渡米してきた時と同じ季節が今訪れている。
炎を携えたように赤々とした葉が、金色の鐘を枝垂れさせた樹々たちが、
各々の色の最高潮を誇示するかのように紅葉している。
こんな綺麗な紅葉たちが、昨年の私の思い出にはない。
同じ景色を確かに見ている筈なのに残っていない。
多分風景以外の記憶も定かではないだろう。
人は心が曇ると物理的に見えてるものさえ消してしまうのだろうか。
異国の地に来て最初の記憶。
それは紅葉がすっかり落ちきった枯れ木から始まる。
たかがホームシック。
そんなものをコントロール出来ない自分が情けなくて、何とか気持ちを奮い立たそうと、
実際の精神状態からあまりにも掛け離れた要求を自分にしていたのかもしれない。
秋が終わり、深まる冬と一緒に私の不安と苦しさも募っていく。
時々息苦しくなって、たまらず外に出る。
家の裏にある小さな湖畔で、無理に明るい考えを描く。
そんなことを繰り返して、ある日気づく。
膨大な樹々が湖を囲んでいる。
でも夏のつややかさも、秋の栄華の欠片もない惨めな枯れ木ばかりだ。
一枚の葉もまとわず、もう見向きもされないのにただそこに立っているだけの忘れられた樹々。
その景色に自分もすっかり同化できる気がして、自嘲的な気分で湖を離れた。
帰り道、他のものとは全く違う木が視界に入ってきた。
何度も同じ道を行き来しているのに、今まで気にならなかったのが嘘のように
聳え立つという表現が相応しい、見たこともないくらいの大木だ。
太い幹から左右に伸びた無数の枝。
近くからでは高すぎる天辺の先を見つけられない。
大木の全体が見えるようになるまで後ろに退がる。
枯れ木に目を留めたことなんてない。
なのに目が離せず、芸術みたいだと思った。
そこに意志が存在しているように『生』を主張してくる木だった。
冷たい風にさらされ、身を覆うものはなにもないのに、
葉も、その種を実らせるのも、ここにいる自分だと言っている。
大木の圧倒的な存在感に、急に惨めさが込み上げる。
日本で出来たことはここでもやれるはず。
日本で認めてもらえて来たなら、ここでも得られるはず。
なのにどうして、こんなにも何も出来ない。
それが、最初枯れ木の群れに感じた自分だった。
だけど違うんだ。
今まで生きてきた中で身に付けたものの儚さ。
それが剥がされて裸にされて、自分の核に何もないことが分かってしまったから不安でたまらなかったんだ。
冬から春まで、大木を見つめ自分を見つめる。
大木はまんじりともせず、ただ私に敗北感を味あわせる。
こんなに長い期間、自分のことを考え続けたことはない。
今は少し落ち込んでいるだけ。
その程度と励ますために自分へ向けた時間が、思ってもいなかった心の奥底の闇の部分に
私は引きずられていくことになってしまった。
自分に向き合ってると、己の醜さ、ズルさに辟易する。
そんな中で、ずっと誤魔化してきた精神的な弱さの根にあるものに触れた気がした。
そして自分の闇を開けてしまった以上、目を逸らすことが出来なくなってしまった。
それは瘡蓋を剥がし、膿を出すような痛くてたまらない作業だった。
呼吸が止まってしまうのではないかと思うくらいの私から私への攻撃に、
何度も掘り起こすのをやめたくなった。
でもここで蓋をしたらまた強がりを盾に生き続けるしかない。
本当に強くならなければ今までとなにも変わらない。
今、自分の弱さと対峙しなければ、私は一生強くなれないと感じた。
そして自分から逃げたまま、もしまた躓いた時はもう起き上がれないかもしれない。
私を立たせるのは私しかいないのだ。
客観的に見れば人生の中で今が一番心許ない状態だ。
私の今までを知る人もいない。
それを評価してくれる人もいない。
今までのことは無に等しいのだ。
でも今はそれで良かったと心から思える。
加えて言うなら、ここがド田舎で良かったとも(笑)。
都会なら周囲の雑音に気を取られ、やり過ごせてたかもしれない。
私にはきっと、一度全てを無くす必要があったのだ。
それからとことん自分と向き合う時間も。
仕事や他人に自分の存在価値を置き過ぎていた。
それが通用する世界を奪われたら、私の足元がぐらつき始めた。
それらは私という幹がちゃんとあって始めて実れる枝葉なのに。
今まで私にくっついてたものは、社会で生きていくための鎧ではあった。
それを積み上げることが自立だとも思っていた。
だけど鎧があることイコール強さではなかった。
精神的には少しも自立できていなかったのだ。
その強さでしか最後は自分を支えられないのに。
愚かで、ちっぽけで、生きることを必死でもがいている。
でもそうやってちゃんと、ここに私という『生』は存在している。
何処にいようと、何をしててもしていなくても私は私。
そんな当たり前のことを自分に認めてあげられず自分を追い込んだ。
嘆いている陰には、自分は出来るのにという傲慢さが潜んでいた。
持っていると思っていたのは、吹けば飛ぶ葉だった。
そしてなんにもない私が残ったけれど、不思議と気持ちは軽い。
色んな葉をこれからまたつけていきたい。
でももし葉が実らなくても、散ってしまっても、毎年新しい葉を携える樹々のようにまず強い幹になろう。
大木の葉も残りわずかになった。
もう少しですべての葉が落ちきるだろう。
この前枯れ木になった大木の前では羨望と苦しさしか湧かなかったけど、今度の冬はきっと辛くない。
『貴方の雄姿にはまだまだ及ばないけど、私もちゃんと立ってるよ。』
炎を携えたように赤々とした葉が、金色の鐘を枝垂れさせた樹々たちが、
各々の色の最高潮を誇示するかのように紅葉している。
こんな綺麗な紅葉たちが、昨年の私の思い出にはない。
同じ景色を確かに見ている筈なのに残っていない。
多分風景以外の記憶も定かではないだろう。
人は心が曇ると物理的に見えてるものさえ消してしまうのだろうか。
異国の地に来て最初の記憶。
それは紅葉がすっかり落ちきった枯れ木から始まる。
たかがホームシック。
そんなものをコントロール出来ない自分が情けなくて、何とか気持ちを奮い立たそうと、
実際の精神状態からあまりにも掛け離れた要求を自分にしていたのかもしれない。
秋が終わり、深まる冬と一緒に私の不安と苦しさも募っていく。
時々息苦しくなって、たまらず外に出る。
家の裏にある小さな湖畔で、無理に明るい考えを描く。
そんなことを繰り返して、ある日気づく。
膨大な樹々が湖を囲んでいる。
でも夏のつややかさも、秋の栄華の欠片もない惨めな枯れ木ばかりだ。
一枚の葉もまとわず、もう見向きもされないのにただそこに立っているだけの忘れられた樹々。
その景色に自分もすっかり同化できる気がして、自嘲的な気分で湖を離れた。
帰り道、他のものとは全く違う木が視界に入ってきた。
何度も同じ道を行き来しているのに、今まで気にならなかったのが嘘のように
聳え立つという表現が相応しい、見たこともないくらいの大木だ。
太い幹から左右に伸びた無数の枝。
近くからでは高すぎる天辺の先を見つけられない。
大木の全体が見えるようになるまで後ろに退がる。
枯れ木に目を留めたことなんてない。
なのに目が離せず、芸術みたいだと思った。
そこに意志が存在しているように『生』を主張してくる木だった。
冷たい風にさらされ、身を覆うものはなにもないのに、
葉も、その種を実らせるのも、ここにいる自分だと言っている。
大木の圧倒的な存在感に、急に惨めさが込み上げる。
日本で出来たことはここでもやれるはず。
日本で認めてもらえて来たなら、ここでも得られるはず。
なのにどうして、こんなにも何も出来ない。
それが、最初枯れ木の群れに感じた自分だった。
だけど違うんだ。
今まで生きてきた中で身に付けたものの儚さ。
それが剥がされて裸にされて、自分の核に何もないことが分かってしまったから不安でたまらなかったんだ。
冬から春まで、大木を見つめ自分を見つめる。
大木はまんじりともせず、ただ私に敗北感を味あわせる。
こんなに長い期間、自分のことを考え続けたことはない。
今は少し落ち込んでいるだけ。
その程度と励ますために自分へ向けた時間が、思ってもいなかった心の奥底の闇の部分に
私は引きずられていくことになってしまった。
自分に向き合ってると、己の醜さ、ズルさに辟易する。
そんな中で、ずっと誤魔化してきた精神的な弱さの根にあるものに触れた気がした。
そして自分の闇を開けてしまった以上、目を逸らすことが出来なくなってしまった。
それは瘡蓋を剥がし、膿を出すような痛くてたまらない作業だった。
呼吸が止まってしまうのではないかと思うくらいの私から私への攻撃に、
何度も掘り起こすのをやめたくなった。
でもここで蓋をしたらまた強がりを盾に生き続けるしかない。
本当に強くならなければ今までとなにも変わらない。
今、自分の弱さと対峙しなければ、私は一生強くなれないと感じた。
そして自分から逃げたまま、もしまた躓いた時はもう起き上がれないかもしれない。
私を立たせるのは私しかいないのだ。
客観的に見れば人生の中で今が一番心許ない状態だ。
私の今までを知る人もいない。
それを評価してくれる人もいない。
今までのことは無に等しいのだ。
でも今はそれで良かったと心から思える。
加えて言うなら、ここがド田舎で良かったとも(笑)。
都会なら周囲の雑音に気を取られ、やり過ごせてたかもしれない。
私にはきっと、一度全てを無くす必要があったのだ。
それからとことん自分と向き合う時間も。
仕事や他人に自分の存在価値を置き過ぎていた。
それが通用する世界を奪われたら、私の足元がぐらつき始めた。
それらは私という幹がちゃんとあって始めて実れる枝葉なのに。
今まで私にくっついてたものは、社会で生きていくための鎧ではあった。
それを積み上げることが自立だとも思っていた。
だけど鎧があることイコール強さではなかった。
精神的には少しも自立できていなかったのだ。
その強さでしか最後は自分を支えられないのに。
愚かで、ちっぽけで、生きることを必死でもがいている。
でもそうやってちゃんと、ここに私という『生』は存在している。
何処にいようと、何をしててもしていなくても私は私。
そんな当たり前のことを自分に認めてあげられず自分を追い込んだ。
嘆いている陰には、自分は出来るのにという傲慢さが潜んでいた。
持っていると思っていたのは、吹けば飛ぶ葉だった。
そしてなんにもない私が残ったけれど、不思議と気持ちは軽い。
色んな葉をこれからまたつけていきたい。
でももし葉が実らなくても、散ってしまっても、毎年新しい葉を携える樹々のようにまず強い幹になろう。
大木の葉も残りわずかになった。
もう少しですべての葉が落ちきるだろう。
この前枯れ木になった大木の前では羨望と苦しさしか湧かなかったけど、今度の冬はきっと辛くない。
『貴方の雄姿にはまだまだ及ばないけど、私もちゃんと立ってるよ。』