__ 受験するときに、重要視される「内申書(調査書)」に隠された国家戦略 …… そして日本的真面目さが国民からソッポを向かれた注目すべき年を振り返ることで、古き良き日本人から現在の姿に移行していったプロセスを辿る
昔流行った、アルビン・トフラー『第三の波』に注目すべき記述があったことを後年に知った
昭和の時代、所謂「内申書」に書かれる項目には、深い仔細があったのだと云う
学校生活をきちんと送ることは、当時の高度成長経済の工業従事者に求められる適性と密接にリンクすると云うのだ
底知れぬ深慮の御仁が創案したものででもあったのだろーか…
―そこには、重要な3項目のチェック・ポイントが存在する
①時間を守る(遅刻しない、毎日通学する)
②教師の話をよく聞く
③授業の退屈さに耐える
…… ③番なぞ、特に秀逸な視点である♪
毎日続く退屈なルーティンに耐性を具えていることは、極めて大事には違いない
①は、そのまま会社の通勤や規律に結びつくし、
②は、上司や先輩への姿勢に反映することでもある
つまり『内申書』の評価は、工業製品の製造業者に求められる適性の有無を正しく伝えていることになる
実に卓抜なシステムだったんですナ
現在、内申書の評価はどんなものなのか、よく分からないが……
名門「栄光ゼミナール」の資料(内申書対策)の中には、確かに上記のトフラー説を裏付けるものがある
学業成績の他に、出欠状況、行動記録(特別活動ー部活動、生徒会活動、学校行事)、そして担任による総合的人物所見…… 興信所みたいな雰囲気がある
実際の内申書対策を具体的にみてみると……
>内申点を上げる3つのポイント
最初に見たように、内申書は学期ごと、学年ごとの成績の積み重ねを1枚の書類にまとめたものだ。だから、学期ごとの成績を上げることが内申点のアップにつながるよ。では、成績を上げるにはどうしたらいいのだろうか。
①定期テストの点数
②課題の提出状況
③授業態度・学習態度
‥‥ なるほど、上に立つ人の言うことをマジメに聞いて、授業態度がよい生徒は、工業社会に入っても、忠実な部下となることだろー
別の角度から、昭和の日本人の意識変化をみてみると……
映画『ロッキー』や『フラッシュ・ダンス』が上映された頃……
まじめに努力して、成功を掴みとるストーリーが、日本中を感動させたとばかり思っていたのだが……
しかし、勤勉で上昇志向の日本人にヒットするはずの、これらの映画は、目論見を大きく裏切って‥‥ 実は不振だったのである!!
日本人の意識調査…… 日本青少年研究所/日本生産性本部/日本経済青年協議会/統計数理研究所/総務青少年対策本部庁が収集・集計したデータ… の年毎の推移を仔細に追っていくと、
―この時期に、“劇的な転換”(価値観の逆転)が表面化しているのだと云う
千石保『 “ まじめ ” の崩壊』(サイマル出版会.1991年)に拠ると…
>1977(昭和52)年前後のこと、日本人の価値観が決定的に変化した。…(略)…
それまでやたら権利を振りまわす傾向が強かったのだが、
1977年、公共の利益のために私権が制限されてもやむをえないという意見が多くなり、当時、社会党の支持率が二割近くも激減している。
左翼的なイデオロギーでなければ学生でない、といった雰囲気もガラリと変わり、保守的でおとなしく反抗しない学生へと変身したりした。
このほか、仕事優先⇒余暇優先、勤勉⇒遊び志向、… そしてマンガの流行、カラオケ・ブーム、深夜TVの女子大生ブームを経て、
―シャイな日本人から パフォーマンスの日本人へと、日本人の “ ひとが変わった ” のだと千石氏は云う
高度成長が頭打ちとなり、「モノ作り日本」の製造加工業種に翳りが見えて来ると、下積みの長い職人よりも手っ取り早く稼ぎたくなるものか……
アイドルはじめ「虚業」の無生産者が全盛期を迎える80年代
個性重視で「個人主義」へ傾き、その流れで「世界進出」が奨励されて、スポーツの分野においても世界レベルに伍して自分を主張できる日本人が現れ始める90年代
>昭和52年前後に、いったい日本で何が起きたのか。
大きな社会事象としては、第一次オイルショックによる日本経済の低成長だろう。
昭和48年暮れに日本を襲ったオイルショックは、翌49年にトイレットペーパー不足などの狂乱物価といわれる事態を引き起こした。人手過剰、高賃金を背負った企業は、人減らし作戦に打って出た。
この事態に―
右肩上がりの経済成長を当然視してきたサラリーマン達は、家庭をないがしろにしてまで忠勤に励んだ会社からソッポを向かれ、会社から離れては一向に潰しの効かない自分を発見して… 愕然としたのである。
>不思議なことに、当時、この父親の子供であり最も感じやすい年代の中学生だった昭和37、8年生まれが、後の「新人類」第一号となった。
多分、この深刻な父と母の会話が彼らの価値観に大きく影響したのではないか。
会社のために生きるのではなく、自分に忠実に生きるべきだ、と……
‥‥ なんとも身につまされる話である
わたしは当の新人類(栗本慎一郎命名)の世代なので、歴史の水面下で起きていた事象に愕然としてしまう
1980〜1982年の「漫才ブーム」の時は、私は高校生だったが……
ツービートのたけしの科白「赤信号、みんなで渡ればこわくない」が一世を風靡した
この流行語は、日本人の生真面目さを手玉にとった笑いで、新人類の一回り上の世代である「団塊の世代」を代表するビートたけしを際立たせた
2007年から、この「団塊の世代」(1947〜1949年生れ)の定年退職が始まった、つまりサラリーマン人口の大幅な減少が見込まれた
そして彼らの子ども「団塊ジュニア」(1971〜1974年生れ)は、30代の働き盛りに差しかかる
2007年は、ブログ『伊勢-白山 道』の始まった年でもある
この十数年に、何が起こったのか…… 未曾有の自然災害(?)に相次いで襲われることとなったが、その一方で「感謝」がキーワードとなって、日本人の美徳が世界から褒めそやされることになる
若者たちは、尊敬する人物として、自分の両親を挙げるよーになる
悪いことではないが、昔の日本人は身内を持ち上げないものだった
さてさて、これからどー変わるのか、果して日本人はそれほど特別なのか、注目してゆきたい
_________玉の海草