__ 漫才の「ダウンタウン」の松ちゃんが、いま大変なことになっているが、
いま、「ダウンタウン」の笑いを論ずる、実に象徴的なニュースがふたつ並んであらわれた。
● ひとつは、Yahoo!ニュースにも取り上げられた『PRESIDENT』に掲載された
藤井セイラさんの記事で、現在「お笑い」の主流になっている「ダウンタウン」への批判について。
● いまひとつは、女子SPA!に掲載された
石黒隆之さんの記事で、今は亡き坂本龍一が「ダウンタウン」の笑いに投げかけていた批判について。
そして、このような感覚(ダウンタウンへの違和感)は私だけの個人的なものではないようだ。
今週の『週刊現代』(2024・2月3・10日号)に8頁にわたる、こんな記事が掲載された。
☝️【 大阪ぎらい
〜ダウンタウン的お笑いも、
万博をごり押しする維新のやり方も、
なんだかちょっと時代とズレてしまった気がする〜
日本🇯🇵を支えた商都と文化都市のなれの果て】
> 昨年末、ダウンタウンの松本人志に関する週刊文春の報道が出て以降、少し懐かしい動画や画像が、SNS上でしばしば拡散された。
'90年代の人気番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ系列📺)の一部を切り出した動画や画像である。…… (中略)……
今回出回った「切り抜き」でとくに注目を集めたのが、当時まだ駆け出しだった女優の篠原涼子が、松本にどつかれたり、股間を触られたりするシーンだ。
いまでは考えにくい演出に、批判的な反応が寄せられたのである。
ところで、こうした「切り抜き」や松本問題に対するネットユーザーの反応にはこれまでになかった特徴が見られたという。
在京キー局のディレクターが言う。
「それは『大阪の笑いは乱暴なんじゃないか』といった反応です。
ダウンタウンのお二人は兵庫県尼崎市の出身ですし、もちろん大阪の芸人が全員乱暴だなんてこともない。
でも、今回の件で大阪の『イメージ』が悪くなっている感は否めません」
…… それでは、ひとつずつ、私の感想をまじえながら、引用してみよう。
(私は三年間大阪に住んでいたし、大お世話になったし、友だちもいっぱいいる。第二の故郷だと思っている。
ダウンタウンの荒っぽい尼崎弁と違って、昔の大阪の中心地・船場の「柔らかい大阪弁」である「船場ことば」も耳にしたことがある、大阪大好き人間である。
そんな大阪びいきの私の正直な感想である)
🔴 引用元リンク ▼ 文・藤井セイラ
「松本人志がいなくても日本のお笑いは大丈夫」老若男女に支持されるウンナンとダウンタウンの決定的な違い(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース
> 「ダウンタウンがいなくなってもウッチャンナンチャンいるから日本のお笑いは大丈夫。
ごっつええ感じでYOUと篠原涼子がセクハラされてた頃、
ポケビとブラビは綱渡りとか厳しいチャレンジさせつつも、ちゃんとビビアンと千秋の『自己実現を叶える装置』として機能しつつ、ミリオンヒット飛ばしてたよね」
…… 昨年末のNHK『紅白歌合戦』で、視聴者にすこぶる好評だった「ポケット・ビスケッツ」と「ブラック・ビスケッツ」の再結成。
1996年当時、ウッチャンナンチャンは、お笑い番組のなかで、夢実現企画を成し遂げた。
ふざけたような対決企画だったが……
台湾🇹🇼から出稼ぎに来ているビビアン・スーが、この勝負に勝たないと生き残られないと必死なのが、リアルで妙に心に突き刺さった。
ふざけた感じとは裏腹に、作曲家の陣容は超一流どころで、林田健司や中西圭三、パッパラー河合やら、ユーミンとデュエットもしていたなあ。
「スタミナ」「タイミング」「ミレニアム」は、CD💿買ったような覚えがあるな、車🚗中でヘビーローテーションしていた。
携帯電話が普及する5年前くらいだから、昭和の意識で生きていた最終ステージといえるんじゃないかな。
小室ファミリーばかりが、ヒットチャートを席巻した九十年代……
ポケビ・ブラビの練り込まれたヒット曲は、新鮮だった。
そんな当時を知る者はもちろん、いまの小学生から、高齢者にまで、訴えかけるものが大きかったようだ。
その頃、1989年に東京🗼進出を果たした「ダウンタウン」は、徐々に地歩をかため、1995年には浜田が「wow war tonight」でミリオンセラーを出したりしている。
このへんが分岐点であろう。
1989年は、「昭和」の最後の年である。
いろいろなものが、この年を境にクリティカルに変化し始める。(個人的には、プラトン大年の「アクアリアン・エイジ」は1989年から始まったのではないかと推測している)
> ダウンタウンの「イジる笑い」はハラスメントを内包する
1991年から97年まで続いた『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ系)などで、
ダウンタウンは日本中の若者、子どもたちに「イジり」という概念を植えつけた。
「イジってもらっているんだから、おいしい」というような、本来は芸人の楽屋だけで通用していればよい価値観を、テレビ放送という「表舞台」に提供し続けてきたのがダウンタウンだといえる。
天下を取るまではそれでよかったかもしれないが、天下を取ったあとのそれは、弱い者いじめとなる。
…… 実は、わたしは「ダウンタウン」のそれらの番組の洗礼はうけていない。まったく興味がなかったからである。
ダウンタウンを知っていたのは、音楽番組の『HEY!HEY!HEY!』ばかりは、好きな歌目当てで観ていたからである。
当時、ダウンタウンって毛色が変わった漫才をする印象だった。陽ではなく陰である、武士の戦い方ではなく、忍者めいた戦い方をしている感じがした。
通好みは、ハマるのかも知れないけど、私は一目みて遠慮したいと思ったものだ。
おそらく、ダウンタウンの漫才は通しで全部みたことはないだろう。
わたしが「お笑い」に求めるものから、かなりかけ離れていた印象があった。
> ■「ジャンクSPORTS」での浜田のアスリートイジリも危うい
現に、同様に「イジる笑い」を貫いていたとんねるずは、2018年の「とんねるずのみなさんのおかげでした」(フジテレビ系)終了をもって冠番組がなくなっている。
…… 浜ちゃんの「ジャンクSPORTS」を観ていると、この番組から呼んでもらいたくて、がんばっているアスリートが実際いるのだから、面白いものだ。
アスリートの素の顔が映し出され、型にハマった祝福ではない、くだけた魅力が窺えるメリットもあったが……
もはや、テレビのコンプライアンスは、そうした「イジリ」をも倫理的にゆるさないレベルに入っているようだ。
この社会の雰囲気が、「ダウンタウン」の笑いを拒みはじめたのが、良いことなのかそうでないのか……
この現象は、社会の「揺り戻し」なのであろうか?
リベラルの在り方が、あまりにも多岐に細分化して、いちいち逐えないところまで来ていて……
保守 VS リベラルの「二元構造」で片付ける論理は通らなくなってしまった。
> 1980年代終わりから1990年代初頭にかけて、ウッチャンナンチャンは「東のウンナン、西のダウンタウン」といわれ、ダウンタウンと並び称されていた。
…… ダウンタウンが落ち目になった今、ウンナンが地道にやり続けてきた「腕みがき」が脚光を浴びようとしている。
ウンナンは、開拓しつづけている。ダウンタウンが、同年代を中心とする中年サラリーマンのカリスマとして君臨していたときも、ウンナンは歩みを止めなかった。
ナンチャンの『ヒルナンデス』出演も長い。ウッチャンはNHKでも新しい笑いに挑戦しているし、現場の漫才師として、ネタも作り続けている。
わたしは、松ちゃんの「笑い」は『すべらない話』を観るまでは分からなかった。あー、なるほど、こんなに作り込まれた「笑い」も違った風味があって面白いものだなと思ったのは、比較的最近のことである。
もはや、審査員であり評論家に成り果せている感じが拭えない。
もはや大御所になっちまったのか、なにか強烈な違和感を覚える。
松ちゃんの流派が面白いのは認めるが…… 松ちゃんが「お笑い」の質を決める裁判官では決してない。
🔴 引用元リンク ▼ 文・石黒隆之
松本人志に坂本龍一さんが生前投げかけていた疑問。90年代にはCDプロデュースしたが/2023人気記事top5 | 女子SPA!
> 坂本龍一氏が2001年刊行の対談本で語っていた「ダウンタウン理論」
『永遠の仔』のベストセラーで知られる作家の天童荒太氏との対談本
『少年とアフリカ 音楽と物語、いのちと暴力をめぐる対話』(文藝春秋刊 2001年 )
での、2000年代前半の殺伐としていた日本社会の空気に関するやり取りです。
まず天童氏が、電車内で少し肩がぶつかっただけで暴力沙汰に発展しそうな “秩序の崩壊” を指摘。この感覚を共有していた坂本氏が、理由のひとつとして挙げたのがダウンタウンなのです。
「僕には、ダウンタウン理論というのがあるんですよ。(中略)ダウンタウン前とダウンタウン後で日本人の心は大きく変わった。」(『少年とアフリカ 音楽と物語、いのちと暴力をめぐる対話』p.117より。)
…… わたしが実感する、1989年の境界線。
ダウンタウンを進んで受け入れた日本🇯🇵が始まった、ダウンタウン後の日本は、それまでの良き日本人と完全に一線を画すものだったことは、間違いないだろう。
> 松本人志がすごい才能で示した日本社会のあり方とは
では、日本社会を様変(さまが)わりさせてしまったダウンタウンの異質さとは何なのでしょうか?坂本氏はこう続けます。
「挑発すべきものがなにもないところでやってるから、パフォーマンスとしての反抗にならざるを得ない。
ここ二、三年のダウンタウンの芸って、年下の芸人をいたぶってるだけで、一言で言うと、『どんくさいやつをいじめてなにが悪いの』ってことでしょ。」(p.118)
…… お笑いのスタイルとしての「反抗」、文句つけるのがカッコイイ風に受け止められている。
この時代、逆らうべき権威は明確には存在しない。
弱者を守るために、強者に「反抗する」正義が存在しないのに、「反抗するスタイル」をとり続ける。
いわゆる「不良」のもつカッコよさ、ロックで生きる感じであろうか。
ダウンタウンは、決して真面目に学校🏫に通う優等生ではなかった。いつも、主流から外れたアウト・サイダーであることに、彼らのアイデンティティがあるのである。
「不良」の魅力とは、真面目に学校🏫に通って勉強して「学校制度」を守っている「まじめな学級委員長」はじめ大勢の生徒さんがいて、初めて生まれる異端の魅力なのである。
「不良」は、学校🏫の主流にはなれない。
> 「結局、子どもたちはみんなダウンタウンをやっている。
だって、いまのいじめとか少年犯罪のパターンって、ほんとダウンタウンそのままじゃない?
松本人志はあのすごい才能で、そういう社会を啓示したんだよ。」(p.119)
…… 坂本龍一は、こういった客観的な視点が尋常ではない鋭さをもっているんだよね。村上龍との対談も、まったく新しい見方(文脈)を見いだしていて驚かされたものだ。
> あざ笑うべき権威があったビートたけしらの時代とは異なり、権威がなくなり、
その結果、乱暴に悪態をつくことが形骸化(けいがいか。中身がなくなったこと)してしまった現代の負の側面としてダウンタウンの笑い。
こうした価値観が刷り込まれると、
「『いじめてなにが悪い』から『人を殺してなにが悪い』に行き着くのは早い。」(p.120)
と考えるから、坂本氏は危惧(きぐ)を抱いていたのです。
…… やはり、ダウンタウンは「陰」つまり日陰者の立場なんだよね。それなのに、間つなぎの遣り取りが斬新だからとか、いかにも新しい潮流のように歓迎されるから、若者の文化は幼く怖いところがある。
一部の好事家(物好き、ディレッタント)に愛されたり、一部のローカル文化としてなら許容できるが、
東京🗼のキー局は、視聴率(数字)が獲れるからといって、異端のダウンタウンに冠👑をかぶらせて、ダウンタウンの思い通りに番組を牛耳らせてしまったのである。
> 「権威に反発して、ルールがないことはいいことだと戦後最初に言ってたのは、僕らの世代なんだよね。
いわゆる全共闘世代。
いま僕らの世代が親になり、教師になって、そういう子どもを育ててしまってる。」(p.120)
…… 坂本龍一は、1952年(昭和27年)生まれ、
1947〜49年の「団塊の世代」のすぐ後で、シラケ世代といわれた年代である。坂本龍一は、東京育ちの最先端ボーイだったから、年少にして「全共闘」に参加することができたのだった。
既存のすべてをブチ壊して、親を泣かせた坂本さんたちの世代が、親になり学校🏫の教師になるなんて、おそろしいことです。
好き放題、親や先生に逆らった人びとが、どうやって「人としてあるべき道」を教えられるだろう。
学校の教師は、坂本さんらが親になった70〜80年代には、もはや「聖職」と呼ばれなくなった。
人生の先輩として、学校教師はみずから健全な大人のモデルとして振舞えなくなってしまったのです。
> 坂本氏はダウンタウンそのものを批判しているのではなく、彼らが生み出されるに至った歴史の過程に、日本の問題点を見ているのです。
> 「やっぱり、親なんだよ。
教えられるのは親であり、地域のコミュニティーであり、社会だもん、それが機能していないってことだよね。」(p.84)
…… そうした旧態依然としたコミュニティや集まり、近所付き合いや義理人情を、ぶっ壊してきたのが「団塊の世代」をはじめとする、戦後の「アメリカ🇺🇸かぶれ」世代であった。
昔の江戸っ子は、近所の子どもでも遠慮なく叱って、人としての道を教えてきたが……
自由と権利を主張して、わがまま一杯に甘やかされた坂本さん達の世代が、後進に「あるべき見本(モデル)」を示せようはずがなかったのである。
> 本来ならばアウトサイダーとして輝くはずだったダウンタウンが
メインストリームに躍り出てしまった社会の歪(ゆが)み。
…… そうした、地縁のコミュニティが希薄化するにつれて、子どもや若者たちは自らの裁量で生きていかなければならなくなった。
地域の守りが、セイフティネットがほつれて来たのをどうすることもできなかった。
もはや、伝統的な「古き良き日本」は、跡形もなく消滅してしまっていたから、
ダウンタウンのようなアウト・サイダーは、昔からのコミュニティの自浄作用をうけずに、世間の大道を闊歩し始めたわけである。
丁度、バブルが崩壊して、いままでの既成の価値観が大きく揺さぶられている時だったから、時宜にかなった東京🗼進出だったのだと思う。
__ 大阪の芸人は、おのれの武器である「大阪弁」を、東京の地でも手放さなかった。
松ちゃん浜ちゃんも、柄のわるい尼崎の流儀を、東京に来てもそのままやり通した。
それができる時代、できるどころか歓迎される時代に、たまたま巡り合ってしまった。
社会の景気はとてつもなく悪いし、その最も苛酷なしわ寄せな自分たちの世代に襲いかかった、当時の若者たちは、なにもかもすべてに、半ば絶望しかけていたことだろう。
先の見込みもなく、とりたててなにも良いことのない日本社会で、せめて「お笑い」くらいは、自分たちのわがままを発散させたいと思うのも無理からぬ処なのかも知れない。
そして、「イジる」ことで「ウケる」コミュニケーションの中に活路を見いだしたのであろうか。
いまだに、ダウンタウンを目指して漫才師になる若者が後を絶たない。
それほど、強烈なインパクトを残した理由は、不良に通ずる「反社会性」であろう。
それが今や、不倫や暴力・暴言が完全に許されない社会に移行している。
誰が首魁なのか、皆目わからぬながらも、世界中がその「外圧」に振り回されている。
庶民は、見えない権力の分析なぞしない。
しかたなく長いものに巻かれるだけ。
たんに、ひとつの時代が終わったのを眺めるだけである。
ダウンタウンが「お笑い」の主流である時代、わたしは好きではない。
願わくば、謙虚に傍流の「大物芸人」として、ちょっと社会にスパイスを振り撒く程度に活躍してもらいたい。
「団塊の世代」(75才位)の子ども世代である、「ポスト団塊ジュニア」(50才位)……
「団塊の世代」の孫世代である、「ミレニアム世代」(25才位)……
ダウンタウンの笑いは、ほぼ30年続いた。
もう、次の「ミレニアム世代」にお譲りする時期なんじゃないかな。
ダウンタウンのようにクセのある、偏った志向は、長続きはしないものだと思う。(特化するとは、成長を止めることである、普通さとは万全な生き方なのである)
マイナーなのに、花咲いて天下奪ったのだから良しとしたらいいんじゃない。YouTube には向いているのじゃあるまいか。
_________玉の海草