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「北極星に願いをこめて」 (右脳のひらめき)

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結婚の維持 不倫の代償 離婚の結末 その4 「離婚」

2011年01月09日 17時04分47秒 | 精神哲学 ~魂の筋力をつける朋塾~
こんばんは。

私の父方に、大正時代に、離婚したっていう組み合わせがいましてね。まこと、あの当時は、嫁して三年 子なきは去るという考えが主流だった時代にですね、子があっても協議離婚したと言う履歴が残ってたりするんですね。

ええ、あの当時のことを母に聞くと、大概は、嫁したら実家に戻されるのには、余程の理由があったからではないかと考えられるほど、その当時だけ、実は離婚ってリベラルな考えになかったんですよ。無論、江戸時代から、離婚に関して、非常にユルイ国民性であったんですよ、日本って国は。けれど、戸籍を作り出してから、戸籍に残るってだけで、急に見る目が厳しくなったんですよ。

戸籍って偉大ですね。国民性をドラスティックに変えたんですね。

けれど、母からしたら、もう、そういう人は、眉をひそめる存在であった訳で、お前がおきゃんなのは、この離婚した大叔母の血を引いているからじゃないかってまでよく言われたモンなんですが、どっこい、私とその大叔母には、血のつながりがないですし、そもそも、おきゃんな母から産まれた私が、おきゃんでなくしてどうする?とまで言い返したことがあるんですがね。

さて、デキ婚ときて、離婚。無論ですけれど、私はここで述べているのは、一般的なことしか述べていないと思っていてください。離婚すべき人で、離婚しないが為に、苦労を背負っている人もいますし、ついでに言えば、なんで離婚したいのかなと不審に思える人もいるのは、事実なんですよ。

離婚やデキ婚や、親や親族のしていることって、割と環境連鎖して、巷じゃ、前に「離婚体質は遺伝である」なんてまことしやかな嘘を述べている「スピリチュアル」もいた訳ですが、実際は、遺伝と言う血脈の性癖もあるんでしょうけれど、環境連鎖と50 VS 50 だと思います。血脈的に、かっとなり易く、その場であっという間に、離婚を持ち出して脅すつもりが、逆手に取られて、逆に「別れ」に持ち込まれてしまったってのは、どうなんですか?って言われたら、そういう性癖と、衝動性の処理能力に関して、環境連鎖でしょうね。

女性が異様に強い家系もありますし、男性が優位に残る家系もあります。それが、因縁で怨念でと思う前に、基本的に、昭和一桁代までに生まれた人のところで、長男って存在は、割と亡くなりやすかったんだと思います。誰もが、必ず見ているはずの長男が?と思われると思いますが、割と、次男が残っている家系をよく拝見します。私からすれば、長男次男なんて、仏の入った墓を継ぐか、継がないかしか、意味合いはないと思うんですが、それが意外と重要ではあったりします。

さて、そんな中で、離婚について、戸籍が出来た途端、ユルイ国民は、あっという間に、すべて所業が明らかになってしまう恐れが出ることとなったんですね。まぁ、不倫とか、昔はなかったかと言われれば、不倫しているほど、暇な世の中だったわけではなく、年貢を納めるのに四苦八苦で、今じゃ、税金納めるのに四苦八苦ってとこですか。けれど、年貢を納め終わった後など、冬のたそがれに、持ち込まれる情事ってのは、割とかなり合ったんですよ。遠藤ミチロウのオデッセイ・1985・SEXにありますが、「のれんに腕、押し倒して、SEX」「心頭滅却すれば火もまたすずし 秋のSEX」ですか。ちょっと違いますか(苦笑)。これじゃ、神事ですか。ついこの間まで、夜這い、まぐあい、なんでもありだったんですよ。今でも、残っている風習を持つところはありますよ。

日本を欧米化しようとして、幕末に色々な人が、思想に影響を受けて、今じゃ、スウェーデンの政策を日本に取り込もうと躍起になる人もいるんですが、基本的に、国民性のリベラルさが違いますからね。あぁ、フリーセックスの面じゃ、日本もその昔は、負けていなかったと思いますよ。ただ、戸籍が出来たんで、やっぱ、責任取るって所在が出ちゃうって、極めて真面目に離婚しないでおこうと努めて頑張る国民性は、日本ならではですね。まぁ、戸籍抄本などを取り寄せようとすると、何代も先の所業が明らかになるって言うわけで、なんとも、制度の持ち込みは、痛い面もあるわけですよ。

基本的に、確実な合理性を持っている民族っているんだろうかってなると、実は、それこそ、現代社会に溶け込まず、今だ、狩を行っている民族など、非常に合理性のある考えをしているんだとデータにはあります。獲物を見つけることに関して、あいつはずるいとか、あいつばかりと言う考えが、出てきそうな資本主義の中で、非常に合理的に、「運がなかった」にて、利権を得るのを諦める、もしくは、最低限の利権が保証されるなら、それ以上、失うことを覚悟で、増やそうと思わないって部族がいるんですよ。まこと、狩の思考ですね。

で、そんな中で、サイコパスパラダイスにも書きました、イヌイット族の「どうでもいい働かないずるい男」クンランゲタこれが、どこの部族にもいるわけで、日本にもごく普通に、皆がなりふり構わず働く中で、女の子といちゃいちゃしている、甲斐性のない男ってのがいる訳なんです。まぁ、それを相手にしちゃう女性も女性ですが、2000年経っても相変わらずな私達は、「古典的なちょっかい」に即、乗って、不倫や情事を、本能の赴くままに快楽追求して耽るってのも、まぁ、ほんと、人間って、変わらないんですね。

かといって、今までは戸籍がないから分からないけれど、およそ、江戸時代には、離婚だって多かったんですよ。子供産んで、帰っちゃったケースもあるし、子供連れて帰っちゃうケースもある。別に、どんなケースがいようと関係ないんじゃないですかね。

スピリチュアル的にどうですか?と言われると、きっと倫理概念を考えてどうですか?って意味合いの質問だと思うので、こう答えるしかないですね。離婚して、次の相手を見つけて幸せになることと、今の相手による幸せと、どっちがいいかってことですかね。

どの道、結婚は「苦労を重ねて、人間関係を築くこと」には代わりがなく、今の「男」で築けなかった人間関係も、次の「女」(苦笑)で築けるかもしれない。なんせ、フリーですからね。別に、相手が、異性であり続ける必要さえなくなってくるかもしれませんよ。

まぁ、禁止禁止って言うと、直ぐ、衆道に入っちゃう人も、カトリックの教会じゃごく当たり前のようについこの間まで(今もか)、あった事実ですから、欧米化って言うのも、案外眉唾物かもしれません。衆道って、貴腐人の必須取得単位ですか(苦笑)。極めてグローバルな神事なんですね(涙)。

そんなんで、至極イージーに捉えて欲しいんですが、戸籍のことを考えて、生真面目に人は慎んでみたけれど、破綻が来ましたって事は、意外と、ここまできたら、むしろ、籍を入れないでフリーで楽しんだままのほうが、いいってことなんですかね。そうなると、戸籍にて管理したがった家族と言う最後の小さな「集団」さえも離れて、思考は完璧に、「個」単位に走ってしまうんですがね。




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