ねこてん~全ての猫は天使である~

東京都港区青山&ビックサイト周辺にて地域猫活動を行っているボランティア

ネット愛護家と承認欲求

2019-10-17 23:05:00 | 猫ボランティアの心意気



ネット愛護家と現場で命と向き合うボランティアの決定的な違いは「マイノリティの自覚」があるかどうかだと私は思います。

多くの人は生活に直結しない、自身の生死に関係ない野良犬猫のことを深くは考えません。

ピースワンコでも奄美ノネコでも、問題提起しようものならば「反対する人が引き取れ」のコールで埋まります。

そう唱える人たちの目には、犬猫は命ではなく厄介物としか映っていないのでしょう。

現実、動物たちの命はモノ同然どころか、殺されようが死のうがが関係ないどころか、関わりたくない目に入れたくないという世界。

傍観者との間に温度差が生じるのは、無理からぬところでしょう。
だから、動物愛護は「知って頂く」「考え頂く」の繰り返しなのだと思っています。

それ故に、私たちはミスリード、つまり間違った情報を流されることを何よりも恐れます。



1年ぐらい前から、あるTwitterのアカウントがボランティア間で問題視され始めました。

フォロワーが多いため、その発言の影響が大きい。
当人もオーソリティを気取り、評論するように各問題に見解を述べる。

これは個人の自由で、何ら目くじらを立てるようなことではありません。
しかし、その意見の多くが的外れ。

最初は考えが甘いのだろうと思っていたのですが、そのうち見逃すことが出来ないレベルになってきました。
動物たちの尊厳を無視した保護活動を肯定するようになってきたからです。

例えば、ピースワンコの生死不明の800頭について、2千頭も保護しているのだから多少は死んでも仕方ないと。
奄美ノネコの駆除計画についても野犬は殺処分されているから仕方ないと。

■世にも残酷なピースワンコ
800の命が消えたと聞いたら、見て見ぬふりが出来ますか?
しかし、殺処分ゼロに尽力しているピースワンコで、800頭の保護犬が生死不明と知っても「仕方ない」とされました。
■無用の用であるノネコたち



もとは人間の身勝手から生まれた不幸な命。
人間の都合で命を奪われても当然なのでしょうか。

もしも、全ての人間があきらめ、誰も声を上げなかったら、いったいどうなるのでしょう。

殺処分ゼロのように煽動されてしまうと、置いてけぼりを食うのは、モノ言えぬ動物たちだと私たちは身に染みています。

だから、ミスリードにはNOを示します。
それに対して、誹謗中傷!名誉毀損!と恫喝し言論の自由を奪います。

これは動物愛護に関する意見の相違ではありません。
彼にとって動物たちはどうでもよい存在で、その関心は、自分が集団から価値ある存在と認められ尊重されること。

この欲求が妨害されると、自分が他人より優れているのは当然であるとして攻撃を仕掛け、承認を満たそうとするのです。

これは正義なのでしょうか?
名誉を傷つけたとされたのは正論であり、動物たちの声なき声です。

私は、欺瞞に満ちた脅かしには屈しません!

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村 猫ブログへ
ポチッとリアクションに感謝 😸



最新の画像もっと見る