日馬富士問題は、日馬富士の貴ノ岩への暴行傷害事件から横綱の品格問題になり相撲協会対貴乃花親方問題になり、モンゴル力士会対貴乃花親方問題になり、白鵬の勝負相撲道対貴乃花の古色蒼然の相撲道になり、相撲がSUMOに変容できない世界観のない論争には食傷気味になります。
柔道が東京オリンピックでへーシングに敗戦を契機に、世界の「JUDO」に変容していった歴史があるのに、貴乃花親方の目指す大相撲・協会の改革は、自分を神格化した求道者な姿勢に違和感を持ち、「相撲」はグローバルな「SUMO」に変容できませんね。
マアー、日本の風土では、相撲を神技、国技に親密感を覚える土壌があり、貴乃花親方が現役時代の活躍に興奮した記憶があり、白鵬の勝ちに拘る心情には生理的嫌悪を覚えるのでしょうね。
日馬富士暴行事案は、当初報道は、指導・教育でも暴力行為は許されず日馬富士は横綱の品格面で引退もやむなしで、貴乃花親方が被害届を提出は正論という論調で、貴ノ岩の裂傷に何針かの縫った写真が公表されると貴乃花親方の相撲協会の改革路線が注目されたが、当方は、日馬富士が些細な事で同郷の後輩力士に暴行傷害する動機・背景が不透明で、真相に納得できる報道がなく、傍観していました。
その後、貴乃花親方はモンゴル力士、モンゴル力士会には一線を引いて距離を置いている相撲協会対貴乃花親方の報道になり、貴乃花親方が沈黙続けていると、モンゴル力士・力士会が取り上げられ、白鵬の横綱の品格を問う報道になり、白鵬の勝利第一の相撲道と貴乃花の美しい横綱相撲の相撲道の対比になったが、貴乃花親方の信念の相撲道で相撲協会の体質改善を目指しているが、当方には違和感を覚えましたね。
当方が、貴乃花親方の信念に自分を神格化した相撲道に違和感を覚えたのは、J-CASTの記事『貴乃花「4年前ブログ」の弟子愛がすごい 暴行問題うけ再注目』でも取り上げているが、06日のTV朝日の「ワイド!スクランブル」で取り上げており、全文は貴乃花部屋に貴乃花親方の思いとして額の掲示を紹介しておりました。
思いの全文は、ブログ「貴乃花親方からのメッセージ」の『我が弟子たちへ』(2013.5.12)で見ることができますが、貴乃花親方の弟子への𠮟咤激励ですが、傍観者には違和感を覚えましたね。
番組のコメンテーターとして出演していた中野信子・脳科学者 医学博士は、全文の感想に『・・・・・・ 何か自分が神のごとく・・・・?』と言葉を濁していましたが、当方も、過去にキリスト教の教宣活動のスローガン「信じる者は救われる」を連想させ、仏教語「不惜身命」の「仏道のために身も命も惜しまないこと」を連想させ、何か貴乃花親方の相撲道は宗教の求道に類似している感想をもち、沈黙の貴乃花親方に柔軟性のない偏狭な人間性を覚えます。
当方には、貴乃花親方は、過去には洗脳問題で実母兄弟を断絶するほど、自分の信念に偏執・固執する性格ではないかという印象を持ち、貴乃花親方の相撲道への純な心情・信念は、相撲は神技・国技の古色蒼然の懐古主義に思え、「相撲」が「SUMO」へ変容させることは出来ないと思いますね。
当方は、モンゴル力士であろうが海外力士であろうが強い力士は「横綱」の称号権限を与え、その横綱に人望があれば、ファンは「横綱」の権威・品格あると思うでしょうね。
白鵬のモンゴル国旗のあるジャージーに批判など枝葉末節な話題で、日馬富士暴行事件の報道には食傷気味になります。