武の道へのこころざし

大道塾の横須賀・湘南支部の責任者が、日々の活動に関する出来事や想いを綴っていきます。

涙の効用

2019年10月06日 | 子供の心


秋の審査会が終わりました。

日常の稽古の中でも、幼少年部のクラスではよくある事ですが、人は「涙」を流すことがあります。

痛かったり、辛かったり、怖かったり、緊張から解放された時でも、感動した時でも涙を流すものですが、感動やうれし泣き以外の涙は、とても後に残ってしまうものです。

特に指導的な立場に立っている方々にとって、稽古生の涙はどうしても心に残ります。


最近の傾向かどうかは定かではありませんが、子供たちはみな、涙からの回復がとても早く、ほっとさせられることが多くあります。

因みに、我が家の娘は普段、ほとんど涙を流しません。

小さい頃から「大泣きする」という事がほとんどなかったので、休日のデパートなどで大泣きしている子がいたりすると、思わず目線が向いてしまい、とても心配な気持ちにさせられてしまいます。

頻繁に涙を見せる子を持つ親からすれば、「またいつもの事。」「子供なんて何かあるといつも泣いているものだ。」と、それほど心配をすることもないのかもしれません。


そういえば私自身、あまり涙を見せない泣かない子供でした。


それでも、人は何かに必死に命がけで取り組んだ時、思わず感情的になってしまう場面があるものです。


少々古い話で且つ私事で恐縮ですが、私が人前で最後に涙を見せたのは何と、いい年をした29歳の時。

北斗旗(大道塾の全国大会)無差別大会の決勝戦で大柄の外国選手に負けた時です。

対格差があまりに大きい事もありましたが、自分がこれほど自信を持ってやってきて、自分の人生をかけて、命がけで懸命に稽古を積んできて、迎えたこの一戦。

周りの予想に反して、私自身は勝つ気持ちを持って臨んだこの一戦で、海外から挑戦に来た他団体の外国人選手に、全く力が及ばず、相手のパワーにねじ伏せられる形で負けてしまったとき、多くの観客の前である事も何もかも忘れて、涙を流してしまいました。

この当時の事を思い出すと、その時の心境がよみがえり、いまでも熱い感情が心に込み上げてきます。


人は物事から逃げて涙を流すのではなく、何かに挑戦して流した涙は、その後の自分の考え方や行い次第で、自分を強くする助けになるものだと感じています。


しかし、稽古生の子供達を信じていないわけではありませんが、時折、涙を見せる子たちがいると、表情には出さなくとも、内心はハラハラドキドキ。。。

「次の稽古にはいつも通りの笑顔で参加してくれるかな?」、「これをステップに、より強く成長してくれるかな?」という心配を持ちながら、みなを見守っています。



今回の審査会でもいくつかの涙がありました。

組手審査で痛い思い、怖い思いをしたことでしょう。

また幼少年部では、普段の稽古の中にも時折涙があります。

休憩時間にロビーに行くと、「いつも待ってくれているママがいない!」と、悲しんで泣きべそをかいてしまう子がいたりします。

年に二回の審査後の稽古に行っているボールゲームで、後半皆が張り切って激しくなってきた所で、怪我をして泣いてしまう子もいました。

普段の補強運動で行う様々な運動の中でも、馬飛びを失敗して顔を床にぶつけて泣いてしまう子、休憩時間の鬼ごっこで頭同士をぶつけて泣いてしまう子など、ミット幅跳びに挑戦し、足をくじいて泣いてしまう子など、稽古の中にも色々な出来事があります。


そんな中、そうした涙を流す子に対して、優しく接してくれる子が何人かいるもので、そんな子供たちの姿に人としての温かさを感じています。


一人ひとり、小さな涙を積み重ねる中で、より強く逞しく、大きな心に育ってもらいたいものです。




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