先日、我が家にお巡りさんが訪ねてこられました。
「騙されないように、ご注意ください。」
という注意喚起のお話でした。
最近、この地域でも色々な訪問詐欺などが増えているという事で、各ご家庭を訪問されておられるご様子。
こうしてお巡りさんが各ご家庭に注意喚起をして回るというのは、高齢者の一人住まいも増えている事もあり、とてもいいことだと思いますが、こうしたお巡りさんの訪問を装う詐欺などもある事から、常に神経をとがらせて注意を怠ることができないというのはちょっと悲しい事です。
現在、仕事上でメールのやり取りは欠かせませんが、迷惑メールの数が年々増えてきており、アドレス変更などが必要になるときもありますが、そうそうアドレス変更ばかりもしていられず、増え続ける迷惑メールにうんざりされている方も多い事でしょう。
私は幾つかの仕事上のメールに加え、多くのメールアドレスを用途に合わせて使い分けているため、いくつかのアドレスで迷惑メールが増えてきても、アドレス変更の際の負担も小さく、迷惑メールが来た場合でも判断が付きやすいため、それほどの負担にはなっていません。
しかし、最近の詐欺メールは実に巧妙で、操作になれていない方や高齢者の方々であれば、簡単に騙されてしまうのではないかと心配になってしまいます。
私はコンピューターの保守の仕事を長く行っていますが、パソコン上に問題があるように見せかけて、ソフトウェアの購入を即すようなソフトウェアがあり、お伺いする先でも実に多く見かけます。
多くの方が利用しているLINEやAmazon、または大手の銀行のキャッシュカードやクレジットカードの利用アカウントやパスワードなどを騙し取ろうとするようなメールも多く見られますね。
テレビ等のニュースでも、オレオレ詐欺などの特殊詐欺が収まる気配がありません。
小学校では、知らない人から声を掛けられたら、「絶対についていってはいけない」「お話してはいけない」と教えられているのか、休日に娘を連れて公園などに行った際、転がってきたボールを拾ってあげても、怪訝な顔をするだけで、「ありがとう」の一言も言えず、また別の場面では、目の前で躓いた子にちょっと声掛けしても、返事一つできない子供が増えているのは実に悲しい限りです。
子供は年齢を重ねる中で、大人になるすべを少しずつ学び、段々と大人に近づいています。
年齢が上がるだけではなく、勉強ができるようになるだけではなく、人の社会で生きていくための ”一般常識” と ”社会性” を身に付けていくのがとても大切な学びだと思います。
「ありがとう」と言える子になってもらいたい。
ありがとうという言葉を知っていることが大切なのではなく、「ありがとう」という言葉が反応として自然に帰ってくることが大切。
「お願いします」と言える子になってもらいたい。
相手に対する謙虚な心や感謝の心、そして人を敬う気持ちがまず必要で、また、「お願いします」という言葉を普段から使い慣れていなければ、自然に口から出てくるものではありません。
「ごめんなさい」と言える子になってもらいたい。
まず何よりも、物事に対する善悪の判断と、自分の行動に対する責任感がなければ、そうした言葉は沸いては来ず、また、所々で、「ごめんなさい」という言葉を使う習慣がなければ、そうした言葉は自然に口から出てきません。
武道の教室では、これらの言葉をしつこいほどに自分の口で、それも大きな声で何度も繰り返して発声をします。
稽古場所に入る時の、
「お願いします」
という言葉から始まり、カードを提出する際には、再度
「お願いします」
と言ってカードを指導者へ渡して、体育館を10周走ります。
多くの空手道場などで使用する「押忍」の言葉は、色々な意味に用いられますが、大きな声で「ハイ」という時のように返事の代わりにも利用します。
声を掛けられたら「押忍」と答えます。
皆に座るように指示をすれば、
「失礼します」
と答えてから行儀よく座り、立つ時も必ず指示に従って
「押忍」
と答えてから立って次の行動に移ります。
二人がペアになって稽古をする際は、上級生も下級生も関係なく、お互いに
「お願いします」
とあいさつを交わし、終われば、
「ありがとうございました。」
とあいさつを交わします。これは指導者が子供達と組む時も同じです。
指導者の先生自身も相手に
「お願いします」
「ありがとうございました。」
という言葉をしっかりと声に出して相手とかわします。
稽古を見ている保護者の方々から見れば、稽古中の説明を聞く時に、いちいち生徒たちを座らせたり立たせたり、そのたびに「失礼します」、「押忍」などの返事や挨拶をさせ、また稽古が始まると、互いに「お願いします」「ありがとうございました」と声を掛け合うことに、とても ”煩わしい” と感じる方がおられるかもしれません。
しかし当の子供たちは、数か月もすると、ごく当然にそうした動作を行い、時には入会したての礼法を覚えたての幼児などは、
「しつれいしま~す!」
「お~す|」
「おねがいしま~す|」
と、時に嬉々とした表情で、大きな声で、それも楽しそうに声を発している様子を見ることもありますが、きちっとした厳格な作法があり、大きな発声を促されるこうした道場のルールは、時として子供たちの一つの楽しみにもなるもの。
それを長い期間繰り返すことで、その子の精神性に、大きな肯定感を育てることにつながっていきます。
もちろんそこに、指導者への信頼と、教室・道場の仲間への信頼感が無ければ、稽古を続けていく事は難しくなりますが、そうした信頼感が根底にあれば、みな喜んで、そうした作法も当たり前の行いとなり、挨拶の重要性が無意識の中の価値観として心に根付いていくことになります。
大人のクラスでも、ペアを組んで稽古をする際、黒帯の方が白帯の人にも、道場内での挨拶の作法である十字を切って会釈をしながら、「お願いします」とあいさつしますが、しっかりとした挨拶が出来なければ、相手から見れば「???」となり、挨拶の仕方から指導を受けることになります。
話が長くなりましたが、、、
注意深く、疑い深く、世の中を慎重に生きるすべを身に付けることも大切ではありますが、自分の生活のどこかに人に対する信頼感を持って過ごすことが出来、その信頼感のこもった挨拶をお互いに自然にかわせる安心した場所がある事で、「信頼感」、「肯定感」というものを同時に育てていく事が出来ます。
また、そうした信頼感を育てていく試みが、今の時代は特に、本当に大切な事だと感じています。
私自身が、「ありがとう」の気持ちを持って、残りの人生を過ごしていきたいと考えています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます