『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』

惚けた母がつぶやいた〜 「 生きてるだけが仕合せだ 」♨️

日本にも来ていたグローバル・ユダヤ〜 とんでもない蘇我氏

2024-09-26 17:27:27 | 歴史・郷土史

── 聞いてみれば、

「社会主義」というのも、マルクス(ユダヤ人)を使って流行らせた「グローバリズム」の一環なのだそうだ。

「社会主義」は、伝統と文化を否定して破壊するが、グローバリズムもまさにそうである。

 

世界史を見回してみても、

フランス🇫🇷革命(1789〜95)とは、「ユダヤ人の解放」であるそうだ。

当時、狭いゲットー(ユダヤ人居住区)に押し込められていたユダヤ人は、解放されてようやく市民権を得ることになる。キリスト教の建物もかなり破壊されている。

市民革命のような言い方をされているが、実のところユダヤ人のための革命であり、その標的とされたのは伝統(≒キリスト教)だったというのである。

ロシア🇷🇺革命(1917〜1923)とて同様の消息が潜んでおり、

帝政ロシアへの国内不満のはけ口(スケープゴート)にされて、【ポグロム(ユダヤ人大虐殺)】されたユダヤ人が、革命側(共産党側)についたと言われています。

いわばロシア革命は、ユダヤ人によるポグロムへの復讐だったと言えるそうです。

共産主義は、ユダヤ人が編み出してグローバルユダヤの手段となったものの、そのソ連が崩壊し、いままた中国も危うい状態となっている。

ユダヤ人の生み出した「社会主義」は、いまや風前の灯である。

また、第二次世界大戦もまた、

ユダヤ人にとって癪にさわるドイツ🇩🇪と日本🇯🇵を叩くために、ユダヤ人が仕掛けた戦争という見方もできるそうです。

(この両国は、伝統と文化の力が厚い国で、ゲルマン魂と大和魂でナショナリズムが強力だから、ワンワールドを目指すグローバリズムにそぐわないから)

ロシア革命前のポグロムから、命からがら逃げ出したユダヤ人の向かった先は、アメリカ🇺🇸のニューヨークだったそうです。

(リトアニア🇱🇹でユダヤ人を逃した杉原千畝が助けた人々も、ナチスドイツから逃げてきたのではなく、帝政ロシアのポグロムから逃げてきた人々が大半だったそうです)

そして、その子孫たちが、例えばブリンケン国務長官などで、「ロシア憎し・許さじ」と強硬な姿勢をとっている根拠となっているわけです。

 

アメリカ人の人口の2%にも満たない、世界中でも1500万人しかいないユダヤ人が世界金融をにぎり、アメリカという超大国の行末を左右するほどの権限を有しているなんて、驚くべきことです。

 

 

大学の歴史学会では、戦後、恐ろしい奇妙なことが起きています。

それは何か、といえば、

学者の誰も歴史全体を語ることをしようとしない、またできなくなったということです。

特に日本では、

学問が細分化されると同時に、イデオロギー化され、

マルクス主義的観点(階級史観的、ジェンダーフリー的、LGBT🏳️‍🌈的など)からしか、歴史を見ることをしようとしなくなりました。

そして先生がそうなら若い学生もそれに従わざるをえない、ということになったのです。

[※  『日本とユダヤの古代史&世界史〜 縄文・神話から続く日本建国の真実』田中英道✖️茂木誠(対談集)より]

 

…… げに恐ろしいことです。

グローバリズムとは「国境をなくしてワンワールドをつくることだ」であり、

世界中を均一にしようとします

世界中に同じものをつくるということ

ex.  スターバックス、マクドナルド、シャネル、ルイ・ヴィトン

そうすると、文化が生まれてこない。

そのグローバリズムの中に、マルクス主義、社会主義が含まれているのです。

社会主義とはつまり革命のグローバリズムです。

 

…… 日本もさんざん踊らされてきましたが、

そろそろマルクス主義やグローバルユダヤ、左翼ユダヤも限界を迎えているそうです。

なぜなら、グローバリズムによる社会主義では「経済」を運営できないからです。

経済は需要と供給で成り立つので、そこにイデオロギーは必要ない。計画経済は必ず汚職を生むので、それで万民平等を実現するのは不可能だと。(田中英道)

 

 

そこで、このグローバリズムの張本人である、グローバル・ユダヤについて、

日本の歴史のなかに痕跡を残している「謎めいた蘇我氏」の事例を取り上げて探ってみよう。

蘇我氏って、日本人離れした暴力性を発揮して、

皇太子どころか天皇までも弑し奉った、日本史上最悪の貴族官僚である。(史上、みずから天皇になろうとした人物すら、日本では三人といないのに)

この異常性は一体どこから来るのか、長年疑問を懐きつづけてきた。

また一方で、なぜ秦氏は、ユダヤ人なのにユダヤ色を出さずに、日本に同化(帰化)したのかという疑問とともにあった。

そーした疑問を一気に晴らしてくれた本が、上記に引用した田中英道と茂木誠の対談集である。

世間では、いわゆる「トンデモ」であり「オカルト」の範疇にくくられるお二人なのであるが(ともに、専門の歴史学者ではない)…… 

片や「美術史」がご専門の東北大学名誉教授で、一方は予備校講師であり作家、YouTuber である在野の人である。エビデンスを突きつめれば、飛躍している処も多々あると思う。

でも、それぞれ自分の体系(筋道)を持ったお方たちだから、その文脈のなかで導き出された結論は目を瞠るものがある。

少なくとも、誰も言っていないし、誰も思いつかなかったことである。けだし、慧眼である。

 

 

 

──日本史の蔭で、莫大な財力や技術力を基に暗躍しているのは、だいたい渡来人である。

1万5000年にも及ぶ縄文時代は、日本は竪穴式住居だった。

しかし、ある日に突然、巨大な古墳時代があらわれる。(その規模は、世界に誇れるスケールであり、大変な土木技術の結晶なのである)

 

(田中)> 元来、木の文化である日本に 【石の文化】を持ち込んだのは、渡来人たち、つまり秦氏です。

 

…… 土木と建築の技術を有して、巨大な石を運び、加工したのです。

秦氏によって造られた古墳は、少なくとも16万5000基(3〜6世紀頃)と云われています。

古墳は、内部に石棺をもち、本来は墳墓の表面は数多くの石🪨が敷き詰められ覆われています。(「武蔵野陵」を参照)

石棺に遺体を安置するということは、「蘇り」を意図したものであったようです。(この時点で日本人の死生観とは合わない)

 

古墳は、埋葬するに際して殉死者を伴うものなので、その尊い犠牲をなくして埴輪(土師器=素焼きの土器)で代用させましょうと天皇に奏上したのが、

土師(はじ)氏の野見宿禰であった。

相撲の祖であり、菅原道真公(天神さま)のご先祖である。

秦氏も、その下で古墳の造築や天皇の葬儀を司った土師氏も、ともにユダヤ人である。古代日本には存在しなかった、それらの大規模な土木・建築技術をもたらした渡来人であった。

膨大な数の古墳づくりによって、地域の経済が潤い、人々の生活を豊かにし、農業や土木建築産業の基礎が出来上がったそうだ。

中国の兵馬俑のように、殉死者の代替えだった埴輪であったが…… 

その中に、非常に特徴のある兵士像がふくまれていたのである。

田中教授は、それを「ユダヤ人埴輪」と名付けた。

田中先生は、

歴史を「文献」ではなく「形」から見るフォルモロジー(Formologie、形象学)」の権威でもある。

「人間がつくった形というものは、必ずある種の意味がある」という視点から、物や美術作品を解析する学問である。ゲーテの「形態学」から発展した。

 

 

もみあげの所にあるクルクル髪が、「みずら(ペイオト=ヘブライ語 “ PAYOT ”」というのだけれど…… 

古事記にはアマテラスやスサノオ神にも、秦の始皇帝にも、ミズラがあったという描写があるそうだ。

大和朝廷でも、ミズラは大いに流行ったらしくて、天武天皇の勅命(681年)で「みずらはやめなさい」と禁止されるまで続いたらしい。

ユダヤのそーした慣習も含め、かなりの深度でユダヤ風俗が日本に浸透していたことを物語るものである。

 

 

【旧約に詳しく記載されている「失われた聖櫃(アーク)」と日本の神輿の酷似。頭上にある天使ケルビム🪽と鳳凰🐦‍🔥も対応し、移動式の神殿であるという機能までおなじである。ユダヤ人はアークを担いで戦場にも持っていった。】

 

 

 

 

(茂木)> 西暦135年、ローマ帝国のハドリアヌス帝が、ユダヤ人を完全にエルサレムから追放したあとは、もうずっと彼らには国がありません。

1948年にイスラエル国🇮🇱が樹立されるまで、1800年もの間ずっと国がなかった。このことを理解しないと、ユダヤは語れませんね。

 

…… 135年が、ユダヤ人の「ディアスポラ(離散)」の決定的な始まりでした。

ユダヤ人の歴史を概観してみると、

> ユダヤ人の建国と離散 ①② より

B.C.13世紀 出エジプト

B.C.10世紀 ヘブライ王国(サウル王/ダビデ王/ソロモン王)

その後、「北イスラエル王国」と「南ユダ王国」とに分かれる

B.C.722年 「北イスラエル王国」は、

アッシリアにより滅亡→離散、【失われた10支族】であり、★「多神教でもいいじゃないか」という戒律が緩い支族

B.C.586年 南ユダ王国(ユダ族と少数のベニヤミン族)」は、

新バビロニアにより滅亡→「バビロン捕囚」、神殿が破壊される→エルサレム帰還 ★「一神教を守ろう」という頑なな2支族

B.C.538年   ペルシャ・ギリシャ統治時代 ユダヤ人帰還、第2神殿を再建

B.C.64 年   ローマ統治時代 ユダヤ人による自治➡︎ ローマの属州

   ↓

⚫︎ A.D.33   イエス処刑

 ↓

A.D.66〜73   第1次ユダヤ戦争 ローマ軍と戦う(73年 マサダの戦いでユダヤ人1000人玉砕)

A.D.132〜135    第2次ユダヤ戦争 ローマ軍と戦う(ハドリアヌス帝)

 ▼

◉ ユダヤ人完全追放

◉ 決定的離散(ディアスポラ)

 

…… ユダヤ人という名称は、バビロン捕囚された多くがユダ族だったことに由来する。

古代世界🌏において、ユダヤ人はユーラシア大陸をものともせず、日出る処に向って東慚しました。そして日本列島に辿り着いたものでしょう。

(田中)>「故郷(ふるさと)がない」ということは人格形成にとって、とても重要なことです。

あらゆる民族は、たとえ故郷が貧しい場所でも、故郷があれば帰るのです。

故郷というのは長い旅行をして戻るところです。

 

…… 彼らユダヤ人には、最初から帰るべき故国が無かったのです。

(茂木)>帰るところがないから、せめてもの魂のよりどころとして、神をつくった のかもしれないですね。

 

 

秦の始皇帝(BC221)は、ユダヤ人が君主になった稀なケースらしいのだが、

基本的にユダヤ人は為政者の下にいて、あらゆる政権にサポートする側で立ち振舞うと云う。

始皇帝に仕えた徐福もまた、ユダヤ人の方士(道教マスター)であり、蓬莱山をめざして3000人引き連れ来日して、富士山の麓で暮したらしい。

『古事記』『日本書紀』に記載があり、戦前は紙幣の顔にもなった武内宿禰(長命、2〜3世紀)もユダヤ系の渡来人だと思われる。

古代世界の往き来は、現代から想像する以上に広範囲に及び、遥か遠い地にもかかわらず、頻繁に往復したものらしい。

(亡国のユダヤ人のネットワークは、凄まじい正確さだったようだ。伊勢白山道の霊視によれば、モーゼもキリストも来日している。マルコ・ポーロの「ジパング」が知られるずっと以前に、東方の果て・日本🗾については、熟知していたものと思われる。)

 

 

(田中教授)> 【ユダヤ人渡来、5つの波 🌊】

・第1波 BC13世紀 出エジプト〜 縄文時代・日高見国・スサノオ

  ↓

・第2波 BC722年以降

アッシリア捕囚と失われた10支族〜 日本建国

  ↓

・第3波 BC3〜2世紀

秦の始皇帝・徐福と3千人〜 秦氏、各地に渡来

  ↓

・第4波 AD3〜4世紀

弓月国から秦氏2万人〜 応神天皇が受入れ

  ↓

・第5波 431年以降

エフェソス公会議・ネストリウス派〜 蘇我氏

 

…… 仏教伝来について、秦氏は蘇我氏とともに、聖徳太子をささえた崇仏派でした。

が、蘇我氏が朝廷で大っぴらに暗殺を実行し、横暴に専制するようになると、機を逃さずに赤穂に逃げました。

聖徳太子を補佐できるほどの財力を有していた秦河勝は、その後、政治の表舞台からは一切身を引いてしまいました。

能の世阿弥や忍者の服部半蔵のご先祖だということで、「悪党」の楠木正成や鉱山師や治水土木の技術者とも、深いネットワークを持っていたことと思います。

鎌倉期に、八幡神社や稲荷神社を全国につくらせたのは、秦氏ですから。

その秦氏は、八幡様に応神天皇を祀っていたように、弓月君の子孫で紛れもなくユダヤ人なのです。

蘇我氏4代、稲目ー馬子ー蝦夷ー入鹿も、その変わった名前と経済力、政権の中枢にもぐりこむ政治力からいって、間違いなくユダヤ系渡来人でありましょう。

天皇や皇太子を弑し奉ってまで、おのれの野望を遂げようとする暴力性・排他性は、純日本人には決して見られない資質です。

そんな蘇我氏と秦氏が、組まなかったのは何故なのか?

 

田中教授は、蘇我氏がキリスト教ネストリウス派だからだと云うのです。

時代的に、エフェソス公会議で追放されたネストリウス派(=景教)だとすれば、年代は見事に合致します。

蘇我氏は、聖徳太子を庇護して育ててもいますから、

「厩戸皇子」という御名前とエピソードは、イエスキリストに倣ったものだと、容易に推察されます。

仏教の導入は、単に廃仏派の古代豪族・物部氏を斃すためだったのだろうか?

物部氏は、徐福の引き連れてきたユダヤ人だと言っている人もいる。

軍事を司る一族だから、先祖が渡来人であっても不思議ではない。

すると、蘇我氏・物部氏・秦氏と、ユダヤ人の三つ巴の争いということになる。

 

ディアスポラで世界中に離散したユダヤ人は、東方に広がる過程で、ユダヤ教からキリスト教へ改宗していたとされています。

時系列からいって、蘇我氏よりもはるかに早く来日していた秦氏は、「原始キリスト教」だったと思われます。

北イスラエル王国の末裔とすれば、秦の始皇帝や徐福も、多神教を認めるような緩い支族で、隠れ蓑に「原始キリスト教」だったであろう。

そうすると、日本に同化した秦氏・物部氏に対して、蘇我氏は厩戸皇子を日本のキリストに仕立てようとした、新しいユダヤ系勢力です。

田中教授は、蘇我氏というのは「我、蘇り」だと解きます。キリストの復活なのです。

 

「人間マリアは人間イエスを生んだ。

しかるのちに神がイエスに降臨した。

だからイエスは神として祀るべきだが、マリアは人間だから祀るべからず」

(神学者ネストリウスは異端とされる)

> 「神がマリアの腹に宿り、イエスとして生まれたのだ。

イエスは胎児の時から神であり、神を生んだマリアは “ 神の母 ” として祀られるべきだ」

(神学者アタナシウスのマリア崇拝は公認される)

 

…… 聖母マリア信仰をみとめるアタナシウス派は、のちのカトリックへと繋がってゆく。

聖母マリアを認めない(マリアの神性を認めない)ばかりに、ネストリウス派は異端となった。

そんなネストリウス派と釈迦の仏教とは、相性がいいのだそうだ。

つまり独身男のキリストと、家族を捨てて出家した釈迦が被るのである。

イエスキリストが、「私」ということを言い始めた。(近代個人主義の元祖)

個人宗教のキリスト教は、

カトリック教会が共同宗教に変質させ、

これを破壊したルターやカルヴァンの宗教改革で

また個人宗教に戻りました。

このから西洋近代文明という「病」が始まります。

明治以降の日本人もこれに毒されました。

 

男性原理の原始キリスト教が、

アタナシウス改革でマリア信仰を取り入れた結果、ヨーロッパ布教に成功したように、

男性原理の原始仏教もまた、

菩薩信仰を取り入れた大乗に発展することで、

東アジアで爆発的に信徒を獲得していきました。

西暦1〜3世紀頃のことで、『法華経』やら『般若経』などがつくられるのがこの頃ですね。

 

……神仏習合の日本(神道という共同宗教と仏教という個人宗教との融合)と

キリスト教をうまく「飼い慣らした」ヨーロッパ(マリア信仰という共同宗教とキリスト教という個人宗教との融合)のみが、

ユーラシア大陸の東西で、「文化というもの」を持つようになったと指摘している。

 

共同宗教ー神道、旧約(ユダヤ教、イスラム教)

個人宗教ー新約(キリスト教)、仏教

 

ネストリウス派の蘇我氏は、個人宗教である仏教にキリスト教を上書きしようとしたが、

当の聖徳太子は個人宗教たる仏教はみとめず、出家を否定したのだと云う。

> (聖徳太子は)在家で日常的に修行ができる『維摩経』あるいは『勝鬘経』を取り入れました。

 

…… つまり、はなっから皇太子である厩戸皇子は、「神道」を信奉しており、仏教は神道を補佐するものという認識だったらしい。

蘇我氏の野望に踊らされる聖徳太子ではなかったのです。その英明さが、不幸にも蘇我氏による暗殺を招いたということです。

そして、「日本のキリスト」をつくることに失敗した蘇我氏は、そのあまりの横暴ぶりから、一族の命脈を絶たれてしまったのです。

ひところ、梅原猛『隠された十字架』はベストセラーになったものだが、この本は同様に「聖徳太子暗殺説」をとっているが、黒幕として比定されているのは、「中臣氏(=藤原氏)」なのである。

蘇我氏の、日本人離れした暗殺志向や政治力を、キリスト教異端ネストリウス派と離散ユダヤ人と絡めて、論証したのは、田中英道教授が初めてである。

 

わたしは、このネストリウス派(=景教)からの視点に、えらく惹かれるものがあった。

なぜなら、極東の島国・日本に、突如として

法然の「浄土教」、それに続く親鸞の「浄土真宗」があらわれたのは、如何にもおかしいからだ。

それらが、仏教の主流からは外れながらも、キリスト教のような世界宗教としての「格」と「奥行き」をもち、「誰でも一人残らず救う」という宗旨は、とうてい個人の思いからの立宗ではないと思われた。

法然上人は、たしか母方が秦氏の家系だったと思う。

親鸞上人は、夢殿で聖徳太子との神縁が深い。(伊勢白山道の霊視では、聖徳太子は碧い眼のハーフで、キリスト教だったような…… )

 

秦氏を通して、日本の念仏宗にキリスト教の教義が流入した可能性は、私は少なくないと感じていた。

 

ただ弓月君や始皇帝が奉じていたのが、景教だとすると、流石に時代が合わない。

彼らは、世に云う「改宗ユダヤ人(コンベルソ)」であったろうし、その宗旨は「原始キリスト教」だったであろうとする説には、瞠目した。

 

ユダヤ人は、日本に来ると心の奥に蔵ったユダヤ教を放棄するのである。(伊勢白山道は、ユダヤ教の『旧約』の神・ヤハウェは、日本の国常立大神と同体だからと言っていた。いわば日本が本家なのである)

 

 

ユダヤ教は、失われた10支族の住んだ北イスラエル王国では、多神教と親和性があり、寛容であったようです。

それは、エジプトが太陽神ラーを祀ったように、ユダヤ教の前身も「太陽信仰☀️」だったからです。

原始キリスト教も、そんなユダヤ教の系譜を継ぎますから、太陽信仰の「神道」とは同化しやすかったと思います。(クリスマスは、本来は冬至におこなう太陽の祝祭である)

実際、原始キリスト教の秦氏は、ユダヤ方式を押しつけることなく、宗教的にも日本に完全に帰化しました。

ところが、蘇我氏である。ネストリウス派である。

聖母マリア信仰や守護聖人信仰などは、要するに多神教へのアプローチであり、厳格な個人宗教であるネストリウス派は、それを容認できないのです。

日本の、聖徳太子が目指された「神仏習合」とは、多神教への妥協をゆるすことで、厳格な一神教の呪縛から解き放たれることを希求している。

そのバランスのよい寛容さのお蔭で、豊かで潤いのある「文化」が実り、独自の伝統が培われる風土を醸成することになる。

 

…… グローバリズムは、この各国の独自の文化を否定して、一律におなじものを作り上げる世界システムである。

が、離散ユダヤ人が永年の夢であった、祖国イスラエル🇮🇱を建国してから、グローバル・ユダヤの生き方も見直さざるを得なくなった。

故郷である母国を手に入れた今、純粋な正統のイスラエルは、グローバリズムに反するからである。

 

日本文化は、各国のオリジナル(=伝統)を決して損なうことなく、融合できる大らかさを兼ね備えている。

だから、イスラエルに行きたくない離散ユダヤ人を日本に移民させたらいいのではないか。

全員来たって、1500万人だから、一緒に神輿かついだらいいんだよ。

彼らの目指す「カナンの地」は、日本の加南だという人もいる。

ユダヤ人は独特の佇まいをもっていて、日本には馴染むのではないか、短調で暗い日本国歌『君が代』が大好きな民族だから。

 

わたしも歳取ったら、バーバラ・ストライザンド(ユダヤ人)が美人に見えてきて仕様がないのよ。彼女は、若いうちから何かオバサンくさかった印象があったんだけど、それがきっとユダヤ的な人間味なんだろうなと最近は思う。

 

 

 

ヘブライ語の歌で、日本で昔歌われていたのをピックアップしてみた。日本人の琴線に触れたんだよね。

 

伊勢白山道の霊視では、失われたアークは、伊勢神宮の多賀宮の丘に眠っているらしいね。はやく、日の目を見ないかな。

世界🌏🌍🌎が腰を抜かす様を見てみたいものだ。

         _________玉の海草

 

 


教養 = 「他人の文脈を読む」 こと〜 なぜ必要なのか?

2024-09-17 22:08:05 | いまの世相

── 真田広之が、主演男優賞をはじめ「エミー賞🏆」18冠の快挙をお慶びしていたとき、

時代劇ってゆーのも、異なる時代の「文脈」を理解するってことだなと、教養の大切さが肌身にしみて分かった気がした。

 

 

それで教養なるものが、現代でも必要なのかどーか、について

三宅香帆『なぜ働いていると、本📕がよめなくなるのか』をヨスガに追ってみよう。

 

この本は、「なんで働きながらだと本を読めなくなるのか」を、解明しようとした労作なのだが…… 

その過程において、

明治以降の日本が辿った

労動史

読書史とを

1950年代〜2010年代まで、並行して参照している点に特徴がある。

 

読書は、昔から行われていたように見えるが、さにあらず。

紙の貴重だった江戸時代も、寺子屋のおかげで庶民の多数が読み書きに通じていたが、

仮名草子や、草双紙(絵入り娯楽本)、戯作本などは、現代でいう「教養のための読書」には入らない。

 

いわば現代のスマホ📱みたいなもので、

スマホを読んでても「読書」とは言わないし、スマホは働きながらでも毎日見ることができるのだ。

 

つまり、この「読書」という行為が本格化したのは、たかだか明治維新以後ということになる。

それでは三宅香帆の著作によって、ざっと引用・要約して、「読書」の歴史的推移を辿ってみましょう。

 

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明治になって、

活版印刷の普及により

従来の「朗読して読む(素読、音読)」

➡︎「黙読の文化」が始まった

そして句読点が普及した

(明治10年代後半〜20年代)

 

1871年(明治4年)に、

立身出世を煽るベストセラーが生まれる

『西国立志編(SelfーHelp)』スマイルズ著、中村正直訳

この本は労働者階級に向けた立身出世物語で、

この本の中で、訳者中村正直が初めて「修養」という言葉をつかった( Cultivation, culture, cultivate 等の「勤勉」「努力」「洗練」「教化」「培養」「文明」に関連する言葉に「修養」の語をあてた]

 

この『西国立志編』が如何に売れたのか…… 

明治末までに、日本の総人口5000万人の時代に100万部売れたロングセラーとなった(福沢諭吉『学問のすゝめ』も、よく売れたが、県庁から公的に配布された経緯もあり、純然たる民間ベストセラーではない)

つまり「修養」とは、

明治時代にエリートの間で広まった

大正時代には、むしろ労働者階級の間にすでに根付いていた(図書館から借りて読む文化が発達)

その一方で、大正時代のエリート階級では「教養」が広まった(労働者階級の「修養」から差別化するためである)

・行動を重視するのが、「修養」

・知識を重視するのが、「教養」

 

大正時代から戦前にかけて、「教養」とはエリートのためのもので、教養主義が流行った

つまり戦前の概念では

・休憩 = 新聞・雑誌・ラジオ・レコード・運動など

・勉強・教養 = 読書

と、截然と分かたれていたのである

 

● 1950(昭和25〜)年代

戦後サラリーマン階級の出現〜 新しい娯楽が生まれる

「パチンコ、株、源氏鶏太のサラリーマン小説」の三つだった

源氏鶏太の映画化作品は、80作を超える

 

● 70年代

教養=学歴

司馬遼太郎『坂の上の雲』文庫本が大ヒット

(私注;70年代の大事件「オイルショック」は、日本国民に高度経済成長が終わったことを告げた。つまり終身雇用だと思っていた会社がリストラを断行し始めたからである。そんな時代だったからこそ、『坂の上の雲』にロマンを見たのであろう。この物語は明治〜日露戦争勝利までの右肩上がりに成長した日本を描いたものだったからだ。ちょうど、バブル崩壊以前の景気良かった「モノづくり日本」を描いた、NHKの『プロジェクトX』とおなじ構図である。要するに、古き良き時代への懐古がテーマだったのである。)

「歴史という教養」ビジネス教養主義

文庫本ふえる

通勤列車で読書

企業内教育において「自己啓発」はじまる

 

● 80年代

コミュ力=処世術

実用系雑誌・月刊「BIG tomorrow」(1980年発刊)が流行る

大正の大衆教養主義の系譜をうけつぐ、昭和の教養主義(=読書を通じた人格陶冶)を奉じた人生雑誌

学歴(教養)よりも処世術

労働に必要なのは、教養ではなくコミュニケーション能力

急速に「自分」の物語がふえる

黒柳徹子『窓ぎわのトットちゃん』500万部売れる

村上春樹『ノルウェイの森』350万部

俵万智『サラダ記念日』200万部

いずれも一人称視点の物語→ コミュ能力の劣等感より

 

女性のカルチャーセンターが隆盛する

原因は、進学できなかった学歴コンプレックスから

 

● 90年代

行動と経済の時代

春山茂雄『脳内革命』(1995)

「内面」の時代から「行動」重視の自己啓発本

350万部売れる

バブル経済以前の「一億総中流時代」が終わる

(消費で自己表現できなくなる)

 

新自由主義(ネオリベラリズム)の台頭

⚫︎国家の福祉・公共サービスが縮小され、

規制緩和されるとともに、

市場原理が重要視される社会

 

「自分のキャリアは自己責任でつくっていくもの」

企業への忠誠心が消える

非正規雇用が拡大する

 

● 2000年代

仕事がアイデンティティになる社会

仕事で自己実現することを称賛する日本社会

労働そのものが「自分探し」の舞台となる

「やりたいことを仕事にする」幻想

90年代後半、すでに「やりたいこと」「好きなこと」を重視するキャリア敎育は取り入れられ始めていた。

労働市場が崩れ始めた90年代後半から、

「夢」を追いかけろと煽るメディアが氾濫するようになる

[※   荒川葉『「夢追い」型進路形成の功罪ー高校改革の社会学』]。

実際、学生が想像できる「夢」、つまり楽しそうな進路は

「服飾・家政」や「文化・教養」などの就職率の低い領域であることも多かった。

しかしそういったリスクを伝えず、高校のキャリア教育は夢を追いかけることを推奨した。

 

村上龍『13歳のハローワーク』(2002、平成14年)が流行る

2001年(平成13年)の日本労働研究機構(現労働政策研究・研修機構)によるフリーターへのヒアリングでは、

そのうちの4割が「やりたいこと」という言葉で自分がフリーターになった経緯を説明した。

[※  速水健朗『自分探しが止まらない』

この結果からも、

当時の就職活動や高校教育において、

いかに仕事における「やりたいこと」や「自分らしさ」の重要性が強く刷り込まれていたかが分かるだろう。

それはある意味、

日本の「夢追い」キャリア教育がうまくいった結果でもあった。

当時ニートと呼ばれる若者たちが問題になっていたが、

ニートをつくり出したのは、実は「やりたいことを仕事にすべきだ」という風潮だったのである。

 

 

● 2010年代

ビジネス書は「行動重視」傾向に

市場に適合しようと思えば、

適合に必要のない、ノイズをなくすことである。

 

コントロールできないものをノイズとして除去して、

コントロールできる行動に注力する

 

知らなかったことを知ることは、世界のアンコントローラブルなものを知る、

人生のノイズそのものだからだ。

 

> よくビジネス書では、

人に好かれる能力を磨きなさいと説かれていますが、

僕は逆だと思っています。人を好きになる能力の方が、よっぽど大事だと思います

人を好きになることは、コントローラブル。

自分次第で、どうにでもなります。

でも人に好かれるのは、自分の意思では本当にどうにもなりません。

コントローラブルなことに手間をかけるのは、再現性の観点でも、ビジネスにおいて当然でしょう。

[※  前田祐二『人生の勝算』より]

 

本を読むことは、働くことの、ノイズになる。

 

新自由主義改革のもとではじまった教育で、

私たちは教養ではなく「労働」によって、その自己実現を図るべきだという思想を与えられるようになってしまった。

 

> 20世紀、私たちは常に、自分の外部にいるものと戦ってきた。

たとえば他国との戦争、政府への反抗、上司への反発。

ー私たちが戦う理由は、支配されないため、だった。

しかし21世紀、実は私たちの敵は、自分の内側にいるという。

新自由主義は決して外部から人間を強制しようとしない。

むしろ、競争心を煽ることで、あくまで「自分から」戦いに参加させようとする。

なぜなら新自由主義は自己責任と自己決定を重視するからだ。

だからこそ現代においてーー私たちが戦う理由は、自分が望むから、なのだ。

 

戦いを望み続けた自己は、…… …… …… 疲れるのだ。

[※  ビョンチョル・ハン『疲労社会』より]

 

資本主義論理=市場原理が至上

企業間の競争は激しくなる

個人の誰もが市場で競争する選手だとみなされるため、

自己決定・自己責任が重視される

組織や地域に縛られず自分のやりたいようにやること、自分の責任で自分の行動を決めることなど個人主義的である

近所同士の助け合いや

同じ会社だから連帯して組合をつくるなどの従来からある共同体論理には向かわない

「社会のルールに問題があるかもしれない」とは考えない

 

ノマド、副業、個で生きる

[※ ノマドとは遊牧民という意味を持つ言葉であり、オフィスに縛られない働き方を指す言葉だといえます。(NTTコミュニケーションズより)]

働き方改革の時代〜 労働小説の勃興

 

 

スマートフォン📱の世帯保有率の推移[※ 総務省「通信利用動向調査」より]

2010年〜 9.7%

2015年〜 72.0%

2020年〜 86.6% 

 

「読書を娯楽として楽しむよりも、情報処理スキルを上げることが求められている」

娯楽から情報に変化

・本📕を早送りで読む人たち

・映画🎞️を早送りで観る人たち(目的が「観る」ことから「知る」ことへ)

・「ファスト教養」=自分と関係がない情報を「ノイズ」扱いする

 

全身全霊で働くことをやめよう

あなたの「文化」は、「労働」に搾取されている

 

 

自分から遠く離れた文脈に触れることーそれが読書なのである。

 

> 君たちはみんな、激務が好きだ。

速いことや、新しいことや、未知のことが好きだ。

ー君たちは自分に耐えることが下手くそだ。

なんとかして君たちは自分を忘れて、自分自身から逃げようとしている

もっと人生を信じているなら、瞬間に身を委ねることが少なくなるだろう。

だが君たちには中身がないので待つことができないー怠けることさえできない!

[※ ニーチェ『ツァラトゥストラ』より]

 

●  知識と情報の差異

情報=知りたいこと

知識=ノイズ+知りたいこと

(ノイズ=他者や歴史や社会の文脈)

「歴史性や文脈性を重んじようとする従来の人文知」

 

●  読書と情報の差異

情報ーノイズ抜きの知を得る

読書ーノイズ込みの知を得る

(※ノイズ=歴史や他作品の文脈・想定していない展開)

 

 

自己や社会の複雑さを考えず、

歴史や文脈を重んじないところー

つまり人々の知りたい情報以外が出てこないところ、

そのノイズのなさこそに、《インターネット的情報》

ひいては ひろゆき的ポピュリズムの強さがある。

※「安手の情報知」「安直で大雑把」「反知性主義」(社会学者の伊藤昌亮によるひろゆき批判)

求めている情報だけを、ノイズが除去された状態で、読むことができる。それが《インターネット的情報》なのである。

つまり過去や歴史とはノイズである

情報とは、ノイズ(偶然性)の除去された知識である

インターネットでは、自分の興味のないニュースは入ってこない

《要約、引用ここまで》

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三宅香帆は、全身全霊で仕事にのめり込むと、余裕がなくなり視野が狭まるので、読書📖しながら

「半身」で仕事に向かおうと提唱している。

 

プライベートも構わず自身のすべてを、仕事に捧げるような生き方は、ほとほと疲れてしまうのだ。

過労の末にうつ病を発症して「燃え尽き(バーンアウト)症候群」におちいるからと注意を促している。

 

 

さて、

戦前は「教養」というものが高く評価されて、仕事に役立ったものだったが、

世間で学歴が重視され、教育が行き渡ると、「教養」に変わるものとして、コミュ力が台頭してくる。

つまるところ、ビジネスは人付き合いなので当たり前のことなのだが、

物知りや蘊蓄は、処世術に取って代わられる。

やっぱりコスパが悪いからなのだろうか。

目の前の難題を、手っ取り早く解決する方向に向かい出す。

そうすると、「市場原理」という見えない神の手が、最優先されて大手を振って闊歩するようになる。

人びとは、その風潮にたいして「新自由主義」というレッテルを貼って、肯定的にとりくむようになる。

自分のキャリアは自己責任でつくるという足枷をみずから課して、所属会社をあてにせずに、会社への忠誠心を失ってゆく。

非正規雇用には、たしかに新しい形の「自由」はあったが、その代償は想像以上に大きかった。

しかし、日本は国を挙げて、「好き」を仕事にしようと、つまりは仕事で自分の理想を実現しようと無責任なことをそそのかすようになる。

その結果、まじめな「夢追い人」は狭き門をくぐることが叶わずに、こぞって夢叶わず、大量のニートを生んでしまった。

やりたいことを追求するあまり、甘んじてフリーターの立場をえらぶクソ真面目な人びとも多かった。

「失われた30年」と云われる不景気時代が、個々の夢追い人に苛烈な壁となってあらわれる。

人びとは、必死の思いで「バブル崩壊」「IT革命」の荒波のなかを泳ぎきり、適応をはかった。

市場原理に適合するためには、自分のコントロール下におけないノイズを出来るだけ除去しなければならなくなった。

自分でコントロールできる「手の内にあるもの」しか扱わなくなった。その中に「読書」が含まれる。

仕事のノイズになるものは、排斥することにしたのだ。

つまり仕事一辺倒のモーレツ労働者になって、適応しようという、涙ぐましい真面目人間なのであった。

なぜ、それほどまでに仕事に打ち込まなければならないのか、いや何故そんなに全身全霊仕事に打ち込みたいのか?

それは、自分と向き合うのが怖いからであろう。

仕事にかまけているうちは、「自分を知る」という孤独な営みには目を向けないで過ごせるからである。

他人というのは、自分の抱くイメージ(幻影)を投影したものだというから、他者と自分の関係をつきつめることは、つまり他者との付き合い方を理解することは、そのまま「自分を知る」行為になる。

 

自分の殻に入っていては、自分の姿が分からない。

だから、自分が自らの他者にならなければ(客観視)自分というものは分からない。

自分の殻にこもっている人は、他人がその客観視の役を勤めてくれる。

他人とは、自分の殻を抜け出た自分なのである。

そうして離れた処から見なければ、自分の輪郭というものは分からないものである。

つまり、「自分を知る」とは、他人を通して「自他を知る」の謂いであろう。

自分と誰か他人が付き合っているのを、「離見の見」でみる。それはいわば神の視座である。

自分ひとりしかいない時は、斜め上空から眺めているつもりで自分を観るしかあるまい。

この境地にあるとき、、ゆめゆめ自分にのめり込むことはあるまい。

自分の文脈だけで、ものごとを断罪するとき、それはただの拘りというか執着をあらわすものに過ぎない。

他人の文脈が入ることは、とりも直さず「離見の見」(客観視)ができているのである。

つまり、自分に慢心していない、油断していないときであろう。

洞察は、斜め上からの「INSIGHT」(外から覗き込む)が本来であろう。

人は誰でも、自分を外から眺められるものだと思う。

南方熊楠の云う萃点というものが、おのずと分かっていて使っているのではあるまいか。

斜め上に、ℹ︎クラウドの収納点があるのじゃあるまいか。

 

いま活躍している年代の人は、コスパ・タイパに執心するあまり、自分を大事にし過ぎるんです。

自分を内側から見てばかりで、自分の輪郭(キャラ)が分からないのでしょう。

> コスパよくしたいなら死ねばいい。(成田悠輔)

> Happiness is not a goal … it’s a by-product of a life well lived.

幸せは目指すものではない、それはよく生きた人生の副産物なのです」(エレノア・ルーズベルト、第32代フランクリン・ルーズベルト大統領夫人)

 

だから、読書📖したらいいんですよ。

本を開けば(電子書籍でもいい)、そこに他人が存在している痕跡があります。

読書人は、進んで読むという行為によって、その他人に寄り添っていって、次第に自分を無にして、その他人の文脈に乗ってしまいます。

そして没入して、他人の眼👁️‍🗨️に成り切ったとき、見つめているのは自分自身なのです。

そう、自分自身が世界🌏です。

世界は、わたしの脳内にあるものですから。

 

…… と、つらつら思いを巡らしてみると、

自分の文脈しか分からない人(=いわゆる馬鹿)は、一見自由気ままのようでいて、実は受け身で生きている人でしょう。

なぜなら、自分の内側しか見えないから、外からの刺激を受けないと自分の反応が分からないし、自分の反応が見えないからです。(内側の反応を見るというか感じることは出来るでしょう)

自分を外から知ること、これを教養と云うのでしょう。

教養があるとは、外の離れたものと自分との接点があるということだと思います。

自分の文脈と同じ文脈が、そこに息づいていることを感じられる。

摂理が、自分を貫徹していることが実感できる知の働き(≒知性、神性)を持っていること。

それが通常の世間知や人文知と一線を画する「叡智」というものだと思います。

 

やはり、やれば「ひとりにされる」読書📖という行為には、自分の文脈から離れる、あるいは忘れる効果があり、

他人の文脈に浸かることによって、自分の文脈をも深く知ることのできる営みなのだと思います。

自分の文脈と、他人の文脈との間にながれる地下水脈みたいなものを、本来は味わっているものでしょう。

いつの日か、自分の文脈が、世界創造の文脈になるのです。

文脈というからには文章があるわけですが…… 

案外そのうち文章は要らなくなるのかも知れません。

 

(聖ラマナ・マハリシ)> おそらく私の学問はすべて過去世で学び尽くされ、私は辟易していたのでしょう。それゆえ、現在その分野にサンスカーラ(精神的傾向)が作用しないのでしょう。

[ラマナが学問しなかった理由、14歳まではした]

それ以来、私は読みたいとも学びたいとも思いませんでした。

 

そんなこともあるのかも、、、大自然の書物を読むという言い方もしますしね。

山川草木・岩石・鉱物にも文脈はあります。

あらゆる文脈を読むことは、きっと楽しいに違いない。

     _________玉の海草