編集者①はこちら
当分の間、社内の雑誌部でコラムか新刊評でも書いてもらおう。
それが書籍部の販売促進会議で、今やすっかり勢いの落ちた作家、野上光太郎に下されたものだった。
現代作家にはない作風。
人間の暗部を題材にしてながら、そこに魅力を描ける稀な作家。
野上のその才能が枯れた訳ではない。
ただ【この時代に求められる】ことが終わってしまっただけだ。
暫く自分に任せてもらえませんか。
作家としては切り捨てかけられている野上への担当を申し出たのは、
その才能を惜しいと思っただけではない。
俺自身が野上の作品と作風に魅了されていたからだろう。
何をしようと、どんなに落ちぶれようとも、人間は人間であること。
弱さや愚かさえ愛すべき弱点のように見えてくる。
野上の小説に書かれる登場人物には、真っ直ぐな「生」そのものを感じる。
かつて書く側にいることを望んだ俺が、どうしても出せなかったものだった。
だが、この時代にその生は優し過ぎた。
彼の文章には「毒」というものが一切感じられない。
彼が生み出す人物には、強烈な悪意や憎悪というのが存在しないのだ。それが殺人者であっても。
野上の長所である作風が、現代の読者によって短所へとすり替わる。
虚構だと知りながら、いつの間にか引き込まれている。
どんな形のものであれ、フィクションものの成功はそこだろう。
求められているものとかけ離れていたことで、野上は一旦は成功した。
しかしそれは現実の人間関係では全く生ぬるい。
いずれ飽きられるのは目に見えていた。
ほんの少し前まで絶賛されていた一文一文が、リアリティのなさから幼稚な駄文と化していった。
野上は気性の穏やかな、野心などとは無縁の、その書く小説と同じく俺とは正反対の人間だった。
しかし己の書くものに強いこだわりを持った男だった。
そんな男がこの状況でどうなっているか、容易に想像はつく。
もう以前のようにはいかないことは、彼自身が一番に感じている筈だ。
野上は完全に力を失っていた。
純粋に、ただ一心に、ものを書いて来ただけのこの男が、
最初からいなかったかのような、容赦ない読者の裏切りの受け
自分の守ってきたものがどれだけ危うく頼りないものだったかを、初めて思い知らされたのだ。
哀れなくらいだった。
今思えばそういう男だからこそ、いけると感じたのか。
上から与えられた期間は一年だった。
担当作家は他にも抱えている俺にとって、野上光太郎を再起させるに決して十分な猶予ではない。
最初にしたのは書かせることではない。
野上に欠けているもの、読者が求めているもの、
つまり人間の負の部分や醜い部分を描く時のリアリティさを追求させる為の
観るもの、聴くもの、読むものから、徹底的に与えた。
そして少し書かせてみては、表現の甘さを指摘する。
代わりに強烈で辛辣な言葉を当てはめる。
野上の脳内からはまず湧いてこないものだ。
野上はその度抵抗した。
だが文字の世界だけで生きて来た自分とは、比べよう無いほど生身の人間に接している俺と、
僅かに残った作家のプライドでは、議論にさえもならないことを気づかない男ではない。
そしてそれを受け入れることでしか、作家で在り続けられないことも。
やがて徐々にストーリー自体にも「俺」が入り込んで行った。
書く、ことに元々秀でた才能を持った野上が、俺の云わんとすることを文字に表していくのは
容易いことだっただろう。
本来の特異な作風に加え、人間が見たくない、認めたくないものを
これでもかと綴った鬼気迫る文章に、この男の作家たる、想像を超えた力に怖ろしさをも感じた。
それから15年余り、彼の書くものに不安を持つ者などいない。
野上光太郎は再起どころではない、作家として不動の地位を築いた。
だが今の野上は俺がいなければ無かったものであり、それはこれからも変わらない。
当前だ。
この世の中の腐った人間たちと関わり、残酷な現実をこの身に受けて、
野上の小説にリアリティさを吹き込んでるのは俺だ。
どんなに野上の描写が優れていても、実際に矢面に立って味わって来たのは俺なんだ。
ヒットするストーリーなら俺の方が間違いなく作れる。
「書く」、その才能があるか無いかだけの違いだ。
今や野上光太郎の小説は二人でしか作れない。
俺たちは同志だ。
お前もそう思っていたんじゃなかったのか?
その俺に死をもたらすのが野上、何故お前なんだ・・・
俺を見下ろすお前の顔を見てやっと気づいた。
あの時、弱り切ったお前を見た時、お前を再起させたいと思うと同時に
無意識に俺はお前をコントロ-ル出来るとも思ったのかも知れない・・・。
編集者 ③ へ続く
(※上記のお話はフィクションです。人物・設定等は架空のものです。
↑ 分かり切ったことですが、一応明記しないといけないようなので)
当分の間、社内の雑誌部でコラムか新刊評でも書いてもらおう。
それが書籍部の販売促進会議で、今やすっかり勢いの落ちた作家、野上光太郎に下されたものだった。
現代作家にはない作風。
人間の暗部を題材にしてながら、そこに魅力を描ける稀な作家。
野上のその才能が枯れた訳ではない。
ただ【この時代に求められる】ことが終わってしまっただけだ。
暫く自分に任せてもらえませんか。
作家としては切り捨てかけられている野上への担当を申し出たのは、
その才能を惜しいと思っただけではない。
俺自身が野上の作品と作風に魅了されていたからだろう。
何をしようと、どんなに落ちぶれようとも、人間は人間であること。
弱さや愚かさえ愛すべき弱点のように見えてくる。
野上の小説に書かれる登場人物には、真っ直ぐな「生」そのものを感じる。
かつて書く側にいることを望んだ俺が、どうしても出せなかったものだった。
だが、この時代にその生は優し過ぎた。
彼の文章には「毒」というものが一切感じられない。
彼が生み出す人物には、強烈な悪意や憎悪というのが存在しないのだ。それが殺人者であっても。
野上の長所である作風が、現代の読者によって短所へとすり替わる。
虚構だと知りながら、いつの間にか引き込まれている。
どんな形のものであれ、フィクションものの成功はそこだろう。
求められているものとかけ離れていたことで、野上は一旦は成功した。
しかしそれは現実の人間関係では全く生ぬるい。
いずれ飽きられるのは目に見えていた。
ほんの少し前まで絶賛されていた一文一文が、リアリティのなさから幼稚な駄文と化していった。
野上は気性の穏やかな、野心などとは無縁の、その書く小説と同じく俺とは正反対の人間だった。
しかし己の書くものに強いこだわりを持った男だった。
そんな男がこの状況でどうなっているか、容易に想像はつく。
もう以前のようにはいかないことは、彼自身が一番に感じている筈だ。
野上は完全に力を失っていた。
純粋に、ただ一心に、ものを書いて来ただけのこの男が、
最初からいなかったかのような、容赦ない読者の裏切りの受け
自分の守ってきたものがどれだけ危うく頼りないものだったかを、初めて思い知らされたのだ。
哀れなくらいだった。
今思えばそういう男だからこそ、いけると感じたのか。
上から与えられた期間は一年だった。
担当作家は他にも抱えている俺にとって、野上光太郎を再起させるに決して十分な猶予ではない。
最初にしたのは書かせることではない。
野上に欠けているもの、読者が求めているもの、
つまり人間の負の部分や醜い部分を描く時のリアリティさを追求させる為の
観るもの、聴くもの、読むものから、徹底的に与えた。
そして少し書かせてみては、表現の甘さを指摘する。
代わりに強烈で辛辣な言葉を当てはめる。
野上の脳内からはまず湧いてこないものだ。
野上はその度抵抗した。
だが文字の世界だけで生きて来た自分とは、比べよう無いほど生身の人間に接している俺と、
僅かに残った作家のプライドでは、議論にさえもならないことを気づかない男ではない。
そしてそれを受け入れることでしか、作家で在り続けられないことも。
やがて徐々にストーリー自体にも「俺」が入り込んで行った。
書く、ことに元々秀でた才能を持った野上が、俺の云わんとすることを文字に表していくのは
容易いことだっただろう。
本来の特異な作風に加え、人間が見たくない、認めたくないものを
これでもかと綴った鬼気迫る文章に、この男の作家たる、想像を超えた力に怖ろしさをも感じた。
それから15年余り、彼の書くものに不安を持つ者などいない。
野上光太郎は再起どころではない、作家として不動の地位を築いた。
だが今の野上は俺がいなければ無かったものであり、それはこれからも変わらない。
当前だ。
この世の中の腐った人間たちと関わり、残酷な現実をこの身に受けて、
野上の小説にリアリティさを吹き込んでるのは俺だ。
どんなに野上の描写が優れていても、実際に矢面に立って味わって来たのは俺なんだ。
ヒットするストーリーなら俺の方が間違いなく作れる。
「書く」、その才能があるか無いかだけの違いだ。
今や野上光太郎の小説は二人でしか作れない。
俺たちは同志だ。
お前もそう思っていたんじゃなかったのか?
その俺に死をもたらすのが野上、何故お前なんだ・・・
俺を見下ろすお前の顔を見てやっと気づいた。
あの時、弱り切ったお前を見た時、お前を再起させたいと思うと同時に
無意識に俺はお前をコントロ-ル出来るとも思ったのかも知れない・・・。
編集者 ③ へ続く
(※上記のお話はフィクションです。人物・設定等は架空のものです。
↑ 分かり切ったことですが、一応明記しないといけないようなので)