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大 木

2004-11-29 | 徒然エッセイ
渡米してきた時と同じ季節が今訪れている。

炎を携えたように赤々とした葉が、金色の鐘を枝垂れさせた樹々たちが、

各々の色の最高潮を誇示するかのように紅葉している。

こんな綺麗な紅葉たちが、昨年の私の思い出にはない。

同じ景色を確かに見ている筈なのに残っていない。

多分風景以外の記憶も定かではないだろう。

人は心が曇ると物理的に見えてるものさえ消してしまうのだろうか。

異国の地に来て最初の記憶。

それは紅葉がすっかり落ちきった枯れ木から始まる。







たかがホームシック。

そんなものをコントロール出来ない自分が情けなくて、何とか気持ちを奮い立たそうと、

実際の精神状態からあまりにも掛け離れた要求を自分にしていたのかもしれない。

秋が終わり、深まる冬と一緒に私の不安と苦しさも募っていく。

時々息苦しくなって、たまらず外に出る。

家の裏にある小さな湖畔で、無理に明るい考えを描く。

そんなことを繰り返して、ある日気づく。

膨大な樹々が湖を囲んでいる。

でも夏のつややかさも、秋の栄華の欠片もない惨めな枯れ木ばかりだ。

一枚の葉もまとわず、もう見向きもされないのにただそこに立っているだけの忘れられた樹々。

その景色に自分もすっかり同化できる気がして、自嘲的な気分で湖を離れた。

帰り道、他のものとは全く違う木が視界に入ってきた。







何度も同じ道を行き来しているのに、今まで気にならなかったのが嘘のように

聳え立つという表現が相応しい、見たこともないくらいの大木だ。

太い幹から左右に伸びた無数の枝。

近くからでは高すぎる天辺の先を見つけられない。

大木の全体が見えるようになるまで後ろに退がる。

枯れ木に目を留めたことなんてない。

なのに目が離せず、芸術みたいだと思った。

そこに意志が存在しているように『生』を主張してくる木だった。







冷たい風にさらされ、身を覆うものはなにもないのに、

葉も、その種を実らせるのも、ここにいる自分だと言っている。

大木の圧倒的な存在感に、急に惨めさが込み上げる。

日本で出来たことはここでもやれるはず。

日本で認めてもらえて来たなら、ここでも得られるはず。

なのにどうして、こんなにも何も出来ない。

それが、最初枯れ木の群れに感じた自分だった。

だけど違うんだ。

今まで生きてきた中で身に付けたものの儚さ。

それが剥がされて裸にされて、自分の核に何もないことが分かってしまったから不安でたまらなかったんだ。







冬から春まで、大木を見つめ自分を見つめる。

大木はまんじりともせず、ただ私に敗北感を味あわせる。

こんなに長い期間、自分のことを考え続けたことはない。

今は少し落ち込んでいるだけ。

その程度と励ますために自分へ向けた時間が、思ってもいなかった心の奥底の闇の部分に

私は引きずられていくことになってしまった。







自分に向き合ってると、己の醜さ、ズルさに辟易する。

そんな中で、ずっと誤魔化してきた精神的な弱さの根にあるものに触れた気がした。

そして自分の闇を開けてしまった以上、目を逸らすことが出来なくなってしまった。

それは瘡蓋を剥がし、膿を出すような痛くてたまらない作業だった。

呼吸が止まってしまうのではないかと思うくらいの私から私への攻撃に、

何度も掘り起こすのをやめたくなった。

でもここで蓋をしたらまた強がりを盾に生き続けるしかない。

本当に強くならなければ今までとなにも変わらない。

今、自分の弱さと対峙しなければ、私は一生強くなれないと感じた。

そして自分から逃げたまま、もしまた躓いた時はもう起き上がれないかもしれない。

私を立たせるのは私しかいないのだ。







客観的に見れば人生の中で今が一番心許ない状態だ。

私の今までを知る人もいない。

それを評価してくれる人もいない。

今までのことは無に等しいのだ。

でも今はそれで良かったと心から思える。

加えて言うなら、ここがド田舎で良かったとも(笑)。

都会なら周囲の雑音に気を取られ、やり過ごせてたかもしれない。

私にはきっと、一度全てを無くす必要があったのだ。

それからとことん自分と向き合う時間も。







仕事や他人に自分の存在価値を置き過ぎていた。

それが通用する世界を奪われたら、私の足元がぐらつき始めた。

それらは私という幹がちゃんとあって始めて実れる枝葉なのに。

今まで私にくっついてたものは、社会で生きていくための鎧ではあった。

それを積み上げることが自立だとも思っていた。

だけど鎧があることイコール強さではなかった。

精神的には少しも自立できていなかったのだ。

その強さでしか最後は自分を支えられないのに。







愚かで、ちっぽけで、生きることを必死でもがいている。

でもそうやってちゃんと、ここに私という『生』は存在している。

何処にいようと、何をしててもしていなくても私は私。

そんな当たり前のことを自分に認めてあげられず自分を追い込んだ。

嘆いている陰には、自分は出来るのにという傲慢さが潜んでいた。







持っていると思っていたのは、吹けば飛ぶ葉だった。

そしてなんにもない私が残ったけれど、不思議と気持ちは軽い。

色んな葉をこれからまたつけていきたい。

でももし葉が実らなくても、散ってしまっても、毎年新しい葉を携える樹々のようにまず強い幹になろう。








大木の葉も残りわずかになった。

もう少しですべての葉が落ちきるだろう。

この前枯れ木になった大木の前では羨望と苦しさしか湧かなかったけど、今度の冬はきっと辛くない。

『貴方の雄姿にはまだまだ及ばないけど、私もちゃんと立ってるよ。』



天敵からの招待状

2004-11-22 | アメリカどんなんこんなん
【果報は寝て待て(※1)】

文字通り惰眠を貪ってばかりいたのが良かったのか、

夏休みも終わり真近、超ラッキーなニュースが舞い込んできた。

School の仕事というのは Contract と Help に分かれている。

いわゆる正社員とパートみたいなもんだ。

普通の会社でも両者の待遇に開きはあるが、School の場合は比較にならないほどその差は大きい。

Help は Contract のカバーなので、当日になるまで行き先も分からず待機させられる。

勤務が毎日あると約束されてるわけでもない。

それでも学校関係の仕事は希望者が多い。

Contract になれば準公務員扱いだからだ。







固定の出勤は勿論、同じ仕事でも給料は2倍近くになる。

祝日分も給与は支給され、初年度から有休もつく。

医療保険(※2)も他の職種と違って、破格の安さで加入できる。

そして最大の魅力は、五年以上勤めれば恩給が一生もらえるという点らしい。

これは勤務年数が増えるほど、毎月の支給額も増える。

私は一生の仕事にするつもりはないので、給与以外は別段深くも考えてはいないけど、

それでも普通の飲食業と比べると楽だし(実は私、飲食関係が嫌い (--;)

なんたって給食食べ放題がいい!(お昼がタダというのはかなりデカイ)







こんないい条件だから Contract の席は中々空かない。

お金は小遣い稼ぎ程度、まずは英語とアメリカに慣れること。

働き始めたのはそういう目的が第一だったし、仮に正社員なんて狙っても、何年かかるか分からない職種。

数年も Help に甘んじて待っている人も多い。

なのに来っちゃった、来っちゃた、私に Contract の話が!

まぁ私の働きぶりが素晴らしいっていうのは分かるけど。

・・・なんて言えるほど自惚れ屋ではない。

どっ、どっ、どうしてなんだろう?(゜_゜i)

幸運なことほど臆病になる私である。







新学期まで二週間と迫ったある日の突然の依頼。

『えっ? 私が? Contract ですか?』これを何回訊き返しただろう。

『どうしますか?』

『一日考えさせて下さい。』

こんなチャンスを受けないのはアホだ・・・。

賞味三ヶ月ほどしか働いてない私を認めてくれたことでもある。

それを活かさないのはアホだ・・・。

毎日働けることと時給がUPすることで、給料は今までとは比べ物にならない。

断るのはアホ以外のなにものでもない・・・(  ̄_ ̄)

今回の補充は、とある School の Contract が退職した為だ。

もう、お分りですよね・・・。










また、言ってもいいですか? 










叫んじゃっていいですか?










うわ~ん(T▽T;)

またかよメデューサ!

なんでなんで???

7校もあるのにぃぃぃ!

お金欲しいぃぃ~

でもメデューサ怖いよ~ん。

毎日顔合わせるなんて拷問だ~







背に腹は変えられない、地獄の沙汰も金次第⇒なんか違う?(笑)

なにより自他共に認める筋金入りの負けず嫌いな私。

誰かを嫌だから行かないなんて、そんな性格に火が点かないはずがなく・・・。

相手に不足はない。

いざ敵地(?)へ赴かん!

あぁ、でもいいのかな・・・(゜_゜i)

ホントによかったのかなぁ・・・(やはり根はヘタレ)

果たして自分の性格を恨むことになるのかねこみみ?!







※1 『早起きは三文の得』に続く下の句であったと知って驚き。
   
しかも早起きしても三文の得にしかならないから、

果報は寝て待ったほうが良い、というのが本来の意味であると分かってショック!

これは国民を働かせようとする陰謀にちがいない(笑)







※2 保険の種類にもよるが、良いものなら$1000もいく(月ですよ月)

これを会社と自己負担で支払うのは日本と一緒だが、額が、桁が違い過ぎる…。
   
Scoohl の保険だと年間$500程度。

因みに夫の扶養に入っている私でも年間$2400を越える(高っ!)

個人加入の人は更にこの何倍にもなる。

保険に加入しない(出来ない)人が多いのも納得(・・;)



やっぱりねこが好き その三

2004-11-15 | ねこのきもち
1993年の春頃だった。

その日私は病院で宿直をしていた。

深夜0時の見回りが終われば、朝まで特にやることもない。

仮眠室で一息ついていた時それは聞こえてきた。

高音で途切れることなく続く独特の声。

今まで何度となく聞いて立ち止まらされたあの声。

・・・間違いなく仔猫だ。

絶対見てはいかんと、TVの音量を上げ無視した。

しかし鳴く、声も枯れんばかりに鳴き続ける。

まるで私がいるのを窓越しに見透かしているようだ。







二階の窓を少しだけ開け覗く (この時点でもう負けは決まり(笑)

その瞬間鳴き声が加速。

窓を閉めても時遅く

『見たで~見たで~』と責め立てる。

『私はダメ、お願いお願い、諦めてどっかへ行ってくれ』

根比べは猫の勝ち・・・。

このままでは誰か出てきてしまうので仕方なく一階へ行く。

仔猫は同じ場所にいた。

私を見るとまた声高になる。

慌てて抱き上げ部屋へ戻る。

手の平に乗るほど小さい、生まれて数週間くらいの茶トラの仔猫。

ヤバイ、非常にヤバイものを連れてきてしまった(・・;)

後悔先に立たず、こんな子供を放り出せば生きてはいけないのは明白。

そして・・・










フーバーはうちの子になった(泣)










フーバーはそりゃ活発(暴れん坊?)で、家具はもちろん

本の間、柱、カーテンと、家中のものを使って遊びまくるまくる。

人のお腹をジャンプの踏み台にはするは

車に乗せればシートの頭が当る穴の部分を抜けようとして挟まったり(^_^;)

ベッドのシーツが大好きで、潜っては一人で何かと戦う(笑)

人間の何十分の一の小さな動物。

でもこの猫一匹の出す存在感は、我が家を本当にハッピーにしてくれた。

人懐こくて客人にもみんなに可愛いがられ、いつの間にか人を笑顔にさせる。

猫を本格的に飼ったのは初めてで、24時間猫の行動を見るにつけ、

その可愛さ不思議さに改めて好き・・・いやもう惚れまくってしまった!

フーバーはいつもその元気一杯の、愛らしい行動で周りを幸せにしてくれた。

なのにそれを守ることを私は怠った。

猫との生活の楽しさに浮かれ、取り返しのつかないミスをしていた。







1995年の2月、フーバーは腎臓結石になりたった二歳で逝った。

原因はキャットフードのハードタイプばかりをあげていた為。

雄猫は唯でさえ結石が出来やすいところに、ハードフードでカルシウム過多を起こし、より石を作りやすくする。

そんなことも知らなかった。

知ろうともしなかった。

今度ばかりは誰とも責任を共有できない。

私の無知が、無責任さがフーバーの命を縮めていた。







私なんかに動物と関わる度量はなかったのに。

あの時私が拾わなければ、フーバーはもっと生きられたかもしれない。

ちゃんと猫のことを勉強していれば、防げたことだったかもしれない。

なによりも、やはり手を出すべきではなかったのだ。

悲しさと後悔と、そしてフーバーが諦めきれず、泣いているか放心状態でいる私を夫が見かねた。

米軍基地内のアニマルシェルターから、三毛の雌猫マディを連れてきた。







躊躇した。

二度と生き物を不幸にしたくない気持ちと、自分を癒したいという欲望のために飼うことになるから。

動物と一緒に居たいというのは私のエゴで、本当に好きならばそっとしておくべきだとも思った。

だけど夫はこう言った。

シェルターへ行った時、最初仔猫にするつもりだった。

でもマディに近づいた時、彼女が夫の腕に手を伸ばし掴んだそうだ。

今連れて行くのはマディで間違いないと感じた。

自分を求めてると確信したからと。

マディの保管期限切れが迫ってたのを知るのは後のこと。

その二年後1997年、足を怪我した野良の仔猫、ホープが家族になる。

血を流しながら文字通り目の前に現れた彼に、私も確かに感じた。

求めてると。







出来ることなら自然が一番いい。

だけど人間といることが不自然なわけではないのかもしれない。

動物から人間を求めることもある。

もしもそうなら、動物が人の手を求める時があるなら、

私は出来ることがあるんじゃないか。







最初はフーバーへの贖罪の気持ちもあったと思う。

だけど彼は他のどの猫とも違う。

マディもホープもみんな違う。

何をしても贖いは出来ない。

出来ないほど、今もずっと家族なのだ。

だからフーバーが残してくれたもの、マディとホープが教えてくれたことを大切にしていこうと思う。

頑なに動物を避けた私に芽生えさせてくれたものを。

互いに求め合うことがあるならば、それも一つの自然の形。

動物に関わりたいという気持ちをエゴにならずに、一緒に生きていくことも出来るはず。

押さえることが一番不自然なことだった。

やっぱり、ぜったい、私はねこが大好きだから =^-^=



Halloween

2004-11-08 | アメリカどんなんこんなん
Halloweenと聞いて一番に思い出すのは、映画『ET』の中で家族とETが仮装するシーン。

クリスマスよりHalloweenのほうが断然面白そうだと思った。

街には仮装した人たち。

扉の向こうからは、かわゆいアメリカンキッズたちの『Trick or Treat』の声。

アメリカに来て初めてのHalloween♪

あ~一体何をあげよう、お菓子をいっぱい買いにいかなきゃ!







えっ? 待ってても子供たちは来ない?

最近はパーティーに行くのが主流?

田舎では家も密集してないし、今は危険も多いので一箇所に集まるらしい。

じゃ、私の初めてのHalloweenはどうなるのよ?!

来ないならこっちから行くしかない。

ということで Halloween Party 行ってきました~(^^*))((*^^)

写真はこちら







“Boo at the Zoo”と題して動物園で行われたParty。

暗い園内をパンプキンやゴーストたちがライトアップ。

可愛くて、すごく綺麗だった!

エルム街の悪夢のフレディ。

迫力満点で怖かったけど、カメラを構えるとサービス旺盛で色々ポーズしてくれました(o^-^o)







仮装コンテストに集まったキッズたち。

も~う誰もかれも可愛いし可笑しいで、見てるだけで楽しかった!!

牛の兄弟、もぉ可愛いすぎぃぃぃ(≧∇≦*)

こちらは死神コンビ。

全然怖くないけどね(´▽`)

最終審査の面々。

左からScare crow(かかし)

Cave man(原始人)

ヒッピー

Dish washer⇒これ傑作!

中に男の子が入っててちゃんとお皿やカップも。

超可愛くって、私的には彼が一番(^-^*)

その右フランケンシュタインの妻⇒渋い!

同じく最終審査の面々。

左から仙人?!(・・;)

白馬に乗ったお姫様

Annie

サンドウイッチ(きゃははは)

優勝はこのサンドウィッチ嬢でした。







力士に仮装したお兄さん(客です!)キュートなお尻も撮ったのに(内緒で)

間違って消しちゃった、残念(・・、)

初めて見たコットンのお花。(手:旦那)

ARの特産物の案内。

一位はもちろんお米!







ご近所さんで一番びっくりしたデコレート!

パンプキン顔の袋に土を詰めて、屋根からガレージまで全て均一に並べている。

写真には全部入りきらない。

家の周りの木々も袋だらけ(=゜ω゜=;)

おまけ★

旦那の仮装はMONK。

お坊さんです・・・(・・;)







子供たちが来ないと聞いてがーんとなっていたけど、

Partyは久々童心に戻った気分でめちゃめちゃ楽しかった~。

来年は絶対仮装しちゃおうっと(*^m^*)



大統領選

2004-11-01 | アメリカどんなんこんなん
2004年はこの話題で幕開けした。

その主役で、TV出演率NO1のお二人の決戦がいよいよ明日に迫った。

米国の政治や難しいことはニュースや評論家の方々にお任せして、私は面白いと思ったことを書いてみる。

(実はよう分からん言い訳 (^_^;) )

何より感じたのは思ったより盛り上がらないんだなということ。

地球の裏側で見ていた時は、そりゃ大変なことに思えた。

それは〝首相〟じゃなくて〝大統領〟ってとこにもあったかも知れないが、

日本で流されるのが、思いっきり派手な部分だけだったせいなのは否めない。

これは大統領選に限らず。

良いことは何倍もよく見せ、悪いことは仕方ないかのような演出がされてたと思う。

だから、『アメリカいいとこ一度はおいで♪』ってな具合で洗脳されてたのになぁ。

・・・ジャ〇に電話したい気分だ~ (′ェ`)







思った以下とは言っても日本に比べたら、断然こっちのほうがやっぱりスゴイ。

選挙というより何かのイベントみたいだ。

主役のブッシュさん、ケリーさんは元より、関係者一同言動が芝居がかってるし(笑)

風船舞う中拍手喝采で終わる演説は、日本では随分格好良く見えたのに、

これも何度か見てしまうとかなりクサい。

おまけに孫まで引っ張りだし、関係者で抱き合うパフォーマンスは一体何なんだ?

いくらファミリー第一の国でも、私は引いてしまう光景だ・・・。







二人きりでバトらせるものは中々いい(⌒▽⌒)

『コイツ何言い出すんだ』と戦々恐々で対決する姿は面白いし(失敬)

日本の政治家よりは生身を感じられる。

感心するのがアメリカ人はこういう演説の放送は必ず観る。

2~3時間も続く話(面白くない)を割りと真剣に聞く。

それと老若男女問わず、よく議論を交わしている。

こういうとこが国のトップを国民で選ぶ所以なのかもしれない。

そして、『大したことないじゃん』と思えた選挙も、夏の終わり頃からヒートアップ。

あちらこちらに看板、ステッカーがベタベタ。

両陣営のCMも一層クサさを増す(笑)







アメリカは自己表現の国。

身の回りのものでも支持する人間、党などを思いっきり主張する。

庭に車に衣服と、『私はこれ、この人!』と大表示。

別にどっちでもいいじゃん、と冷めてた私も次第に乗せられてきた(笑)

圧倒的に優勢だったブッシュさんは、イラク問題への失言や映画の影響を受けてケリーさんに押され気味。

俄然面白くなってきたぞ~(`◇´*)

段々と興味は湧いてきているが、でもそれはスポーツの決勝を見るような感覚。

さぁ、泣いても笑ってもあと一日。

勝敗はどちらに挙がるのでしょう。

因みに旦那、ケリーさんが当選しようものなら、日本へ帰る(?)とのたまってます(笑)







<追記>

どちらでもいい・・・実際日記を書く直前までそう思っていた。

日本に居る頃から、政治家なんて誰がなろうと大して変わらないと思っていたから。

イラクで殺害された日本人の遺体頭部は星条旗にくるまれていたそうだ。

或る国の人たちに映る日本人の現状を思い知らされた。

米国とは異なる意図があっても通用しないのだ。

米国に追随する限り、私たちは行ったこともない国の人たちから敵と見なされることもあるのだ。

その米国の次期大統領が誰になるか日本に無関係な筈はないのに、

こんなことが起きて初めて私は気がついた。

戦争は狂気と云われる。

生きるか死ぬかの渦中にある人々に誰が正義を問えるだろう。

次期大統領がどちらであれ、どうか他の何よりもこの争いを終結させて欲しい。

最後に香田証生さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。