「萌え」という概念から遠ざかって久しい。日常に出会う感動は抽象化の一途を辿り、最近では「これ」「それ」と指し示すだけで自分の中では事足りる。「それな」「それな」と囁きながら、新幹線の高架に沿って帰るとき、さいたま市ではまた誰かの毛布が捨てられていて、即ち「これだ」と私は確信する。
レジ前で財布ごそごそしていて、世界堂のカードの中のモナリザと目が合う度に底知れぬ殺意を覚える。今はお前に用はない。
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「萌え」という概念から遠ざかって久しい。日常に出会う感動は抽象化の一途を辿り、最近では「これ」「それ」と指し示すだけで自分の中では事足りる。「それな」「それな」と囁きながら、新幹線の高架に沿って帰るとき、さいたま市ではまた誰かの毛布が捨てられていて、即ち「これだ」と私は確信する。
レジ前で財布ごそごそしていて、世界堂のカードの中のモナリザと目が合う度に底知れぬ殺意を覚える。今はお前に用はない。