こんばんは。
基本的に、チキンの癖に、心霊スポットに行きたがったり、怪談話で、とにかくその場をなんとかやり込めようとして、逆に、ラップ音や、色々な現象に悩まされて、助けてくれって言う人たち。
あの、快楽の余韻は、快楽の余韻で楽しんだらいいんじゃないですかね。
怪談とか、心霊話って、非日常でしょう?わたしだって、自分で書いておきながら、自分の怪談でヒヤッとしてしまうことありますよ。でも、非日常なんですよ。結局、あなたのいる場所が、日常なんですね。そこへあなたが戻ったら、それで、終わりなんですよ。
わたしなんか、幽霊の夢沢山見たりしますけれどね。通常で霊ってものも、よく掴んだり、握って、弄って、甚振ったりしますけれどね。
自分で好んで心霊の場所に行ったのなら、それはそれなりの覚悟で行きますよ。
まぁ、予想してなかった宿が「心霊物件」だった場合は、もう、しょうがないんで、その場で覚悟決めますけれどね。
昨年、うちの女子会は、神様系と心霊系と宿泊を重ねたのですが、神様系の時は、わたし、酒が許されるようなんですね。それで、心霊系だと、やっぱり、その翌日具合が悪くて、結局、どっかにお参りして押し付けてきて、押し付けられないものは、家で地道に片付けます。
自分の些細な好奇心で招いた快楽のツケは自分で支払います。心霊系は特に、メンタルの強さと礼儀正しさを問われるので、厳しいものだと思います。神様は、もう、何したって、あっちの勝手なので、わたしたちは、何があろうと、完全AWAYだと思っています(笑)。
基本的に心霊は、その翌日が凄くきついです。まぁ、日本なんて、別にどこ行っても同じだろうと思っていたんですが、神様がどこにいるのか、何故か、全く不思議な場所ってのがあって、そこだと、心霊もいるのですが、それ以上に奇跡が「ツンデレ」のような状態でね。
そんなことで、わたしも、暇な時、哲学ニュースとか読んでいますけれど、怖いなって思うものもありますね。それで、十分冷えたら、温かいお風呂に入って、シャキッとして、また、仕事に入るという感じですか。
わたし、非日常と日常の区別というか、メリハリは、きっちりしています。
まぁ、そもそも、わたしの家は、皆さんにとっての非日常が日常であり、日常が非日常なので、ちょっと価値観に違和感があるのですがね。
非日常の快楽の余韻を楽しむって素敵なことですよ。それが、例えラップ音であろうと、不穏な陰であろうと。
だって、そもそも、幽霊は「病んでいる」状態なので、何したって不思議ないですよ。
軽井沢から帰宅して、ずっと毎晩、夢の中で、幽霊をなぎ倒しているのですが、昨日、首謀格を見つけたんですね。それで、そいつを掴んで、そいつを盾にしてまだ、沢山の奴をなぎ倒そうとしてたら、声がするんですよ。
「左手で戦いなさい。」
左手がどうかしたのか分からなかったのですが、朝方まで、鉈(なた)持って、殴り倒していましたよ。右手で、幽霊掴んで、逃げようとすると、噛んで、噛みちぎろうとして。目線がきつい女には、「ガンつけるんなら、上等や!」ってな程、にらみつけて、そいつがいきなり目の前に来たら、考える前に即、殴り倒して。
相手が言うんですよ。「目の前に移動したら、驚くと思ったのに、いきなり殴るなんてひどい。」
「サトリ(WIKIPEDIA)」対策で、自分の意思を知られないまま、無になってやること、結構あるんですわ。そういう、ご自分だって、いきなり移動して、大きな血まみれの目を見せびらかしといて、なにを言うか、このビッチとは、思ったんですが、わたし、何かひどいことしましたでしょうか。
それで、左で戦うってなんでだろうなと思っていたんですね。
左手が元々握力が強いからかなとか、思ったんですけれど、確か夢の中で、なんか着けてたんですわ。
それで、パジャマの袖をめくったら、あっそうそう、昨日、クラフトマンに病気平癒の意味合いで試してみるかと冗談半分で言った石をはめてましたわ。
というか、わたし、元々、腕力が強いので、右ではセーブできるものも、左手だと、何にもセーブできない爆発力を出すんですよ。だから、凄く嫌いなんですけれどね。
翌日、起きてみたときは、すっとして、左手に、鉈をふるった筋肉痛、右手には、嫌がって暴れる幽霊を掴みたおした筋肉痛だけが残ってました。
極めて非日常は、メンタルを問われる世界ですので、メンタルが未熟だと思うときは、自身を守る思いで、行かない、お相手(この場合、心霊スポットに言った場合に連れて帰ってくるズクズクとか、そもそも、怪談話しにこっちに来る友人もどき)に来ていただかないこととして、ちゃんと相手に「NO」と答える勇気も必要ですよ。
既に、「人生、幸も不幸もやりつくしました感」があれば、大いに、鉈をふるってもいいのではないかと思いますが、鉈をふるって、「鉈に振り回されるようなときは、結局は、自身が未熟」なのですよ。
サバイバルゲームって、己を極限までコントロールできない人には用がない場所なんで、それができないときは、できない範囲で楽しむのがいいと思います。サバイバルゲームはやると、真面目にPTSDを起こします。命がけで、死ぬか生きるかやれば、当然かと。それを乗り越えた先に、楽しみがあるんです。誰も、一度本気のサバイバルをしたら、二度としたいとは思わないはずですよ。
あなた、今、隣に座っている人の足を食べなくては、生き延びられないという経験を一度積んだら、二度も三度も進んで食べるようなそんな経験を積みにわざわざ行きたいと思いますか。一回食べて帰還した後、心はどう荒んでいるか、考え付きますか。
そもそも、非日常は、日常がしっかりしている人が、楽しめること。日常が「充実したつまらない生活」である人が楽しむところ。「不満が募りそうなほど、年貢が厳しい昨今、一揆を起こしそうなほど税を納めてて、日常にすっげー不満があるけれど、しっかりした土台のある人」が行うもの。それが、日常に不満があって、土台はしっかりしてなきゃ、そりゃ、非日常を引きずったまま、ズルズル、快楽のツケに食われますよ。
非日常は憂さ晴らし。
でも、毎日が非日常であってはいけないのですわ。非日常があるからこそ、毎日がつまらなく思え、また非日常の快楽を求める・・・・。
んまぁ、そんなんで、不倫や怪談や心霊探索とかスピが流行るのでしょうね。
朋
PS:我が家からしたら、幽霊が出ない宿・たぬきに化かされないドライブなんかが、非日常なんですが、中々恵まれません(涙)。