場には、ブレーキ痕もなく、コースアウト、炎上して亡くなる。

レース界において、天才は早死にするのか?

あのジル・ビルヌーブもアイルトン・セナもロニー・ペテルソンもそうだった。

少々、マニアックな話になってしまった・・・・な。

 

車って人や荷物を運ぶ目的で作られたモノではあるが、

男として、この過激さ、ラテン系の乗りには堪らないものがあるのだ。


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
しらんぞ~ (オ 寒)
2013-07-25 06:56:59
知らん・・

北海道限定か?
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セナは (空子)
2013-07-25 07:27:04
知ってる。
衝撃どした。
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オ 寒さん (おおぬま)
2013-07-26 05:57:27
以後WRCは4WDの時代になって、あのスバル・インプレッサが活躍しただよ。
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空子さん (おおぬま)
2013-07-26 05:58:20
セナが亡くなってから、F1はしばらく見なかったよ~
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