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ニュースウオッチ9:「認知症の親の”最後“悩み決断する家族」・・・最後の決断は何?

2015-10-15 07:49:52 | 社会

14日、NHKの「ニュースウオッチ9」で特集『認知症の親の”最後“悩み決断する家族』で、95歳の認知症の母親の胃ろうを外す決断した家族を取り上げていました。
94歳の認知症で経鼻栄養で在宅介護中の老母の終末期を考えている当方には、最低の意思疎通できる段階で経管栄養を外す決断できるのか複雑な心情になりましたね。
終末期医療は本人の意向を尊重すべきと言われるが、意思疎通できるかどうかではないかと思っています。

NW9特集『認知症の親の”最後“悩み決断する家族』(動画あり)の番組紹介を転載すると
“「「人生の最期をどう迎えるのか。」親が認知症を患い、その意思を確認できずに悩む家族は少なくないと言います。母親の延命治療をめぐって、続けるのか、やめるのか悩み、ある決断にたどりついた家族を取材しました。」”
で、内容は、
一昨年、救急搬送され意識失い胃ろう(経管栄養)を施しベットで寝たきりの母親を胃ろうを外すかどうか悩み病院と相談した結果、命が短くなっても自然な状態(好きな事でをさせて)で死を迎えさせたい妹の意向に兄も同調し胃ろうを外すことを決断し、帰宅し家族皆で食事の機会を設け、半年後に母親は95歳で死去(老衰?)。
妹は、好きだった食の機会を設けたことで晴れやかな気持ちで母親を見送ったと語り、兄もこれでよかったと語っていました。

来月95歳になる認知症で経鼻栄養で在宅介護中の老母は、典型的なアルツハイマー型の重度の認知症と診断され、特養での転倒事故で拒食なり、入院が余儀なくされ、延命医療を無用論の当方は経鼻栄養を施すことを決断しました。
決断した理由は、病院側が看取りまで責任をもつという約束で、老母の終末期の不安が解消できたと思ったことです。
入院1年半後、認知症は進行し自分を息子かどうか認知できなくなったが、終末期は自分の家で過ごさせてやりたいと思い、病院側と相談の上、在宅介護を開始しました。
訪問医療・看護・介護・入浴による在宅介護し始め1年半経過した現在、老母は落ち着き、介護ヘルパーとは支離滅裂の会話をし、「ありがとう」「痛い」「嫌だ」と言っています。

NW9の番組では、母親とは意思疎通が出来なくなったとありましたが、当方の老母と比べるとしっかりしており、この程度で意思疎通できないというのかには違和感をもちました。
また、当方の老母は、経鼻栄養による延命措置を施しており、口から食べることも飲むこともできませんが、胃ろうであれば、口から食べたり飲んだりできる可能性があるのに、何故、チャレンジせずに、妹サンが母親は食することが好きだった、好きなことをさせてあげたい思いで胃ろうを外すのに時を要したのかも違和感をもちましたね。

本人の意思を尊重し、本人が延命医療を望むかどうか確認出来ないことを問題視していましたが、認知症の高齢者に問うことは限界であり、家族が決断しなければならないと思っています。
NW9の番組では、妹サンは、“「母親は食することが好きだった。寝たきりで生かされているのは希望していない」”と胃ろうを外すことが母親は幸せと語っていましたが、当方には、老母に比較して意思疎通ができていると思われ、老母の好きなことは何だったか?悩みますが、意思疎通は限定的でも馴染んだ家で馴染んだヘルパーにしかできません。
老母が和やかに過ごせるのはヘルパーさんに負うところ大ですね。
当方の最後の決断は、意思疎通が出来なくなる状況はどういう状況なのかを留意しており、その時が経管栄養を外す時と思っています。



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