__ どこのコメント欄を読んでもそうだが、
なんでこんな甚しい読み間違えをするのかな、ちゃんと学校🏫教育をうけたのかな、あちこち拾い読みして早合点してて、これは付ける薬がないなと思われるコメントも少なくない。
いろいろな年齢層、いろいろな学歴があるので、一概に決めつけることは出来ないが、かなりの割合で「誤読」が横行しているのは事実のようだ。
__ オタキング岡田斗司夫から、頭のよい人として強力推薦されている、
橘玲『バカと無知 〜人間、この不都合な生きもの』
の中に、日本人の読解力に関する客観データが詳しく記載されてあったので、以下に引用する。
【資料】
国立教育政策研究所編『成人スキルの国際比較 OECD国際成人力調査(PIAAC)報告書』明石書店刊-より
> OECD加盟国を中心に、24ヵ国・地域の16〜65歳の約15万7000人を対象に、2011〜12年に実施された。
…… この調査は、ヨーロッパにおいて若者を中心に失業率が高い原因として、仕事内容と応募者のスキルとが噛み合わないのではないかということになり、
仕事に必要な三つのファクター、
・「読解力」
・「数的思考力」
・「ITスキル」
を実際に調べてみたものらしい。
> PIAACの問題は、レベル1からレベル5まであり、
レベル3は「小学校5年生程度」の難易度とされている。
●「読解力」の調査結果をみると……
> 「読解力」のレベル3の問題例では、
図書館のホームページの検索結果を見て、
「『エコ神話』の著者は 誰ですか」
という問いに答える。
あまりにも簡単だと思うだろうが、正解するためには、問題文を正しく読めるだけでなく「検索結果をスクロールし、そこに該当するものがなければ『次へ』の表示をクリックする」というルールに気づかなくてはならない。
この問題に正答できない人は、日本では27.7%で、3〜4人に1人になる。
> レベル4の問題では、150字程度の本の概要を読んで、質問に当てはまる本を選ぶが、日本では8割近い(76.3%)成人がこのレベルの読解力をもっていない。
ツィッターの文字数の上限は140字なので、5人のうち4人は書いてあることを正しく理解していない可能性がある。
他の二つのファクターの評価基準については、
・「数的思考力」
レベル3〜立体図形の展開
レベル4〜単純なグラフの読み取り
・「ITスキル」
レベル3〜メールを読んで会議室の予約を処理する
…… こうした本格的な調査から窺える、日本人の成人スキルとは?
>【まとめ】
❶ 日本人のおよそ3分の1は「日本語」が読めない。
❷ 日本人の3分の1以上が 小学校 3〜4年生以下の数的思考力しかない。
❸ パソコンを使った基本的な仕事ができる日本人は 1割以下しかいない。
> この惨憺たる結果にもかかわらず、日本人の成績は先進国で1位だったのだ。
…… やはり世界全体を見渡すと、道徳心(≒教育レベル)を求め得る国は、極めて少ないことが分かる。なるほど、W杯サッカーで暴動が起きるわけである。
とはいうものの、暗澹たる思いを懐かざるを得ない。
ツィッターの文章内容を正しく把握している人は、全体の2割しかいないのである。
最初の3行しか読まない(=読めない)とは、よく耳にする。
何かの試験に臨んだとき、
その 問題文を正しく理解できない人(当然、解答を間違える)が、3分の1もいる のである。
企業が、大卒から雇用したい気持ちもよく分かるような気がする。
__ ホリエモンのYouTubeチャンネルでも、この「日本人の読む力」については取り上げられていて…… (百田尚樹との対談にて)
> (ホリエモン・談)
文字が読めます
文章が読めます
文脈が読めます
行間が読めます
みたいな、レベルあると思うんですけど、
結構な人が文字は読めてるけど、文章として読めてない。
実例として、ご自身のTwitterでの発言に対する、読者の反応を上げておられた。
ホリエモンの実際のツイートが……
> 「A380のファーストクラスは機内でシャワー🚿浴びれんのか!」
…… この一文が、正しく理解されなかったらしい。
読者は、疑問文として捉えたり、非難する文として捉えたり、およそ半数の人びとが誤読してクレームを付けてきたものらしい。
これに対して、同席した 百田尚樹 も、
> 反語的表現が伝わらないですね。
…… と共感を示しておられた。
ある程度の読書量をこなした人なら、「文章のアヤ」というものに理解が及ぶものであるが、そうではない人びとが目立って多くなってきた。
これは、もう一つの見方からすれば、
もともとそうした誤読する人びとが一定数存在したのだが、紙のメディア全盛の時代には、そうした者たちはライター(執筆者)の立場になることはなかった。
しかし、インターネットの時代となり、自分から発信するようになると、文字は読めるが文脈を読めない輩も、発信するようになるわけで……
結果、そうした投稿が目立つようになっただけだとする見方もある。
日頃は、文章を書くことのない個人が、ネット社会に参入して、自ら文章を書くようになった弊害だというわけである。
ほんとうに困ったことである。正しい読解力を持っているか否かが、こんなにも問題となる時代が到来したのである。
__ 悪名高き「学力偏差値」は、平均を「50」として、平均からどれほどかけ離れているかを示すものだが(50を頂点とする「ベル🔔カーブ」を描く)……
偏差値40〜60の範囲に、68.3%の人達が収まるそうだ。
高い偏差値ばかりが注目される日本だが、低い方、偏差値40以下に該当する人は、6人に1人は確実に存在する。
本当は、行政的に無視できる人数ではないのだ。
そのかた達は、まったく存在しないかの如く口の端にのぼることもない。
ーネット社会では、こうした能力の低い人達が自信たっぷりに自分を主張することが間々ある。
これもまた、人類の進化の歴史をひもとくと理解できるのだそうだ。
人類は、歴史の大半を 最大150人ほどのグループ(共同体)で暮らしていた経験から、この自信満々な人々の生存戦略が浮かび上がってくる。
橘さんの本から引くと>
❶ 目立ち過ぎて反感を買うと、共同体から放逐されて死んでしまう。
❷ 目立たないと、性愛のパートナーを獲得できず子孫を残せない。
…… つまり、能力の低い人は、目立つために「自信たっぷりに能力があるように振舞う」必要がある。
能力の高い人は、目立たないように、「能ある鷹は爪を隠す」必要がある。
上記の本では、
「バカと利口が熟議する悲劇」と見出しをつけていたが、
論戦をつづけると、バカに引きずられる結果に終ることが多い。
そうなるポイントは、能力の低い人は「自信満々」だからである。「自信満々」かどうかは、誰にでも容易に見分けがつく。
人間は、脳🧠の認知能力の限界から、とりあえず「自信たっぷり」の相手を信用するものらしい。
しかしそれは、あくまでも、脳エネルギーの節約のためなのであって、「性善説」から来るものではないそうだ。
能力の高い人は、目立たないように物言いも謙虚にして断言なぞ決してしない。
その結果、自信満々の〇〇に引きずられることになる。
あちこちのコメント欄で、よく実例を見かけますね。
一定レベル以上の人々による討論でないと、「三人集まれば文殊の知恵」という「集合知」は獲得できないということです。
とすれば、求められる政治形態とは「賢人政治」ということになろうか。
様々な実験データから導かれる「人類の設計図(デザイン)」。
橘さんの言葉を味わってみよう。
> あらゆる生き物は、生存と生殖を最適化するよう長大な進化の過程で「設計」されてきた。
> 残念ながら、進化の目的はあなたの幸福ではないのだ。
> 脳🧠はよい出来事よりも悪い出来事を強く経験し、記憶するよう「設計」されている。
……「身内びいき」「仲間意識」ということがあります。
現代の進化論においては、
ヒトが(自分の所属する)内集団に対してやさしくなることと、
外集団に対して残酷になることとは表裏一体であると言われています。
> 「共同体のあたたかさは排除から生まれる」
…… という、身も蓋もない現実相も見逃してはいけませんね。
橘さんはまた、
限られた一生で読める本は、頑張っても2〜3万冊程度なので、読む本を選ばなければならないということを提案なさっています。
現代ではまったく通用しない、古めかしい「オワコン(終わったコンテンツ)」も、惰性的に「教養」としてまかり通っているからです。
ここ半世紀で爆発的に進歩した「知のビッグバン」と呼ばれる、新しい判断基準「知のパラダイム変換」……
複雑系・進化論・ゲーム理論・脳科学・ICT(情報通信技術)
等の世界常識を塗り替える新展開は目覚ましいもので……
イェール大・成田悠輔の統計解析学とか、ビッグデータを駆使した客観的データに基づく見解には、なるほどいままでの時代にはなかった客観的説得力があります。
わたしが、さんちゃんの『ほんまでっかTV』を観るのも、考えてみればフロイト的な主観的心理学ではなく脳科学の実験や新しい進化論による客観的識見を知りたいからなのだと思います。
最近、昭和の時代に科学的な常識だったものが、次から次へと覆されています ね。
実験やデータによる客観的なエビデンスの上に築かれた最新知識(量子力学も含む)を学ぶ方が、実生活においてもタイムパフォーマンスがよいとは言えるかと思います。(勿論、昔日の智慧にも意外な宝玉が混ざっていることも間々あります)
ー 男女差にも言えることだが、これら人間の生得的というか生理的な基礎条件をないがしろにしてはならないだろう。
「多様性」を謳うのであれば、しっかりとした客観データに基づいた必然的な分類であってほしいものだ。
最近の、こうしたすこぶる実際的な広域実験データは、ほんとうに面白いと思います。
ビッグデータを基にしたAIの分析は、存外に真実に肉迫しているんじゃないかと思っています。(但し、データの取り方は適正なのかを精査する必要がある)
これからの時代、本当の意味での個別性が重要視される時代に本格的に突入するようだ。
いままでは、個性といったら専ら芸術や学問分野での必須事項だったが、AIの爆発的な進歩の渦中で、
人間の「個」の魅力とは何なのか、深く掘り下げられることだろう。
それに耐えうる、いわば掛け値なしの人生の達人が注目を浴びる時代が、ほんとうに到来するのである。
人生において、機械的な反復活動は除外される方向へ向かうだろうが、ほんとうに無意味なのかもまた、真剣に吟味される時代となる。
ひととして、有機生命体として、何が出来るのか、何をすべきなのか、ーーー つまりどのように生きるべきかが「待ったなし」で問われる時代ということになろう。
人間味の豊かなひとは、そのままでいいだろうが…… 反応するだけのロボット🤖人間には最後通告を突きつけられる時が、刻一刻と迫っている。
人間だけにしか出来ない行動とは何なのだろう?
そこにはどんな意味があるのだろう?
前世紀末より、いろんなメディアで頻りに「目覚めよ」という強力なメッセージが送られている。
まー、難しいことはともかく、わたしはどんな時代にも生き残りをかけて出現する「変態的天才」が大好きなのである。
かれらは例外なく「全力で楽しんでいる」処が、堪らなく好ましい。いや、全力を出し尽くさなければ、面白く楽しくないのかも知れない。
赤子は一日中全力で遊んでいるもの。
ひとは赤児のようにならずば、天の国に入れないとか、誰かがゆーとったな。
高貴なる人びとの如く、「〇〇遊ばす」境地 こそ、真に人間らしいってことかしら。
_________玉の海草