『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』

惚けた母がつぶやいた〜 「 生きてるだけが仕合せだ 」♨️

してやられた卓球、してやったり柔道〜 五輪の見えない攻防

2021-07-30 23:22:56 | 卓球

ーしてやられた卓球ー

伊藤美誠と同い年、若干二十歳なのにも拘らず、ミルフィーユみたいに重層な懐の深さを持つ中国次世代エース・孫穎莎(ソンエイサ)…… 

オリンピックで初めて日本に金メダルを奪われた混合ダブルス決勝のショッキングな結末、許昕・劉詩雯ペアは中国メディアから手酷く問い詰められた

この屈辱、大粒の涙を湛えて「負けて申し訳ない」と繰り返したチームメイトの復讐を、孫穎莎は誓ったと云ふ

どのようにリベンジを果すか…… 

混合ダブルスの中国ペアは、試合開始後2セットを先取して、それから日本ペアから挽回され、最終7セット目は8点もの大量点差をつけられ、覆すことなく敗れた

孫選手も、1セット先取して、2セット目3ー9と大量点差をつけられた、しかしそこから先が彼女なりの復讐だったのかも知れない

美誠ちゃんも、この大量点差にも拘らず、逆転する気満々の孫選手の気迫を感じ取ったと聞く

ダブルスでの最終セットの大量点差が、この展開にオーバー・ラップする

孫穎莎は、ダブルスで叶わなかった逆転を自分自身が演じてみせた、3ー9の圧倒的劣勢から只の1点も取らせずに、2セット目11ー9でひっくり返してみせたのである、それだけの自信を裏付ける練習量があったのだと思わざるを得ない

彼女は、いかにも飄々とやってのけた

美誠ちゃんは、このセット一度として敵わなかった、てんで相手にされなかったのだ、完璧にマウントを奪られ、積み上げてきた自信と自尊心はズタズタにされたことだろー

 

ー THE DIGEST編集部の江國森記者の取材から、その裏の心理的攻防を垣間見てみよー

試合後、伊藤の松崎太佑コーチは、孫がこれまでとは違う戦い方をしてきたことを明かした。

「孫選手がこれまでと違うことをやってきた。準備していなかったことに対して焦ってしまい、準備してきたところまで崩れてしまった」

 これまで違うやり方とは、「わざとボールの質を下げてきたことだという。

「孫選手の特長は、女子でナンバーワンぐらいの強いボール。それに対してはすごく練習をしてきた。しかし、回転もスピードも少ないボールで、真逆のことをやってきた。(2020年の)ワールドカップで対戦した時も、少しそういう感じを出してきたので準備はゼロではなかったんですけど、極端にやってきたんで、美誠が対応できなかった」

 伊藤とともに二人三脚で金メダルを目ざしてきた松崎コーチは、「美誠の力を出さないようなやり方を、まんまとやられてしまった」と唇を噛んだ。

 

‥‥ 美誠ちゃんが、一ヶ月間の中国遠征に臨んだとき、孫選手は練習中に近づいてきて、一緒に練習しよーと持ちかけて、最後に練習試合をしよーと誘ってきた

そのときの非公式の試合で孫選手は、いままでと違う試合運びで美誠ちゃんを戸惑わせた

彼女は、得意の強力な攻撃を返してこなかったのだ、いつもなら二人で高速ラリーで張り合い続けるのだが、彼女は何故かゆっくりしたリズムで「高速卓球」を避けていた

この練習試合、テレビ画面ではどちらが勝ったのか分からなかった、しかし勝者は孫穎莎だったに違いない

美誠ちゃんは、この交流がよほど嬉しかったらしく、持参のおにぎりを孫選手へプレゼントしていた

ソン・エイサは、喜んで口にして美味しいと大人の対応をした(このへんは、周恩来首相みたいだった)

まー、敵わないよ、このときの戦略を更に先に進めて、本番のオリンピックでは、従来と真逆の戦い方で揺さぶってきたわけだ

流石に、兵法の天才・孫子を産んだ国だけのことはある、まるで駆け引きのレベルが違う、大人と子どもみたいなものである

孫穎莎が短時間で勝利をモノにした時、わたしは金メダルは陳夢だなと察した、まだまだ中国の奥行きは日本の及ぶ処ではないと暗示したのだと思う

孫穎莎(ソンエイサ)は、リオ五輪の金メダリスト・丁寧選手のお抱えの練習相手(世界各国の強豪選手のコピー選手をつくって専用の対策を練る)を仕方なくつとめ、そこから同じ舞台にまで這い上がってきた叩き上げの猛者である

伊藤美誠ちゃんの三位決定戦は、目が死んでいた

はたして、そのトラウマに押し潰されることなく、反発のエネルギーとして全力でリベンジに臨めるものだろーか?

全力で自らを出し切る、それが「試合を楽しむ」とゆーことだと思います

「58歳で、あれだけ動けるのは凄い」とネット上で話題になっている、ルクセンブルクの姐御 、ニー・シャーリエン 選手(元・中国代表選手)は、タイム休憩中にコーラをガブ飲みしておられた ♪

惜しくも、韓国の天才少女に敗退してしまったが、昔懐かしいペンホルダーであの老獪な戦いぶりは、往年の名選手であるだけでなく、いまも老兵としての熟練したスキルと一切の無駄を排した(ある種の)芸術的パフォーマンスを遺憾なく発揮しておられた

あの御姿こそ、「全力で楽しむ」とゆーことなんじゃないかな

 

ーしてやったり柔道ー

「寝技の女王」、寝技師・濱田尚里選手は何と4戦オール寝技勝ちとゆーとんでもない戦い方を世界中に教えた

ロシアの格闘技「サンボ」でも世界チャンピオンになられたらしい

宗教が高い人間性を求めるものだとすれば、高度な宗教には必ず高度な体術(身体の動かし方)が存在するとゆーのが私の持論だが…… 

例えば、禅宗には少林寺武術、道教にも武当派の中国武術、イスラム(回教)には八極拳心意六合拳、日本神道にも神道流(塚原卜伝の新当流は同じ意味)や鹿島神流や『子連れ狼』の水鷗流など……  日本禅の影響が大きいのは無住心剣術(新陰流系統)や『剣客商売』の無外流、山岡鉄舟の一刀正伝無刀流などがある

ハマダ選手が修めた「サンボ」は、ロシア聖教(キリスト教)の体術とも云えるものである、軍隊で発達した「コマンド・サンボ」もある

日本柔道には、嘉納治五郎が「講道館」を設立し、古流柔術を「柔道」に改変するときに捨てた、関節の逆極め技や絞め技や当て身技などが地下水脈として、秘かに連綿と流れ続けている

寝技にしても、戦後マッカーサー占領下で旧制高校が廃止になって、やむなく歴史上から消えた「高専柔道」なる、寝技に特化した特殊な柔道が存在する

「高専柔道」の「高専」とは、旧制高校・大学予科・旧制専門学校を包括した呼称で、現在の高専(高等専門学校)とはまったく違う

寝技とゆーものは、練習量を裏切らない、やればやっただけ練度が増してゆく、あまり才能に左右されないスキルである

だから未経験の旧制高校生をはじめ、短期間の修練でモノになるので、文武両道のエリート達の間で、異常なまでに寝技が発達した

現在つかわれる、「三角絞め」や「膝十字」などは「高専柔道」で学生さん達が編み出した技である

自由な気風でクリエイティヴに開発された「高専柔道」の技や戦略は、現行の柔道に甚大なる影響を与えた

木村政彦先生と山下泰裕先生が絶対的な王者だったのは、2人とも「講道館柔道プラス高専柔道」という理想的な技術を持っていたからだ。

(木村先生は自らが高専大会に参加していたし、山下先生は師の佐藤宣践先生から高専柔道の寝技技術を吸収していた)

[※ サイト『増田俊也の執筆生活』より]

‥‥ 「木村政彦」といえば、プロレスの力道山のパートナーであった時代もある超一流の格闘家である

いま世界を席巻している 「グレイシー柔術」の創始者エリオ・グレイシー を柔道の関節技 「キムラロック(腕がらみ、チキンウィング・アームロック)」 で破った伝説の柔道家でもある

今回金メダルを奪った濱田選手は、こーした歴史的地下水脈となっている伝統の寝技技術を受け継いで体現しておられる武道家でいらっしゃるのである

そりゃ強いわ、立ち技から寝技に誘なう「引き込み」も自然で見事だし、あれだけ寝技が出来ると、立ち技にも自信をもって大胆になれる

いくら、研究して万全の対策を練ったつもりでも、日本柔道にはその上をゆく武道の伝統があります、濱田さんはその洗練されたスキルを世界に示してくださった

 

ー現在、濱田女史は自衛隊体育学校に所属しておられる陸上自衛官であられるとか…… 

自衛隊は物凄いですね、オリンピックの現場でもたんたんと活躍なされている

霧島ご出身の「薩摩おごじょ」は日本婦女子の鑑、良かおなごですたい ♪

          _________玉の海草

 

 


イソップ物語 『北風と太陽』 〜 第1ラウンドは北風の勝ち?

2021-07-30 00:25:37 | 雑感

ー伊勢白山道で、この寓話を扱っていたので私もコメントしたい

 

『イソップ寓話集』中務哲郎:訳、岩波文庫−より、「北風と太陽」全文を引用

北風と太陽がどちらが強いかで言い争いをした。

道行く人の服を脱がせた方を勝ちにすることにして、北風から始めた。

強く吹きつけたところ、男がしっかりと着物を押さえるので、

北風は一層勢いを強めた。

男はしかし、寒さに参れば参るほど重ねて服を着こむばかりで、

北風もついに疲れ果て、太陽に番を譲った。

太陽は、はじめ穏やかに照りつけたが、男が余分の着物を脱ぐのを見ながら、

だんだん熱を強めていくと、男はついに熱さに耐えかねて、

傍らに川の流れるのを幸い、素っ裸になるや、水浴びをしにとんで行った。

説得が強制よりも有効なことが多い、とこの話は説き明かしている。

 

‥‥ 原文は素っ気ないほどシンプルです

これが、2600年前にアイソーポス(古代ギリシア名、「イソップ」は英語読み、紀元前619〜紀元前564頃)とゆー名の奴隷が書き綴った寓話だと改めて考えてみると、唸ってしまう…… ちょうど、ゴータマ・ブッダやピュタゴラス、孔子が在世の時代である、日本では皇紀がはじまる神武天皇の御代あたりになるのかな

最後の一行が、教訓っぽい書き方になっているのが特徴なんだとか…… 

現代人の私たちから観れば、なにやら唐突な設定である

惑星地球🌏自然現象のひとつである「風」の更に限定された冷風をあらわす「北風」が主演の一人、

そして、恒星である巨大な「太陽☀️」がもう一人の主演

地動説の科学からみれば可笑しいが、天堂説の見地に立てば、あり得る擬人化であろーか

 

(拙稿)> 古代インドの世界観は、須弥山(しゅみせん)という架空の大高峯を中心とする天動説的宇宙観であった
須弥山は、何も仏教の専売特許ではないのだとか……
キリスト教は、近代に発達した科学に則って、地動説を導入しているらしいが……
仏教の、例えば奈良の薬師寺の先先代だったか橋本凝胤師は、東大インド哲学科卒の当代きっての学僧であったが……
徳川夢声との対談で、仏教は天動説で一向に構わない、それで何も不自由せんからと、堂々と週刊誌上の対談ながら、地動説(=科学)を正式に否定したことがある
奈良の薬師寺や興福寺は、京都の清水寺と同じく、玄奘三蔵の創始になる「法相宗(唯識派)」である
戒律も厳しく、生涯独身を貫くインド仏教直輸入の宗派である
「唯識三年倶舎八年」という言葉が有名だが……
専門の学僧が、倶舎論を八年やってから唯識論を三年やって、やっと理解ができる位に難解な仏教哲学である

 

‥‥ まー、天動説も人間の体感から言ったら、なかなか説得力があるものなのだ

人間を襲う現象の擬人化として、また人間中心の世界観からいえば、「風」と「おひさま」の対決はありでしょー

さて、この寓話は、厳しく(力づくで)言うことを聞かせよーとする「北風」の冷たさと、やんわりと包み込んで相手を自然にうながす「太陽」の温かさの対比とみるのが、一般的である

イソップは、説得的な「太陽」のやり方の方が、強制的な「北風」のやり方よりも有効であると言いたいわけだ

でも、そもそも論だが「服を脱がせる」ゲームなのだから、暖かい武器をもつ太陽の方が圧倒的に有利なはずだ

だって人って、第一義としては、寒さから身体を守るために服を着ているのだから

だから、力比べにおいて「北風」は不利な種目を選んだことになる

___《教訓》勝てない勝負はするな

これでもいいわけである、ところが原典は不明だが、このゲームの前段にもう一つのゲームが行われたとゆー説がある

つまり「服を脱がせる」ゲームは第2ラウンドで……

第1ラウンドは「帽子を取る」ゲームだったとか…… 

これならば、帽子を冠るのは日差しを避けたり、雨に濡れないためとかだから、暖かい武器の「太陽」は最初から不利である

案の定、「北風」が帽子を吹き飛ばす 荒技で一本取る

___《教訓》いきなり厳しく従わせるのも有効である

そして、次のラウンドで負けて一勝一敗の五分…… 

___《教訓》他人と比較するな、自分の長所で勝負せよ

この勝負、人間から身につけているものを外す処が眼目らしい

だから、メンタルな命題、人からヨロイを外して裸にする方策の寓喩でもある

この場合は

___《教訓》人に何かをさせたい時は、威丈高に強制するよりも穏やかに促す(説得する)方が有効である

あるいは、

___《教訓》人は強制されては心を開かない、自ら心を開くようにゆっくりと徐々にそうできる環境をつくってやるのも有効である

他にも、「太陽」が勝ったラウンドのみが流布している現状をみれば、

___《教訓》世間に流布している情報には裏がある

深読みすれば、

___《教訓》為政者(権力者)にとって都合のよい情報だけが、「正史」として記録に残る

これは実感をともなって迫ってくる、私は東北人だが、阿弖流為(アテルイ)や古代朝廷にまつろわぬ民・蝦夷(えみし)に関する「正史(時の政権がつくる歴史)の記述には都合の悪いことを隠す嘘があるとゆー教訓も読み取れる

 

まー、教訓だらけで論点を見失ってしまうが、単に古代ギリシアの太陽神アポロンと北風の神ボレアースの力比べが寓話の元型であるらしい

ギリシア神話は、小説の主題になったり、心理学に援用されることも多いので、普遍的なテーマを扱っている稀有な伝承といってよい

ちょっと、この北風の神さまを 「wiki 」から抜粋してみると…… 

(wikiより)>ボレアース(Βορέας, Boreas)は 冬を運んでくる冷たい北風の神 である。ボレアースの名は、「北風」あるいは「むさぼりつくす者」を意味する。

> また、ボレアースはイーリッソス河からアテーナイの王女オーレイテュイアを略奪したとも伝えられている。オレイテュイアーに惹かれたボレアースは、最初は彼女の歓心を得んとして説得を試みていた。この試みが失敗に終わると、ボレアースは生来の荒々しい気性を取り戻し、イーリッソス河の河辺で踊っていたオーレイテュイアを誘拐した。ボレアースは風で彼女を雲の上に吹き上げて トラーキアまで連れ去り、彼女との間に二人の息子ゼーテースとカライスおよび二人の娘キオネーとクレオパトラーをもうけた。

‥‥ この抜粋を読む限りでは、第一ラウンドの強引に帽子を吹き飛ばすやり方には、色濃く北風の神の属性が反映されてあるよーな気がする

となると、この寓話は「力づくで恣しいままに貪る荒々しい自分本意の者=北風」と「おだやかに相手に合わせて与える一方の者=太陽」との対比とゆー観方もできる

しかし、ここで忘れてはならないのは、北風にしても太陽にしても、人間を攻撃する外的な力(脅威)として描かれていることだ

伊勢白山道では、道行く人をコロナウイルス、北風と太陽のした処方をコロナ対策とみた上で、歴史的にみても「力」に頼った者はいずれその「力」によって自分を滅ぼすことになると示唆しています

つまり「北風」のやり方は良くないとゆーこと

ウイルスだって命懸けで対処するわけで、その生き残り戦略として、あらたに変異株として対抗する

ワクチン及び治療薬が強ければ強いほど、ウイルスも拮抗する形でより強くなってゆく

___《教訓》強制してさせるのではなく、自らそうする(例:服を脱ぐ)ように仕向ける

強権的に外圧をもって「何かをさせる」のではなく、まわりの環境をととのえることで「自らする」を引き出すことが基本的な姿勢なのか

こんな感じが「共生」のモデル・パターンのよーな気もするな

 

「何ごともつねに、他人のためになり、同時に自分も楽しめるように努めよ」 ( ムラー・ナスレッディン )
[※ 頓知の利いた、トルコの国民的賢者、上記の言葉は G.I. グルジェフ『ベルゼバブの孫への話』に出てくる]

‥‥ あいや〜、ほんとに雑感を羅列するだけの記事になってしもうた

ほんとうに言いたいことは何か、もろもろの雑観を放つ、纏めるも括るもできない、そんなこともあるさ

                                     _________玉の海草

 


「卓球王国」 奪還なるか〜 歴史的金メダル

2021-07-27 23:15:08 | 卓球

卓球・混合ダブルスの世界最強ペアである 許昕/劉詩

許昕(キョキン、美誠ちゃんはシュシンと発音していた)は、中国型ペンホルダー・グリップの名手で(シェイクハンド・グリップ全盛の現在、極めて珍しい絶滅危惧種)、ギュイーンとバナナ・カーブするエゲツない「ドライブ・ボール」を放り込んでくる

身体も柔らかく、高身長で手脚も長い、ボールの回転が凄まじいので返球が難しい、美誠ちゃんはラケットの片面が表ラバー(凹凸がある)を貼っているので、尚更大変だったろー

劉詩雯(リュウシブン)は、世界ランキングはしばし置いといて、中国女子で一番卓球の上手い人ではないかと思う、攻めも受けも安定していて盤石の感あり、オールラウンドに高度な技術を有する彼女あたりから、中国の「高速卓球」が始まったのではないかな、日本人選手に対する勝率が一番高い、美人だがつけいる隙のない玄人好みのプレイ、クールでほとんど感情を表に出さないタイプ……  福原愛ちゃんの親友である

この「絵になる」お二人を組ませたら、いぶし銀の風格を漂わせる世界最強ペアになる、う〜  (/ _ ; ),,, 戦いたくない気持ちがよくわかる、弱点がおいそれとは見つからないから…… 

ミックスダブルス決勝も、そーだった…… 1セット・2セット目は苦もなく討ちとられた

美誠ちゃんは、集中して目まぐるしく考えているのが分かった、ベテランの中国ペアは裏も表も知り尽した試合運びだったから(いままで4回対戦して全敗)

三セット目からは、果敢に攻めた、やっぱ 水谷選手(ドイツ仕込みの天才、ラリー巧者)が全く諦めることなく俄然と攻勢に転じたのが功を奏した、水谷の「ナックル・ドライブ(回転をかけないドライブ)」が回転にこだわる中国ペアに効果した

下から上へ強烈に擦りあげる、回転量の豊富な「パワー・ドライブ」のつもりで「ナックル・ドライブ」に対処すると……  勢い余った返球が卓球台からハミ出してしまうのだ、ちょうど野球のチェンジアップみたいな透かし技である

やはりリオ五輪で初めて許昕を破って、許昕の怖さを熟知している水谷だからこそのアドバイスが生きたのだと思う

美誠ちゃんのクリエイティヴな卓球 は、自分を信じることから始まる、迷いのない彼女は無敵だ

文字通り、水谷の鉄壁の後ろ盾を得て、自由奔放に弾け始めた

中国ペアは、二人揃ってボールにかなりの高回転をかけていた、ラケットの角度や返す方向を間違えるとあらぬ方向へ飛んでいってしまう厄介な球質である

通常、卓球は肩の高さくらいでラケットを振るが…… 許昕にしても美誠ちゃんにしても、剣道の上段みたいにあらゆる打点で変幻自在な返球をしてくる、全空間を支配する、テニスみたいな広範囲の卓球と言えるかと思う

まるで剣豪の居合いみたいに、エグいカットボールを放つんだよな ♪

レイコンマ何秒かのせめぎ合いは、「剣はそれ瞬息」(北辰一刀流の千葉周作)の瞬きせぬ世界、一刹那で勝負が決する

卓球は100m全力疾走しながら、チェスを打つ様なスポーツである ” と日本卓球の先人は看破されました

 

最終セットは、正味おどろきました、あの常勝不敗の中国から、連続得点「8ー0」

「こりゃ勝てるんじゃないの?」ではなく、「こりゃ負けそうにないな ♪」に変わりはじめ……  世にも嬉しいカウントダウンを、いまか今かと相当長い時間愉しめました

 

美誠ちゃん秘蔵のロングサーブを、許昕がネットに引っ掛けたとき…… 

我知らず、立ち上がって諸手を天に突き出して叫んでいました、「勝ったぞー♪」

まったく気乗りのしないオリンピックだったのですが……  この瞬間の為だけであってもオリンピックは日本で開催した意味があったと思いました

 

大舞台での勝利は、今回で三度目になるのか……

平野美宇ちゃんの偉業、中国選手三人抜き優勝はローカルな「アジア選手権(中国開催、2017年)」でのこと……  伊藤美誠ちゃんが圧倒的な強さで「大魔王」と呼ばれるキッカケとなった「スウェーデン・オープン(2018年)」での中国選手三人抜きの偉業も合わせれば、今回のオリンピック金メダルは三度目の正直とゆーことになるんだなあ〜

迂闊ながら、いま気がついた

日本の国技柔道が、アントン・ヘーシンクと神永選手との試合で、初めて日本が敗北した当事者のショックがいま、分かるよーな気がする

中国は、たいへんな意気消沈ぶりである、劉詩雯はボロボロ泣いて謝っておられた、国家の威信が乗っかっているスポーツなのである

卓球界に、卓球専門誌として『卓球王国』があるが……  あれは昔日、中国が卓球界で覇権を握る以前には、日本が卓球王国だったことを偲んで、いつの日か「卓球王国」の名を奪還する日が来ることを期して、つけられた誌名である

日本卓球が世界のトップレベルだった時代は、1952〜1979年頃までであろー、50年代から70年代までの約30年間は、確かに日本は「卓球王国」だったと云えるかと…… 

では中国に勝って優勝したのは、いったいいつ以来なのか?…… 

男子は、最後に勝ったのが24年前、1997年のアジアチームカップ(上海)の団体戦、Tリーグ初代チェアマンの松下浩二さんが2勝の大活躍で、3ー1で中国を降した

女子は、最後に勝ったのが47年前、1974年のアジア選手権(横浜)の団体戦、3ー1で中国に勝利したが、1975年以降は中国が天下を握った

卓球が、オリンピックの正式種目となったのは、1988年のソウル・オリンピックだから、五輪の歴史はまだ浅いのだが……  

2012年ロンドン五輪女子団体の銀メダル、2016年リオ五輪女子団体の銅メダル、男子団体の銀メダル、そして男子シングルスの水谷の銅メダルのみである

 

日中国交正常化は、1972年だが…… 

(wikiより)>1971年3月に名古屋市で開催された第31回世界卓球選手権に文革後初めて選手団を送り、当時のアメリカ選手団を大会直後に中華人民共和国に招待するピンポン外交が展開されて…… 

中国へ渡航しやすくなったのは、70年代後半ころか、この辺りから中国は卓球に本腰を入れ始めた感じがする

やはり、昔日の貧しかった中国にとって、卓球台とラケットがあればすぐに始められる卓球はうってつけの娯楽であり、投資であったことだろー

なんでも国威発揚に結びつける中国は、珍獣「パンダ」と卓球を外交に組み込んで躍進してきた

オリンピックで、卓球の試合を観ていると、首を傾げるのが、各国の代表選手に中国人の帰化人が多いとゆーこと、

これは、中国で「養狼計画」と称されているもので、卓球人気を世界中で保つために、各国に中国人選手を送り込み、その国の人間にさせる(忍者の「草」みたいに他国の住人になりすます)

そして、国の代表選手にさせて、卓球の世界レベルを底上げして、その頂点に中国が君臨するとゆー遠大な国家計画である

リオ五輪でも、シンガポールなんか代表選手全員が元中国選手であったし、きょう美誠ちゃんと戦ったポルトガルの選手もまた元・中国選手であった(実に渋いペンホルダーのおばさん選手で、無駄のない動きに年季を感じさせた)

養狼計画はほぼ成っているのだろー

卓球と云えば、中国が絶対王者、その地位は身じろぎもしないのが中国の国家的アイデンティティと成っていることだろー

その一角を崩したとなれば、これは大問題であるが、中国とゆー国は好敵手を尊重するお国柄でもあるのだ

「なかなかやりおるな」と認めたライバルを、さらに上回ることが大好きなのである

だから、美誠ちゃんを「大魔王」と仇名したのは、やっと中国に伍する人傑があらわれて歓迎している一面がある

コロナ禍で大会もなかなか開催できなかった去年、美誠ちゃんは中国開催の大会に参加するために、一か月間も中国に渡った

そのときに、練習場で同い年の天才プレーヤー孫穎莎選手(ボーイッシュだが笑顔が妙に可愛い)に声をかけられ、一緒に練習したことがある、これは勿論探りに来ているのだが…… その一方で一緒に練習したくなるほど中国では実力が認められていることを証ししている

中国は、強敵があらわれると、そのコピー選手を造り上げて、臨場感をもって徹底的に対策を練る

しかし、大魔王・美誠ちゃんは余りにも独創的なプレイ・スタイルで、そのコピーを造ることが至難なのである

卓球界の常識やセオリーの上を独り行く美誠ちゃんは、中国女子No. 1の丁寧選手に引導を渡した下剋上・次世代エースの孫穎莎(ソンエイサ)選手をして何年もライバルであり続ける好敵手だと言わしめる実力者である、但し彼女の上にまだ陳夢選手が君臨している、幾重にも選手層の厚い中国なのだが

 

THE DIGEST編集部より引用しよー

試合後、中国メディアの取材に応じた許昕は記者から「なぜ伊藤は君のショットを打ち返せたのか」と問われると、「いや、彼女は素晴らしかったよ。試合が進むにつれてどんどん僕の打つサーブに対応できるようになっていったし、なにより男子選手にも立ち向かう勇気がある。ラリーになっても臆せず、最後までとても勇敢だった」と絶賛した。

 

ーお芽出とう、水谷選手・美誠ちゃん、興奮してテレビの前で大音声で叫んだのは一生のうち何度もあることではない、それだけ光明の差し込めた輝かしい一瞬だったのです

嬉しかった、本真にありがとう……   生きている内に、オリンピックの国旗掲揚の場面で、卓球の絶対王者・中国の国旗🇨🇳を下に従えて、真っ先に昇ってくる🇯🇵「日の丸」を眼にする日がやって来よーとは…… 

           _________ 玉の海草

 

 


 意外にも剣豪〜 蹴鞠名人の今川氏真公

2021-07-22 21:47:25 | 天才列伝

 

__ 文武両道どころか、二つも三つも成し遂げてしまう、一芸が万事に通ずる宮本武蔵型の自然児、200%の自分を発揮した意外な剣豪を紹介しよー

彼は、戦国大名のお坊ちゃんであった

 

⑴  和歌の道 〜 権大納言・冷泉為和らから学ぶ、御水尾天皇選の集外三十六歌仙に名を連ねる

⑵  蹴鞠の道 〜 飛鳥井流宗家の飛鳥井雅綱難波家に学ぶ、織田信長からその蹴鞠の技を所望される

⑶  武芸の道 〜 新当流の塚原卜伝から学び免許皆伝、のちに自ら「今川流」を創始する

 

‥‥ 桶狭間の戦いで織田信長から急襲をかけられ、十分の一位の兵力で討ち取られた、海道一の弓取り・今川義元 の嫡男として生まれた多芸の風流人・今川氏真(うじざね)である

国盗りに明け暮れていた戦国の世に、てて親を討たれても弔い合戦を仕掛けるでもなく、蹴鞠にうつつを抜かし、されどその芸によって、生き長らえる武将‥‥  こんなユニークな武将はおるまい ♪

(まー、生き延びる交渉は氏真の賢妻が尽くした内助の功も与っているのだが…… )

 

いずれにしても、今川家に人質となって育った松平元康(後の徳川家康)を取り込んだ織田信長が今川家を滅ぼして、氏真の首をとらなかったのは、蹴鞠において超一流だったからに他ならない

信長公は、能楽や茶の湯にも嗜みの深い傾奇者(かぶきもの)だから、松永弾正 の茶人としての力量にも信をおいていた、風流な数寄者が大好きなのであろー

 

わたしが、氏真公にそれこそ瞠目したのは、図書館で 『武芸流派大事典』(綿谷雪・山田忠史編、1969年) をパラパラめくって、神技をふるう名人を探していた最中に……  たまたま流祖の欄に「今川氏真」の御名を見つけたときです

わたしは、目を疑いました、あのお公家さんのよーにナヨナヨした蹴鞠人が何故?と、だって蹴鞠道の流祖ではなく、剣術の創始者(流祖)なのですよ

かんがえてみれば、氏真公はあの獰猛な 武田信虎(信玄公が追い出した先代=父上)のお孫さんにあたるお血筋です、人一倍の膂力があった義元公を父に持ち、信玄公の姉を母にもったのですから、抜群の才に恵まれても不思議ではありません

 

小池一夫・小島剛夕『半蔵の門』 では、家康の正妻・築山殿 が嫁いでくる前に、ねんごろだった色男とゆー設定で氏真公が出てきました

主家から嫁いだプライドの高い嫁に、コンプレックスを抱いて卑屈にふるまってしまう若き日の家康の機微をよく描いていたと思います

大企業の社長の息子(氏真)と派遣社員の息子(家康)みたいな間柄だもんな、種つけられた娘を正妻に迎える屈辱たるや、なんとも…… 

のちのち信長から自害を命じられた家康の長男・信康公 のご最期に向けた伏線にもなっていましたが、ちょっと意地悪な氏真像でした

 

「今川流」と一流を立てた剣豪としての氏真公をよく描いて余す処がないのが、戸部新十郎『秘剣龍牙』(徳間文庫)にふくまれる 短編「睡猫(すいびょう)」です

武田家の軍師、山本道鬼入道勘助 「京流」の達人だが、新当流も卜伝から修めていて、その極意に「睡猫の位」とゆーものがある

一方、氏真公の蹴鞠道にも「睡猫児」の奥義があり、新当流(神道流の含意)のそれと相通じる消息がありそーである

武蔵が、剣の極意でもって、習わぬ水墨画を描いた逸話があるよーに、芸道は極めれば諸芸に通ずとゆーことはあるものかも知れない(但し、武蔵の場合は、初めて殿様の面前で描いたときは上手くゆかなかったと云ふ、一晩思いにふけって翌日に見事な一幅を描いたのではなかったかな)

 

じっさい、能の金春流の 金春七郎禅竹 が、柳生新陰流を創始した 柳生石舟斎 の下で剣術修業して、金春流に伝わる極意と新陰流の極意を交換したとゆーロマン溢るる伝承もある

能は、渡来民たる秦氏のもたらしたもので、聖徳太子に仕えた 秦河勝 をご先祖に戴いている、観阿弥・世阿弥 は伊賀の服部半蔵家(上忍)と親戚で、楠木正成 の妹御も服部家に嫁いでいるはずです

能楽の「すり足」は、忍者の歩法でもあり、剣術の足捌きでもあるわけですな

 

秦氏は、秦の始皇帝の末裔といわれ、大陸で景教(キリスト教ネストリウス派)祆教(ゾロアスター教)も奉じているとかで……   浄土教における世界宗教レベルの救済思想は、秦氏の法然上人 にキリスト教が伝わっていたのかも知れないと思わせる処があります

 

金春禅竹『明宿集』 に観られる、「宿神」の包括的な思想は、

中沢新一の名著『精霊の王』 

に詳しいが、能=舞踊(旋回と上下動)と武道は究極で一致するとゆーことだろー

沖縄の琉球王家の武術・本部御殿手の名人であられた上原清吉 は、「武の舞」 と称して、琉球舞踊の女踊り(秋篠宮家の紀子様も習われた)も兼修なされていた

ダンスと武術が同源でも何ら可笑しなことではない、バレリーナの後ろ蹴りはプロの格闘家の打撃に匹敵する威力だと聞く

 

 

ー 横道にそれてしまったが……  今川氏真公が会得なさった蹴鞠道の神髄「睡猫児」をみてみよー

 

「ありゃあ 、 おう」と長閑な発声、蹴鞠の鞠乞う声である

「ありゃあ」=春の心、「おう」=夏の心であると云ふ

 

【 牡丹花下の睡猫 、 心 、 舞蝶にあり 】

“ 草花の下にねむりし猫さえも  そらを飛びゆく蝶をめがくる ”

 

> 解説;

「この歌によると、眠る猫さえも油断なく、上を飛ぶ蝶があれば跳びかかる、ということになりますね。つまり、二六時ちゅう、身辺の注意を怠らない、というわけですね」

「さよう」

「だから、われらは達人にはなれないのです。本意はあくまでも、“ 牡丹花下の睡猫 ” にあります。心が舞う蝶にとらわれてはならない。ただただ、まどろむことです

「いざというとき、さような真似ができようか」

「そうですな。鞠場に出ればわかりますが、色さまざまな衣装が動く、鞠があがる、音が響く、間断なく鞠乞う声が聞える、そんななかで自分も蹴らねばならない。とうてい、気は許せません」

「でござろう」

「しかし、手前も一度だけ、まどろんだことがあります」

「それはただの眠気というものではないか」

「あなた、妙なことをおっしゃる。眠気がなくてはまどろむことはできません」

「それで、いかがなったか」

「ちゃんとひとりでに蹴っていました。それも、いつもより正確に。いま思うと、なんとも快い一瞬でありましたな」

「なるほど。では訊ねたい。なぜひとりでに足が出るのか」

「ですから、毎度申し上げるように、平生の姿勢 、 足構えが大切なのです。

顔もち、 軽からず、 うなずかず、 あおのかず、

前より見れば、反りたるように、

うしろより見れば、 たおやかなるように。

おおらかに、 うららにて、 癖あるべからず。

足は土踏まずをすりて、 すくいあげるように、 膝頭(ひざがしら)より出すべし。 足任せがよし。

足首には力を入れるべし。

爪先は開かず 、 いかにもいかにも 、 丸げに出すべし。

三足(さんそく)、 続けて蹴る覚悟なり

 

これは三度、蹴ることではない。兵法でいえば、打込みは一刀であって、二の太刀を想定しない。が、単なる一刀ではなく、残れば重ねて打つ覚悟や余力がなくてはならない。

蹴鞠にもそれがある。ひと蹴りだが、続けて蹴り得る覚悟をもたねばならない。いわば  “ 残心 ”  という意味だろう。

 

「道鬼さまは……  なにをするにしましても 、 自ら仕掛けたことがありません。 相手の仕掛けを待って、 出る。

が 、  待つ、というのともちょっと違いますな。 ひとりでに反応する 、 と申したらよいか。これが自分のものになりますと、ひとりでに足が出るのです。

未熟な手前が申すのもはばかりがありますが、道鬼さまはこの “ 睡猫児 ” をお忘れになり、自分のほうから仕掛けなされた。それで不覚をとられたのではありますまいか」

 

‥‥ 道鬼山本勘助の不覚とは、“ 啄木鳥(きつつき)戦法 ” が上杉方から見抜かれて、川中島の八幡原で討ち死にしたことを指す

稀代の軍師であった山本勘助は、武田家はえぬきの将ではない、いわば途中入社した余所者・新参者であった

隻眼・跛足(びっこ)の風体は、「タタラ産鉄民」 の出自を露わにしている、「道々の輩(ともがら)」さしずめ山の民でもあっただろーか

海の民が、川を遡行して川辺に暮らし、尚さかのぼって山間(やまあい)に居を構えたのが山の民である

実際、山の民と海の民は交流が深かった

能楽師は、道々の輩として各地を巡業して歩くなかで、山師のよーなこともしていたし、その素養も兼ね備えていた

徳川幕府の金山奉行で、あの時代に何故か水銀アマルガム製法を知っていた 大久保長安 は、能の大蔵流の太夫であったと聞く

忍者は、手裏剣などの道具を自分で作っていたから、当然タタラ製鉄民とは昵懇であったはずである

いつの時代も、蛇の道は蛇、裏社会は絶妙に繋がっているものらしい

 

ー今川氏真公は、神道の言霊である和歌にしても、宿神の降臨する蹴鞠にしても、鹿島神宮の太刀である剣術にしても‥‥  当代一流の達人に師事しておられる

塚原卜伝から免許皆伝、かの剣豪将軍として知られる 足利義輝公 の兄弟子にあたる

義輝公と伊勢の国司・北畠具教卿 は共に、新当流奥義「一つの太刀」を伝授された高手であった

この秘伝は、代々連綿と鹿島神流に伝わり……

戦後GHQのマッカーサー元帥配下の銃剣術の達人から、圧倒的な実力差で一本取った 国井善弥師範 もよくつかわれたと聞く

警視庁剣道とゆーか現代剣道の第一人者たる剣豪・高野佐三郎 と古武術の実戦派なんでもありの国井師範が立ち合われたことがある

国井師範は、からくも勝ちをおさめたが……   流石に高野佐三郎、「一つの太刀」の二段目まで出さなければならなかったとその腕を認めた

奥義「一つの太刀」は、三段目まであるらしい

 

最近、NHK・BSで 『 武の “ KAMIWAZA ” 』で、武術の達人の動きを目の当たりにできる幸運に恵まれ、V6の岡田くんに大変感謝している

なかでも、伝説の古武術名人・黒田鉄心斎 のお孫さんの 黒田鉄山師 の剣捌き・体捌きには、素晴らしすぎて溜め息が漏れる

古来の剣客のありよう、武芸十八般とはこのことかと、やおら感動してしまう

でも、それだけではいかんのだ!

日本人は「文武両道」を求める 、 尊ぶ 、 その最たるものを童心のままにやり遂げた、特異な実例が、今川氏真公ではないかと思える

          _________玉の海草

 

 

 

 


《ちょい言》 意外と多い 「シュミレーション」 派

2021-07-22 08:03:01 | 日本語

シュミレーション」vs「シミュレーション」

 

私にかぎらず、50歳代以上の方々は、テレビのワイドショーのレポーターがある日突然使い出した(あれは何年頃だったろー? 80年代だと思う)のを耳にしたのが初めての出逢いであったでしょー

衝撃を受けたコトバでありました

「模擬実験、模擬訓練」みたいな感じがして、たしかに日本語にはシックリ来る言葉がないなあと一頻り感心したものです

聞いた日から、気に入ってすぐに遣い始めました

日本人に使われ始めた当初、その発音は「シュミレーション」だったのです

 

『広辞苑』『日本国語大辞典』そして グーグルでは

「シミュレーション」のみ記載されてあり、「シュミレーション」は誤りとの判定らしいです

 

しかし、未だに多くの方々が「シュミレーション」を使い続けているのは何故なのか?

有力な根拠に出逢ったので書いて置きます

単純に言い易い

「みゅ」という発音はない

音位転換

 

金田一先生のご指摘では、日本語には「おおまみゅうだ」とゆー苗字をのぞけば「みゅ」と発音する言葉は存在しないとか……

「シミュレーション」は単純に発音しにくいのです

今回見つけた重要な指摘は、三番目の【音位転換】です

この現象は、世界各国でよく見られることだそーです

(「教えて!goo」より)>

ちなみに、「シミュレーション」が「シュミレーション」のように音位が入れ替わる現象のことを『音位転換』(『音位転倒』『音転位』『字位転換』などとも言い、定まりません。英語では『metathesis』)といいます。

例えば、「山茶花」は旧来は【さんざか】と読んでいたものが【さざんか】と読むようになったり、

「雰囲気」は本来【ふんいき】が正しいのに【ふいんき】って言ったりしますよね。

そのほか、「新しい」は旧来は【あらたしい】と読むのが正しかったのですが、現代日本語では【あたらしい】と読むのも『音位転換』の例の一つです。

これは、日本語に限らず、英語などにもみられる現象で、

古英語ではbrid」だったものが、現代英語ではbird」になったり、

イギリス英語ではcentre」metre」とするのが、アメリカ英語ではcenter」meter」とするものがあります。

そのほか、アメリカ南部ではask」‘ ax[aks] ’ と発音することがあるらしいのですが、これも英語における『metathesis』と呼ばれる現象の一例です。

[※ 【】「」‘’ 『』等の括弧は、私が挿入しました]

 

‥‥ なるほど〜、コトバってゆーのは有機物ですね

わたしは、ネットの投稿文は「音写」を多用して口語的に表現するよーにしております

「そーゆー」とか「こんにちわ」とかですね

だから当然、「シュミレーション」となりますけど、どーぞ優しくご容赦くださいます様……

これは、口語表記にして、決して「間違い(誤表記)」では御座いません 

ただし、公文書における記載は「シミュレーション」が無難でありましょー

          _________玉の海草