2005年は酉年ですね。
鳥と言えば猫の大好きなもの。
対して、猫が嫌いなものといえば犬 (やったこじつけた(笑)
でも本当に猫と犬って合わないのだろうか?
よく猫と犬が一緒に映ってる写真を見かける。
仲良く並んだ彼らの姿は、可愛いくて微笑ましい。
だけどそれ、カレンダーやらの類でしか見たことがない。
猫派、犬派と分かれるくらいだから、そもそも猫と犬を一緒に飼う人自体少ないし、
両方いるところでも喧嘩こそなきにしろ、お互いに境界線を張ってたりする(大抵は猫が張ってるんだろう)
が、実際彼らが道端で出くわした途端に喧嘩するわけでもない。
互いに威嚇し合うのは、異なる種の動物間ではよくある程度のもの。
考えればその程度なのに、犬猫間にだけ妙にしきりが出来ているのは何故?
そして、アメリカではそういった概念はない。
これには理由があった。
互いの間に悲しい伝説のようなものが・・・
明治時代、政府は犬を飼う人たちへ高額な畜犬税を課した。
(名称は異なるが、いくつかの欧米諸国で現在も施行されている。兎税もあり)
逆に猫を飼う人には飼育手当てが支給された(鼠取るから)
そうなると結果は歴然。
高い税金を払うくらいならと、皆さん犬を捨てる。
そして野犬が増え、政府は出費もかさむという、本末転倒のなんともお粗末な結果に。
犬は捨てても自分の欲求は捨てきれないらしく、一度ペットを飼った人たちは、
その動物の温もりが忘れられず、懲りずに今度は猫に乗り換えた。
乗り換えられた犬は猫を恨むようになった。
だから仲が悪い。
なんて都合のいいお話なんでしょう(苦笑)
不仲の所以が、まさか税金のせいだったとはね~ (゜◇゜)~
今も昔も人間の身勝手は動物たちには迷惑な話。
そして地球上で人間の非情さに敵う動物はいない。
猫も犬も何を考えてるかは分からない。
けれど何かを感じてることと、訴えてることは分かる。
人間の赤ちゃんと一緒。
言葉という術を持たない赤ちゃんは、声で、身振りで、必死に自分を表す。
大人もそれを汲み取ろうと懸命になる。
それがいつの間にか『・・・かもしれない』へ
そして『きっとそうだ』と決めつけるようになる。
得てして人は『そうあって欲しい』という自分の想いが先行していく。
それは言葉を持たない相手に限らないが。
言葉を発しないから生き物は大変なのではなく、自分の思い込みが理解を遠ざけてるのかもしれない。
人間同士ならば誰かのことを読み取れないからといって、相手に感情がないとは思わない。
動物が攻撃する時には必ず理由がある・・・ムツゴロウさんの言葉。
子供に合わせて背を屈めるように、試しに猫の視線の高さになってみた。
猫にとって、殆どすべてのものが自分の何十倍ものの大きさだ。
私なんてきっと怪獣だ(^▽^;)
そんなことだけでも、怖がる、威嚇する動物の気持ちが分かる気がする。
可愛いがってるから伝わってるだろうと思いたいが、
本当は文句の一つも言いたいだろう(ていうか言ってるだろう (^▽^;)
『また同じメシかよ』とか、
『むやみに呼ぶな』とか思ってるかもしれない。
共通の言葉はなくとも、同じ赤い血が流れる動物(たまに緑の血?のやつも)
彼らの気持ち、思い込みを取っ払って、ちゃんと見つめると感じるものが違ってきそう。
にしてもまったく根拠のない不仲説で、私の希望は繋がった!
実は元々犬派の私は、うちの猫たちと犬を家族にするのが夢♪
じゃれあう三匹、マディ、ホープと一緒に川の字で寝る茶色(?)の子犬。
しかしこの夢、かなり厳しく遠いようだ。
隣犬で慣らそうにも、未だ『ワンワンワン!』『フー!』の関係・・・(-。-;)
仲が良くなる秘訣はなんなのだろうか。
ジェームス三木さんのこういうお話があった。
犬を飼われてて、仔犬が何匹か産まれたそうだ。
ある日の道すがら、まだ目も開かない仔猫を見つけた。
躊躇されたそうだが、うちにいる犬が育ててくれるかもしれないと仔猫を連れて帰られた。
母犬も仔猫も、それから仔犬たちも、種の隔たりなど全く感じず互いを受け入れた。
一緒の母乳を飲んで、一緒に育っていく。
成長した仔犬と仔猫を見て、ある時ジェームスさんは面白いことに気づく。
猫が『ニャンニャン』と鳴くのだ!
そのイントネーションは犬の『ワンワン』そのもの。
それから犬たちは、猫が容易にジャンプするところを見て、
自分も出来ると思うのか、同じようにジャンプをするそうだ。
動物は本能プラス学習で生きていくことが分かる。
そうか!
猫とか犬とか種を感じさせなければいいのね♪
『よしマディ、ホープ、ほらニャンニャン!』
我が家に犬がやってくる日は訪れるのか・・・
鳥と言えば猫の大好きなもの。
対して、猫が嫌いなものといえば犬 (やったこじつけた(笑)
でも本当に猫と犬って合わないのだろうか?
よく猫と犬が一緒に映ってる写真を見かける。
仲良く並んだ彼らの姿は、可愛いくて微笑ましい。
だけどそれ、カレンダーやらの類でしか見たことがない。
猫派、犬派と分かれるくらいだから、そもそも猫と犬を一緒に飼う人自体少ないし、
両方いるところでも喧嘩こそなきにしろ、お互いに境界線を張ってたりする(大抵は猫が張ってるんだろう)
が、実際彼らが道端で出くわした途端に喧嘩するわけでもない。
互いに威嚇し合うのは、異なる種の動物間ではよくある程度のもの。
考えればその程度なのに、犬猫間にだけ妙にしきりが出来ているのは何故?
そして、アメリカではそういった概念はない。
これには理由があった。
互いの間に悲しい伝説のようなものが・・・
明治時代、政府は犬を飼う人たちへ高額な畜犬税を課した。
(名称は異なるが、いくつかの欧米諸国で現在も施行されている。兎税もあり)
逆に猫を飼う人には飼育手当てが支給された(鼠取るから)
そうなると結果は歴然。
高い税金を払うくらいならと、皆さん犬を捨てる。
そして野犬が増え、政府は出費もかさむという、本末転倒のなんともお粗末な結果に。
犬は捨てても自分の欲求は捨てきれないらしく、一度ペットを飼った人たちは、
その動物の温もりが忘れられず、懲りずに今度は猫に乗り換えた。
乗り換えられた犬は猫を恨むようになった。
だから仲が悪い。
なんて都合のいいお話なんでしょう(苦笑)
不仲の所以が、まさか税金のせいだったとはね~ (゜◇゜)~
今も昔も人間の身勝手は動物たちには迷惑な話。
そして地球上で人間の非情さに敵う動物はいない。
猫も犬も何を考えてるかは分からない。
けれど何かを感じてることと、訴えてることは分かる。
人間の赤ちゃんと一緒。
言葉という術を持たない赤ちゃんは、声で、身振りで、必死に自分を表す。
大人もそれを汲み取ろうと懸命になる。
それがいつの間にか『・・・かもしれない』へ
そして『きっとそうだ』と決めつけるようになる。
得てして人は『そうあって欲しい』という自分の想いが先行していく。
それは言葉を持たない相手に限らないが。
言葉を発しないから生き物は大変なのではなく、自分の思い込みが理解を遠ざけてるのかもしれない。
人間同士ならば誰かのことを読み取れないからといって、相手に感情がないとは思わない。
動物が攻撃する時には必ず理由がある・・・ムツゴロウさんの言葉。
子供に合わせて背を屈めるように、試しに猫の視線の高さになってみた。
猫にとって、殆どすべてのものが自分の何十倍ものの大きさだ。
私なんてきっと怪獣だ(^▽^;)
そんなことだけでも、怖がる、威嚇する動物の気持ちが分かる気がする。
可愛いがってるから伝わってるだろうと思いたいが、
本当は文句の一つも言いたいだろう(ていうか言ってるだろう (^▽^;)
『また同じメシかよ』とか、
『むやみに呼ぶな』とか思ってるかもしれない。
共通の言葉はなくとも、同じ赤い血が流れる動物(たまに緑の血?のやつも)
彼らの気持ち、思い込みを取っ払って、ちゃんと見つめると感じるものが違ってきそう。
にしてもまったく根拠のない不仲説で、私の希望は繋がった!
実は元々犬派の私は、うちの猫たちと犬を家族にするのが夢♪
じゃれあう三匹、マディ、ホープと一緒に川の字で寝る茶色(?)の子犬。
しかしこの夢、かなり厳しく遠いようだ。
隣犬で慣らそうにも、未だ『ワンワンワン!』『フー!』の関係・・・(-。-;)
仲が良くなる秘訣はなんなのだろうか。
ジェームス三木さんのこういうお話があった。
犬を飼われてて、仔犬が何匹か産まれたそうだ。
ある日の道すがら、まだ目も開かない仔猫を見つけた。
躊躇されたそうだが、うちにいる犬が育ててくれるかもしれないと仔猫を連れて帰られた。
母犬も仔猫も、それから仔犬たちも、種の隔たりなど全く感じず互いを受け入れた。
一緒の母乳を飲んで、一緒に育っていく。
成長した仔犬と仔猫を見て、ある時ジェームスさんは面白いことに気づく。
猫が『ニャンニャン』と鳴くのだ!
そのイントネーションは犬の『ワンワン』そのもの。
それから犬たちは、猫が容易にジャンプするところを見て、
自分も出来ると思うのか、同じようにジャンプをするそうだ。
動物は本能プラス学習で生きていくことが分かる。
そうか!
猫とか犬とか種を感じさせなければいいのね♪
『よしマディ、ホープ、ほらニャンニャン!』
我が家に犬がやってくる日は訪れるのか・・・