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やっぱりねこが好き その二

2004-10-25 | ねこのきもち
そっけない、眼つきが悪い、態度が可愛くない。

猫が苦手、猫が嫌い、そういう人はよくこんなことを言う。

確かに猫が自ら寄ってくるのなんてご飯時くらい。

眠い時寒い時、可愛いらしく膝に乗ったりするのだって猫の気分次第。

外出や帰宅の時も寂しいのはこっちの方(笑)

でもこれって犬と比較しての人間の勝手な言い分で、

ペットの代表選手だから互いに引合いに出されるのは無理ないにしても、

元々異なる種を比べる事自体動物には迷惑な話だ。







それでも嫌いな人にとって理屈なんて関係ない。

嫌なものは嫌なのだ。

私が猫を避けるようになってから一番嫌だったのは、

睨むような、時に見下したような、あの猫独特の鋭い眼だ。

ただでさえ憎らしいところに可愛げのない眼つき。

そして冷たい態度も相乗して、増々猫から気持ちが離れた。

その後5、6年は関わった記憶がない。

だけど猫は私のことを嫌わないでくれたようだ。







それまでの期間を埋めるかのように、私の周りに急に猫が出没しはじめた(笑)

それも怪我をした猫、捨てられた仔猫と、嫌いだからといってほっとけない状態ばかりで。

元々理不尽な理由で嫌いになったわけで、それも時間が消化しつつあったところに弱った猫の姿は、

本当は憎みたくなかったのに、矛先を猫に向けるしか気持ちの行き場のなかった私のカタルシスになった。







その頃私は友達に、『ムツ・ゴロ子』と呼ばれていた(笑)

猫に限らずいっつも動物と関わっていたからだ。

でも私はムツゴロウさんのようにはなれなかった。

殆どは悲しい結果しかなかった。

弱った動物を救うのは色んなことが必要だ。

感情だけで動くのは、動物を翻弄することになるのかもしれない。







私が住んでいた団地周辺は野良の犬猫が多かった。

団地だからゴミも多量に出るしエサをあげる人も多かったので、その内人間を怖がらない犬猫が増えた。

私が“シマ吉”と呼んでた黒縞の雄猫は、とても愛嬌があり団地でも人気者だった。

ある日帰宅途中の私の前に足を引きずって現れた。

最初後ろ足に何かが付いてるように見えた。

近くで見て思わず引いた・・・。

シマ吉の足が潰されたように広がって、人間の掌くらいに膨らんでるのだ。







正視できないほど異常に膨らんだ足に、私は交通事故を想像した。

獣医に連れていくと、原因はもっとひどいものだった。

足の根元に何重にも輪ゴムが巻き付けられていた。

もう少しすればシマ吉の足は無くなるところだった。

哀しかった。

どうしようないくらい哀しくて、それから腹が立ってしょうがなかった。

同じ人間がこんなことをしたと思うと、それでも人間を信じて私に助けを求めてきたシマ吉に申し訳なかった。

そしてその信じる素直さがシマ吉の仇になった。







シマ吉は数日で元気になった。

外に放つことに不安はあったが、団地で飼うことは勿論出来ない。

心配は無用と云わんばかりに、シマ吉は前と同じに皆に可愛いがられてた。

けれど動物好きな人間がいる一方、糞や臭いに迷惑顔の住民もいるわけで、

そういう人たちのイライラも徐々に募っていた。

保健所が一斉に野良の犬猫狩りをした。

捕まえられた殆どは犬で、猫は察して逃げたらしい。







帰宅して妹からその話を聞いた私は、

シマ吉の姿が見えなかった理由が分かった。

シマ吉が捕らわれるところは妹の友達が見ていたらしい。

病院へ行った後のような哀しさはなかった。

虚しかった。

数日前にしたことは無駄だったのかと虚しかった。

いくら迷惑だからといって、殺すようなことをする人たちがひどいのか。

可愛い、可哀相といたずらにエサをあげて、数を増やした人が悪いのか。







偏った見方と言われても、私は命を奪うほどの理由は絶対ないと思う。

無論人間は都合のいい殺生をしている。

ただ、人間の都合でペットとして増やされたり、捨てられたりした結果で野良になった動物たちは、

他の、人間にとって害になる生き物の増加とは全く違う。

人間が蒔いたことは人間が報いるべきだ。

矛先を安易に処分できる小動物に向けても、状況を産み出す人間がいる限り何も変わらない。







似たようなことはそれからもあった。

一時的に助けたことから飼うしかなくなり、結果捨てざるを得ないという最悪なこともしてしまった。

私の中で色んな考えが交錯した。

野良とはいえ一種の野生の動物。

そこに手出しすることがいいことなのか。

私が見過ごせないと思うことでも、そういうものと引き換えにして死ぬことがあっても、

それが自然なことなのかもしれない。







助けたつもりが実は余計なことなのか。

動物を飼うということも人間のエゴだ。

虚しさが残る出来事の繰り返しに、今度は猫だけじゃなく極力動物に近づくのを避けた。

だけどやっぱり猫はやってきた。

私の気持ちを揺るがないものに変える奴らがやってきた。



天敵の傾向と対策

2004-10-25 | アメリカどんなんこんなん
人間不思議なもので、嫌なことほど多くやってくる気がする。

嫌だから多く感じるのかもしれないが・・・。

メデューサともその摂理に違(たが)わず、あれから何度と会うハメになってしまった( ┰_┰)







私は欠勤者のヘルプなので、毎朝電話でその日行くSchoolの連絡がある。

一ヶ月過ぎた頃には指定7校のうち6校は経験済みで、どのSchoolでも自然に振舞えるようになっていた。

だから朝、『今日は〇〇Schoolへ』と言われると、

『久々〇〇たちに会えるな』どと、それなりに楽しくなり始めていた。

しかし、仕事というのは本来楽しくあってはいけないもんなんだなきっと(笑)

今日の給食はなにかな~と初心のカケラもなくなった私に悪夢がやってきた。

一度の指定をきっかけに、メデューサのSchoolへの指令(?)は頻繁に下された。

それも今まで有り得なかった一週間連続とか!







なんで? なんで?

7校もあるのに? ヘルプだって他にもいるのに???

おまけに肝心のメデューサはしっかりご出勤 (-。-;)

朝から気分は憂鬱、近づくごとに胃がキリキリ。

だけど今日こそは違うかも知れない!

な~んて淡い期待は、出勤後1分で甘い夢と化す…。







メデューサには目が合ってしまう時点でビビってしまうので(なんて情けない)

その後の挨拶が『グ、グ、グッド・・モー・・ニン・・グ』と、まるで叱られてる子供みたいな声になる。

それでも聞こえてはいるらしく私の5倍くらいの声で、

『モーニン!』と一応は答えてくれるが、その時は私を見ようとはしない。

相変わらず必要最低限しか口をきかない(私以外とはかなりしゃべる)

最初の頃は私から話しかけたが、Yes or Noだけの返事で、向こうからは話しを広げる

気がないのが感じ取れたし、何となく話しちゃいけない空気に私も無言が多くなっていた。






 
なのに何故か時々私を睨む。

それがまた非常~に怖い・・・(´□`;)

固まる私に更に追い討ち。

一緒に仕事をしてればどんなに嫌でも話さずには済まない。

何か言われて理解出来ない部分を聞き返す。

その会話の中で互いに誤解が生じる。

例えばこんなことがありました。







メ: 『このステーキサンドを〇〇〇〇して』

ね:『えっ、これを何?』(ビクビク)

メ:『これはステーキサンド、ステーキサンド、ステーキサンド!』

ね:『そんなことは見りゃ分かるに決まってるだろ! 

人の話ちゃんと聞いてんのかバカヤロー、それにそんなデカい声出さなくたって聞こえてんだよ』

もちろん心で遠吠えするしかない小心者・・・( -.-)







大体ねぇ、私はまだ渡米して半年(とき4月)なのよ。

英語に、外人に、初めてだらけの中で仕事してんの。

もうちょっと優しくしてくれてもいいんじゃない。

な~どと言っては私の負けさ、それはこっちの都合だもんね。

ねこみみ、国籍を捨てて(?)頑張ります!







まずメデューサとは極力目を合わせない(この時点で既に負けている)

メデューサが振り返る、ねこみみも振り返る(やっててアホな気が・・・)

話しかけられたらすぐには返事をしない。

聞き返すことを一度頭で復唱し、大きな声ではっきり言う(ここでも直視は危険)

そしてメデューサの音声は強力なので、身体は正面を向けて心持ち離れる(やっぱりアホな気が)







こんなへタレな抵抗を盾にしつつ、他のSchoolでの楽しさも助けとなり、何とか年度末まで乗り切った。

(アメリカは5月末~6月始めが年度末)

さてこの後は約三ヶ月の夏休み♪

メデューサとも暫くお別れだし、新学期になればまた気分も状況も変わるかもな~

変わるどころかまたもや私は思い知らされることになる。

逃げれば追われるという摂理また然り・・・(-"-;



Tradition

2004-10-18 | アメリカどんなんこんなん
Tradition=伝統

果たしてアメリカで、この言葉の存在が必要なことは殆どないように思う。

歴史のない若い国アメリカ。

それなのにその愛国心はもの凄い。

この国の人たちは臆面もなく自分たちの国を一番だと言い、更に愛してると言いまくる。

最初は羨ましかったし憧れもした。

私にはそんな愛国心は持ち合わせてないからだ。







何でも外から見るのと、自分がその中に入るとでは実は全然違ってたりする。

アメリカ人の母国に対する想い。

その最たるのが、映画でよく出てくる国への忠誠心。

「正義を守る、自由を守る、そして何よりアメリカを守るんだ~」と、

それはそれはかっこよく描かれるから、気がつけば観てる方も気持ちがアメリカ側になっている(笑)

アメリカの敵はなにがなんでも悪者、アメリカ人の死に報復は正義。

戦いの原因は掘り下げられることなく(掘り下げたら困るんだろうなぁ)

最後は絶対、どんなに殺しちゃっててもアメリカが良く見えたもんだ(笑)

この国に住んでから、それが現実の世界にも当てはまることを感じさせられた。







米国では事有るごとに、国歌斉唱(小さなイベントでもこれだけは大袈裟にやる)や祈りを捧げる。

左胸に手を当て誇らしげに歌い、「神は米国と共にあり、米国を守りたもう」と祈る。

そんな姿がとても決まるアメリカ人だが、それも度を越すとただの自己陶酔に見える。

そして何とも都合のいい祈りを捧げる!

こういうことを小さな時からさせられてたら、そりゃアメリカ№1と思うよなぁ。

地球の裏側で日本人が、「アメリカは正義」を映画で刷り込まれたように。







もちろん国を愛することは悪いことじゃないと思う。

問題は何を踏まえているか・・・。

「外国で一度住んでみたい国は?」というアンケートで、

アメリカ人は米国以外考えられないと答える人が多いそうだ。

が、それは「そこまで国を愛してるのか!?」ということじゃなく、他の国をよく知らないからだと。

つまり大した根拠も比較もなく、やみくもに「№1、№1」と思ってる人が多いとも言える(怖いなぁ・・・)







アメリカ人の、時に恥ずかしいほどの愛国心の理由。

私が生活していてもう一つ感じたことがある。

アメリカ人は古いものが好きだ。

家具や食器など、代々受け継いで大事にしている。

と言ってもせいぜい二百年の歴史の中では、あまり年代を感じさせるほどじゃない。

そのせいか他国の古いものを集めたり、伝統的なことに関心を持つ人が多い。

特にアジアはお皿一枚取っても全く違うので、かなり興味惹かれるようだ。

(でも日本と中国の違いわかってないんだよな(;¬_¬) )







古いもの、古いこと、そこにこだわることと愛国心。

実はこの国の人たちは、歴史とTraditionを渇望しているんじゃないだろうか。

伝統があるが故に妙なしきたりに縛られる日本では、古臭い慣習なんてうっとうしいだけだったけど、

長い歴史で築かれたもので、確実に指針となるものがあった。

米国の人たちには、そんな基盤となるものが少ない。

倣うものが少ないというのは、考えると不安で心許ない。

だからこそ大した根拠なんかなくなって、自分たちの国を「いい、いい」と言うことで(言わせることで)

存在を確認したい、して欲しいんじゃないかと。

考えたら「I LOVE NY」なんて、超ナルシスト発言だし(^∇^)

ただ愛国心が強いあまり、自由と自己中を取り違えてる気がある。

もっと世界の中での比較をしたほうがいいと思う。

ていうか、もう少し他国のこと知れよ!(笑)

アメリカ人が思うほど、米国好かれてないんだぞ!







あまり労せず裕福さを手に入れたこの国は、言ってみれば金持ちの世間知らずなドラ息子(表現が古い(笑)

周りの大人(他国)たちの叱咤なんて聞く耳持たず。

去年ドイツだったか官僚のおっさんに、イラク攻撃のことで諭された時も、

「年寄り(古い国)の言うことは古臭い」と一笑。

でも、「その年寄りは、君の道を歩き終わってきた」とか言い返されて返答できんかった(笑)

このままドラ息子をあと何百年も突っ走るのか。

つまずいて痛い思いして、他国に耳を傾ける日はくるのか。

でも米国が躓くって戦争にでも負けない限り、他に痛いことってなさそう。

それじゃあんまり代償が大きすぎる。

軍事力あったって、Traditionは築けないのに・・・。







米国で、私が伝統にして欲しいものがある。

それはAMERICAN QUILT(アメリカ独立最初の旗もQUILT)だ。

どこの家にも必ず何枚かある(うちのお義母さんは30枚くらいある!)

パッチワーク状が基本だけど、誕生日・結婚など記念の出来事を縫い合わせたり。

とても可愛いくて、寝具としても軽いのに暖かい。

布が高価だった昔は、小麦粉などが入った布袋で作ったりしたそう。

これは、絶対アメリカの自慢できるものだと思う(o^-^o)







たまたま日本人に生まれた私は、出来上がった伝統の上に暮らしてきた。

今までその有り難さ、面白味なんて考えたこともなかったけど、

伝統って途方もない時間がかかった財産だと気づかされた。

米国もいつの日か、Traditionと言えるものがいっぱい増えてるといい。

間違ってもTraditionは戦争・・・なんてことにならんでくれ・・・( ┰_┰)



やっぱりねこが好き その一

2004-10-11 | ねこのきもち
目の中に入れても痛くないほどねこが可愛くてたまらず、その仕草に骨抜きにされ(笑)

時に冷たくされても、ひたすら“猫馬鹿道”を突っ走っているねこみみですが、

そんな私にも猫が嫌いで、それどころか憎くて憎くて視界に入るのも耐えられない時期がありました。

今とは全く正反対の状態。

その理由は猫にしたら自然のことで、私の逆恨みなんだが、

当時小学生の私にはそれを差し引いて考えることは無理だった。







物心ついた頃から動物に限らず生き物はなんでも好きだった。

だけどそれは子供独特の興味が先走った、生き物にとっては傍迷惑な『好き』で、

嫌がる猫を抱いては引っ掻かれ、犬の頭や尻尾を触るつもりが、怖がらせて噛まれたり吠えられたり。

その動物をおもちゃの延長としてじゃなく、

生き物として本当に理解し始めたのが小鳥を飼ったことからだった。







小学校3年くらいだったか、色んな動物を飼っていた叔母が、グレーの羽がとても綺麗なさくら文鳥をくれた。

人に慣れ、手乗りにもされていたので小学生にも飼い易かったし、

なにより自分の手に収まる小さな身体と、

いつも肩の上に飛んで来てチュンチュンと鳴くのが愛らしくて可愛いかった。

この小鳥を「ブン太」と名付けた(多分文鳥だったから 笑)







後で思えば相当危険なことをしていたのだが、お馬鹿な私はどこへ行くにもブン太を肩に乗せて出歩いてた。

ある日近所の小さな商店に買い物に行った。

幾つか買う物があったんだと思う。

ブン太を積み上げられたお米の上に乗せレジに向った。

本当に本当にあっという間だった。

何処から出て来たのかも分からないほど、気がつけば猫がブン太のいる所にジャンプしていた。

猫と一緒にブン太がいなくなっても、私には何が起きたか分からなかった。

その商店の飼い猫だったから、おばさんとおじさんが一生懸命猫を追いかけてくれた。

そして動かなくなったブン太を差し出しながら何度も謝ってもくれた。







優しくしてくれたおばさんたちに返事もできなかったと思う。

どうやって帰ったかも覚えてない。

暫くはブン太が死んだことが信じられなかった。

自分の行動に後悔という気持ちをまだ持つ術もなく、

ただただ、あまりにあっけない生命の終わりを受け入れられなかった。

悲しいことは時間が経つほど実感が増してくると言うが、

ブン太がもういないというのも朝が来るたびに思い知らされた。

もう水を変えなくても、ご飯を注ぎ足さなくてもいいんだと。







初めて飼った生き物。

三年近く誰より近くにいた友達。

なのに一瞬でいなくなってしまった。

どうして、どうして、と考えては辿り着くのは一つ。

死というものを頭ではなく、子供すぎて感情で先に理解した。

それから私にとって猫は忌むべきものになった。



味 覚

2004-10-11 | アメリカどんなんこんなん
女性ならば誰でも、グルメというほどじゃないけれど、評判の店、穴場の店と聞けば行って食べたくなるし、

特に日本は次から次へと色んな趣向のお店が出てくるから、みんなそこそこ舌は肥えてる。

私も「いきつけなの」なんて自慢できるくらいの店はある、自称かなりの食いしん坊♪

味覚というのは人それぞれだろうけど、ある程度基準はあって、そこから減らす増やすで好みに分かれてく。

しか~し、アメリカの食べ物に今までの計りは当てはまらず。

ちょっと自慢の私の舌もおろろいた! (ノ゜⊿゜)







ご存知、砂糖の塊のような菓子類。

「これ三日目?」と見紛うクタクタに煮られた野菜たち。

アルデンテ二回くらい通りこしたコシのない麺。

他にもドレシッングに溺れてるサラダ、泡のないビ―ル(誰か飲んだのかと思った(笑)、パサパサのパン。

私からしたらどれもこれも、好き嫌い以前の問題だ!

ケーキもドーナツも甘ったるくて、一口で気分が悪くなる。

米国の野菜そのものは、私は日本より美味しいと思う。

なのにその野菜を、ビタミンを、全部無駄にしやがってぇぇぇ~。

パスタ大好きの私に、唇で切れる麺なんか認めらるれか~。







信じられない、この人たち本当にこんなのが美味しいの???(゜0゜*)

だってそりゃそりゃ美味しいそうに食べるわけで・・・。

下手に歯ごたえを残して作ったり、素材の味を意識して調味量減らそうもんなら、

「なにこれ、火通ってないよ」、「味がしない」とさ。

多勢に無勢、段々自分の味覚に自信がなくなっていく・・・。

だけど旦那曰く、「アメリカ人はバカ、日本人のほうがものを生かしてる」とフォーローのお言葉。

そうよね~やっぱりおかしいよ。

って、その旦那は在日十数年・・・。

単に日本食に慣れてしまっただけではないのか?







お国違えば食文化だって異なるのは当たり前。

あんまり文句ばかり言いたくはないけれど、毎日似たようなもんばかり食べてるし、

超大国にしては貧しい食生活だなと思ってしまう。

そもそも料理自体にあまり興味がないように見える。

ここの人からしたら、手間もお金もかけ方が違う日本人は、さぞかし貪欲に見えるかもしれないなぁ。







それにしても何故こんなにも味覚が違うんだろう。

国が違う、食べてきたものが違う、確かにそうだけど、アメリカ人の中でも日本人に近い味覚の人もいるし。

何かで読んだが、味覚が出来上がる前に甘いものばかりをあげると、

舌の感覚が鈍くなり、成長するにつれ味の濃度を上げないと感じなくなるらしい。







そういえば、あの織田信長も不思議な味覚の持ち主だったんだと。

(米国ばかりを悪く言ってもなんなんで 笑)

天下統一の際、当時日本随一と言われてた料理人が招かれたそうな。

最高のご馳走だった思うんだが、信長は「まずい! まずい!」と激怒。

何とか作り直す許しを得た二度目の料理に、「うまいうまい、流石日本一」と今度はベタ褒め。

何故こんな極端なことが起きたか?

料理人が言うには「最初の料理は上品な味付けをした。

それを信長公は不味いとおっしゃった。

それで二度目は出来る限り下品な味付けをした」とか・・・ヤケでんな(笑)

時代が時代なら、アメリカ人全員打ち首じゃ~

いや昇格か?(笑)

あっ、でもね、もちろん美味しいものもあるんです(フォローフォロー)

今回はあくまでも味覚の話ということで。