「北極星に願いをこめて」 (右脳のひらめき)

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発達障害について考えること その2 発達障害の子供たち

2014年04月23日 14時12分49秒 | 精神哲学 ~魂の筋力をつける朋塾~

こんにちは。

わたしの実家も、わたしの家も、同じく等しく、発達障害がいる。

子供たちについて今回は考えていこうと思うので、お付き合いください。

わたしは、比較的コミュニケーションを強化した類の発達障害であるが、それには理由がある。わたしは、子供の頃より、日記を書くことを義務付けられており、それ故に、後で読んで分からなかったり、人にうまく伝えられない時には、やはり困った思いがあった。必ず幼稚園の頃の日記には、冒頭文があり、ここでよくある「こんにちは」とか「こんばんは」と比較的に似たものである。「今日は楽しかった。」

これを一文、一番最初に書くことと決めたのは誰の指示なのかは、全く知らない。「今日は嫌だった」と書くこともできたと思うのだが、執拗に、「今日は楽しかった」と言う事で、幼稚園から小学校中学年までの日記は始まる。

これを書くことで、わたしは、楽しいことを一日から探して書くこととなる。

しかし、楽しかったことは、自分にとって楽しかったことであり、下手をすると、人と喧嘩して、ぶっ飛ばして骨折させた。楽しかったと締めくくっているケースもあるので、楽しいこと=素直でいいことばかりではない、子供故の残虐性が浮き彫りになった。

これを書くことで、自身の中にある残虐性に気づいたのは、割と早い時期だった。

兄は、夢中になると周りが全く見えず、その癖天才的な事を編み出し成し遂げる癖があった。でも、彼にも残虐性があり、等しく子供の中には、残虐性があるのだとわたしは思う。その残虐性の中で、バランスを取れば、肉食系と呼ばれて、ポジティブな呼ばれ方もする。でも、残虐性は、一番傷つくのは、人から言われて気がつくことである。

わたしはとかく、喧嘩が強く、兄に負けない技を考えつくことが多かった。だからこそ、残虐性は、極まることがあり、他人にその矛先が向いて思わぬ結果が出た時は、酷く自分を罰したい気分となった。

父が、幼稚園の頃のわたしに困った点は、わたしは、「負けず嫌い」であるという点だった。

これは、後に成長していく点として、「優秀」になるには欠かせない点である。でも、それ故、わたしは、なにも「許さなかった。」わたしは、誰も「許さなかった。」

降参して謝ってきても、わたしの怒りに触れた時、わたしの残虐性が芽を出した。わたしはこれを日記を読みなおすことで気が付き、無邪気に兄や、従兄弟と遊んでいる際の残虐性について知ることとなった。

無論、執着が人一倍強いので、負けず嫌いなのだが、執着をなくすことは、幼いころはできなかった。なので、自分の大事なものは、絶対壊れないように、急いで隠したり、しまったりした。そうではないと、兄が壊してしまったり、父が壊すこともあり、それが凄く怖かった。わたしの私物は、わたしが結婚して家を出るまで、わたしの私物ではなかった。あくまで、家の財産の一つであり、「わたし個人の私物」という観点は、親にも兄にもなかった。

執着が強い部分があるので、喰らいついたら離れない。故に、習い事にも秀でることとなるし、観察すると、全くどうでもいい部分ばかりを見ているので、造形も特殊だった。人がそうは思いつかないような造形を作るのが、趣味で、逆に、この自身のオリジナルを生み出すという「学習」を好んで与えたのは、父であった。

アウトプットの仕方がわからないのが、子供なので、子供の時に、一番最初に作った曲は、「マイナーコード」でできた悲しい曲だった。

周りは、天真爛漫な子供が、悲しい響きの曲を次々と編み出していくことに恐怖を覚え、また、一旦覚えた歌も、簡単にマイナーコードに変えて歌ったり、メジャーコードに変えて歌い返したりした。

天真爛漫さは、他にもあった。スピーカーから流れてくるラジオを聞いて、ラジオに話しかけたら、喋っているお姉さんと会話ができるのだと思ってしまったこともあり、非常に、天真爛漫なのか、何なのか、わからないところがあった。

親が非常に育てにくいと思ったのは、兄であり、兄は、「人の言うことを絶対に聞かなかったし、目線を合わせないこともあった。」

兄は、自分が考えている行動をいつ実行に移せるかが、いつも課題であり、その隙を狙うことだけしか考えていなかった。なので、ふとした瞬間に、兄が勉強していたと思っていたのだが、気が付くと兄は、玄関からではなく窓から飛び出して、どこかへ向かってしまっていた。兄の脳内は非常に不可思議で、兄の興味の向くままに、兄は動くので、親はそれに振り回されっぱなしであった。

しかし、兄は、喘息やアレルギー疾患等を持っていたので、非常にその点では、健康な妹より珍重されることが多かった。

兄に振り回されたが、親も随分と暴走していた。その中で、出先で忘れられたり、一時的に預けられた場所で忘れられたり、わたしは色々と恥をかくこととなり、それ故、自身でコミュニケーションを強化したのである。

ただ、そういうわたしも、実は、3歳の誕生日になるまでは、ニコニコ笑ったまま、ヒトコトも声を出さない子であった。

周りは、兄の危なさを知っているので、こぞって、発達外来を受診するように勧めた。母は、行こうと思ったという。実家の中に、色々と精薄がいたり、色々父方にも出せない子供たちがいたので、父はそれを止めたという。その代わり、父は、喋らないわたしに、ドンドン、ものを聞かせた。聞かせると大人しいという性質を見て、聞かせることを聞かせてきた。

3歳の誕生日近くなり、年少の保育には到底受験が間に合いそうもなかったわたしは、年中から受験することとなった。

大変倍率が高い幼稚園であるということで、母は、一言も喋らない娘を見てどうしようか考えて、ダメだったら小学校から、行けばいいと考えたらしい。しかし、ある日からけたたましく喋るようになったという。そこからは、逆に、地獄だったと母は言う。黙っててニッコリしていた頃は、少々ふくよかな感じの子供だったが、喋り始めたら、あっという間に痩せてしまったとも言う。

そして、父が入れたインプットをアウトプットするべく、日記を書き始め、書かないで寝てしまった日は、夜中に起き出してきて、大騒ぎで泣き喚き、「日記を書かせろ」と要求したらしい。どう、親が説得しても譲らないため、とにかく一言書いて寝ろということになった事が、度々あった。その都度、書き始めると、1時間は書いているために、親は、睡眠不足となり、かくして、わたしの就寝時儀式は、日記を書くこと、ぬいぐるみを並べて、点呼することとなった。これをやめさせたら、とにかく、酷く泣いて叫ぶ。

ぬいぐるみを捨てた日には、家中ヒックリ返して探し、探せるまで寝ない。親が、外に一緒に見に行ったケースもあったが、そもそも、親が気に入らないので、捨てたぬいぐるみである。あるわけがない。探したってない。と言う事で、ひとつ欠けると、延々とそれに対しての愚痴を父親にぶつけたり、母親にぶつけることとなった。

しかし、親は残虐性と隣合わせの空想癖をなんとかしようと考えていた。

そもそも、誰か知らない人と壁を向いて喋っている。この娘を現実に向けるにはどうしたらいいのか。

そうして、親は、ある日いきなり、わたしのぬいぐるみを一体だけ残し、後はリカちゃん人形も含めて、捨ててしまった。しかし、空想癖は、結果、ノートブックの上に登場し、あれこれ童話を書いたり、何か書き出すようになったが、そもそも、起承転結を考えたところで、自分の中で終わるので、長編は、始まりと終わりのみ、イメージキャラを書きだしたところで、終わるという形になっていった。

しかし、娘が、道端であれこれ話しているのを見て、親は、「誰に向かって話しているのか、不思議だった」と言う。

そんな母親も、実はそういう過去があり、そういう娘時代を経て、頑固なまでにハンガーストライキをして、1週間飲まず食わずで、自分の我を通した女性であり、祖母も、かつて、そういう過去が多々あったそうである。

なので、そういう不思議系の面については触れず、極力、執着を持たせないために「私物を認めない」という行為に走ったそうである。

昨今の子育てでは、子供の残虐性は、ほんの薄い成分でも浮き彫りになる。故に、わたしの子供時代の残虐性とはかけ離れているとは思う。同じような教育を施して、こうなるかどうかは分からないが、IQの高い発達障害の親が、IQの高い発達障害の兄妹を育てて苦労した話である。

わたしは自分のことをサイコパスかと思っていたが、実は結構、気配り屋さんで、案外、周りの人間が満足しているかどうか、それが気になるタイプである。なので、残虐性が、他人に向いて、他人が血を流したり、苦しそうな顔をしたり、非難する顔をつきをされると、あっという間に、自分への罰体制に入ってしまう。

兄は、小さな頃は、サイコパスかとわたしも思っていた。しかし、彼もやっぱり気配りさんであり、現在は、自分の母と、自分の嫁の間に立って、気配りばかりしている。

それで、サイコパスではなかった理由としては、わたしは、徹底的に、「勤勉」であることを、祖母から叩きこまれ、あっという間に金儲けができるという事はあり得ないのだと、一メートルのものさしで叩かれ、布団たたきで叩かれ、とにかく、肉体的に徹底的に叩き込まれた。執着をなくすためにも、徹底的に、何度も何度も、叩きのめされた。歯向かおうものなら、叩きのめされた。

兄は、柱に縛り付けられ、叩きのめされ、それでも、言うことを聞かない時は、平気で、土蔵の中へ、放り込まれた。わたしも、屈辱だったが、土蔵の中へ放り込まれたし、とにかく、発想の豊かさを解きながら、発想に制限を設ける親のパラドクスの中に、「規律」を見出すまでに苦労した。

理由は、「親の感情が含まれて、叩きのめされていたために、規律や規則性が見つからなかった為である。」

 

それ故、一見、執着がなくなったように見えた娘は、「執着のなさ」から「自暴自棄」へと走り始め、後、親がもっと苦労をすることとなる。

 

わたしは、子供を叩かない育児は嫌いである。子供には、常に残虐性が潜んでいて、それが当たり前である。自己中の塊であるのが、子供の性質である。それ故、社会のルールを、叩きのめす程教えておかないと、結局は、学校に行かなくなってしまったり、様々な要因を生む。わたしの親は、わたしが被害者であって行きたがらない場所でも、叩きのめして、行かせた。親の都合で、虚言癖になってしまった時でも、わたしの親は、わたしに責任を取らせた。その理由は、親がスポンサーである以上、理不尽は当たり前という考えである。その理不尽に耐えるために、徹底的にしごかれた。

子供が言うことを聞くのは、第二次性徴が訪れる少し前くらいである。

既に、第二次反抗期になった時には、誰が一番強いのか、家庭内のパワーバランスを知らしておかないと、子供は増長するし、家庭の中の不穏な気配を察知して、不登校へ繋がる。何をすることが、子供の義務なのか、子供にはよく分からせる必要があり、ただ生まれてきただけでいいのよという、子供の社会的協調性を伸ばさず、我の強さだけ伸ばし、義務を果たさず、甘えているだけの育児は、大嫌いである。

子供のメンタル強化は、できるなら幼いうちにしておきたい、しかし、それによって人格障害ともなるので、難しい点である。

 

発達障害育児は、腹をくくらなければならない。親も、そして受け入れる土壌もである。

 

 

さて、長くなるので、続きは今度。

 

 

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