傍観者の独り言・戯言

団塊世代の手前勝手な放言
ブログ「傍観者の独り言」の続編

在宅介護で認知症の老母を看取って思った事(施設での看取り)(独り言)

2017-11-11 12:14:49 | 独り言


当方は、認知症で要介護5の老母を在宅終末期介護で看取るまで体験したが、NHKニュースの記事『住み慣れた施設で最後を「みとり」の介護報酬増額へ』(2019.11.11)で、厚生省が特養居住の高齢者を病院でなく施設で看取り行った場合に介護報酬を増額する方針と報道。
在宅介護を推奨してきた政府が、施設介護で看取りを推奨する方針に、少子高齢化核家族社会に長期的ビジョンなく違和感を覚えますね。

当方は、父親は病院での検査入院中の1ヶ月足らず死去し、母親は80歳後半まで健常で、高齢者の医療介護に無関心でしたが、10年前に父親死後、独り住まい母親の異常言動が見受けられ、年寄りの呆けと思っていたが、10年前、母親が徘徊しジョキング者との衝突事故を契機に、高齢者の認知症を意識し、認知症の母親の将来に関心を持つようになり、自分の老後も意識するようになりました。

NHKの記事『住み慣れた施設で最後を「みとり」の介護報酬増額へ』を転載すると、

“「特別養護老人ホームで暮らす高齢者が、病院ではなく住み慣れた施設で最期を迎えられるよう、厚生労働省は施設側が地域の病院などと連携して医療体制を整え、みとりを行った場合に、介護報酬を増額する方針を固めました。

厚生労働省は来年4月の介護報酬の改定に向けて、高齢者が病院ではなく住み慣れた自宅や介護施設で最期を迎えられる「みとり」を重視する方向で議論を進めています。

その結果、特別養護老人ホームで医療体制を充実させ、入居者を病院に搬送することなく施設の中でみとりを行った場合の介護報酬を増額する方針を固めました。

また夜間などに入居者の容体が急変しても、施設内で治療が受けられるよう、地域の病院と連携して24時間いつでも医師を派遣してもらえる体制を整えた場合も加算の対象となります。

厚生労働省が去年行った調査によりますと、特別養護老人ホームの入所者で死亡した人のうち、およそ40%が施設で十分な医療体制が整っていないことなどから、病院に搬送されて亡くなったということです。

厚生労働省は「住み慣れた施設で最期を迎えたいという高齢者の希望に応えるためにも、医療と介護の連携を強化して施設でのみとりを進めていきたい」と話しています
。」“

と、一見、現実的な見解に覚えますが、当方には、政府の長期的ビジョン(国家の計)なき証と思えますね。

旧ブログ『週刊現代の記事『みんな悩んでいる「老いた親」の捨て方』・・・・「社会的入院」も解(雑感)(追記)』(2014-03-19)で、

“「「現代ビジネス」サイトに、「週刊現代」(」2014年3月22日号)の【賢者の知恵】の記事『大特集みんな悩んでいる「老いた親」の捨て方【第1部】決断ひとつで、天と地ほどの差がついてしまう!親を捨てるか妻から捨てられる』を掲載しています。
記事は、「老いた親」を捨てるか、捨てなければ妻から捨てられるという内容であるが、当方は認知症の老母の介護体験で、老親の在宅介護は家族の負担も大きく、「姥捨て山」観があるが社会的入院が現実解と思いますね。
やはり、理想は「ピンピンコロリ」ですね
。」”

と書き、少子高齢化核家族社会では、政府が病院・施設介護から在宅介護へ推奨より社会的入院を推進すべきと書きました。

政府の在宅介護の推進方針について10年前に、旧ブログ『医療・介護難民の戦犯は?』(2009-04-03)で、

“「医療難民については、「高齢者医療難民」の著者の吉岡充氏(参照:本ブログ『「高齢者医療難民」の著者に聞く・・・・内容に身震いします。』)は、老人医療と介護は一緒にすべきとし、厚生労働省の医療療養病床の削減、介護療養病床の全廃の施策は、医療難民が生まれると反対を提起しております。
これは、小泉改革以降による「歳出削減」の圧力による社会保障費削減が元凶ですね。」“


と書き、歳出削減が今日の「高齢者は社会のお荷物」してきたのです。
歳出削減し財政健在化の取り組みには賛同しますが、少子高齢核家族社会での人口減少が元凶なのです。
この、10年、社会保障分野は充実してきたことは容認できますが、旧ブログ『人口減少の限界国家ニッポン(雑感)』(2014-06-17)で、アベノミクスによる一過性の景気回復の今日、個人的願望の挑戦的な国策より長期的観点での土着的な堅実性が求められていると思うとし、“「日本社会では地方の高齢・過疎化が顕在し始め「限界集落」の語句が登場した20年前であり、今日の高齢少子社会の到来は想定できる事柄で今まで政府の無策が結果」”と書きました。

よって、NHKの記事『住み慣れた施設で最後を「みとり」の介護報酬増額へ』の現実解みたいな記事内容に違和感を覚えるのです。

少子高齢核家族社会の今日、働き方改革より死に方多様改革すべきで、脚本家の橋田壽賀子(92)の発言“「私は安楽死で逝きたい」”(自分で死を選べる)は共感でき、自分で食事できなくなり下の世話も他人に世話になる前にこの世と”おさらば”したいですね。
少子高齢核家族社会の現下、認知症の老母が特養入居し、転倒事故で拒食になった時、”「長生きし過ぎた」“と夕日に向かい合掌している姿に長患いせずに静かな死の姿と橋田壽賀子女史の”迷惑をかけたくない“心情に共感でき、当方はピンピンコロリで死ぬべきと切に思いましたね。




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