goo blog サービス終了のお知らせ 

2006年 私の10大ニュース

2006-12-25 | アメリカどんなんこんなん


『あっという間の一年』
毎年のようにこの時期になると口をつく台詞ですが、今年は今までになく
文字通りあっという間に過ぎ去った年で、本当に365日あったのかと思うくらい(笑)
二度の帰国や新しく増えた家族。義母の負傷。そして人生の転機?になりかけた話。
こまごまとでも出来事は起きたからかも知れません。


そして結果的には〇でも悩まされることが多かった年で、
トータルではちょっときつかった年でもありました。
でもその2006年も残りわずか。
過ぎ去ってしまえばどの出来事も穏やかな気持ちで思い出せるのが「年末」の成せる不思議で・・・
なんちって~では今年もねこみみの10大ニュースいってみよー♪





★10位  お初

①初肉
今年のお正月に生まれて初めて霜降り肉のすきやきを食べた。正確には食べさせてもらった(笑)
めちゃめちゃ美味かった! 霜降りは脂っこそうなイメージで特に興味なかったけれど ← 負け惜しみ
まさかあんなに旨いもんとは。ご馳走してくれた友達に感謝だがお陰で口が肥えてしまった(^▽^;)


②初ダイヤ
いつの日か自分でダイヤのネックレスを買うのが夢だった。ちまちまと(こつこつよりも小さく)
へそくりを貯めてやっとそれが叶った~帰国した時に生まれて初めて購入した。
ダイヤが散りばめられたリングの中に誕生石のアクアマリンが揺れるネックレス。
とはいっても小さなものだけど。
元々そういうものにお金をかけるタイプでもないし、ただのアクセサリーに何万も掛けるのは
貧乏性の私には勇気がいったけど、それでもこだわりがあるのはいつか見たCMのように、
これまでの自分を認めてあげる、勲章のようなものなのかも知れない。



★9位  いじめ

今更言うまでもなく、何年も前から問題になっているいじめ。
しかし今年は本当にこの話題がニュースに出てくるのが多くて、
ネットを開くたび「また・・・」と思わずにいられなかった。しかも自殺という最悪の結果で。
どんどん陰湿になるいじめ。いじめられても誰にも言えない環境。見て見ぬフリの大人たち。
要素も原因はきっと単純じゃない。いじめはいけない、自殺もいけないのは誰だって分かっている。
それでもいじめる。集団で一人を的にする。そして誰かが追い詰められ、口を閉ざし死ぬことを選ぶ。
子供は大人の鏡。本当の問題は大人社会にあるような気がする。



★8位  訃報

つい先日も青島幸男さん、岸田今日子さん、カンニングの中島さんと、
有名人の訃報が相次いだけれど、小さな頃から気がつけばTVの画面の向こうに居た人たちは、
芸能人であって芸能人じゃない。
いかりや長介さんが亡くなった時のように、身近で、居て当たり前の感覚。
そういう方が亡くなると自分とは全然関係ないのに相当にショックを感じる。


今年亡くなられた中でも藤岡琢也さんの死はすごく悲しかった。
「渡る世間は鬼ばかり」の中で唯一鬼を感じさせない(笑)
サッポロラーメンのCMでも親しみが持てる普通のおっちゃん。
大御所なのにほっとする空気がある役者さんだった。
特にファンでもないのに、今でももういないと思うと寂しくなる。
そこまで思わせる芸能人って考えると凄い存在なのかもしれない。



★7位  金メダル

トリノ五輪で荒川静香選手が金を獲得したのは日本人なら誰もが嬉しいことだと思うけど、
他国に居ると嬉しいプラス誇らしい気持ちになって喜びは倍増。
彼女がゴールドメダリストになった翌日、周りのアメリカ人から『凄いね日本!』
と言われて鳥肌が立つくらい嬉しかったー
どんなことであれ国外まで名前を知られることは本当に凄いことだって、ひしひしと感じさせてもらった。



★6位  Mom負傷!?

いつも元気な、というか元気すぎた為に義母が怪我をした。
友達の家の整理のお手伝いをしにいった彼女は・・・椅子から落ちてコケた。
その時膝がだいぶ腫れていたのに『大丈夫大丈夫』と言って、翌週またコケた・・・(;´Д`)
膝の軟骨にヒビ。全治三ヶ月。恐らく一回目に打った時にどうにかなってたと思う。


この人はも~う。絶対自覚ない70歳だってこと。
車椅子生活の間も目を離すと足を使おうとするので油断がならなかった。
しかし恐るべし70歳。ただでさえ治りの遅い年齢なのに二ヶ月足らずで完治してしまった。
これには担当のDrもびっくり。流石というか怖いというか。アメリカの南部の女は強いって本当だ(笑)



★5位  May登場

小さな頃は犬を飼うことを夢にみた時もあったし、ましてやアメリカなら大きな家と広い庭。
わんこと一緒に駆け回る自分の姿も想像したこともあった・・・
あったけど、うちはもう猫で手いっぱい。猫よりももっと手のかかる犬を飼うことは絶対無理。


自然と諦めていた・・・のに・・・まさかこんな日が来るとは思いもしなかった(笑)
(詳しくは『ねこのきもち』参照) 
猫とはかってが違う犬に、毎日てんやわんやさせられてるけれどそれはそれで楽しかったりして。
今年は我が家にとってまさに「戌年」だった(〃^∇^)



★4位  起業の話

実は数年前から持ちかけられていた仕事の話があった。内容的にも条件にしても決して悪くない。
でも渡米することもあったし、何より個人での起業に加わる不安があって躊躇していた。
それが今年に入って更に具体的になり、事業内容に違うアイディアが提示されたので、
前から感じてはいたその仕事はより魅力的になり、心が動いた。
何よりも私を必要としてくれるのが嬉しかった。考えに考えて、夫とも話し合い帰国を決めた。


仕事もシェルターも習いごとも、全て辞めて身辺整理した直後だった。『事業はやめる』と言われた。
色々な事情はあった。仕方のないことだと思う。
けれど相手は帰国するにあたっての私の大変さは十分承知していた。
それなのにただの一言もそのことに関して言葉はなかった。
数ヶ月もそれに向けて準備してきた。周りの人たちにも迷惑を掛けたのに。振り回された気分だった。


私の人生を簡単に扱われたようで何週間も落ち込んだ。
一時は人間不信にもなりかけたが、今はいい勉強になったと少しは思えるようになった。
教訓「人を信じてもアテにしてはいけない(笑)」
(ありがたいことに学校から戻って来て欲しいと言ってもらえたので職は失わずにすんでほっ( ´o`)



★3位  さいたま猫殺し 犯人逮捕へ

今年4月に起きた事件。ついこの間の12月20日、書類送検されていた犯人が逮捕となった。
やっと日本の警察も重い腰をあげたと思うと同時に、それを動かしたのは紛れも無く世論で、
捜査を求める段階から、必死に訴えてきた一人一人の力を感じて嬉しかった。
個人的にも9月にこの事件を知って以来出来ることをやってきた。
さいたま県知事から直接メールを頂いた時は、
政治家自体への見方が変る程感動した(日々小波乱 11/22参照) 


この事件、たまたま大きくなったから、たまたまマスコミに取り上げられたから、
それで警察も行政も動いたという人もいる。それでもいいと思う。
きっかけは何であれ、動物の命を軽視しないことに結びつくなら。
法律をより現実に沿って改正していくためにも。


動物たちのために地道に活動をされている方たちのお陰で、
以前よりずっとそういう傾向は高まってきているし、そのことを声を大にして言える国になってきた。
日本人はまだまだ右へ倣えの精神があるから、動物を愛護するのは当然、
という流れが出来てくれば一気に加速すると思う。
それが結局は人間の身を守ることにも繋がるのじゃないだろうか。


世の中は簡単には変わらないけれど変えられないわけじゃない。諦めない限り。
一部の人にしか人権も無かった頃、先人が変えようと努力してきたから今の世界があるように。
もの言わぬ、でも人間にいっぱい幸せをくれる動物たち。彼らのために出来ることをしたい。



★2位  ネットワーク

今年もネットを通して沢山の方と出会えました。PC上のお付き合いが殆どとはいえ、
心に響くものはもしかしてリアルな生活からよりも多いのでは、と思ったりもします。
顔が見えないゆえ、よりストレートにものを言えたり、
身構えず飾らず自分の考えを伝えられるのも、ネットならではの利点なのかなと感じます。
サイトへ来て下さる皆さまには、ご意見や感想をもらえることが本当に励みになっていて、
色んな考え方捉え方を知ることで勉強にもなります。いつも本当にありがとうございます。


ふと気がついたことがあります。Mixiのマイミクして下さってる方が、
馴染みの友人よりアメリカに来てから知り合った方のほうが多いのです!
ちょっと自分でも驚きました。そしてちょっと複雑(笑)
ネットの力って凄い、ってつくづく思います。
だってネットじゃなきゃ出会えなかった人たちも多いですから。
まして海外に住む私にとってインターネットは、文字通り人とのネットワークを結ぶ大事なもの。
もうPCさまさまです。たとえ依存症と言われても(笑)



★1位  私の周りの全ての人たち

4位にあげたことが一番でもあるのですが、
他にも今年は私にとってきついことの方が多い年でもありました。
それで今までになく落ち込みもひどく、気が滅入りがちでした。
そういうのが続くと段々と人間は自分の否定に入っていくのですね。
何の価値もないように思えてくる。


そんな時に何気なく届く日本からのメール。
『久しぶり』と掛かって来た電話。
そしてサイト上で私のエッセイを面白いと言ってくれる方たち。
私のことを思い出す人がいる。気にしてくれる人がいる。私が書くものを楽しみにしてくれる人がいる。
それにどれだけ励まされたでしょう。


それでも自分の存在が危うくなりかけて、辛くてたまらなくなって、
とうとう吐き出した時、色んな人が支えてくれました。
訳の分からぬ泣き言に付き合ってくれた友人。支離滅裂のメールに夜中でも返信してくれた友達。
特にサイト上では顔も知らない方たちが、赤の他人の私のことを親身になって励ましてくれて、
何とか元気づけようとしてくれるのがPCの向こうからでもひしひしと伝わってきました。
私はどうでもいい存在じゃない、一人じゃないって思えました。
心の奥まで染みていくような温かい言葉の数々をずっと忘れません。
私に関わってくれた人たち全ての人に感謝です。ありがとう。





今年も猫耳荘へ来て頂いてありがとうございました。
今年は中断(怠けて)していましたが来年は夢に向って真面目に(?)
動き出そうと思っていますので、どうかこれからもよろしくお願い致しますm( __ __ )m


不思議の国 ⑰

2006-12-18 | アメリカどんなんこんなん


〝 不思議編 〟


不思議 32 楽しいクリスマス? その①

日本で師走のこの頃、追い立てられるように過ぎていく毎日でも、街のイルミネーションや
ショウウィンドウのディスプレイに、商業的に乗せられているとは思いつつ、
でもやっぱりこの季節はワクワクした。
行事ごとが多い年末年始とはいえ、胸躍らされる理由の一番は何て言ってもクリスマスなんだろう。
しか~し宗教に関係なく盛り上がっている日本とここアメリカとでは、
それに対する考え方も、祝い方もちょっと、いえいえ大分違っている。


アメリカも同じく商業色が強くなってきているにしても、
まだまだ多くのアメリカ人にとってクリスマスは宗教に根ざしているもの。
だから日本人が思う何倍も神聖で大切な日なのだ。
実際はその日がイエス・キリストの生誕の日ではないと言われて久しいが、
敢えてそれを口にする人は一般人にはまずいない。追求などしてはいけない空気があるのだ。
キリスト教の範疇を越えて、もはやアメリカの文化の一つともいえ、
そしてこれ程の大イベントを今更絶対止める訳にはいかないだろう。
真実よりもその日を祝いたい人の方が圧倒的なのだから。


アメリカ人のクリスマス。
お祭りの一種にしてしまった日本とは掛け離れてて、敬虔で聖なるイメージを持ってたものだ。
それは本当に素晴らしい・・・が、同時に怖いものと知ることになろうとはσ(^_^;)
アメリカが色んな面で意外と保守的であることは何度か書いてきたが、
それが宗教にもしっかり反映されている。


加えて例の「アメリカNo1」的思考で(しかも殆どは「井の中の蛙」状態でやみくもにNo1)
聖書絶対、キリスト教絶対の考え方が出来上がっているのだ。
クリスマスを祝わない人間(国)は居ないと信じて疑ってない人も多い。
異人種に対してさえそうなので、アメリカ人でクリスマスをしないようなものならもう非国民扱い(笑)


別にクリスチャンでもないくせに『クリスマスクリスマス』と浮かれる日本を、
自分も含めておかしな国だと思っていたが、世の中の人間がみんな自分と同じものを信じている
と疑わない考え方も怖いものを感じる。
どっかの国の「自分たちの神以外は神じゃなーい」と言ってるのと根本的に変らない。
明るいか陰険かの違いなだけだ(笑)


だからといって否クリスチャン、他宗教、を否定はしない。
そこはいいかも知れない・・・のだけれども、でもまずキリスト教ありき。
それを誰にでも求める。尊重してんだかしてないんだかよく分からない(笑)
鼻っから「当然でしょ」の雰囲気は、それだけで充分有無を言わさぬ圧力になる。
日本では楽しくなれたクリスマスでさえ、何だか鬱陶しくなってきている。


親しくなればそれは更に強くなる。
友人(祖先崇拝)は徐々に夫の家族からキリスト教へ改宗するように言われてて、
プレッシャーと同時に自分の宗教を否定されたようで不愉快だと言う。
宗教は信じる人にとってとても大事なもの。私も最近までクリスチャンだったのでよく分かる。
信じる心も、自分が信じることをまっとうしたい気持ちも、とても清いものだと思う。
けれどどんな宗教でも押し付けを感じた時点で何かが違ってくる。
それで怖ささえ芽生えてしまったり。


良いことだと思うあまり知らず知らずに他人に強要してしまう。
宗教にハマってしまった人が陥りがちなこと。
そこまでとは言わずともアメリカ人のクリスマスに対するオーラは半端じゃないのだ。
とはいえ日本に来た外国人が、日本人のクリスマスの祝い方を見て、
首を傾げたり憤慨するのを思えば、あんまり私たちもまともに見られていないのだろうけど(;^_^A 
そうして今の私は、日本に居た頃のように単純にワクワク出来なくなった。
その理由はまだまだ他にもあるのであった。


                                               その②へつづく

二番目

2006-12-04 | 徒然エッセイ
子供の頃  一番好きなものを最後に  取っておいたね


ショートケーキのいちご  お子様ランチのエビフライ


目の前にあるだけでずっとワクワクした


だけどさ  やがてがっくりするんだ


生ぬるいいちご  お腹いっぱいになって食べるエビフライは


もう何か違ってしまうんだよ







行きたい学校より  受かる学校を選んで  皆と並ぶ  


だって人生の中の一年が  どれだけ短いかなんて知らない


やりたいことじゃなく  皆が知っている価値で決めるんだ  


だって「社会人」ってそういうところで生きるって意味だろ


片思いも不倫も疲れた  だから愛してくれる人と一緒になるの  


だって二番目に好きな人と結婚した方がいいって言うでしょう







とっておきだから一番なのさ  


触れたらもう一番じゃなくなる  


違う  違う  


一番好きなものは簡単に僕らを打ちのめす  


だから皆選ぶのさ  


二番目なら傷つかない


二番目なら温かい


そんな優しいものに囲まれて  錯覚するんだ  


これが幸せだと







もう激しい痛みに胸は突かれない  


でも身体中が高揚することもない  


穏やかな時間と引き換えにした


そして気づくんだよ  


お皿の上にはいちごもエビフライも残っていないこと


人生のとっておきは誰かのものになる